震災孤児、遺児1782人に=26都道府県と海外に居住―自立は18人・厚労省調査

時事通信 2016年3月6日

東日本大震災で両親を失った孤児(震災当時18歳未満)は244人、親が1人になった遺児(同)は1538人で、計1782人に上ることが厚生労働省の調査で分かった。
2015年9月時点でまとめた。避難生活を続ける中で体調が悪化するなどして親が死亡した震災関連死のケースを含んでおり、震災翌年の12年9月時点に比べ、孤児が3人、遺児が56人増えている。
孤児244人のうち214人は親族と同居しているが、児童養護施設に入所している児童が岩手、宮城の両県で計5人いる。孤児の養育者は12年調査と比べ、祖父母が養育している子が3人増え91人になった。一方、おじ、おばが養育する子は16人減り72人になった。厚労省の担当者は「自立が12年時点より10人増えて18人になっており、震災から年月がたって独り立ちする子が増えている」と話している。
15年の調査によると、孤児、遺児の年齢は3~6歳が122人▽7~12歳が401人▽13~15歳が309人▽16~17歳が263人▽18歳以上が687人で、義務教育に当たる15歳以下の子どもがまだ832人いる。孤児、遺児は宮城(974人)、岩手(501人)、福島(136人)を中心に、東京(32人)、神奈川(25人)など26都道府県と海外(2人)に居住している。

虐待死 防止へあらゆる手立てを

産経ニュース 2016年3月5日

幼い命を救う手立てを一刻も早く講じなければいけない。
広島県呉市で生後8カ月の男児が衰弱死した。体重は平均の半分の約4キロしかなく、背中に床ずれのような痕があった。両親が保護責任者遺棄の容疑で逮捕された。
満足な食事を与えていなかったのだろう。風呂に入れず、おむつも替えていなかった。とても親とは呼べない。
今年に入って目を覆いたくなる悲惨な児童虐待が相次いでいる。育児放棄も児童虐待である。
埼玉県狭山市では、3歳の女児が、母親と同居の男に熱湯をかけられてやけどを負い、遺体で発見された。
東京都大田区では、交際相手の3歳の長男に、大柄な暴力団員が1時間半も殴る、蹴る、投げ飛ばすの暴行を加えて死なせた。
大阪府枚方市では、母親と内縁の夫がパチンコに行くため、6歳の男児を裸にして浴室に閉じ込めていた。幸い無事だったが、低体温症に陥る恐れもあった。
いずれも未熟で身勝手な親にあきれるが、これは氷山の一角である。しかも虐待の兆候をキャッチして救える可能性はあった。
狭山市のケースでは女児が定期的な乳幼児健診を受けていないことから、市の職員が何度か自宅を訪問していた。大田区の母親は若いときの妊娠だったため、区は支援が必要な「特定妊婦」として気をつけていたという。
枚方市の母親は生活保護を受給しており、呉市の父親も「生活が苦しい」と市生活支援課に相談していた。もう一歩踏み込んで家庭と子供の状況を察知できていたらと悔やまれる。
厚生労働省によると、平成26年度に全国207カ所の児童相談所が対応した児童虐待の件数は約8万9千件に上り、前年度より20%増、調査開始から24年連続で過去最多を更新した。
児童相談所は人員不足から適切な頻度での家庭訪問ができず、さらに家庭への立ち入りや面会を拒否されるケースも多い。警察など関係機関で情報を共有し、場合によっては一時的に子供を親から引き離して保護する必要がある。
親への支援も欠かせない。核家族で祖父母が子育てに関わることが少なくなり、経験のない若い親は孤立して悩む。
幼い命は、社会全体で育まなければならない。

「モンスターマザー」は、ここまで恐ろしい

東洋経済オンライン 2016年3月5日

世の中に対する前提条件が崩れ去っていく
一晩で一気に読み終えたのだが、背中からは嫌な汗が流れていた。とても、他人事ではいられない。こんなことが起こりうるなら、普通に暮らしている人がある日突然、殺人犯に祭り上げられても、全然不思議ではないだろう。自分の中で想定していた、世の中に対する前提条件が、もろくも崩れ去っていくような印象すら受けた。

