子供のうつ病は発達障害併発も 不登校の割合は小学校で1割

NEWS ポストセブン 2014年9月22日

うつ病は大人の病気だと思われがちだが、最近は小学生でもうつ病と診断されるようになってきた。北海道大学の調査によると、小学生の1.6%、中学生の4.6%がうつ病と診断されたという。そして、不登校はうつが原因になることが多いとされるが、教育機関の研究によると、不登校における発達障害の割合も、小学校で4.0~16.1%、中学校で2.1~24.8%、高校では13.3~31%を占める。またうつ病の子供は発達障害を併発していることも少なくないという。
厚生労働省の研究班に参加し、いち早く認知行動療法プログラムを開発した東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース教授・臨床心理士の下山晴彦さんはこう語る。
「確かにうつ病の子供は、発達障害の可能性を考える必要があります。発達障害の子供はたいてい、幼い頃からよく怒られ、人から理解されず、理不尽な思いをしてきています。そのため、“どうせ自分なんて”と、自己評価が低く、うつ病を併発していることが多くなっています」(下山さん、以下「」同)
発達障害の場合はもちろんうつ病だけを治療しようとしても意味がない。
「発達障害を伴っている場合は、一生のケアが必要です。ただし、早期に発見し、幼い頃から適切な支援や指導を行えば、症状を改善することができます」
発達障害の子を持つ親は、自分も同様の傾向を持っていることが多く、子供の育てにくさを強く感じやすくなるという。
「さらに核家族化で誰にも相談できず、ストレスが爆発してしまい、虐待の原因になってしまうこともあります。これが今、深刻な問題になっています。発達障害の子への対応は親だけでは難しい。家族や学校、カウンセラーなど相談にのってくれる人を探すといいでしょう」
発達障害もうつ病と同様、なるべく早く人に相談し、助けを借りることが大切なのだ。

助産院の安全性をどう見極めるか

プレジデント 2014年9月22日

助産院と医療の関係
神奈川県相模原市・のぞみ助産院で、産後の出血多量で女性が亡くなっており、対応の問題などで助産師が書類送検されたニュースが流れた。亡くなられた女性のご冥福をお祈りしたい。そして、この助産院は医療連携の点で問題があった疑いも出ているが、助産院と医療の関係はどのようになっているのだろうか。
日本では助産師は開業権を持っており、助産院を開設して医師のいない場でも分娩を扱うことができる。ただ助産師が扱える妊婦さんは正常な経過をたどった人のみなので、問題が起きたら、その時点で医療と連携をとれる体制が築かれていることが不可欠だ。普通はどの助産院もそうした関係を持っていて、中には、医師を中心に症例検討会が継続的に開かれているところもある。
医療連携は助産院の義務でもある。そのため、助産院の業務を規定している医療法は、その第19条として「助産所の開設者は、厚生労働省令で定めるところにより、嘱託する医師及び病院又は診療所を定めておかなければならない」と定めている。
この制度は、以前は単に嘱託医がいればよいとされ、しかも何科の医師でもよかった。医師が少なかった時代に、どんな地域でもお産ができるようにとの配慮だったと聞いている。しかし今日の事情には合わなくなったので、今は産科または産婦人科の医師、そして医療施設との連携が求められるようになっている。この施設は、産科または産婦人科そして小児科があり、新生児が診療できる病院もしくはクリニックでなければならない。これは、365日24時間、危険度が高い搬送でも、できる限りスムーズに行えるようにしておくためだ。
制度が変更された2006年には、産科医が減少して多忙を極める中、全国の助産院で新たな連携契約を結ぶために大変な努力があった。しかし、この努力の中で、地域の医療施設や行政と助産院のつながりが強くなって、それは収穫だったという助産師もいる。
医師と包括的指示書を交わすと、助産院も緊急時の薬を使うことができるようにもなった。嘱託医と「いつ、どのように使うか」をあらかじめ定めておけば、薬を処方することは許されていない助産師も緊急時のために助産院内に薬品を備えることができる仕組みだ。こうすれば、医師が到着するまでの待ち時間に、薬剤による治療が開始できる。これは特に、産後の出血が多い時に頼りになる。

