「階段から落ち意識不明に」 和歌山の男児虐待で母親、児童相談所に説明

産経新聞 2015年1月30日

和歌山県紀の川市で小学生の長男(10)にライターの火でやけどを負わせた事件で、傷害容疑で逮捕された母親の中尾愛子容疑者(32)が、今月7日に長男が意識不明で搬送された際、「階段から落ちた」と和歌山県子ども・女性・障害者相談センター(児童相談所)に説明していたことが30日、児相への取材で分かった。県警によると、長男は硬膜下血腫で、現在も意識が戻っていない。
児相によると、病院からの連絡を受けた職員が中尾容疑者と面会。長男の頭部のけがについて「階段から落ちた。落ちたところは見ていない」と説明した。
平成25年10月下旬には、「児童が家から閉め出され、右目にあざがある」と住民から通報があったが、中尾容疑者は「しつけとして閉め出したが、目はアレルギーで腫れた」と説明。児相は、小学校と連絡を取り合い経過観察をしていた。

東京都、「子どもの声」を騒音規制の対象外へ 保育園等の近隣住民から訴訟相次ぐ

Business Journal 2015年1月31日

東京都が「子どもの声」を騒音規制の対象から外す方向で検討に入っている。2000年に公布された「都民の健康と安全を確保する環境に関する条例」は、騒音に対する規制を明記しており、保育所や公園などで子どもが発する声についても、本条例によって規制の対象に含まれていた。そもそも条例公布当時は子どもの声とその他の騒音を区別すべきという認識がなく、周辺の生活環境に支障を来す場合は勧告や命令の対象になっていたのだ。
例えば07年10月、東京地裁八王子支部は、西東京市にある「西東京いこいの森公園」に対し、噴水使用禁止の仮処分を下している。噴水で遊ぶ子どもの声などが都の規制基準値の50デシベルを超えたためだ。
昨年9月には保育園の「子どもの声」がうるさいと、近隣に住む男性が保育園を運営する岡山県津山市の福祉法人を相手取り、防音施設の設置と100万円の支払いを求める裁判を起こした。この男性が測定したところ、騒音レベルは70デシベルを超えていた。70デシベルは街頭の喧騒や掃除機の音に相当する。
実際にドイツでも、以前は「子どもの声」が騒音と見なされていた。このため、08年にはハンブルク市で住居区にあった幼稚園が閉鎖に追い込まれ、09年にはベルリンで移転を余儀なくされた例もある。しかし11年5月、ドイツは「連邦環境汚染防止法」を制定し、「子どもの声」による損害賠償請求権を否定した。子どもから発せられる音ばかりではない、子どもの世話をする人から発せられる音も規制から外したのだ。
ドイツでは州レベルでも法整備は進んでいる。ベルリン州は10年、「ベルリン州環境侵害防止法」を制定し、子どもによる音を保護するばかりではなく、施設の存続も保証した。すなわち「子どもの声」やそれに付随して発せられるものなら法で保護され、騒音にならないとされたのだ。
だが日本では、それを採用するのは難しい。「一律に数値によって判断するのではなく、受忍限度論に基づいて柔軟に対処していきたい」。今回の条例改正について、東京都の担当者はこう述べている。
「子どもの声」を一律規制から除外するにも、説得力のある根拠が必要だ。そこで東京都は、「児童福祉法」の「健やかに成長するという子どもの権利」と「子ども・子育て支援法」の「一人ひとりの子どもが健やかに成長することができる社会の実現」を根拠とすることにした。
近隣住民は静かに暮らす権利を持ち、子どもはのびのびと育つ権利を持つ。そのいずれも損なわれることがあってはならない。東京都はパブリックコメントの結果を精査し、早ければ2月から始まる都議会に法案を提出する。
(文=安積明子/ジャーナリスト)

