羽月ちゃん事件、逮捕から1カ月 防止全国ネット吉田理事長に聞く「虐待 気付く目養って」

産経新聞 2016年2月11日

狭山市で藤本羽月(はづき)ちゃん(3)が顔にやけどを負って死んでいるのが見つかった事件は、母親の彩香容疑者(22)と内縁の夫の大河原優樹容疑者(24)が逮捕されてから11日で1カ月が過ぎた。幼児虐待を防ぐにはどうしたらいいのか。駿河台大学長で児童虐待防止全国ネットワークの吉田恒雄理事長(66)は「今回の事件では虐待リスクを高める3つの要素があった」と指摘し、「虐待に気付く目を養ってほしい」と訴えた。(宮野佳幸)
吉田理事長との主な一問一答は以下の通り。
羽月ちゃんのケースをどうみる
「虐待は一見して分からない場所に暴力を振るうことがあるので、顔に熱湯をかけたり、目にあざが出たりする点で特徴的なケースだ。また、虐待がエスカレートするのはまれなことではない」

なぜ防げなかったか
「今回は『若年出産』『乳幼児健診の未受診』『家族関係の変化』という虐待のリスクを高める3つの要素があった。狭山市は家庭訪問で『虐待のサインはなかった』と言っているが、未婚で未受診の母親を訪ねて、笑顔で元気なら大丈夫と安心するのではなく、新たに男が家庭に入るなど、状況が変わればリスクも変わることを認識して対応すべきだった」

警察通報もあった
「かなり難しいケースだったのかもしれない。虐待で要保護の子供は要保護児童対策地域協議会のリストに載るが、狭山市保健センターによると、羽月ちゃんは載っていなかった。本来なら載せるべきケースだが、載っても重要だったのに気付かないままスルーされることもある。1度大丈夫と判断されると、ゼロから見直すのは時間と労力がかかる。怠慢というより全国で同様のケースがいつ起きてもおかしくない」

どうすればよいか
「各機関が『虐待に気付く目』を養う必要がある。警察はきちんと発見して児童相談所に通告し、市は通告がなくても、若年出産で健診未受診ならハイリスクとして適切に対応すべきだ。虐待問題は連携がキーワードになる」

周囲の人にできることは
「子供は親の私有物ではなく、社会全体で育てる必要がある。周囲が親のつらさに共感して声をかけるなどして、子供と親の両方を支えることも大切だ。『お子さん、かわいいですね』と一言かけるだけで、親もホッとできるし地域の子育てにつながることもある。それによって気持ちの負担が軽くなれば、親は子育てへ向かう元気が出るだろう。それでも虐待がうかがわれる子供がいるときは、通報することが大事だ」

近年の虐待動向は
「平成26年度の児童相談所への通告件数は約8万8千件で、右肩上がりに増えている。児童虐待の認識が高まり、見逃されていたりためらっていたケースが通告されるようになったと言える。警察からの通告が増え、虐待があると虐待されていないきょうだいも通告対象になったのも一因だ」

刑法犯認知件数ってなに?

Yahoo!ニュース 2016年2月12日

刑法犯認知件数に基づく全国犯罪発生率マップが作成されています。「どのような地域で、どれくらいの犯罪が起こっているのか」というのは、非常にデリケートな問題ですので、このような数字を扱う場合には、押さえておきたい基本的な議論があります。
そもそも「犯罪数」というのは、警察が〈ある事実〉を〈犯罪〉として認めた結果です(そこには、えん罪のように〈事実〉がそもそも存在しない場合もあります)。「犯罪発生」という言葉が使われていますが、犯罪がどれくらい〈発生〉しているのかということは、誰にも分かりません。たとえば、山手線で1日にどれくらいのスリが発生しているのかということは誰にも分かりません。分かるのは、スリの被害届が1日にどれくらいあるのか、また、1日に何人のスリが逮捕されているのかという数字です。スピード違反の件数などもそうですね。
そして、警察がある事実を〈犯罪〉として認める場合、次の2つの場合があり、それに応じて犯罪統計の数字は異なる意味を帯びてくるということに注意を払うべきなのです。
1.110番通報や被害届けや告発を受理する場合のように、警察が受動的に〈犯罪〉を認知する場合(受動的認知)
2.児童ポルノや贈収賄、賭博や薬物事犯などのように、積極的に捜査を進めて行って〈犯罪〉を認知する場合(能動的認知)
とくに能動的認知の場合は、内偵を進め、現場に踏み込んで、犯罪の認知即逮捕というのが典型的なケースだと思います。その場合は、検挙率(認知件数に占める検挙件数の割合)は100%に近いものとなります。つまり、その場合、犯罪統計の数字というものは、そのまま警察の活動記録そのものとなります。
犯罪統計を読む場合には、とくにこの点を注意して読むべきです。
たとえば、今、長野県で青少年健全育成条例の制定が議論になっています。