「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」は、2005年にバレー部に所属していた同校1年生の高山裕太君が自殺した事件である。当初、運動部内でのいじめを苦にしていたことが原因とされており、母親はむせび泣きながら学校の対応不備を訴え、その後、母親側の代理人が校長を殺人罪で告訴するまでに至った。
しかし実態は、まるで違ったのである。2008年に長野地裁が下した判決では自殺の要因がいじめであったと認定されず、逆にバレー部から母親側への「精神的苦痛」に対する提訴については全面的に認める判決が下された。
本書『モンスターマザー』は高山裕太くんが自殺に至るまでのいきさつ、その後、事件が世間に知られていくまでのプロセス、さらに母親側と学校側との間で加害者と被害者の構図が入れ替わっていくまでの全貌を、徹底的な取材に基づいて描き出した一冊である。
自殺をする前に、裕太くんは何度か家出をしている。その原因を母親は、バレー部内での「しごき」や、裕太くんが患っていた軽度の障害に対する「からかい行為」に求めた。そして相手が降参するまで絶対に手を緩めないほどの激しい剣幕で、学校の担任、バレー部員、バレー部員の保護者、顧問らを次々に攻撃していく。自分を正当化するためには手段を選ばず、裕太くんを道具のようにコントロールし、事実でないことでも大げさに吹聴していく様は異様のひと言だ。
この母親の攻撃は、周囲を傷つけると同時に、裕太くんの友人関係における絆を断ち切っていったという意味でも、二重にダメージを与えたことだろう。我が子がますます学校に行きづらい状況を、母親自らが作り上げ、ある日ついに悲劇は起こったのだ。
この事件において、肉体的な暴力はほとんど存在しない。それゆえ、母親側と学校側との戦いの大半は情報戦によるものであったと言えるだろう。世の大前提として「親は子に無償の愛を注ぐもの」として、「教師は聖職に従事するもの」としての一般的な定説がある。だからこそ親が子供を虐待すればそれ自体がニュース性を持つし、教師が体罰を下せば大きな非難を集める。そういった観点から考えると、報道の文脈としての条件は、対等であったはずだ。

学校=加害者、母親=可哀想な被害者という図式
にもかからず、事件直後に世論が学校の責任を追求する方向へ一気に傾いた背景には何があったのか?  それは一方が相手を陥れようとする明確な意図を持っていたからということに他ならない。いとも簡単に、「事なかれ主義の学校体質」「悪しき体育会系の風習」といったフレームがはめ込まれ、学校=加害者、母親=可哀想な被害者という図式ができあがる。そこに「熱心な」県議会議員、「人権派」の弁護士、「著名な」ノンフィクションライターたちが加勢し、認識がより一層強固なものになっていった。
被害者の皮を被った加害者とは、ここまで厄介なものかとつくづく思う。巻き込まれたが最後、「自らが潔白であればスルーにかぎる」などとやり過ごしていては、元の状態に戻すことすら困難になってしまう。すぐさまファイティングポーズを取って、全力でやっていないことを証明しなくてはならない。それでも拭い去れぬダメージが残ってしまうのが、濡れ衣の怖さなのだ。
受けて立つ学校サイドには、数々のジレンマがあったものと推察する。生徒や保護者との信頼関係を前提に、性善説で成り立っているのが、学校という組織の宿命である。手荒い手段を行使せずに、教育的な観点から態度を変容させられなければ、負けに等しいという思いもあったことだろう。
だがバレー部員の名誉のことや、何よりも亡くなった裕太くんへの思いが、その種のイデオロギーを超越させる。学校関係者や保護者たちは一丸となって、立ち向かうことを決意するのだ。
一方で、学校側の闘いのプロセスからは、公人と私人との間におけるプライバシーの問題をめぐり、今後社会全体が考えていかなければならない課題も見えてくる。それは自らの潔白を証明するために、公が知り得た私の情報を公開することは、どこまで許されるのかという問題である。
この母子の問題は学校のみならず県教委や児童相談所なども、早い段階から把握していたという。だが公務員である彼らの前には、プライバシーの保護と守秘義務の壁が大きく立ちはだかり、追求の矢面に立たされても具体的な答弁ができず、袋叩きになっていたのである。

プライバシー保護の問題が不利を強いた
むろん、やみくもに許されるわけもないのだが、今回のような情報戦において、プライバシー保護の問題が一方に大きな不利を強いた側面は否定できない、また知り得た情報がグレーである場合には、逆にどこまで介入してよいのかという悩ましき問題も存在するだろう。
この事件については、TVや新聞でも数多く報道されてきた。だが、その時その時の途中経過をセンセーショナルに報じたものだけをつなぎあわせだけでは、真実とは180度違うものになってしまうケースだって存在するということは、記憶に留めておきたい。
一つの事件の全容を、きちんと世の中全体に示していくためには、時間も金も労力もかかる。しかも材料が揃った時には、世の中の注目度はすでに低くなっている可能性だって高い。それでも、おかしいと感じたことを、正しく世の中に知らしめていく行為は何ものにも代えがたい。ノンフィクションの面目躍如といったこの一冊が、一人でも多くの人に読まれることを切に願う。?

中学生に逮捕者 「失神ゲーム」はなぜ危険なのか?

