虐待や育児放棄された子供「やる気が起きない」MRIで判明

ハザードラボ 2015年10月6日

理化学研究所や福井大学の共同チームは、虐待や育児放棄によって母親などとの間に「愛着関係」を築けなかった子供の脳では、誉め言葉が心に響かない脳機能の低下が見られることをMRIを使った画像診断で明らかにしたと発表した。
児童心理学における「愛着(アタッチメント)」とは、「子供と母親との間に形成される強い情緒的な結びつき」を意味する。虐待や育児放棄などを受けると、安定した「愛着」が形成されず、場合によっては「愛着障害(RAD)」を発症することがこれまでの研究で明らかにされている。
「愛着障害」を発症した子供たちは、自己肯定感が極端に低く、誉め言葉がなかなか心に響かない傾向があり、社会不適応に陥る場合があるが、これらの特徴は発達障害のひとつで「ADHD」と呼ばれる「注意欠如・多動性障害」と似ているため、臨床現場で区別が難しいのが現状だ。
理研の渡辺恭良チームリーダーと、福井大学の友田明美教授らの研究チームは、米国の精神医学会が定めた国際診断基準を満たす「愛着障害」をかかえる患者5人と、ADHDの子供17人と健常児童17人を対象に、脳内の血流の変化をとらえるMRIを使って比較実験を行った。
実験は子供たちにカードを当てさせる3種類のゲームを実施した。一つ目は当たると小遣いがたくさんもらえる「高額報酬」で、二つ目は少しだけもらえる「低額報酬」、三つ目は全くもらえない「無報酬」で、いずれのゲームも、プレイ中の脳の活動のようすをMRIで調査した。
その結果、健常児童は小遣いの多い少ないにかかわらず、すべてのゲームに対して高いモチベーションを示し、運動機能や意思の決定に関わる脳の部位が活性化した。
一方で、ADHDの子供は小遣いがたくさんもらえるゲームの時には脳が活性化したが、少しの小遣いだと反応が無く、やる気が起きにくいことが示された。しかし薬物治療を実施すると、これらの脳の部位が活性化に転じた。
ところが、虐待を受けた「愛着障害児」の脳は、ADHDの子供と違ってどのゲームにも反応せず、薬物治療の効果もないことがわかった。研究チームは「愛着障害時の脳内では、報酬に対する感受性が低く、モチベーションが湧かない機能不全が起こっていることが明らかになった」と話している。
研究チームは今後さらに症例数を重ねて、愛着障害のメカニズムの解明や診断法の確立をめざし、治療法の開発に結び付けたいとしている。
厚生労働省によると、児童への身体的、性的、心理的な虐待や育児放棄は年々急増している。全国の児童相談所での相談件数は、2013年度は7万4000件近くに達しており、児童虐待防止法が施工する前の1999年と比べると6.3倍増加している。虐待している者を見ると、実母が54%と最も多く、次いで実父が32%となっている。

組体操や騎馬戦・・・学校行事で事故が起きたら責任はどこへいく?

シェアしたくなる法律相談所 2015年10月6日

組体操にしろ騎馬戦にしろ、学校における運動会の競技で、「危険」と思われる競技が未だに続いています。
特に組体操は、単に「危険」というだけではなく、脊椎を損傷したり、場合によっては圧迫死している事故まで散見されます。実際に、学習指導要綱には要求されていない競技だったりもします。
それでは、生徒や児童が組体操によって怪我をした場合、誰がどのような法的責任を負うのでしょうか?
案の定、過去の裁判例を見てみますと、組体操による事故の裁判が多数あります。裁判の仕方としては、公立の場合は国賠請求訴訟という形で、各自治体が被告になっています。私立の場合は、学校法人が被告になり、不法行為に基づく損害賠償請求となります。
裁判の中では、教師の過失の有無、生徒・児童の過失相殺の2点が常に争点になっていますね。
教師の過失では、教師の「安全配慮義務」がキチンと果たされたかどうか、特に順を追ってキチンと指導をしたか、組体操時に側について監督していたか、が問題となっています。
生徒・児童の過失相殺の方は、彼らが教師の指導に故意に違反するような事実があったかどうかが問題となっています(殆どの判例では、生徒・児童の過失はない、よって過失相殺はできないとの判断が下っているようです)。
自治体が責任を負わされる形で裁判が繰り広げられますが、理屈の上では、過失を認められた教師、使用者としての学校長も法的責任があります。
しかし、公立の場合には国賠法1条1項の解釈上、職務行為に基づく損害については個人責任を負わないというのが最高裁の判例としてありますので、被告は自治体のみということになります(もちろん、教師に故意あるいは重過失がある場合には、国賠法1条2項で自治体から求償されることになります)。