年金抑制策、ついに始動 制度維持へ0.9%増に圧縮

朝日新聞デジタル 2015年1月31日

年金の給付水準を毎年少しずつ下げていく「マクロ経済スライド」が4月に初めて実施される。将来世代の年金を確保するための仕組みだが、いまの高齢者には「痛み」となる。物価や賃金の伸びに年金が追いつかず、実質的に目減りしていく――。そんな「年金抑制時代」が始まる。
厚生労働省が30日に発表した4月分(支給は6月)からの年金額は、0・9%増だった。物価・賃金に合わせた増額だが、増額幅はマクロ経済スライドなどで抑えられた。国民年金を満額(月額6万4400円)受け取る人の場合、年金額は608円増える。しかし物価・賃金の上昇にあわせれば、増額分は約1500円。マクロ経済スライドなどで引き上げ幅は約900円圧縮された計算だ。
マクロ経済スライドは、急速な少子高齢化のなかで年金制度を維持するための仕組みだ。いまの制度は、現役世代が支払ったお金(保険料)を、その時の高齢者の年金に回す「仕送り方式」だ。保険料を払う現役世代が減り、年金をもらう高齢者が増え続ければ、財政はパンクする。
かつては最初に給付水準を決め、それに見合うよう保険料を上げた。ただ少子高齢化が進むと保険料負担が過重になる。2004年に約13・6%だった厚生年金の保険料率(収入に占める保険料の割合、労使折半)は、将来25・9%まで引き上げざるをえなくなる見通しとなった。
このため04年に負担と給付の仕組みを改めた。まず負担する保険料の上限を決めた。17年度まで毎年度引き上げ、厚生年金では18・3%を上限に固定。こうしてあらかじめ決めた保険料収入の範囲で、高齢者の年金額を賄うことにした。

自営業者減少の受け皿に=非正規増加の原因分析―厚労省

時事通信 2015年1月30日

非正規労働者が増えたのは、減少した農家や個人商店などの自営業者と家族従業者の受け皿となったことが大きな原因―。厚生労働省は30日に公表した「労働市場分析リポート」で、1984年から30年間の正規・非正規労働者の動向について、こんな分析結果を示した。
総務省が同日発表した2014年12月の労働力調査では、非正規の人数は84年(604万人)の3倍以上となる2016万人に膨らみ、役員を除く雇用者に占める割合は38%(84年は15.3%)に拡大した。
リポートは自営業者などを含むすべての働く人(就業者)に占める正規・非正規の割合に着目。それによると、正規労働者が就業者に占める割合は30年間で60%から52.3%に低下しただけで、人数も3333万人から3294万人へのわずかな減少にとどまっていた。
一方、産業構造の転換で自営業者・家族従業者が占める割合は大幅に低下。就業者全体の人数も増える中で、減少した自営業者・家族従業者の受け皿となる形で非正規の人数・割合が拡大していることが確認できた。

イスラム教の「過激派」とは なぜ自爆テロまで行うのか? 国際政治学者・六辻彰二

THE PAGE 2015年1月30日

「イスラム国」(IS)による日本人拘束事件で、日本でも改めてイスラム過激派に対する関心が高まっています。なぜ、ISなどのイスラム過激派は、人質の殺害や自爆テロまで行うのでしょうか。イスラム過激派の特徴について考えます。

「イスラム」の復興
イスラムに限らず、宗教が世界的に政治的な問題として浮上したのは、1970年代の半ばでした。中東に関していうと、それまではナショナリズムや社会主義などの世俗的イデオロギーが広がりつつあり、エジプトのナセル大統領が唱えた、既存の国境を超えてアラブ民族が結束するべきという「アラブ民族主義」は、当時の中東で最も影響力のあるものでした。
しかし、チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」(1968)への軍事介入で、ソ連や社会主義に対する開発途上国の信頼は揺らぎ、さらに、第三次中東戦争でのアラブ諸国の大敗(1967)、ナセルの死去(1970)、エジプトによるイスラエルとの単独和平(1978)などにより、アラブ民族主義も求心力を低下させていきました。こうした世俗的なイデオロギー的な真空状態を埋めるように、中東ではイスラム の影響力が回復していきました。格差などの社会問題に直面しやすい貧困層の救済に、イスラム団体があたることが多いことも、それを加速させたといえます。

「イスラム主義」とは
「イスラムの教義に基づいて社会を改革する」という立場は、イスラム主義(Islamism)と呼ばれます。それは一つの世界観、社会の現状に対する批判的な価値判断、そしてその改善策を含む、一種のイデオロギーです。イデオロギーそのものが近代になって初めて生まれたものです。その意味で、イスラム主義は単純に近代性と衝突するものでなく、その一つの派生物といえます。また、イスラムを信仰するひとの全てがイスラム主義者というわけではありません。
イスラム主義者は、預言者ムハンマドが布教した当時の信徒共同体(ウンマ)を社会の理想的モデルとする点で、ほぼ共通します。そのため、「政教一致」を強調する点で、世俗的イデオロギーと異なります。イスラム主義は宗教としてのイスラムが復興した1970年代半ばから広がり、2010年12月にチュニジアで始まった政治変動「アラブの春」では、イスラム主義政党が各地で林立しました。

