保護児童にジャンプ500回強要 コザ児相が謝罪

琉球新報 2015年8月11日

県コザ児童相談所の保護所が昨年7~11月に預かった児童(当時小学4年生)に対し、20代の生活指導専門員が「筋肉トレーニング」などの運動を強要していたことが10日までに分かった。同相談所所長がことし6月26日「不適切な指導で児童の心を傷つけ、保護者にも不安を与えた」として保護者に謝罪した。
問題は児童が退所後、保護者らに訴えたことで発覚した。保護者は児相に不信感を抱き、児童の生活支援に向けた協議が行われない状態になっている。
県青少年・子ども家庭課は、県社会福祉審議会の児童福祉専門分科会審査部会に問題を報告。審査部会は5月に「不適切な指導ではあるが、虐待とまではいえない」と結論付けた上で(1)筋トレなどを行う場合は所内で協議する(2)職員に権利擁護の研修を強化する-などの改善策を示した。
運動は、虐待を受けた児童らを一時保護する保護所で夕食後の余暇の時間に行われた。以前は入所する中高生が自主的にしていたが、途中から生活指導専門の嘱託職員が指導するようになっていた。職員は運動を嫌がる児童に「ジャンプ100回の5セット」などの運動を強要したという。
児相によると運動は計5回程度行われ、嘱託職員は3月末で退職した。所長は「職員は児童のためだと思っていたが、本人が嫌がったのにやらせたのは不適切だった」と話した。

児童虐待 積極的に一時保護など対策強化へ

NHKニュース 2015年8月10日

増加する児童虐待の問題に対応するため、厚生労働省は、児童相談所の職員を増やすほか、虐待が疑われる場合は緊急に子どもを保護する「一時保護」を積極的に行うなど、対策を強化する方針を決めました。
これは、10日開かれた厚生労働省の専門委員会で決まりました。
全国の児童相談所が把握した児童虐待の件数は年々増加していて、去年3月までの1年間の件数は7万3000件余りとこれまでで最も多くなっています。
先月からは児童虐待などに関する相談を24時間受け付ける全国共通の電話番号「189」の運用が始まったことから、今後さらに相談が増えることが予想されています。
10日の会議では、児童相談所の職員を増やし、専門性を高める研修を行って体制を強化するとしたうえで、虐待が疑われる場合などに緊急に子どもを保護する「一時保護」について、判断に迷う場合は原則保護するようガイドラインなどで示し、積極的に行う方針を決めました。
このほか、妊娠中から子育てへの不安や悩みに市町村などが応じるなど、出産前から切れ目のない支援体制を整備するとしています。
厚生労働省は10日の議論を踏まえ、今後、児童福祉法など必要な法律の改正に向け、具体的な検討を始めることにしています。

職員死亡「過労が原因」施設側に7千万賠償命令

読売新聞 2015年8月10日

和歌山県広川町の介護老人福祉施設の男性職員(当時49歳)がくも膜下出血で死亡したのは過労が原因として、遺族が、施設を運営する社会福祉法人などに約8300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が10日、和歌山地裁であった。
山下隼人裁判官は、男性が死亡直前の4か月間に月約90~150時間の長時間労働をしていたと指摘し、施設側に約7000万円の支払いを命じた。
判決によると、男性は2003年から、「和歌山ひまわり会」が運営する施設「広川苑」に経理担当者として勤務。同僚職員の退職に伴って09年9月頃から業務量が増加し、10年10月に死亡した。遺族は12年3月に提訴していた。
判決で山下裁判官は、厚生労働省の基準に照らして「著しい疲労の蓄積をもたらす過重な業務に就いていた」と言及し、「施設側は、男性の業務内容や業務量を適切に調整する措置を採らなかった」と述べた。
また、男性が働き続けていた場合、時間外労働が継続した可能性が高いとして、月45時間分の時間外手当(月額約9万5000円)も逸失利益として賠償額を算定した。遺族側代理人の弁護士によると、こうした判断は異例という。

非正社員の育休取得「改善を」 復職4%、正社員の1割

朝日新聞デジタル 2015年8月11日

派遣社員やパートら非正社員の女性の大半が育児休業を取ることができない実態を改めるよう、厚生労働省の研究会が育児・介護休業法の改正を提言した。育休取得後も働き続けられる非正社員は4%と、正社員の10分の1以下。「復帰後も雇われる見込みがある」という条件が非正社員の「壁」になっている。
厚労省の有識者研究会が報告書で、いまの制度は「女性労働者の多様な状況に対応できていない」として、取得に向け「見直しを検討すべきだ」とした。提言を受け、同省の労働政策審議会が秋以降、法改正に向けた議論を始める。
国勢調査に合わせて国立社会保障・人口問題研究所がまとめた育休取得の実態によると、働く女性が第1子を妊娠後、育休を取って復職できた割合は2005~09年(子の出生年ベース)、正社員が43・1%だったのに対し、派遣・パートは4%。正社員の育休取得は80年代以降大きく上向いているが、非正社員ではほとんど取れない状況が続き、格差は広がる一方だ。
92年施行の育児休業法(現・育児・介護休業法)は正社員を対象に取得できる権利を認めたが、非正社員にも拡大したのは05年になってから。しかも、「子どもの1歳の誕生日以降も引き続き雇用されると見込まれる人」といった条件がついているため、短期で雇用契約の更新を繰り返す人は対象外になりがちだ。

