児童虐待9万件 ためらわずに命救いたい

産経ニュース 2015年10月19日

どうすれば子供を救えるか。全国の児童相談所(児相)が昨年度対応した児童虐待の件数が約9万件にのぼった。
児相などが関与しながら痛ましい結果を防げなかった事案も目立つ。子供を守るための措置は躊躇(ちゅうちょ)せず取りたい。
厚生労働省のまとめで虐待件数は調査開始から24年連続の増加だ。児童虐待防止法施行前の平成11年度の7倍を超えている。
件数増の要因には、虐待への認識が広がり、通報や相談自体が増えている面もある。とくに今回、前年度比2割増と伸びが目立ったのは、虐待の定義などを広げた影響がある。
身体的虐待を受けた被害児童の兄弟姉妹も心理的虐待を受けたとみなすようになった。子供の前で夫が妻に暴力を振るうなどの「面前DV(ドメスティックバイオレンス)」について警察が児相に積極的に通告しているという。
こうした早期発見への動きはあるものの、なお関係機関の連携不足や対応遅れが否めない。
神奈川県厚木市で昨年、当時5歳の男児が衰弱死し約7年後に白骨遺体で見つかった事件では、児相や教育委員会、警察などの情報連携不足が浮き彫りになった。父親が逮捕され、殺人罪に問われ公判中だが、子供を救う機会は何度もあった。
乳幼児の健診などで虐待が疑われながら適切な保護が行われなかった例もある。厚労省の虐待死や重症事案の検証でも児相や市の担当部署が相談などを受け関与していたケースが少なくなかった。
たしかに行政や警察は家庭の問題に踏み込みにくい。親が「しつけ」に名を借りた虐待を行い、児相などの介入を拒むことも少なくない。一方で積極対応を支える法改正も行われてきた。児相が家裁に親権停止を申し立てたのは昨年度23事例あった。
児相の担当職員が抱える事案は一人平均100件を超え難題にあたっている。それだけに日頃から医療や司法機関を含め、地域の知恵を集めた連携が欠かせない。
厚労省の虐待死事案の検証では、地域との接触が「ほとんどない」か「乏しい」という例が8割にのぼった。家庭の孤立化を防ぐ対策も重要だ。
「もう一歩踏み込んだ対応をとっていれば」と後悔する事態はなんとしても止めたい。

社説[「子の貧困」検討会]現場の声 計画に生かせ

沖縄タイムス 2015年10月18日

子どもの貧困対策を総合的に推進する県独自の計画策定に向けて、外部の有識者らでつくる検討会が計画に盛り込むべき「現場の声」をまとめた。子どもの教育や生活支援のほか、親の就労支援など必要な施策を列挙する。
生まれ育った環境に左右されず、夢や希望を持って成長できる社会の実現を目指す「県子どもの貧困対策推進計画」は、来年度からの5年計画だ。
日本の子どもの貧困率が過去最悪の16・3%(2012年)に達する中、沖縄の子どもたちが置かれている状況はさらに厳しく、有識者の意見からもその切実さがにじみ出る。
貧困の連鎖を断つ力となる教育支援では、返還義務のない給付型奨学金制度の創設が叫ばれた。小中学生を対象にした無料塾は徐々に広がっているものの「その先の大学進学の道を確保しないと未来が描けない」からだ。
県内の大学等進学率は39・8%(14年)と全国最下位。置かれた環境で受けられる学びに差が生じているとすれば問題である。
母子世帯の割合が全国の2倍と高い県内では、ひとり親世帯の貧困問題も優先的に取り組まなければならない課題だ。
検討会で出されたように「ひとり親世帯の県営住宅優先入居」「母子生活支援施設の設置」は、行政の積極的な対応が鍵となる。夜遅くまで親が働いているため1人で過ごしたり、居場所のない子どものための「夜の児童館」は貴重な提言である。

有識者検討会には、児童養護施設で育った女性、ひとり親世帯や貧困家庭を支援する団体の代表も加わり、当事者重視、現場重視の議論が展開された。その目線は、今後の計画策定の中でも大事にしてほしい。
印象に残ったのは、児童養護施設で暮らした経験のある委員が、当事者が自己肯定感を持てるよう周囲の支えが必要と語ったことだ。
自己肯定感は成長の原動力ともいわれ、学ぶ意欲や生きる力の土台ともなっている。
少年非行などの背景として、自己肯定感を持てずに自暴自棄になる子どもたちの問題が語られることとも関係しているのだろう。
家族の問題や経済的な苦しさが、子どもの自信ややる気を奪い、自己肯定感の欠落へとつながっているのであれば、それを育む支援に知恵をしぼらなければならない。

