戸籍がない 名字で呼ばれ「うれしい」

毎日新聞 2015年10月7日

戸籍は、名前、生まれた日、家族関係を証明する身分証明の基礎となる公文書だ。だが、出生届が出されず、戸籍がないまま暮らしている人たちがいる。無戸籍であることがどんな困難をもたらすか、無戸籍の人を支援するためには何が必要か。3回にわたって考える。

小学校に行けない
「丸井さん」。名字で呼ばれると、「個人として扱ってもらえる」とうれしさを覚える。神奈川県内に住む丸井アキさん(33)=仮名=には今年7月まで、戸籍がなかった。
製造業の父と、主婦の母との3人暮らし。「私は他の人と違う」と感じるようになったのは、10歳ごろ。近所の年下の子がランドセルを背負って小学校に行き始めたのに、自分は行っていない。「どうして私は行けないの?」。口ごもる親の姿を見て聞けなくなった。
両親は周囲に、アキさんが私立学校に通学していると偽った。アキさんは本を読んだり、ドリルで書き取りを練習したりして、1人で過ごした。幼い頃は近所に遊び友達もいたが、学校に通っていない秘密を抱えて付き合うのがつらく、自分から遠ざけた。
16歳の頃、歯医者に行き、健康保険証の提示を求められた。親に用意を頼んだが、準備する気配がない。「みんな持ってるものじゃないの?」。また疑問が膨らんだ。
そのうち、家にこもるようになった。不景気で、父の勤める会社が倒産。働きたくても、履歴書に何も書けない。「寝て、起きて、食べる。毎日が同じで、曜日の感覚もない。両親が亡くなったら、私一人でどう生きたらいいのか」。布団から出られない日が続いた。
自分に戸籍がない、と知ったのは20代。母親に「前の夫との離婚が成立していなくて、出生届を出せなかった」と打ち明けられた。
母親は九州地方で前夫と結婚していたが、日常的に暴力を振るわれた。1980年に家を出て別居後、アキさんの父親となる男性と暮らし始め、82年にアキさんが生まれた。出生届を役所へ提出しに行ったが、婚姻中の夫の戸籍に入ることになると言われ、アキさんの存在を知られるのを恐れて出せなかった。
事態が動いたのが昨年だ。6月にやっと母親と前夫との離婚が成立。アキさんが新聞で見つけた支援団体「民法772条による無戸籍児家族の会」(神戸市)に連絡を取り、実の父に親子関係を認めてもらう「認知調停」を申し立てるよう助言を得た。今年6月に実父との親子関係が確定し、約1カ月後、父の戸籍にアキさんの名前が記載された。

背景に民法規定
背景にあるのが、民法772条。1項で「妻が婚姻中に懐胎(妊娠)した子は夫の子」、2項で「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する。子どもへの責任を負うべき父親を早く決めるための規定だ。だが結婚生活の破綻から離婚成立までに別の男性との間に子どもを妊娠した場合、この「推定」を覆す裁判手続きが当事者にとって重い負担になっている。
手続きは(1)前夫が自分の子であることを否定する「嫡出否認」(2)前夫と子の間に親子関係がないことを確認する「親子関係不存在確認」(3)前述のアキさんのケースにあたる「認知」??の3種類。(1)(2)は前夫の証言が不可欠で、ここ数年で広がってきた(3)も裁判官の判断次第で前夫の関わりを必要とする場合がある。
2008年の会結成以来、全国から相談を受ける「家族の会」の井戸正枝代表(49)は「無戸籍が長期化している人の約8割が前夫のDV(ドメスティックバイオレンス)や貧困など複合的な問題を抱えている」と指摘する。
大阪府内の無戸籍の女性(31)は「母親の前夫への恐怖心が強く、離婚を進めるのが大変だった」と漏らす。前夫から「実家に帰ったら家を燃やす」と脅されていた母親は、遠方に逃げてからも数年間仮名で過ごした。女性が数年かけて説得し、別居から30年以上経て離婚調停を起こしたが、家裁の前で前夫が待ち伏せし、慌てて逃げたという。