イスラム「過激派」の台頭
しかし、あらゆるイデオロギーがそうであるように、イスラム主義の場合も、同様の旗を立てていても、目標を達成するための手段で異なる、多くの勢力が存在します。大きく分けると、そこには合法的な政治活動や貧者救済といった社会活動を重視する「穏健派」と、目的のために手段を選ばない「過激派」、「急進派」がいます。
穏健派と過激派の間には人の行き来もあるため、「イスラム主義には穏健派も過激派もなく、いずれも脅威だ」と主張する立場もありますが、少なくともイスラム主義政党などがテロ行為を公式に容認することはありません。
イスラム過激派は、多かれ少なかれ、米国を敵視しています。 国際テロ組織アル・カイダを率いたビン・ラディン(サウジアラビア出身)や、これを現在率いるアル・ザワヒリ容疑者(エジプト出身)は、もともとそれぞれの母国で反体制運動を行っていましたが、当局から厳しく弾圧され、社会で孤立していました。
その中でビン・ラディンらは、それぞれの出身国政府と結びついているだけでなく、パレスチナ問題に深くかかわり、さらに湾岸戦争(1991)を機にメッカとメディナというイスラムの二聖都を擁するサウジアラビアに部隊を駐留させてきた米国を批判する方針へシフトし、1998年に「対米ジハード(聖戦)」を宣言。各国で追い詰められていた過激派たちは、米国を「ムスリム共通の敵」に位置付けることで、埋もれていた支持層の発掘に成功し、一気に勢力を拡大させたのです。2003年のイラク戦争とその後の占領政策は、この気運をさらに増幅させたといえるでしょう。

イスラム法学者は距離を置く
イスラム過激派は、米国との戦争を「異教徒に対するジハード」というイスラムの文言で正当化しています。そのため、米国人であるかどうかにかかわらず、異教徒であれば標的になり得ます。さらに、自爆テロを「殉教攻撃」と呼び、それによって死後の安寧が約束されると説いています。
フランス革命からナチスに至るまでのテロを考察した哲学者ハンナ・アレントは、あらゆるテロに共通する思考を「全体の利害と個々の特殊利害が一致しない」と捉えました。この観点からイスラム過激派をみると、「ムスリムの同胞の困苦を救う」という彼らにとっての全体の利害のためには、個々の生命や幸福といったものは度外視されなければなりません。ムスリム同胞の困苦に対する哀れみの感情が強いほど、自爆テロだけでなく、異教徒や人質に対するより非人間的な行いをも平気で行えるようになるといえるでしょう。
しかし、伝統的なイスラム法学では、カリフ(ムハンマドの正統な後継者)やイスラム共同体の軍事的司令官(アミール)だけが、イスラム世界の外でのジハードを宣言できるとなっています。どちらも不在で、しかもテロ組織を率いる人物の多くは、正規のイスラム法学の教育を受けていないため、そもそもなぜ彼らがそれを宣言できるのか、という疑問もあります。また、「米国がアラビア半島やパレスチナで行った犯罪行為」に対する「懲罰」として(彼らの言う)「ジハード」を正当化していますが、「目には目を」の要素は、やはり伝統的なイスラム法学におけるジハードのなかにはみられないといわれます。
そのため、ほとんどのイスラム法学者はテロ組織と距離を置いていますが、それにもかかわらず、過激派がイスラム圏全体で少なくない支持を集めることに成功した背景には、米国の中東政策だけでなく、それを中心に進むグローバル化によって貧富の格差が拡大したことや、欧米文化の流入が加速度的に進んだことへの批判や警戒があったといえます。この背景のもと、ISはSNSなどを通じて「ムスリムの困苦」と「それを生んだ米国」のイメージを拡散させることで、世界各地から賛同者を集めてきました。

日本人拘束事件と「イスラム国」
イスラム主義に多くの潮流があるように、イスラム過激派同士の間でも、必ずしも友好関係にあるとは限らず、敵対することも稀ではありません。ISの場合、もともと「イラクのアル・カイダ」を名乗っていたグループが、本家アル・カイダのリーダーであるザワヒリ容疑者と路線をめぐって対立し、分裂した経緯があります。そのため、「アラビア半島のアル・カイダ」などアル・カイダ系組織とは対立関係にあります。
アル・カイダやISをはじめ、スンニ派組織にはサウジアラビアなど湾岸諸国から資金が流れているといわれます。人員や資金を確保し、組織を拡大させるうえで、新興勢力であるISにとって宣伝は、アル・カイダ以上に重要になってきます。
昨年末から、米国を中心とする有志連合の空爆やクルド人勢力の反攻で勢力圏の拡大が停止する中、外国人戦闘員の士気の低下もいわれています。その中で、人質を用いて日本政府を脅すとともに、ヨルダン政府を含めた、IS包囲網を形成する有志連合に動揺を走らせることが、彼らにとって大きな宣伝効果をもったことは確かです。
ISによる日本人拘束事件は、イスラム過激派に対処するために、それを知る必要を、改めて日本につきつけたといえるでしょう。