認定制度も参考に
私は、『助産師と産む-病院でも、助産院でも、自宅でも』(岩波ブックレット)を書いていた頃、日本助産師会では各地で支部長さんたちが飛び回り、安全性の向上にエネルギーを注いでいたのを見ていただけに、今回のニュースは残念だ。
自然なお産や温かいコミュニケーションを求めて助産院で出産する人は、助産師との相性はもちろん大切だが、それだけではなく、医療連携についても質問しておきたい。
助産院は、嘱託医の氏名、施設名などを院内に掲示する義務がある。額に入れ目立つところにかけられていることが多いので、それは必ず確認しておこう。
また、私も委員をつとめている日本助産評価機構は、組織として高い基準を満たした助産院の認定を行う制度を持っている。基準の多くが安全管理や医療との連携などに係る項目である。まだ認定施設が少ないが、早く普及してほしい。認定施設には院内に掲示できる認定証を発行することも検討している。
助産院によっては、異常が起きなくても、もしもの時のために嘱託医、嘱託医療機関で妊婦健診を受けておくルールができていることもある。緊急時にいきなり行くのではなく、こうして関係を作っておくことも大切だ。
産み方に「安全か自然か」という二者択一の発想はおかしい。どちらもバランスよく考えて産み方を決めたい。

「お金が貯まる人」は通勤時間の過ごし方が違う?〈AERA〉

dot. 2014年9月22日

「お金が貯まる人」というのは、年収の多い少ないはあまり関係ないらしい。貯まる人の生活スタイルとはどんなものなのか。
昨年の給与年収308万円。なのに、昨年の貯蓄が470万円。名古屋市のNPO法人で働く男性(50)の貯蓄額に驚いた。一体、どういうことなのか。
「結局ね、お金がお金を生んでくれるということなんですよ」
8月現在、金融資産は3300万円。給与所得以外の副収入が月40万円以上。内訳は、資産運用による収入が月約35万円。今年4月に1500万円で投資用マンションを購入し、毎月6万円くらいの家賃収入が入ってくる。その他の収入が月1万円程度ある。不動産を購入したのは相続税対策だ。
大学を中退して、市役所に勤務した後、数度の転職を経て今年から現職。高収入の会社員でなくても、コツコツ貯めればそれなりの額が貯められるのだ。
貯まる人には金に対するセオリーがある。
「コツはまず、資産を徹底的に分析すること」と男性は言う。投資でお金を増やすために、資産運用の勉強は怠らず、ファイナンシャルプランナーを友人に持ち、アドバイスや情報をもらう。
資産のメンテナンスを行うのは朝だ。午前6時起床。真っ先にリビングルームの書斎スペースへ。パソコンの電源を入れ、まずは日経株価と為替をチェックする。その後、メーンの証券口座のデータを確認。外国債券約630万円、米国株と為替をアレンジした毎月分配型の投信が約1900万円……。更新された前日までの時価を日々、エクセルでつくった資産管理表にインプットする。投信の分配金は毎月約35万円。
30分の通勤電車の中では勉強を欠かさない。現在、10月下旬のケアマネージャーの試験に向けて猛勉強中だ。男性は、
「自分自身も時代に合わせて変わらなければいけない」
数年がかりで社会福祉士や精神保健福祉士などの資格を取る予定だ。資格を取れば給与にも確実に反映される。貯まる人は収入を増やすことにも余念がない。厚生労働省のメルマガにも登録して常に社会制度の最新情報を得る。稼ぎだけでなく、母や自分たちの老後にも直接関係するからだ。
「電車の中でよくスマホでゲームをしている人を見かけますが、そんな暇があるなら、メルマガやアンケートに答えて稼いだほうがいい」
※AERA  2014年9月22日号より抜粋