全国で唯一、18歳未満の子供との性行為を処罰する条例を持たない長野県は12日、条例の骨子案を公表した。県民との意見交換を踏まえ、罰則を設けたほか、教員の研修実施や地域への専門家派遣などで性教育の充実を図ることも盛り込んだ。骨子案は17日から始まる2月県議会で示し議論を進める考え。
骨子案は、18歳未満の子供に対し、脅かしたりだましたりして性行為やわいせつな行為をした場合、2年以下の懲役または100万円以下の罰金を科す。保護者の同意など正当な理由なく深夜に子供を連れ出した場合に30万円以下の罰金を科すとしている。
出典:産経ニュース 2016.2.12 20:39
ここでの論点の一つに、そもそも「脅かしたりだましたりして行う性行為やわいせつ行為」(淫[いん]行)を処罰することが必要な被害事実(立法事実)があるのかという議論があります。

県や県警は、これについて最近、長野県内における児童福祉犯の検挙件数が伸びてきているという統計資料を提出しているそうですが、この児童福祉犯(児童福祉法違反や児童買春処罰法違反など)は警察が積極的に摘発に乗り出して認知されていく典型的な能動的認知による犯罪類型です。
つまり、長野県で児童福祉犯の数が〈増加している〉というのは、この種の事案の摘発に長野県警が積極的に乗り出しているという、その警察の力の入れ具合が出てきているのです。実態として、この種の事案が増えているとは単純には言えません。
端的に言えば、犯罪統計とは、警察が、誰の、どんな行為を、〈犯罪〉として認めているのかという、警察の活動記録としてとらえるべきです。「刑法犯認知件数に基づく全国犯罪発生率マップ」も、基本的にこのような数字を可視化したものとして読むべきだと思います。(了)

人は六歳までで決まる? 「戦後」は1990年代に終わらせるべきだった

cakes 2016年2月12日

100歳以上の高齢者数、6万人。2050年には68万人に達するとも。急速に進む超高齢化社会に不安や違和感を持つ人も増えています。作家・五木氏はそんな違和感を「嫌老感」と表現。『嫌老社会を超えて』を上梓しました。最終章では若手代表として社会学者・古市氏と対談。世代間の軋轢は階級闘争に発展?共存できる道は?題して「戦後70年、老人と若者はわかりあえるのか?」 52歳差の論客が語り合う衝撃の社会論!

「戦後」は、一九九〇年代に終わらせるべきだった
古市憲寿(以下、古市) 雑誌『論座』の二〇〇七年一月号に、フリーライターの赤木智弘さんが、『「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。』というエッセイを掲載して、とても話題になったことがあります。当時彼は、コンビニでアルバイトをしていたのですが、これ以上待遇改善の可能性はない、人生に希望もないと思ってしまう。そこに希望があるとすれば、現在の地位の流動化が起こる戦争しかない――という主張でした。しかし、今の五木さんのお話をうかがっていると、仮に戦争が起こったとしても、「情報格差」が埋められない以上、それは社会の「リセット」なんかにはならない、ということですね。
五木寛之(以下、五木) そう思います。
古市 村上龍さんの『オールド・テロリスト』を読んだ時も同じ感想を持ちました。日本中が焼け野原になった時、確かに見える景色はリセットされるかもしれない。しかし、作中の高齢者が目指したように「歴史を変える」ことは難しいでしょう。戦争をしても「時代のリセット」にならない、というのは、さきほど五木さんがおっしゃった、「すべてを戦前・戦後で分けるのはおかしい」「戦後七〇年という捉え方に、違和感を覚える」という主張に通じるように思います。長年をかけて構築されてきた社会や文化は、戦争が一度起きたくらいでは変わらない。同時に、戦争がなくても、リセットすべきものはしなくてはならない。僕は、「戦後」は、一九九〇年代には終わらせておくべきものだった、と思います。
五木 ああ、なるほど。
古市 戦前から準備された社会保障制度や雇用環境は、一九九〇年代に大胆なリセットを行う必要があったというのが僕の考えです。なぜ九〇年代かといえば、少子高齢化が本格化し、日本が「ものづくりの国」でいられる時代が終わったからです。豊富な若い労働力があり、人件費の安いアジア諸国に世界の工場は移っていった。さらにバブル崩壊で経済成長は止まり、建設業や製造業ではなく、サービス業が主役の時代になりました。九〇年には、前年の合計特殊出生率が戦後最低の一・五七と発表され、「一・五七ショック」と騒がれました。あの時、騒ぐだけではなくて、昭和型の社会を一度「リセット」し、抜本的な対策に打って出ていたら、どうだったでしょう? そうすれば〇〇年代には団塊ジュニア世代が「第三次ベビーブーム」を起こし、日本の少子高齢化に歯止めがかかっていたかも知れない。ところが、日本は「戦後」をきちんと終わらせることができず、無理やり永続させる道を選んだ。九〇年代の経済不況に公共事業を増やすことで対応しようとしました。今も、東京オリンピックさえ開催すれば、日本経済が復活すると信じている人がいます。だけど本当に必要なのは、少子化対策など未来を見据えた社会変革です。高齢者の方は少子化を他人事と思うかもしれませんが、若者が減れば年金はもらえなくなるかもしれないし、景気も悪くなる。だから保育園を義務教育にして乳幼児教育を充実させようというのが僕の主張です。