THE PAGE 2016年3月5日

先月14日、新潟市に住む中学生2人が、同級生に対して体を強く圧迫して気を失わせる「失神ゲーム」をしたとして逮捕されました。
失神は、「脳で酸素が不足することなどにより、一時的に意識が失われ、体の姿勢が保てなくなること」を指します。その状態を意図的に作り出そうとするのが「失神ゲーム」です。小中学生を中心に、数十年ほど前から行われてきたとみられていますが、最近では動画共有サイトなどで実践法を解説する動画が拡散するようになり、安易にマネをする子どもが増えているのではないかと危惧されています。
「ゲーム」という語感から気軽に手を出してしまいそうになりますが、その実態は、生命を落としたり脳に重大な障害を残したりするリスクが十分にある非常に危険な行為です。
なぜ危険なのか、そして、どのように対策すればよいのでしょうか。

「失神ゲーム」は何をしている?
いまネット上などで拡散している「失神ゲーム」を見ると、そこで行われているのは「脳が働きを維持するために備えている様々な防御の仕組みを強制的に解除することで、脳の働きをストップさせる」ことのようです。(模倣行為を防ぐために、具体的な方法の紹介は控えます)
脳は、私たちの生命を維持する、高度かつ重要な働きをしています。しかしそれを担う神経細胞は非常に繊細で、酸素が常に供給されていなければすぐに弱ってしまいます。完全に酸素が途絶えれば、死んでしまうまでに数分しかかかりません。
そこで私たちの体には、酸素が足りなくなると体に息苦しさを感じさせたり、脳に通常より多くの血液を送ったりすることで脳を守ろうとする仕組み対応する仕組みが備わっています。
ところが失神ゲームでは、意識的な呼吸法をしたり、外部から強い圧迫を加えたりすることによってこれらの仕組みを解除し、脳に酸素が足りない状態を強制的に作り出します。そのため、失神してしまうのです。

「失神ゲーム」はなぜ危険?
(1)転倒
失神ゲームを行うリスクの代表的なものとして、失神により姿勢を保てなくなる(転倒する)ことがあります。通常、転倒する際には、私たちは反射的にダメージを最小限にとどめるような姿勢をとります。しかし、失神による転倒の場合はこれができません。そのため、衝撃によるダメージをまともにうけて骨折などのリスクが高まるほか、頭を強く打った場合には、何からの障害が残ってしまう可能性も考えられます。
(2)脳の神経細胞へのダメージ
前述したように、脳の神経細胞は酸素が完全に途絶えるとわずか数分で死んでしまいます。脳に酸素が届かない状態が長引くと、重い障害が残ったり、命を落としたりするリスクがあります。また、幸いにもすぐに意識が戻ったとしても、一時的に酸素が途絶えたことにより、神経細胞に何らかのダメージが残る可能性は否定できません。一見何も変化がないようでも、繰り返し「ゲーム」を行っているうちにダメージが蓄積し、脳に何らかの障害が起きてしまう危険があります。

海外では死亡例も
2008年、アメリカのCDC(疾病予防管理センター)は「失神ゲーム」に関するレポートを発表しました。過去の新聞記事などを調査した結果、アメリカでは1995年から2007年の間に、少なくとも82人の子ども(6歳から19歳)が失神ゲームによって死亡した可能性がある、としています。(詳細はグラフ)
学校で流行っていた失神ゲームを自宅の部屋などで行い、呼吸停止状態に陥った結果、誰にも発見されることのないまま亡くなってしまったケースなどが報告されています。

どう対策すればいい?
今回の新潟のケースでも分かる通り、他人に対して失神ゲームを強制したり、それに加担したりすると、傷害罪などに問われる可能性があります。2006年に埼玉県で中学生が逮捕された事件では、けがをした男子生徒が、ゲームに参加した子どもとその親に対し損害賠償を求める訴訟に発展したと報じられました。
しかし実際にゲームに参加する子どもは、このような法的なリスクや、脳へのダメージなどについて知らないまま行っているケースも多いと考えられます。いったい、どのように対処すればよいのでしょうか?
前述の調査を行ったアメリカCDCによると、失神ゲームによって命を失った子どもの両親のうち、9割以上が「ゲームの存在について知らなかった」ことがわかりました。
その結果を踏まえ、CDCは「両親や教育者、そして医療関係者は“失神ゲーム”について知識を持ち、そして子どもたちに下記のような“サイン”があった場合、それに気づけるようになるべきだ」としています。
*「失神ゲーム」(別の名前の場合も)について口にした
*目が血走っている
*首にあざなどがある
*頻繁に激しい頭痛を訴える
*一人で過ごした後に、方向感覚を失っていることがある
*ベルトやスカーフなどが、ベッドや家具に結びつけられている
上記のサインはアメリカの状況を反映しているため、すべて日本のケースに当てはまるとは言えないかもしれません。
しかし、少なくとも、子どもが失神ゲームについて口にしたり、そのような動画を見ているような痕跡があったりしたら、それに注意深くなるべきでしょう。そして、失神により脳に与えられるダメージや、それによる法的なリスクについて、適切な情報を共有できるように心がける、ということが欠かせないのかもしれません。