県は、貧困状態で暮らす子どもの割合や貧困の連鎖などを把握するための実態調査を進めている。12月には報告がまとまる。
検討会の提言に、現状分析を重ね、子どもを貧困から守る、沖縄独自のシステムの構築に努めてもらいたい。もちろん予算的な裏付けも必要である。計画の実効性を高めるため、貧困率の改善など数値目標を示すことも重要だ。
改正沖縄振興特別措置法には、困難を有する青少年への支援が記されている。沖縄振興策でも貧困問題に本腰を入れるべきだ。

ひきこもりの原因は“時代遅れな親の常識”?

ダ・ヴィンチニュース 2015年10月18日

SNSや動画投稿サイトで、友達や恋人を作るのは今やよくある話。しかし、オトナからすると「ネット上の繋がりは本当に安全なのか?」という気持ちはまだまだあるかもしれない。けれど、イマドキの若者にとっては、SNSがあるのが当たり前で、そこから恋や友情が始まることは何ら不思議ではないのだ。前置きが長くなったが、「ひょっとしたらあなたが思っている常識は、時代遅れかもしれませんよ?」というのが、今回のテーマ。

イラストレーターでエッセイストの上大岡トメ氏の新著『子どもがひきこもりになりかけたら』(KADOKAWA)には、親の凝り固まった常識が、コドモをひきこもりにさせている可能性が書かれている。
そもそも、ひきこもりって何? と思う方もいるだろう。厚生労働省が発表している定義によると、
「様々な要因の結果として社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交友など)を回避し、原則的には6ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他社と交わらない形での外出をしていてもよい)を指す現象概念」
ということらしい。あくまで定義なので、必ずしも「コレはひきこもりです!」と言い切ることはできない。というわけで、本書ではあらゆるひきこもりのパターンを紹介してくれる。例えば、親が希望する学校に入学したものの、馴染めずひきこもりに…というケースや、就職した会社の激務についていけず退職した後、ひきこもりに…というケース。ほかにも、教師と衝突してしまった、親から進路を反対されたなど、とにかく原因や理由はさまざま。
さて、これらのケースを聞いて中には「最近のコドモは打たれ弱い」からと思った人もいるだろう。本書ではその考えを受け止めつつも、“待った”をかけている。
「ひとくくりに“コドモたちが弱くなってる”と見ないでその背景を見てください。コドモたちの時代と私たち親の若いころの時代とはいろんなことが違っていて大きいギャップがあるんです。れに気づくこと!! 親の常識がコドモたちには通用しないことがままあるんです。」―本書から引用
今の若者は生まれた頃からネットがあって、SNSで常に誰かと繋がっていて、外に出なくても買い物ができる。一方、昭和の頃は遠くの人とのコミュニケーション手段が電話と手紙しかなかった。生きている世界がまったく違うのだ。就職にしてもそう。終身雇用の概念や、大企業が安泰という価値観はもはや過去のもの。その変化に気づかない親たちが、自分の価値観をコドモに押し付ければ問題が起こるのも仕方ない。
本書では、ひきこもりになったコドモが、社会復帰できるまでの事例も紹介されている。メモのやりとりがコミュニケーション復活のきっかけになった親子もいれば、海外留学のために外に出るようになったコドモ、親戚を居候させたことが社会復帰に繋がったコドモなど、家庭により方法は異なる。一概に「こうすればいい」というわけにはいかない。そこにはひきこもり問題の難しさを感じざるを得ないが…。ただ、見方を変えれば、必ず最適な方法があるということ。家族間だけの問題と思わず、第三者を入れることが思わぬ変化をもたらすこともあるという。
そういえば、筆者が高校生だった十数年前は、プリクラと個人ホームページの全盛期だった。それが今SNSに進化して、より拡散力が強く なっただけのことだ。きっと現役高校生だったら喜々として動画をアップしていたんだろうなぁと思う。気づかないうちに凝り固まった常識を改めて見直してみよう。

認知症がなくなる日も近い?