あなたは妻に「子育て」を強いていませんか

東洋経済オンライン 2015年10月7日

「子どもとの時間を優先するために仕事量を調整している」
そんな言葉を聞いたら、多くの人はこれを「母親の発言」だと思うのではないだろうか。これまでは、共働き夫婦に子どもが生まれると、育児のために生活スタイルや働き方を調整するのは妻の側であることが多かった。実際、総務省「平成23年社会生活基本調査」を見ても、子どもがいない場合と比べ、子育て期は妻の仕事時間が大幅に減っているのに対し、夫の仕事時間は逆に長くなっている。夫が仕事をする上では、育児の影響を受けていないことが分かる。 「時短勤務」という働き方を選択するワーキングマザーはかなり一般的になってきたが、父親の事例はまだ珍しい。しかし、子育てのために仕事のスタイルを変える男性も、少しずつ増えてきている。

学童に退屈した子どものために15時に帰宅
各種セミナーやイベントの映像収録・配信を手がけるヒマナイヌ代表の川井拓也さん(45)は、東京の高円寺に妻と息子と3人で暮らす。会社員ではないので「時短勤務」という概念はないが、子どものために仕事の時間を調整している父親のひとりだ。
きっかけは今年5月頃、小学校1年生の息子コータ君が頻繁に「たいくつぅー!」と口にするようになったこと。くわしく聞いてみると、学童の時間が退屈なのだという。
「小学校が始まって1カ月ちょっとでもう飽きたのか!」と驚いたが、保護者が迎えに行くまで保育士がしっかり遊んでくれる保育園に比べると、学童は子どもを楽しませてくれる要素が少ないのかもしれない。そう気づいた川井さんは、「子どもが学童に行かずに家に帰ってこられる日」を作ることにした。
川井さんの仕事は、イベントやセミナーの映像を収録することで、頼まれれば同時にネット中継もする。マルチカメラといって、同時に数台のカメラで撮影する複数の映像を、その場で切り替えてひとつの動画にしていく。現場での集中力と瞬発力が要求されるが、この方式だと撮影後に編集作業をするという持ち帰り仕事がないのがよいという。
「『編集もやってよ』と頼まれることもあるんだけど、そういう場合は断るか別の人にやってもらいます。事前に打ち合わせとロケハンをして、当日現場で撮影、それが終われば請求書が書ける。特に子どもができてからは、この手離れがいい仕事のスタイルが気に入っているんです」
撮影のスケジュールは川井さんの都合で変えることはできないし、週末に仕事が入ることもある。しかし、事前の打ち合わせとロケハンはできるだけ平日の午前中にまとめるようにしている。そうすることで、撮影がない平日の午後は自宅にいて、帰ってくる子どもを迎えられるからだ。週に何日と決めているわけではないが、たまたま取材に伺った週は毎日「学童に行かずに帰ってきてよい日」にできたそう。

平日でも「非日常な遊び」ができる
15時頃にコータ君が帰宅すると、川井さん親子はさまざまな遊びを楽しむ。自宅でのんびり過ごす日もあるが、川井さんにとっては、コータ君を様々な場所に連れ出すのが楽しみだ。
最近ふたりが気に入っているのがジョギングで、1~2キロ走った後に地元の飲食店で夕食を食べ、散歩をして銭湯に寄って帰ってくる。そのほか、電車に乗って映画館や博物館に行ったりすることもあるそうだ。
コータ君が保育園児の時代も、17時に迎えに行った後に公園で遊んだり映画を観に行ったりということをよくしていた川井さん。平日なのに週末のような過ごし方をすることが好きなのだという。
「うちでは、ママが『安全担当大臣』、パパが『冒険担当大臣』なんです。ママはなるべく毎日の生活のリズムを守りたいという考えだから、ママといるときは家でゆっくりするのもいいと思う。パパと過ごすときは、保育園や学校の後にもうひとコマ別の活動を入れて、週末みたいな非日常的な時間を過ごすようにしています。その方が、子どもの記憶にも残るでしょう?」(川井さん)