第3回「ブラック企業大賞」決まる――(株)ヤマダ電機が2冠を獲得

週刊金曜日 2014年9月22日

労働者に劣悪な労働を強いる企業を「表彰」する「ブラック企業大賞」(同実行委員会主催)の授賞式が9月6日に東京・千代田区で開催され、家電量販店の(株)ヤマダ電機が大賞を受賞した。同社では2007年9月、当時23歳の社員が「名ばかり管理職」として扱われた末に過労自死している。
居酒屋チェーンの(株)大庄、JR西日本など、社員の過労死を招いた企業は多数ノミネートされたが、(株)ヤマダ電機の場合、04年にも当時29歳の契約社員が上司から罵倒などを浴びて自死しており、05年、遺族が提訴。さらに厚生労働省の定める「過労死ライン」に相当する店長が昨年9月時点で46人に上るとする内部文書の存在も報じられるなど、多数の要因が受賞の決め手になった。同社はインターネットなどからの一般投票で選ばれる「ウェブ投票賞」も受賞し、昨年の大賞「ワタミフードサービス(株)」に続く2冠獲得となった。
そのほかの部門では、アニメーション制作会社(株)A-1Picturesと、エステティックサロン運営会社の(株)不二ビューティ(たかの友梨ビューティクリニック)が、違法な長時間労働が野放しになっているそれぞれの業界を代表して「業界賞」を受賞。第三者委員会が深夜のワンオペ(一人勤務体制)解消など労働環境の改善を求めている(株)ゼンショーホールディングス(すき家、ゼンショー)には、「要努力賞」が贈られた。
実行委は7月末に候補を発表した(本誌8月29日号参照)が、その後ゼンショーで第三者委員会報告書の内容が明らかになったほか、(株)不二ビューティでも組合活動を理由に社員が圧力をかけられている事実が発覚したため、この2社を9月2日に緊急追加した。
また、今年6月に女性議員への差別的な野次が問題になった東京都議会は、企業においてセクハラが放置されるのと同様の構図があるとして「特別賞」に選出された。
(古川琢也・ルポライター〈実行委〉、9月12日号)

【コラム】カジノとパチ・スロと依存症

日刊スポーツ 2014年9月22日

こんにちは、K松です。 最近、「ギャンブル依存症」に関する記事をよく目にするようになりました。話は先月中旬に厚生労働省研究班が「日本でギャンブル依存症の疑いがある人が約536万人」という発表をしたことから始まっています。
今秋の臨時国会で、IR推進法案(カジノ法案)が成立するか否か、ということもあり、「カジノができたらギャンブル依存症が増えるのでは!?」という意見も目立ちました。今回は依存症&予備軍の人が増えるのか、ギャンブル人口の観点から考えてみます。
さて、「カジノができたら、依存症&予備軍の人が増えるかどうか」ですが、
(1)カジノができることで新規の日本人ギャンブラーが増え、依存症&予備軍も増える。
(2)カジノがに日本にあるギャンブルやそれに類するものより、依存症のリスクが高いので、依存症&予備軍も増える。
のいずれかです。(2)はどのギャンブルと比べるかによっても変わってしまうので、今回は(1)についてのみのお話です。計算のベースとしたのは、日本版カジノのモデルになると言われるシンガポール、それから自国民が多数カジノに行く韓国です。

【シンガポール】
人口 540万人
IR(統合型リゾート)参加者 年間延べ4000万人超
カジノ参加者 年間延べ約91万人
カジノ参加者(現地在住者)年間延べ約20万人
カジノ規模 テーブル・スロットで計7000席
これを見ると、とても多くの人がIRに来場していますが、カジノ参加者はそのうち2%強。現地在住者なら0.5%です。ちなみに決してカジノが小さいわけではなく、むしろ2つのカジノは最大級です。

【韓国】
人口 5000万人
カジノ参加者 年間延べ約500万人
江原カジノ(自国民OK)参加者 年間延べ約300万人 ※99%が自国民
江原カジノ規模 テーブル・スロットで計3500席
韓国には17カ所のカジノがありますが、自国民が利用できるのは江原1カ所。そこに年間延べ約300万人の自国民が集っているわけです。
それでは、2つの国をベースに、日本版カジノの想定をします。カジノ規模は東京・大阪の2カ所に7000席の最大級を、人口は関東・近畿圏の計6500万人としました。

【A】シンガポールパターン
人口 約12倍
カジノ参加者 延べ約1080万人
カジノ参加者(現地在住者) 延べ約325万人

【B】韓国・江原パターン
人口 約1.3倍
カジノ参加者(現地在住者) 延べ約1560万人
ところでギャンブル依存症に触れると、必ず出てくるのがパチンコ・パチスロ。参加人口は実数で970万人。カジノのお話同様に延べ人数にすると、参加回数年間約27.5回を掛けて約2.7億人。まさにケタ違いです(人口、回数はレジャー白書2014)。人口もそうですが、その参加頻度も、依存症として取り上げられる要因なのでしょう。
せっかくなので、カジノ参加者の実数も想定してみましょう。さすがに全国1万店以上あるパチ・スロと、国内に数カ所しかできないカジノで、参加頻度を同じと考えるのも無理な計算。平均で年5回にしてみます。