全国に665人
法務省が昨年7月に始めた調査では、先月10日時点で無戸籍の人は全国に665人。うち約8割が民法772条によって無戸籍になっている人だ。条文は07、08年ごろ、特に2項が「離婚後300日問題」として注目され、離婚後の妊娠である医師の証明があれば前夫を父としない出生届を受理する救済策が取られた。
だが当時の同省の推計で、離婚後300日以内に生まれる年間3000人のうち、「離婚後の妊娠」は1割。親の離婚成立前に生まれ、出生届が出されない子は統計もない。
33歳で戸籍に記載されたアキさんは、弁護士に紹介された入浴設備の清掃の仕事に就いた。「どこの学校だった?」という同僚の一言に胸が痛む。無戸籍でも小学校に通えたことを最近知ったが、親を恨む気持ちはない。「貧しい家庭で苦労して育った親が、知識を持てなかったことを責められない。ただ私のような思いをする子が出ないようにしてほしい」【反橋希美】

無戸籍問題
日本人であることが明らかだが、何らかの事情で出生届が出されない人の問題をいう。戸籍がなければ、住民票の作成▽パスポートの発給▽銀行口座開設などの契約行為▽国家資格の取得??などが難しくなる。07?08年に無戸籍問題が注目された際、一定の条件付きで、無戸籍での住民票作成やパスポートの発給が認められた。無戸籍でも小中学校への通学は可能で、保育所入所や児童手当支給などの行政サービスも受けられるが、当事者側からの相談が必要。支援者からは「周知が不十分で当事者がサービスを受けられることを知らず、行政窓口の職員も知識がなく、門前払いされたケースもある」との指摘がある。

戸籍がない 「大人の都合で」子が犠牲

毎日新聞 2015年10月8日

「前科者」影響恐れ
出生届が出されない理由には、貧困や親のネグレクト(育児放棄)も指摘されている。
「ランドセルほしい」。学校帰りの子どもたちをじっと見つめ、娘が言った一言を思い出すと、今も涙がにじむ。兵庫県内に住む男性(76)は、娘(23)を17歳まで戸籍がない状態においたことを深く悔いている。
男性は窃盗などの罪で5回服役したことがある。最後の服役から20年近くたって大阪で日雇いの仕事をしていた時、行きつけの喫茶店で知り合った女性との間に子どもができた。「この子を前科者の子にしたら、将来結婚できなくなる」。心配した男性は「私の戸籍に入れる」という女性に「そうしてほしい」と頼んだ。親子3人で、1人暮らしをしていた兄の家に転がり込み、同居を始めた。
出生届が提出されていないと気づいたのは、娘が2歳ごろ、はしかにかかった時だ。医師から予防接種をしたのか聞かれ、女性に確認すると「出生届を出していない」と明かされた。後に女性が既婚者だったことも判明。女性は、娘が5歳になったころ家を出た。
義務教育も十分に受けていない男性は「無戸籍でも学校に行けるとは想像もつかなかった」と言う。兄から生活費の援助を受け、毎日のように公園に娘を連れて行ったが、そばを離れないよう気をつけた。一度、出会った子どもに娘の通っている学校を聞かれ「クラスに行ったけどいなかった」と言われたからだ。この時は「もう転校するんだよ」とごまかした。
このまま学校に通わせなくていいのか、という思いはあった。娘が10歳になるまでに2回、役所に「友人で、出生届の提出が遅れている人がいる」と相談に行った。だが「法務局に相談してほしい」「普通は14日以内に出さないと法律違反になる」と言われ、「前科もあるから、罰せられて娘と引き離されるかも」と孤立を深めた。

入院が転機に
2007年、困窮した男性の兄が家賃を滞納したためアパートを退去せざるを得ず、一家で兵庫県内の知人宅に身を寄せた。翌年、娘が体調を崩して入院したことが転機になった。男性は、知人宅を訪れていた地元市議に「医療費を払えない」と相談。娘の無戸籍も告白した。市議が法務局への相談に同行し、09年夏、娘は、母親の女性の戸籍に入る形で無戸籍が解消された。
男性と娘は今、生活保護を受けて暮らす。娘は字の読み書きが苦手で、ひらがなを練習中だ。人と会話することも、まだ自信がない。記者が「学校に行きたかったですか?」と聞くと「行きたかったですね」と、はにかみながら答えた。昨年12月から、民間福祉団体の職員が学習や生活の支援に月2回ほど自宅を訪問している。
「本当に罪深いことをした。娘の先のことを考えると、夜も眠れない」と漏らす男性。「大人の都合でごめんね」。目を赤くした男性の言葉に、娘は「うん」とつぶやいた。