ニッセイ基礎研究所 前田展弘  2015年10月19日

長寿時代を生きる私たちにとって「認知症」は極めて大きな「課題」であり、「脅威」である。かつて高齢者等を対象としたインタビュー調査(*1)をしたときにも、多くの人が“死ぬことよりも認知症になることが怖い、絶対になりたくない”、と話していたことが記憶に新しい。
自分がわからなくなる、自分らしさを失うという状態は想像もできないし、想像もしたくないのが本音であろう。
ところが近年になって、「認知症は治せるかもしれない、予防できるかもしれない」という話をよく見聞きするようになった。最近手にした書籍、東北大学加齢医学研究所の瀧靖之教授が書かれた『生涯健康脳』(2015年6月)でもその可能性を確認することができた。
認知症はこれまで症状の進行を遅らせる薬はあっても、治せない、予防できない、「不治の病」とされてきたが、それが克服できる可能性が高まってきたということである。
具体的には、認知症患者の50%を占める「アルツハイマー型認知症」について、予防と治療の可能性が高まってきている(*2)。極めて画期的なことであり、超高齢化する未来社会に向けて大きな光明である。
では、どのような光明の兆しがあるのか、ここでは筆者として解釈できる範囲から「測定技術の進歩」と「効果的な薬の登場」について紹介を試みることにしたい。
まずアルツハイマー型認知症とは何かを説明しておくが、これは脳内の血管に「アミロイドβたんぱく」と「タウたんぱく」というたんぱく質の「かす」が蓄積されていくことが原因の発端にある。
これらが長年にわたって脳内に蓄積されていくと(*3)、アミロイドβの中の毒性やタウたんぱくが変化した物質によって脳内の神経細胞が破壊され、やがて記憶障害や認知機能障害が引き起こされていくというプロセスを辿る(発症するかどうかは個人差がある)。
アミロイドβとタウという2つのたんぱく質の存在が、予防にしろ、治療にしろ重要な鍵を握るのである。この話を聞いただけでも、自分はどれだけ溜まっているか心配になった方も少なくないと想像するが、この蓄積状況(たんぱく質の沈着度)は、今ではMRI(Magnetic Resonanse Imaging;磁気共鳴画像)、あるいはPET(Positron Emission Tomography;陽電子放射断層撮影)で科学的に測定できるようになっている。
このことに加えて注目されているのが「採血」による測定である。MRIやPETを利用することは費用的な面からも個人にとっては縁遠いところがあるが、採血で簡便に測れるようになれば、多くの国民がより身近に脳の状態を知れることになる。これはまだ商品化(実用化)には至っていないが、昨年11月に国立長寿医療研究センターと島津製作所の共同研究の成果として発表されたことである(*4)。
脳の状態をより早期にわかれば、あとは原因となる「かす」を溜めない、排出することが必要になる。そこで現在注目されているのが「動脈硬化の再発を防ぐ薬(*5)」である。
瀧氏の著書から引用すれば、「この薬は血液をサラサラにして、血液の塊が血管の中に詰まらないようにするものだが、アミロイドβを減少させる働きがあることもわかった」ということである。
確かに血管に溜まった「かす」が原因であることを考えれば、血液をサラサラにしていくことが効果的であることは納得的である。まだ実際の臨床場面では使用できないようであるが、既存の薬を利用できる分、新薬を開発するよりは近い将来、この薬を利用できることが期待できる。
以上のように、自分の状態を早期に把握できて、早めに薬で対処できれば、確かにアルツハイマー型認知症は予防できるようになるのかもしれない。そのようなことが事実となる日が待ち遠しいところである。
ただ、これらのことに加えて、認知症予防に関する研修等の場でよく聞く話であるが、最大の予防は脳内に「かす」を溜めないような、脳内の血流の循環を活発にするような生活を心がけることだと考える。換言すれば、脳に血流が流れないような「退屈な生活をしない」ということである。
これもよく指摘されていることではあるが、例えばリタイアした後、家に閉じこもってテレビばかりを見ているような生活を続ければ、身体にも良くないだろうし(生活不活発病を発症)、脳にも良くないことは想像に難くない。
外に出て、人と会って対話をする、こうしたことだけでもかなり脳内に血流は流れていく。アルツハイマー型認知症の予防策を突き詰めれば、普通の健康的なライフスタイルを何歳になっても継続することではないかと考えている。
認知症患者の推定値は2015年時点で517万人(高齢者人口の16%)、2025年には730万人(高齢者人口の20%)まで跳ね上がると予測されている(*6)。社会にとっても、認知症患者が増え続けることは、認知症ケアをめぐる様々な課題をより深刻化させることであり、対策が急務であることは言うまでもない。
上述した「採血」による診断が日常化され(例えば、健康診断の一項目に加える)、効果的な薬が提供され、そして年齢に関わらずアクティブな生活を継続する高齢者が増えれば、認知症患者は大きく減少していくのではないかと期待を込めてそのように考えている。