【A】シンガポールパターン
カジノ参加者(現地在住者) 約325万人÷5回=約65万人

【B】韓国・江原パターン
カジノ参加者 延べ約1560万人÷5回=約312万人
これらの数字は「新規のカジノ参加者数」ではあっても、「新規のギャンブラー数」ではありません。日本には競馬をはじめとする公営競技、宝くじ、そしてパチンコ・パチスロと、ギャンブルやそれに類するものが多数ありますからね。むしろかなりの割合で「かけもち」する人も多いはず。そう考えれば、カジノができたからといって、実際のギャンブラー数はさほど増えないという想像はできます。。
とはいえ、新規のギャンブルが増えることで、依存症&予備軍のリスクが増すのは確実。いかにそのリスクを減らせるかが、カジノ実現を期待する人にとっての、大きな課題でしょう。私自身も、もともとパチ・スロに関わっていることもあるので、これを契機にギャンブルやそれに類するもの全体に関わるリスク軽減について、もっと意見が交わされることを期待しています。【K松】

DVから逃れられない“被害者の心理”とは? 支援団体代表に聞く「加害者に支配された世界」

ウートピ 2014年9月22日

関連事件がメディアで大きく取り上げられたこともあり、近年認知度が高まってきた家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス、以下DV)。警察庁が発表した統計によれば、昨年全国の警察が把握したDV被害は一昨年から12.7パーセント増の4万9,533件にのぼり、過去最多を記録したといいます。しかし、DVへの認知度が高まる一方、DV関係がなぜ起こってしまうのか、DV関係に置かれている当事者たちはどう感じているのかについては、まだまだ認知されていない状況です。
『ウートピ』ではこの現状をふまえ、DV被害者支援の専門家、DV加害者更生の専門家、外国人被害者支援の専門家らに話を伺いました。今回は、被害者女性らのケアプログラムを実施するNPO法人レジリエンス代表であり、自身もDV被害のサバイバー(=生き抜いた人)である中島幸子さんにお話を伺います。
性的暴力がDVの一種であるように、両者は重なる部分が大きい

―中島さんは、DVの被害に遭った女性たちを支援するNPO法人の代表を務めていらっしゃるほか、実はご自身もDV被害のサバイバー(=生き抜いた人)でもあるという、特殊なご経歴をお持ちだと伺っております。簡単に、ご自身の略歴をお伺いしてもよろしいでしょうか?

中島幸子さん(以下、中島):19歳の頃から4年半、当時付き合っていた人からデートDV に遭った経験をきっかけに、NPO法人レジリエンスを立ち上げ、今では「暴力」全般の被害者支援に関連する仕事をしています。
11年前にこの活動を始めたときは、ちょうどDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)ができ、DV問題の認知度が上がり始めていた時期だったので、DV被害者の支援や啓蒙活動を中心として活動していました。
ここ数年間は、国内で性暴力のワンストップセンターが少しずつ増え続けている背景もあり、「性暴力」について講演することも多いです。性的暴力がDVの一種であるように、両者は重なる部分が大きいので、どちらの問題に対しても取り組んでいるほか、子どもへの虐待や、高齢者虐待の問題、トラウマの問題などにも取り組んでいます。

―おっしゃる通り、認知度が向上してきたDV問題ですが、まだまだ理解が進まない側面もあると思います。DVが起こってしまったとき、被害者に対し、「なぜ逃げ出さなかったのか」と問う声も多いですね。

