「思い踏みにじられた」土師さん 「元少年A」の手記出版中止を求める

イザ! 2015年6月10日

平成9年に神戸市須磨区で発生した連続児童殺傷事件で、当時14歳だった加害男性(32)が手記を出版したことをめぐり、殺害された土師淳君=当時(11)=の父、守さんは10日、代理人弁護士を通じ、「私たちの思いは無視され、踏みにじられた」とするコメントを公表し、出版の中止と本の回収を求めた。
守さんは「何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できない。遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できた」としている。
全文は次の通り(原文のまま)。
「加害男性が手記を出すと言うことは、本日の報道で知りました。
彼に大事な子供の命を奪われた遺族としては、以前から、彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されてしまいました。何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。
先月、送られてきた彼からの手紙を読んで、彼なりに分析した結果を綴ってもらえたことで、私たちとしては、これ以上はもういいのではないかと考えていました。
しかし、今回の手記出版は、そのような私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できました。
もし、少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収して欲しいと思っています。
平成27年6月10日
土師守」

神戸連続児童殺傷 「出版動機知りたい」彩花ちゃんの母コメント全文

神戸新聞 2015年6月10日

神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が手記を出版したことを受け、小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=を殺害された母親の京子さん(59)が神戸新聞社にコメントを寄せた。全文は次の通り。
神戸連続児童殺傷事件の加害男性が手記を出版するとのことを、今日の朝、新聞社からの電話で知り驚いています。
何事にも順序というものがあり、本来なら当事者である私たち遺族や被害者が最初に知るべき重要な事柄が、このように間接的な形で知らされたことは非常に残念に思います。
もちろん、私の手元には現時点で手記も手紙も届いてはいません。
情報によると、手記には「精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、20年もの間心の金庫にしまい込んできた」と自身の精神状況を振り返るところや、罪と向き合う姿がつづられているようです。
「自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた」というのが加害男性自身の出版の動機だとすれば、贖罪(しょくざい)とは少し違う気がします。自分の物語を自分の言葉で書きたかったのなら、日記のような形で記し自分の手元に残せば済む話です。
毎年、彩花の命日に届く加害男性からの手紙を読むたびに、「年に1度のイベントのような手紙ではなく、事件や彩花に関して湧き上がってきた思いを、その都度文字に残して、メモ書きでもいいから書きためたものを送ってほしい」とメディアを通して何度も発信したメッセージが届いていなかったのかと思うと複雑な気持ちになります。何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです。

神戸連続児童殺傷事件の「元少年A」が手記を出版

イザ! 2015年6月10日

平成9年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件で、当時14歳だった加害男性(32)が「元少年A」の名で、事件に至る経緯や現在までの心境をつづった手記を出版したことが10日、関係者への取材で分かった。タイトルは「絶歌」(太田出版)で、早ければ同日から随時書店で発売される。
手記は全294ページ。事件に至る心境や、逮捕されるまでの感情の動き、16年に医療少年院を仮退院後、1人で身元を隠して日雇いアルバイトなどで暮らしてきた生活ぶりが克明に記されている。
太田出版の岡聡社長は、出版に至った理由について「少年犯罪が今も社会を動揺させている中、加害者がどういう心境なのかを伝えるべきだと思った」と説明。遺族には加害男性の手紙を添えて本を届けるという。
加害男性は9年、須磨区内に住む小4の女児と小6の男児を殺害し、児童3人に重軽傷を負わせた。事件を受けて13年、少年法の刑罰の対象が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。

「過去と対峙し、書くことが唯一の自己救済」と理由説明 手記で神戸事件の元少年

イザ! 2015年6月10日

神戸市で平成9年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)は10日に発売された手記「絶歌」(太田出版)で、「自分の過去と対峙(たいじ)し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済」だったと理由を説明していた。
手記は男性が医療少年院に入院するまでと仮退院以降の生活についての2部で構成。1部では犯行に至るまでの性衝動や動物への残虐行為などを振り返っている。
2部では16年の仮退院後、親元に戻らず更生保護施設に入所し日雇いアルバイトをして過ごしたことや、溶接工などの仕事をして生活したことを通じて「人間が『生きる』ということは(中略)かけがえのない、この上なく愛おしいもの」だと感じるようになったと記している。
巻末では、遺族への謝罪をつづり、被害児童らが「どれほど『生きたい』と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました」と記していた。

「酒鬼薔薇聖斗」が手記出版 性的衝動や日雇いで生計など告白

イザ! 2015年6月10日

神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が、事件を起こすまでの経緯や現在の心境などを「元少年A」の名前でつづった手記「絶歌」(太田出版)を出版したことが10日、分かった。
殺害した男児の頭部を切断、男性が通っていた中学校正門前に置いたり、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗って犯行声明文を出すなど事件は社会に大きな衝撃を与え、少年法の刑罰の対象が16歳以上から14歳以上に引き下げられるきっかけとなった。
太田出版によると、男性は手記の中で、事件前からの性的な衝動を告白。事件に至るまでの精神状況や、2004年に関東医療少年院を仮退院した後、日雇いアルバイトで生計を立てていたことなどを記している。巻末では遺族や被害者家族への思いもつづった。
手記の帯には「1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった。」と記載されている。
太田出版の岡聡社長は「男性が書いた手記を見て、事件前後の彼の心境について、社会がもっと知るべきだと思ったので出版を決めた。本は本人の手紙を添えて遺族に届けたい」と話した。
男性は14歳だった97年2~5月に神戸市須磨区で小学生5人を襲い、小4女児=当時(10)=と小6男児=同(11)=を殺害、3人に重軽傷を負わせた。同年6月に兵庫県警に逮捕され、04年3月、仮退院した後、05年1月に本退院となって社会復帰した。