仕事のペースを落とせるのは自信があるから
川井さんが、仕事の時間を調整してでも子どもと過ごす時間を大切にしているのは、「子どもの成長によって、親子のライフスタイルはどんどん変わっていくもの」という考えがあるからだ。
「40歳近くになってから子どもができたので、仕事も子育ても目の前のことにせいいっぱいな若いパパママよりは、客観的に見られているのかもしれません。子どもとの時間は常にカウントダウンモードで、親と一緒に遊んでくれるのなんてあと何年かしかない。そう思うと、今の状況がすでにセピア色に見えてくるんですよ(笑)。子どもがもう少し大きくなれば、僕らが家にいなくても自分で鍵をあけて帰ってこられるようになるから、今のライフスタイルだってここ1年くらいのことだな、と考えています」(川井さん)
川井さんが子どもとの時間を優先できるのは、仕事のペースを落とすことに対する不安が少ないということもある。フリーランス的な働き方ゆえの不安定さもあるが、「子どもが大きくなれば、仕事はいくらでも入れられる」という言葉からは、独立後10年以上自分で仕事を開拓してきたという自信もかいま見える。さらに、妻が会社員として安定的な職業についているという安心感も大きい。
「僕がこういうライフスタイルを送っていると言うと、『それは川井さんが会社に雇われてないからできるんでしょ』という反応をされることはしょっちゅうです」と川井さん。確かにそれは否定できないが、「子どもの成長は待ったなし」であることは、どんな親にとっても変わらない。
会社員であっても、もし父親の方に「売り手市場」で勝負できるようなキャリアやスキルがあるなら、子育て期の一時期は勤務時間を短くできるような職場に転職するといったこともできるだろう。そうでなくても、子どもとの時間を作るために少しでも工夫の余地がないか、考えてみる価値はある。
ひとくちに共働きといっても、夫婦がそれぞれどのような働き方をするのか、その組み合わせは千差万別のはずだ。それにもかかわらず、子育てのためとなると女性の方が仕事を調整することが多いという現在の状況は、もっと柔軟な方向に変わってよいのではないだろうか。

7月生活保護世帯、過去最多を更新=厚労省

時事通信 2015年10月7日

厚生労働省は7日、7月に生活保護を受給した世帯が前月より2964増えて162万8905世帯になり、3カ月連続で過去最多を更新したと発表した。
受給者は2150人増の216万5278人。同省は「失業者のいる世帯などは景気回復で保護から脱却する一方、高齢独居世帯の受給が大きく増えている」と分析している。

ポケット入れて持ち運び!世界最小の「チャイルドシート」が登場

TABI LABO 2015年10月5日

「車に取り付ける」という、従来のチャイルドシートの概念が吹っ飛んでしまう、革新的なデザインが登場しました。まさかここまで小さくなってしまうとは…。これぞ、チャイルドシートの最終型、コンセプトは「持ち運び自在」です。
子供の成長に合わせて買い替えたり、付属のパーツを外して使用する必要があったチャイルドシート。このチャイルドシートが窮屈になってくると、次に使用するのがジュニアシートです。この軽くて持ち運び自在なジュニアシート「mifold」は、パカッと開けば座面が登場。なんだか心もとない気もしますが、耐久力抜群のプラスチックポリマーに航空機にも使用されるアルミ素材が用いられているんだそう。
従来のジュニアシートは、子供の座面を高くすることで、大人用に設計された車の三点シートベルトがみぞおちを圧迫したり、首に引っかかる危険性を回避した設計。ところが、この画期的な「mifold」は、シートではなくベルト自体を子供の体格に合わせて下げることで、安全性を保つことを目的としています。ゆえに、このコンパクトな形状が可能という訳。
パパママが最も気になるのは安全性。開発者のJon Sumroy氏によれば、世界の主要各国で安全性能テストを実施した結果、「法令で定められている最も高いレベルの安全基準をクリア」したと、安全面は超がつくほどのお墨付きだとか。
自動車大国アメリカでは、一般的に日本よりも厳しい安全基準が設けられていて、チャイルドシートに子供を座らせないことは、「児童虐待にあたる」という見方もあるようです。例えば、タクシーを利用するにも、友人宅の車に乗る際も、カバンに入れて持ち歩けるシートがあれば、確かに安全この上なしですね。
子供の代わりに大人が乗るときなど、着脱だけでなくチャイルドシートって案外、置いておくにも場所を取るものですよね。その点「mifold」なら、ダッシュボードだろうが、シートのポケットだろうが(ズボンのポケットだってご覧の通り)、使わないときはどこでも収納できちゃうサイズ感。カーシェアリングを利用するときなど便利そうですね。
すでに、クラウドファウンディング「Indiegogo」では、目標額をはるかに上回る(1,664%!)潤沢な資金調達を達成し、予約も殺到中。これは、日本でも間違いなく流行りそう!