中島:そう問う前に、まずは、DV関係は、とても特殊な関係だということを理解して欲しいですね。DVは、身体的暴力だけでなく、性的暴力、精神的暴力、経済的暴力、社会的暴力など、さまざまな形態の暴力を含みます。DVが起こっているとき、被害に遭っている人と親密な関係性にある加害者はこういった暴力を何度もふるい、被害に遭っている人の「安全感」を奪い上げます。
結果、DVが起こると、暴力が向けられている人の身の安全や、精神的な安全を、DV加害者が暴力をもってどうとでもできる状態になるのです。このように、加害者が被害に遭っている人の「安全感」をコントロールできるようになることで、DV加害者は被害に遭っている人を支配できるようになってしまいます。
こういった関係性に置かれると、支配される人は、自分の「安全感」をどうとでもできる支配者を「必ず見ておかなくてはいけない」と考えるようになります。加害者の顔色を、常にうかがわなくてはならない。いつ話しかけていいのか、いつごはんを出せば怒られないのか、どうすれば相手を怒らせないのか、常に考えなければならなくなってしまうのです。
「加害者から逃げる」ということは、ある種、「支配者に歯向かう」こと

―なるほど。経験したことがない人にとっては、想像できないような状況だと思います。

中島:こういった関係性において、「加害者から逃げる」ということは、ある種、「支配者に歯向かう」ことになります。自分が逃げたり、離れたりすることは、加害者の意に反することだからです。自身の安全をコントロールできる相手に歯向かうのは、被害者にとって、非常に危ないことに感じられます。
さらに、暴力をふるうことをしながらも、ときにとても優しい面を見せてくる加害者もいます。こういった加害者は、暴力を使って「安全感」をガーッと奪い上げることをしながらも、暴力を向けている人にときどき優しく接しては、「安心感」を感じさせる、ということを何度も繰り返します。当然、被害に遭っている人は混乱しますよね。
このような関係性にある場合、被害に遭っている人ががんばって加害者から逃れたとしても、まったく別の場面で危ないことに遭遇した瞬間、無意識に「安心感」を提供してくれる相手として、加害者の存在を思い出しやすくなります。「あの人のところに戻れば、なんとかなる」という思いにかられたり、「馴染みのあるあの家はほっとできる」と感じ、加害者のもとへ戻ってしまいやすい。

―DV加害者から逃れられない被害者にも非がある、という言説をときどき見かけますが、決してそうではないことがよくわかりました。

中島:平和な場所にいると、戦場のような危ない場所で起きていることは理解しにくいですよね。たとえば、日本では「赤信号は渡ってはいけない」というルールがありますが、そんなものは、内戦が起こっている地域では通じません。
同じように、DVの被害に遭っている人は、「違う世界で生きている」ということをまず社会が認識しなければなりません。「そんなに大変な目に遭っているんだったら、逃げるのが当たり前でしょう」という価値観は、あくまでも平和な世界で通じる発想であって、そうでない世界では、それが選択肢にすらならない可能性がある。そういったことを社会が理解していかなければ、今、とてもつらい思いをしている人たちが一般の社会に出て行って助けを求めようと思わなくなってしまうかもしれない、とよく思います。

「被害者が声をあげられない社会」は危ない

―性暴力被害の場合でも、医療従事者や警察関係者、身の回りの家族や友人の言動が被害者を二度傷つける「二次被害」「セカンド・レイプ」に遭うことを恐れ、被害者が助けを求めにくい現状があると聞いています。通じるものがありそうです。

中島:その通りだと思いますよ。私も、年間100件以上講演をしていますが、そこで、自分が日常的に性暴力に遭っていた話もします。そうすると、講演の前に普通に接してくれていた人たちが、講演のあとによそよそしくなってしまうこともあるんです。「どう声をかければいいのか分からない」と戸惑っていることはわかります。でも、そういう対応をされた人が、「私は、みんながどう対応すればいいのか分からないような経験をしてしまった人間なんだ」という「恥」の感情を持ってしまい、周りに助けを求めにくくなることが十分考えられます。

―性暴力の二次被害と言えば、「なぜ夜道を一人で歩いていたの」「なぜそんな格好をしていたの」と、被害者を責める言動が思い浮かびますが、社会全体で性暴力に関する知識を共有できていないことも、同様に問題なのかもしれません。