加害男性が出版持ちかける 神戸事件の手記、初版10万部 版元「伝える意味ある」

イザ! 2015年6月10日

神戸市で平成9年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)による手記「絶歌」を刊行した太田出版(東京都新宿区)の岡聡社長(54)は10日、加害男性が自ら出版を希望し、仲介者を通じて同社に持ちかけたことを明らかにした。初版は10万部だという。
岡さんによると、被害者遺族に知らせないまま刊行した。岡さんは「少年犯罪について加害者本人から語られることはほとんどない。この本は、少年がどういう衝動の中で事件を起こしたかが第三者に伝わるように書かれている。批判はあるだろうが、事実を伝え、問題提起する意味はあると思った」と説明した。
岡さんによると、今年3月初め、男性から仲介者を通じて連絡があり、直接会って手記の草稿を受け取った。

神戸連続児童殺傷 「元少年A」が手記…その中身と反響

イザ! 2015年6月10日

平成9年の神戸連続児童殺傷事件で、当時14歳だった加害男性(32)が「元少年A」の名で事件に至る経緯や現在までの心境をつづった手記を出版した。事件から18年が経過したが、さまざまな反響を呼んでいる。

《神戸の児童連続殺傷事件》
神戸市須磨区で平成9年2~5月、小学生5人が襲われ、小学4年の山下彩花ちゃん(当時10歳)と、小学6年の土師淳君(当時11歳)=が死亡した。兵庫県警は同年6月に殺人容疑などで「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った当時中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。少年は平成16年3月、関東医療少年院を仮退院した後、平成17年1月に本退院となって社会復帰した。

「酒鬼薔薇聖斗」が手記を出版
残虐行為、犯行声明…事件は社会に大きな衝撃を与えた
平成9年に起きた神戸連続児童殺傷事件は、殺害した男児の頭部を切断、加害男性が通っていた中学校正門前に置いたり、「酒鬼薔薇聖斗」を名乗って犯行声明文を出すなど、社会に大きな衝撃を与えた。

14歳、刑事罰に問われず…少年法改正のきっかけに
残忍な犯行にもかかわらず、当時刑事罰に問われない14歳だった加害男性は、医療少年院に送致されるにとどまった。このため、少年法の刑罰の対象が16歳以上から14歳以上に引き下げられるきっかけとなった。

タイトルは「絶歌」…帯に「僕は、僕ではなくなった」とも
加害男性が「元少年A」の名でつづった手記のタイトルは「絶歌」。全294ページで、手記の帯には「1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった。」と記載されている。

手記の中身は

「1部」犯行に至るまでの性衝動、残虐行為を振り返る
手記は男性が医療少年院に入院するまでと仮退院以降の生活についての2部で構成。1部では犯行に至るまでの性衝動や動物への残虐行為などを振り返っている。
「2部」日雇いアルバイトで生計、仮退院以降の生活記す
2部では平成16年の仮退院後、親元に戻らず更生保護施設に入所し日雇いアルバイトをして過ごしたことや、溶接工などの仕事をして生活したことを通じて「人間が『生きる』ということは(中略)かけがえのない、この上なく愛おしいもの」だと感じるようになったと記している。

遺族へ謝罪、被害児童に「どれほど『生きたい』と願っていたか」
巻末では、遺族への謝罪をつづり、被害児童らが「どれほど『生きたい』と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました」と記していた。

手記出版の理由

加害男性「過去と対峙し、書くことが唯一の自己救済」
加害男性は、手記を出版したことについて「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済」だったと理由を説明。

出版社「加害者がどういう心境なのかを伝えるべき」
太田出版の岡聡社長は、出版に至った理由について「少年犯罪が今も社会を動揺させている中、加害者がどういう心境なのかを伝えるべきだと思った」と説明。遺族には加害男性の手紙を添えて本を届けるという。
加害男性が出版持ちかけ、遺族には知らせないまま刊行
手記を刊行した太田出版の岡聡社長は、加害男性が自ら出版を希望し、仲介者を通じて同社に持ちかけたことを明らかにした。初版は10万部だという。岡さんによると、被害者遺族に知らせないまま刊行した。

遺族は怒り、出版中止求める

遺族の土師さん「思い踏みにじられた」…出版中止求める
殺害された土師淳君の父、守さんは「私たちの思いは無視され、踏みにじられた」とするコメントを公表し、出版の中止と本の回収を求めた。守さんは「何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できない。遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できた」としている。

遺族の山下さん「贖罪とは違う」「出版動機知りたい」
殺害された山下彩花さんの母、京子さんは「『自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた』というのが加害男性自身の出版の動機だとすれば、贖罪とは少し違う気がします。何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と、神戸新聞社にコメントを寄せた。