人にとって悲しみとは何か 世界中の人々が向き合ってきた感情の歴史

ログミー

身近な人やペットが死んだときや恋人と別れたとき、孤独を感じたとき、試験が不合格となってしまったときなど、我々は人生のいろんな場面で悲しい気持ちになる場合があります。では一体「悲しみ」とは何なのでしょうか。今回のTED-Edでは人間の悲しみの歴史やさまざま捉え方について解説します。悲しいことは嫌ですが、悲しみが一切無い人生がベストかというとそうではありません。悲しみがあるからこそ、良いことがあったときに幸福感を感じられるのかもしれません。(TED-Ed2014 より)
参照動画A brief history of melancholy – Courtney Stephens

悲しみは困難な状況に対して自然に起こる思考
コートニー・ステファンズ氏:悲しみは人間なら誰もが経験することです。しかし何世紀にも渡って、それが一体何なのか? そしてどう対処したらよいのか? ということについて大きな意見の相違がありました。

最も簡単に言うとすれば、悲しみは困難な状況に対して自然に起こる思考なのです。友達が引っ越したり、ペットが死んでしまったら、悲しいと感じますね。
友達が「悲しい」と言っていたら、きっとあなたは「何があったの?」と尋ねるでしょう。しかし、悲しみの原因は外的なものであると決めてかかるのは、比較的新しい考え方なのです。
古代のギリシャの医師たちは悲しみをそういったように捉えてはいませんでした。彼等は、体内に暗い液体があると信じていたのです。

彼等の四体液説によると、人間の体と心は四体液と呼ばれる4つの体液でコントロールされていて、その4つのバランスが直接私たちの健康や性格に影響を及ぼすとされています。
Melancholia(うつ病)という言葉はMelaina kole(黒胆汁)という言葉から由来しており、黒胆汁は悲しみを引き起こす体液と信じられていました。食生活を変え、診療を受ければ、体液のバランスを上手く保つことができます。
最近では、人間の体を管理するこのシステムについてさらに解明が進んでいますが、悲しみについてのこのギリシャの考えは、私たちが日々感じるような悲しみではなく、臨床的なうつ病への現在の見方と共鳴するところがあります。
医師たちは、ある種の長期的な未解明の情緒状態が、脳内に存在する様々な化学物質のバランスである脳化学とどこか関係があると信じています。
ギリシャのシステムのように、これらの化学物質のバランスの変化は、非常に困難な状況への対応にも深く変化をもたらすかもしれないのです。それから、悲しみに価値を見出そうと試みる古くからの習わしもありますが、その議論については、悲しみは人生において避けられないものであるだけでなく、必要不可欠なものであるという強い意見もあります。
もし一度も憂鬱な気分を感じたことがなかったとしたら、それは人間らしさの一部が欠けてしまっているということです。

多くの思想家は、知恵を得るためには憂鬱が必要だと主張しています。1577年に生まれたロバート・バートンは、生涯を通して悲しみの原因と経験について研究しました。彼の最高傑作である「憂鬱の解剖」の中で、バートンは「知恵を増すものは、悲しみを増す」と記しています。
19世紀に書かれたロマンチックな詩の中でも、憂鬱は美しさや喜びなど他の深い感情をよく理解するために必要だと信じられてきました。秋に葉が散る儚さを理解すると、季節が巡り、春にまた花が咲くという生命の循環をより深く理解することができるのです。

他人と自分の苦しみは果たして同じものなのか
しかし、知恵と感情的知能は、要求という階層のかなり高い位置にありそうです。では、悲しみはもっと基本的で、実体的で、進化的段階でも価値があるでしょうか?
科学者は、泣いたり内気になることは、本来祖先たちが社会的な繋がりを強めるのを助け、必要な支えを得るのを助けるものであったと考えています。悲しみは怒りや暴力とは対照的に、苦しみを表現するもので、苦しんでいる人のために、人々は距離をすぐに縮めることができました。
そしてそれは、個々の人間や大きな集団を繁栄させる手助けとなったのです。きっと悲しみが生き残るために必要な団結力をもたらしてくれたのでしょうが、多分多くの人は、他人が感じる苦しみと自分が経験した苦しみが、果たして同じものなのかと疑問に思っていることでしょう。
詩人のエミリー・ディッケンソンは、「私は細く探るような目で、出会った全ての悲しみを測る。私のものと同じほど重いのか、それとももっと軽いのだろうか」と書きました。

20世紀には、アーサー・クラインマンのような医療人類学者が、人々が痛みについて話す話し方から証拠を集め、感情は全世界共通ではないと提案しました。
そしてその文化、特に言語の使い方が私たちの感情に影響を及ぼしていると言うのです。私たちが失恋について話す時、心が挫ける感情は私たちの経験の一部となり、傷ついた心を話題にする文化では、それは実は異なる主観的な経験となるようです。
現代の思想家の中には、悲しみが主観的か普遍的かということに興味を持たず、むしろ技術を使ってありとあらゆる全ての苦痛を取り去ろうとする人もいます。
デイビッド・ピアースは、遺伝子工学やその他の現代の方法を使えば、人間が感情的や身体的に痛みを経験することを変えることができるだけでなく、それ以外にも生態系を再設計し動物が野生で苦しまなくすることができると提案しました。彼はこのプロジェクトを「楽園工学」と呼んでいます。

世界から悲しみが無くなるのは、どこか悲しいですか? 我々の先祖である穴居人やお気に入りの詩人たちは、そんな楽園を少しも欲しがらないかもしれません。
実際に、悲しみについて全世界共通で同意されている唯一のことは、ほとんどの人が昔からずっと感じてきたものだということです。
そして何千年もの間、この難しい感情に対応する一番の方法は、言葉にできないこの感情をはっきりと表現することです。エミリー・ディッケンソンの詩の中にこう書かれてあります。
「希望は羽の生えた生き物。それは魂に止まる。そして言葉なく歌い、その歌が終わることはない」