中島: 被害者を責める言動をなくすだけでなく、もっと深い理解を持っていかなければ、悪意のない人たちが二次被害につながるようなことを起こしてしまうかもしれませんよね。
DVも性暴力も、被害に遭った人が声を上げられず、「見えなくなってしまう」のは、社会にとってすごく危ないことです。声を上げる人が減り、被害が統計につながらなければ、「この社会は安全だ」「この社会では、暴力は起きていない」というふうに捉えてしまう人や、「DV被害や性暴力は起きていない」という認識が増えてしまうと思うんですよ。声を上げにくい問題だからこそ、社会が丁寧に見ていく必要性がある、ということを、活動を通じて伝えています。
ここまで、なかなか知ることができないDV関係に置かれた当事者の心理や、社会として望ましいDV被害や性暴力被害への対応についてお伺いしました。後編では、被害のあとのケアの重要性や、NPO法人レジリエンスのご活動についてお伺いしていきます。

「性暴力、児童虐待……すべての暴力はつながっている」 DV被害者支援団体代表に聞く、被害に遭ったあとのケア

自身もDV被害の経験があり、現在はDV被害女性の支援を行うNPO法人レジリエンス代表の中島幸子さんへのインタビュー。前編では、DV関係に置かれた当事者の心理や、DV被害・性暴力をめぐる、社会の対応の問題点についてお伺いしました。後編では、NPO法人レジリエンスの活動や、被害に遭ったあとのケアなどについてお伺いしていきます。

過去と向き合うことは、「自身のケア」をすること

―NPO法人レジリエンスは、どのような活動をしているのですか?

中島:本当に様々な活動をしています。ピア・サポートグループ(当事者が集まる自助グループ)や性暴力被害支援者研修などを主催していますが、もともとは、私自身がDVの被害のあとの心身の不調で苦しんでいたときに「あったらよかったのに」と考えてつくった、自分の抱えているトラウマと向き合う「レジリエンス☆ こころのcare講座」を主催することから始まった団体です。

―ご自身の経験について書かれた著書『マイ・レジリエンス』で拝読しましたが、この「こころのcare講座」は参加者条件を「被害を受けたことがある人」に限定せず、「女性」であれば誰でも参加できるようにしていますね。

中島:これは、「被害を受けたことがある人」に限定すると、自身がDV被害を受けたことを認められる人しか来られなくなってしまうからです。
多くのDV被害を経験した人たちが、自身のDVの記憶に対して「あの経験は、もしかしたら私が大げさに想像しているのかもしれない」「もしかしたらそれほどひどくなかったのかもしれない」という否定の力を働かせています。過去の体験を否定して、抑えこまなければ、自分がバラバラになってしまう、という感覚を無意識に持っているからなのだと思います。
自分の被害を認めるということは、過去の経験を直視するということであり、被害に遭っていたときの恐ろしさや絶望感を再現する、おそろしいプロセスを始めるということ。直視を避ける方が多いのも、無理もありません。

―被害を認めるのは非常につらいというお話でしたが、つらい中でも「こころのcare講座」といったプログラムを通し、自身のトラウマを見ていく意義はなんですか?

中島:トラウマとなった経験が、現在の自分におよぼす影響の形を変えられることです。過去を直視することによって、「ああ、私はこういうのが怖いんだ」「私にとってキツかったのはそこなんだ」って気づけば、自分自身で自分のケアを適切にできるようになります。
たとえば、私はDVから逃げ出して20年以上経った今でも、飛行機や新幹線に一人で乗るとき、通路側にしか座れません。どうしても「いざというとき、逃げ場がない」という恐ろしさが湧いてしまうから。でも、このことをきちんと自分で把握しているから、「必ず通路側を予約すればいいんだ」と適切な対応ができるようになる。

―被害に遭って、背負わなければいけないものができても、生活に適応していくことができるということですね。

中島:自分を家にたとえるならば、真っ暗な家の中を手探りで生きている状態から、少しずつ電気をつけていくような感じ。電気をつければ、「私、あの部屋のあのすみっこが怖いんだ。だから、こっち側にいよう」とか、「あそこはもう少しキレイにしたら、怖くなくなるかもしれない」とか、「あ、私はここにいるんだ」とか、そういうことがわかるようになる。
「加害者のもとへ戻りたい」認めづらい感情は抑え込まず、向き合うことが大切