経済的に厳しく
法務省の調査(先月10日時点)では、無戸籍者665人のうち、母親の失踪などネグレクトとみられる理由で戸籍に記載されていない人は、少なくとも3人。文部科学省が今年3月、142人の無戸籍の小中学生を対象にした実態調査では、経済的に厳しい家庭環境も明らかになった。通学している141人の35%が就学援助を受けており、うち生活保護を受けているのは全児童の平均の8倍(12%)。「身体的虐待や食事が十分でないなどネグレクトの疑いがある」「働きかけているが、児童手当の申請ができていない」などの事例が報告された。
関東地方の女性(33)は、両親が出産費用を払えなかったことを理由に、産院から出生証明書をもらえず、無戸籍になった。小中学校に通わなかった女性は「親は役所に相談したが、産院への未払いを責められるばかりであきらめたと聞く。子どもの立場に立った対応をしてほしかった」と語る。
住民票があるのに居場所が分からない「所在不明の子ども」が社会問題化しているが、無戸籍の人は存在自体が社会に認知されていない。早稲田大の棚村政行教授(家族法)は「米国では、出産した病院の医師や助産師が出生届を出す仕組みがある。離婚の増加や貧困などで家族が機能しなくなっている中、家族だけに届け出を任せる今の制度は見直すべきだ」と話す。【反橋希美】

世紀の発見!「ニュートリノ」に質量があると何がスゴイのか

SBクリエイティブOnline 2015年10月7日

2015年10月6日、東京大宇宙線研究所長の梶田隆章さんが、ノーベル物理学賞を受賞しました。受賞の決め手なったのは、1998年に「ニュートリノ」に質量があることを実証したこと。それが、どのようにして実証されたのか。サイエンス・アイ新書『マンガでわかる超ひも理論』から、解き明かしていきましょう。

30年間、間違いのなかった素粒子の「標準理論」
素粒子の世界を探求し、そのふるまいを説明するために、たくさんの科学者が知恵を絞り、それまでの理論を積み重ねて誕生したのが素粒子の「標準模型」だ。
標準模型がほぼできあがり、物理学者の間に広まってきたのが1970年代から。それから30年間、たくさん行われた素粒子の実験は、ことごとく標準模型の予言どおりの結果を示してきた。
これまで行われた素粒子関係の実験結果を集めると、700ページにもなる本ができあがる。1998年までは、その本に記されているデータはすべて標準模型と一致していた。
その標準模型に待ったをかけたのが、1998年に発表されたニュートリノの重さだった。この発表は世界を駆け巡り、『ニューヨークタイムズ』の1面を飾るほどだった。なぜ、ニュートリノに重さがあることがそんなに問題だったのだろうか。それは、ニュートリノに重さがないことが標準模型の根幹を支える前提となっていたからである。
素粒子は目には見えないが、この宇宙の中を飛び交っている。もちろん、私たちの周りにも、目には見えないがたくさんの素粒子が飛んでいる。この飛び方をよく見てみると、地球のように自転しながら飛んでいた。その素粒子の自転は右回りと左回りの両方見られるはずなのに、ニュートリノの場合は片方しか見ることができなかった。これはおかしいということで考えられたのが、ニュートリノは光速で動いているから、片方しか見ることができないという理論だった。素粒子の場合、少しでも重さがあると光速で動くことができないので、光速で動くニュートリノは重さがゼロでなければならなかったのだ。

ニュートリノの重さを発見したスーパーカミオカンデ
ニュートリノの重さを発見したのは、岐阜県の神岡鉱山につくられたスーパーカミオカンデだった。この装置は、1987年に超新星爆発で発生したニュートリノをとらえることに成功したカミオカンデの後継機である。貯水容量もカミオカンデの3000トンから5万トンへと約17倍も増え、観測精度を上げている。
標準模型では、ニュートリノには重さがないということになっていたが、本当にそうなのかと確かめる試みはこれまでも数多く行われていた。ニュートリノは超新星以外にも、太陽や大気、地球の内部など、いろいろなところで発生しているが、弱い力だけとしか反応しないので、とらえるのが難しかった。
スーパーカミオカンデの実験では、大気で発生したニュートリノを観測していたところ、北半球で発生した空からやってくるニュートリノと、南半球で発生して地下を突き抜けてくるニュートリノの量を比べたところ、地下からくるニュートリノのほうが量が少ないことがわかった。
ニュートリノは、地球の存在には影響を受けないはずである。それなら、地球があろうがなかろうが同じ量やってこないといけないはずなのに、なぜこのような違いが起きるのだろうか。この現象をもっとよく調べてみたところ、ニュートリノの種類が変化していたのだ。この実験では、3種類あるニュートリノのうちミューニュートリノを観測しようとしていた。
しかもこのニュートリノは、発生してからスーパーカミオカンデに飛んでくるまでの間に、タウニュートリノに変わってはミューニュートリノに戻るニュートリノ振動というものを繰り返していた。それで観測したときには、ちょうど半分くらいしかミューニュートリノが観測できなかったのだ。このニュートリノ振動の観測によって、ニュートリノに重さがあることがわかってきた。