心が疲れたときに効くアドラー心理学

PRESIDENT 2015年6月29日

ここは果たして私がいるべき職場なのか?
新しい環境と場所、新しい人間関係、新しい仕事に接した際は、しばしば「自分は本当にこの職場に合っているのだろうか?」「私がいるべき職場なのか?」という疑問・不安が湧く。そうした慣れない感情が焦りや精神的・肉体的な疲労、ひいては無気力・無関心な勤務態度につながる。新入社員に限ったことではなさそうだが、こうした症状に、どう対応していけばいいのだろうか。
ここでは、アドラー心理学の理論を使ってそれを考えてみたいが、その前にアドラー心理学について簡単に説明しておく。「個人心理学」とも呼ばれるアドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーは、ユング、フロイトとともに臨床心理学の基礎をつくった3人の一角を占めており、人の行動や認知の仕組み、自分自身の理解や自分と他人の関係の理解等々について、有用かつユニークな枠組みを提供している。
その枠組みを借りることで、こうした精神状態を、自分を振り返り、自分と職場との関係を見直し、仕事の意味を考えるためのチャンスと捉えたい。そうすることで危機を乗り越え、意味のある形で仕事をしていけるようにしたいのである。
さて、「ここは果たして私がいるべき職場なのか」という問題は、アドラー心理学でいう「所属の課題」である。自分がどこかに所属しているという感覚 (Feeling of belongingness) は、コトバを話しだす子どものときから死ぬときまで、生涯を通じて存在する。
人はまず、生まれてからは家族の中に所属しているかどうか、長じて学校では友人グループや部活のグループに所属しているかどうか、職に就いてからは、自分の職場のグループに所属しているかどうかということを、絶えず感じている。
人は、自分の所属感を絶えず感じていると同時に、いつでも所属していたいという目標を持っている。もし、所属がうまく果たせないことによって、所属感を持つことができなければ、精神的に不健康になるだろう。その結果、不適応な状態になり、体調不良や無気力といった症状が表れてくる。所属感とは、人が精神的にも肉体的にも健康に生きていくための基本条件といってもいい。
所属する先にはどのようなものが考えられるだろうか。アドラーはまず家族を考えた。その次に友人、そして職場の人間関係である。このような所属先を「共同体 (Community)」と呼ぶ。家族、友人、職場の3つの共同体の中で、その人がどのように所属を果たすか、つまり、どのような人間関係をつくっていくか、ということをアドラーは「ライフタスク(Life tasks)」と呼んだ。ライフタスクとは、人生の課題という意味だ。私たちの人生はどのような人であっても例外なく家族の課題、交友の課題、仕事の課題に日々直面することになる。そうした課題を乗り越えていく中で、それぞれの共同体に所属を果たしていくのである。
こうしてみると、五月病も含めた新天地での心と身体の変調は、所属の課題であることがわかる。職場という共同体と同僚・上司という人間関係の中にうまく自分の所属を見いだせないとき、そのサインとして心身の不調が表れてくるのである。