―著書では、ほかにも、過去と向き合う取り組みの重要な一部分として「グリーフワーク」という概念を紹介していらっしゃいましたね。

中島:「グリーフ(grief)」は、英日辞書で引くと「嘆き」といった訳が出ますが、 実際には大きな喪失感を経験したときに出る感情や反応すべてを指します。「グリーフワーク」はこの「グリーフ」と向き合っていく作業です。
死別体験でたとえると、大切な人との死別でも、何年間も看病して亡くなられるのと、ある日突然、交通事故で亡くなられるのとでは、まったく違った形の「グリーフ」があっても不思議ではない。でも、「交通事故がトラウマになってしまった」という感情は社会に受け入れられる一方、「亡くなられて寂しいけれども、看病しなくて済む」という安堵感はなかなか理解を得られません。自分のグリーフに向き合っていく「グリーフワーク」が大切なのは、こういった社会的に受け入れられづらいグリーフを自分できちんと消化していく必要があるからです。

―DV被害に遭った方の場合、どのような「グリーフワーク」が必要なのでしょう?

中島:DV被害者の場合、「(加害者のもとへ)戻りたい」や「もう一回ギュッと抱きしめられたい」、「もう二度と家庭を持てないかもしれない」といった、周りに言いにくい感情を抱えたりする。これらは非常に自然な感情なのだけど、社会的には理解されないですよね。だから、「家を出て、せいせいした」「これからは一人でがんばろう」というような感情ばかり肯定して、認めづらい感情を抑え込む人が多いんです。ところが、そうすると、抑え込んでいるところに刺激が入ったとき、とても苦しくなってしまう。さらに、抑え込んでいるので、 刺激されるまでは自分でもどこが苦しくなる場所なのかがわからない。

―否定したからといって、そういった感情はなくなるわけではないんですね。

中島:なくなるのではなく、見えなくなるだけなんです。そんなふうに、どこにあるのかわからない地雷がたくさんある中で生きるのは大変だし、場合によっては、地雷を踏んでしまったときの苦しさから「戻らなきゃ」と思ってしまうこともある。だから、認めづらいグリーフともしっかり向き合うことは大切なんです。

DV、性暴力、児童虐待、パワハラ、モラハラまで、すべての暴力はつながっている

―中島さんは刑務所や少年院でもご講演された経験がおありだと伺っていますが、被害経験のある方が加害経験のある方と直接話をする意味とはなんですか。

中島:再犯を防ぐことではないでしょうか。加害者を罰するだけでは社会としての対応は不十分で、再犯をなくすために、加害者へしかるべき働きかけをすべきだ、という修復的司法という概念があります。
DVや性暴力は、特に再犯率が高い。つまり、今の刑罰制度では、加害者を罰することに成功していても、更生させることには失敗しているということです。この加害者たちが再犯をしてしまったら、被害者の数が増える一方です。
こういったことをふまえて、今年からは少年院を回ることもしています。特に、少年院は必ず入院者は社会復帰するので、一緒に暴力について考える時間を設けることで、2度と加害を繰り替えさないようになればと願っています。

―少年院に入っている未成年のうち、性犯罪などの容疑にかけられている男性もいると思いますが、被害経験のある方として、彼らと話すのは大変なことではないですか?

中島:一人の被害経験のある者として、性犯罪を犯した男性と話すのはやはり大変ですし、複雑な気持ちももちろんあります。それに、彼らに、自身の犯した罪に責任をもってもらうことは大前提だとも考えています。でも、それらのことを踏まえても、被害者が加害者になってしまうケースが多いことは無視できないと思うんです。
少年院に入っている子の多くは、虐待の被害者でもある場合が多いです。だから、講演によっては、暴力や虐待の話をするときに「身の回りの大人に、『なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのか』『おかしい』とキツい思いをさせられた人、いっぱいいるでしょう」、と語りかけることもあります。そうすると、一生懸命聞いてくれようとする子たちが一気に増えますね。

―DV被害について、当事者意識を持てるからですね。

中島:暴力は、「支配・被支配」の関係がある、つまり、人間としての関係が対等でないというところから始まります。だから、DV、性暴力、児童虐待、さらにはパワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントまで、すべて根底でつながっているんですよ。
暴力というのは、遠くで起きていることでもなく、自分と切り離して考えることでもない。そういったことを、活動を通じてもっと多くの方々に伝えていきたいです。