ニュートリノの変化が重さを示すカギ
ここで問題になってくるのは、どうしてニュートリノ振動があることで、ニュートリノに重さがあることがわかるのかということである。ニュートリノに重さがないことを証明するには、ニュートリノが光速で動くことを証明すればよかった。
ここでアインシュタインの相対性理論を思いだしてみよう。相対性理論によると、この宇宙でいちばん速いのは光で、光より速いものは存在しない。これが光速不変の法則だ。
相対性理論のなかでは、光速に近くなればなるほど、その速さで飛んでいるものはほかのものよりも時間の進み方がゆっくりになっていく。そして、完全に光速になると時間を感じなくなる。ニュートリノが時間を感じないのであれば、ニュートリノ振動が起こることがおかしいということになる。たとえば、人が時間を感じるのは、お腹がへったり、体が大きくなったり、老化をしたりと、なにかしら変化があるからだ。自分自身やその周りでなにも変化が起きなければ時間の経過を知る術はない。
それはニュートリノも同じで、ニュートリノが時間を感じていなければミューニュートリノからタウニュートリノに変化することはないのだ。それでニュートリノの種類が変化するニュートリノ振動が観測されたことは、ニュートリノが光速よりも少し遅い速度で動いている証拠となる。
そしてニュートリノが光速で動いていないということは、ほんの少しでも重さをもっているという結論になるのだ。スーパーカミオカンデでの発見後、人工的につくったニュートリノを使った実験でもニュートリノが重さをもっていることが99.99%以上の確率で 示された。30年間破られることのなかった標準理論は、このようにして倒されていった。

「怖すぎる」…神奈川県の危険ドラッグ防止アニメが空前の大ヒット 再生回数は46万超

産経新聞 2015年10月7日

「危険ドラッグを使うと、あなたの人生が壊れます」?。神奈川県が制作した危険ドラッグ乱用防止啓発アニメーション動画が、「怖すぎる」と話題になっている。5月に動画投稿サイト「ユーチューブ」に投稿したダイジェスト版の再生回数は46万回を超えた。県の担当者らは予想以上の反響に驚きながら、「危険ドラッグに関する正しい知識を知ってほしい」と呼びかけている。
現在、ユーチューブに投稿されている動画は5本。危険ドラッグの概要や怖さをアニメで解説した4本と、4本のポイントをまとめたダイジェスト版がある。
「危険ドラッグは、麻薬や覚醒剤よりも危険な薬物」で始まるダイジェスト版は、普通の男女が危険ドラッグを使用して「廃人」となっていく様子をインパクトの強いアニメで表現し、ネット上では「夢に出てくるレベル」「怖すぎる」といったコメントが絶えない。黒岩祐治知事も「『トラウマ級の怖さ』と話題になっている」と、その効果をアピールする。
県は危険ドラッグにまつわる犯罪や交通事故が後を絶たず、「危険ドラッグは今でも気軽に入手でき、若い世代の認識も不十分」(県薬務課)なことから、動画制作を決定。委託事業者を募り、応募のあった4者から映像制作会社「サイクロイド」(横浜市中区)を採用した。
動画制作に携わったアニメーターの1人、斎藤まりこさん(31)は「県からの資料を読んでイメージを膨らませていった。怖がらせるというよりも、とにかく危険ドラッグはどれだけ危険なものなのか、ということを伝えたかった」と話す。
県は動画投稿以外にも、映画館やインターネットカフェで動画を流したり、県内の中学校・高校・大学に動画のDVDを配ったりして、さらなる周知拡大に努めている。(古川有希)