人は六歳までで決まる
五木 今の少子化の話にしても、そもそも日本は国土が狭いし人口密度も高過ぎた、だから人口減は悪いことではないんだ、という人もいます。でも、僕には、そうは思えません。やっぱり、ある程度人口が維持されないと、社会の活気というものもないわけですから。
古市 すべての年代で人口が均等に減少していくのなら、まだいいかもしれません。ところが、今日本に起こっているのは、極端な少子化です。これでは、おっしゃるように、活力ある社会は望めないでしょう。
五木 保育園を義務教育にして親の負担を減らす、という古市さんの主張は、とてもラジカルな少子化対策で、おもしろいな、と感じるところがあった。
古市 保育園を義務教育化しようとすると、待機児童の問題だけではなくて、保育士さんが強いられている劣悪な待遇や、育児中の女性が抱える課題など、子育てをめぐるいろんな障害が、浮き彫りになってきます。結婚や出産に躊躇している人が多い現実に風穴を開けることができると思うのです。もちろん子どもを産みたくない人に、無理やり子どもを産ませる必要はない。ただ、国立社会保障・人口問題研究所の調べによれば今でも独身者の九割は結婚を望んでいて、理想の子ども数は二人から三人。少子化や未婚化が進むのは若者の意識の問題というよりも、社会制度の問題なんです。なおかつ、経済学では常識になりつつあるのですが、乳幼児期の教育が、本当に大事であることがわかってきています。「非認知能力」というのですが、たとえば努力ができたり、自制心を持ったり、困難な問題に意欲を持てたり、そういう「人間力」は、六歳くらいまででほぼ勝負がついてしまうらしいのです。学力は後から伸ばせても、「非認知能力」を大人になってから伸ばすのは非常に難しい。さきほどの「戦争世代は真面目で我慢強い」というのも、たぶんそれです。
五木 あの「義務教育」が幸せだったかどうかは、別だけど(笑)。
古市 子どもの教育というと、日本では高校や大学にお金をかける家庭が多いですよね。しかし教育経済学的に考えれば、教育費は乳幼児期にかけたほうが効率的なんです。個人にとってもいいし、社会にとってもいい。アメリカの実験では、良質な乳幼児教育を受けた子どもは、大人になったとき犯罪者になる可能性が低く、一方で高い収入を得る傾向にあることがわかっています。最近、日本でも子どもの貧困が問題になっていますよね。貧しい家庭に教育を任せておくことは、ある意味でリスクです。格差が問題になる時代だからこそ、保育園を義務教育にして、国が乳幼児期に良質な教育を誰にでも提供できるようにする。そうすれば、犯罪も減り、社会全体の「レベル」が上がるんです。

「ニートの日」は一体何をする日?

R25 2016年2月13日

2月10日、「2(に)」と「10(と)」をもじって「ニートの日」と称する動きがネットで自然発生。ところで「ニートの日」とは何をする日なのか?
もはや説明の必要はないかもしれないが、「ニート=NEET」とは「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取ったもので、「就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない若者」のこと。厚生労働省の「若者雇用関連データ」によれば、ニートの数は2002年以降60万人前後で推移しているという。
希望して長期間なるべきステータスではないため、正直、めでたい日とは言いがたいニートの日だが、2月10日に日付が変わるや否や、ツイッターには、
「ニートの日らしいですね」
「そっか!今日はニートの日か。。。」
「今日ニートの日(2月10日)だってよ笑」
と、ニートの日に触れたツイートが殺到。人気アニメ『おそ松さん』が、主人公6人が全員ニートという設定のため、
「今日ニートの日か おそ松さんやな」
「今日はニートの日!!=おそ松たちの日!!」
「今日はニートの日だよ おそ松さん喜べぇ」
「今日はニートの日だったか…(笑) おそ松さんを思い出してしまうのは俺だけか」
など、同作を思い浮かべた人も多かったようだ。
「父の日」「母の日」「こどもの日」「敬老の日」などであれば、誰を祝うか、何をするかはすぐに分かるが、ニートの日は何をすればいいのか? そこでツイッターを見ると、

「今日ニートの日だから国民の休日にしようぜ」
「今日ニートの日らしいし今日も学校休むか」
「ニートの日だし今日休んじゃだめかな…?」
「今日はみんな休みましょう。そうしましょう。だってニートの日ですしw」
「今日はニートの日だったので 一日中ゲームしてた」
など、どうやら遊ぶため、だらけるための口実として使われたようだ。また、2月10日を「ふとんの日」(※日本寝具寝装品協会は10月10日を「ふとんの日」としている)と解釈した人もいるようで、
「ニートの日であり 布団の日でもあると言う事は、一日中寝ていてもいいよね?」
「ニートの日とふとんの日らしいから一日中おふとんで過ごす」
「今日ってニートの日で布団の日とか一日中寝てろって言われてるようなもんだろww」
と、本格的にゴロゴロと一日を送った人も少なくなかったよう。誰が決めたわけでもない「ニートの日」だが、こうした動きは来年以降も続きそうだ。
(金子則男)