「そのままの自分でいていいのだ」という感覚
それでは、共同体に所属できているという感覚はどうやって得られるのだろうか。
アドラーを日本に紹介した精神科医の野田俊作は、自己受容、信頼、所属、貢献の感覚に分けることを提案している。ありのままの自分でいられる「自己受容」、周りの人に任せることができる「信頼」、自分の居場所がある「所属」、周りの人の役に立つことができる「貢献」。これらの4つの感覚が充足されることによって、「自分はここにいて、役に立つことができる」という所属の課題を果たすことができるのである。
これらの4つの感覚について、それぞれを見ていくことにしよう。
職場の新人はまず、「自分はここでやっていけるだろうか」という感覚からスタートする。新しい職場、新しい仲間の中に自分が飛び込んでいくわけだから、誰でも不安な気持ちになるだろう。不安という感情は、「未来のことについて準備せよ」というシグナルである。不安を減らそうとして、私たちはあれこれと考え、自分自身を準備状態にしようとする。
自分が現状の自分を受け入れることが可能なことを「自己受容」と呼ぶ。「自分を飾ったり、背伸びしたり、偽ったりすることなく、そのままの自分でいていいのだ」という感覚である。準備がうまくいって、新しい職場で自分がうまくできているなという感じを持てれば、自己受容の感覚ができてくる。
周りの人たちの役割は、新人がこの場所で自己受容できるようにすることである。失敗をしたとしても、それを叱ったり、責めたりすることなく、新しいスキルを獲得させる機会だと考えて、新人に教えることである。そうした指導を積み重ねて、新人に「この調子でいけば自分は成長できる」という見通しを獲得してもらう。これが自己受容につながる。
自己受容の感覚ができてくると、徐々に周りの人たちへの信頼を持てるようになってくる。信頼とは、「周りの人たちに安心して任せることができる」という感覚、つまり、周りの人たちに頼ることができるという感覚である。信頼がなければ、周りの人たちから支えてもらえない中で、自分一人が頑張らなければいけないと考え、無理をしてしまうことになる。そのような状況では心身が不調になることも不思議ではない。
新人に信頼の感覚を持ってもらうためには、周りの人たちが常にお互いを支え合っているのだ、ということを表明することだ。そして、その中に新人も含まれているのだということを説明する。職場の中で、一人だけで仕事をすることはない。常にチームで仕事に取り組んでいるのだから、一人ではこなしきれないことがあれば、仲間に頼ることができる。そうした仕事のやり方を新人に覚えてもらうことによって、信頼の感覚ができていくだろう。

この職場にとってなくてはならない存在
自己受容と仲間への信頼の感覚を身につけていくと、その共同体に所属しているという感覚が生まれる。所属の感覚とは「自分の居場所がここにある」という感覚である。ただ配属されたからそこにいるというのではなくて、「私はここにいて自分の能力を発揮できるし、周りの人を信頼することができる。だから私がここにいる意味がある」ということを確信しているということである。「意味がある」ということは、「私はこの場所になくてはならない存在である」ということを感じているということだ。
所属の感覚を持てるようになると、仕事上のほとんどの困難を乗り越えていくことができる。いかに早く新人に所属の感覚を持ってもらうかということが分かれ目となる。
そのためには、新人の周りの人たちが「あなたはこの職場にとってなくてはならない存在」であると感じることである。逆に「この新人はじゃまだ。私たちの足を引っ張る」と感じているならば、すぐにそれは新人に伝わり、所属の感覚を持つ可能性は小さくなってしまうだろう。
そして、所属の感覚があってはじめて共同体への貢献の感覚を持つことができる。貢献の感覚とは「自分が自分の能力を使って、仲間のために役に立つことができる」という感覚である。このような貢献感を持てるようになると、そんな自分をさらに受け入れることができ、自己受容の感覚につながっていく。これで4つの感覚が一連のプロセスとなって回っていくことになる。
このようなサイクルをたどって、自分が共同体の一員として所属している感覚を身につけることを、アドラーは共同体感覚 (Social interest)と呼んだ。Social interestとは、そのまま訳せば、「社会への関心」である。今自分がやっていることが、周りの人々にとってどういう意味があるかに関心を持つということである。つまり、共同体の中の自分の存在の意味を考えるということである。
この「社会への関心」と対になるのが「自分への関心 (Self interest)」である。自分の周りで起きていることが自分にとってどういう意味があるのか、それは得なのか損なのかということを考えると、自分を中心とした世界観を持つことになる。
人は生まれてすぐには、自分への関心を持たざるをえない。まず自分が生き延びることが必要だからである。だから自分の周りで起こることや対人関係について、それが得なのか損なのかを計算する。それが得であれば、周りの人を踏み台にしてのし上がっていこうとする。
逆に、それが損であれば、周りの人に押しつけようとする。そうした自分が評価されないとなれば、周りの人が不当であると糾弾しようとする。自分への関心から逃れることができない人は、このようにして常に不満を持つことになる。
これを解決する道は、自分への関心を超えて、共同体感覚を持つこと以外にはない。しかし、共同体感覚は自分への関心とは異なって、生まれついてのものではない。日々実践することによって自分の身につけていく必要があるものなのである。
「自分は本当にこの職場に合っているのだろうか?」という疑問・不安を、職場の仲間たちがつくる共同体と自分との関係を見直すチャンスとして捉えれば、本人の考え方をどう変えればいいのか、また周りの人たちがそれをどう支援すればいいのか、それぞれの解決法が見つかるかもしれない。