<教育>IQ126以上の子が集う学校はどんな環境か

毎日新聞  2016年3月6日

IQ(知能指数)126以上が入園条件の一つである米国カリフォルニア州のヌエバスクールでは、子供たちが抱く疑問・質問に対して教師が「答え」を教えません。日本で保育事業を手がける「ポピンズ」(東京都渋谷区)取締役の轟麻衣子さんが、幼稚園から中学まで一体となった「特別な子供が集う学校」をリポートします。

IQ126以上の子供が集う特別な学校
今回ご紹介する「ヌエバスクール」は、ある意味とても特別です。日本の幼稚園から中学校までに相当する4~14歳を対象としているのですが、入学の必須条件の一つに「IQ126以上」という条件があるのです。
米国では、幼いのころからIQテストを行うのが一般的で、行政なども高い指数の子供に積極的な教育支援をするという背景があります。IQ126以上というと、その割合は20~30人に1人。その中でも選抜された子供は、「gifted(ギフティッド、神から与えられた)」と呼ばれます。ただ、例えば、驚異的な暗記力を持つなど知能レベルが高い一方、コミュニケーションに難のあるアスペルガー症候群(高機能自閉症)などの発達障害を持ち合わせている割合も、高いのです。そうした子供もみな、神から与えられた存在という意味が「gifted」には込められています。
ヌエバスクールでは、秀でた能力や障害を子供それぞれの個性と捉えて、秀でた部分はさらに伸ばし、苦手な部分は克服していくことを目指しています。そのため、音楽や科学・数学、対人関係など七つの分野の専門家を置いて、授業を行っています。また例えば、音に敏感な子供には読書をしたり、集中したりする際に、周囲の音を遮断するヘッドホンの着用を認めていて、子供の個性に応じた最適な教育環境を用意しています。

子供たち自身が役割を決めた当番表
教室内の様子を見てみましょう。5歳児の20人ほどのクラスを視察させてもらいました。まず目にとまったのは、子供たちがその日1日、何の係を担当するかを示す当番表でした。表には、シンガー、DJ、フォトグラファーなど役割を示した札が並んでいます。その横には、担当する子供の名札も掲示されていますが、1人1役というわけではなく、一つの役割に2人というケースもありました。
なんともユニークな当番表ですが、これは年度初めに子供たちが、クラスに必要な当番(役割)を話し合って決めて、持ち回りで担当しているのです。シンガーなら率先して歌い周囲を盛り上げる係、DJは歌う曲を決める役でしょう。自分たちで決めたからこそ、一生懸命にその役を果たそうとします。
また、名札は意外なところでも使われていました。制作中の工作物の上に名札が置かれているのです。休憩や帰宅により工作物の制作を中断するときに片付けることなく、あとで中断した状態から再開するための工夫です。子供が時間を気にすることなく思いのままに制作に没頭できます。大人が決めた時間割や習慣に縛られることなく、子供の探求心を生かし、思いを尊重するアイデアといえます。

失敗を指摘する言葉「それは美しい間違いだ」
先生は子供たちとどのように接しているのでしょうか。ある先生に話を聞くと、「先生として達成感を得るのは、子供たちが私に疑問や質問の答えを“聞かなくなった時”」だと言います。日本では、一般的に保育士でも小中学校の先生でも、子供に必要な知識を教えるのが、その役割だと考えられているでしょう。
これは主体性を育む工夫なのです。疑問や問題を抱えた子供に対して、先生は、「友達に聞く」「前に自分がどうやったかを思い出す」「周囲に目を向ける」の三つのことを繰り返し促すそうです。こうして子供たちは、自分とその周囲の友達や物事から答えや解決策を見つけるようになるのです。
そして、問題を解決したり、何か達成したりした時には褒めるのですが、決して大げさではありません。結果ではなく、そのプロセスを評価するのだそうです。
また、何かに失敗した際には、「それは美しい間違いだよ」と諭すそうです。次の進歩につながる機会であることを強調するのです。こうした保育の背景には、「個々の現状や可能性をたたえよう」という意識があります。

徹底的に長所と個性を伸ばす
さらに、ある教室に掲示されていたのですが、ヌエバスクールの先生は、子供は「探偵」であると考えています。子供は、興味あるものや課題を自ら見つけ出し、観察や分析を重ねて、積極的にどんどん探究していくのです。この一連の流れが学びを深めていく過程だという考えもこの学校の根底にあります。
こうして子供たちは、自分たちでやるべきことを決めながら、それを実現するために自らと周囲の力を生かしてさまざまなことにトライしていくのです。その過程で、長所を伸ばし、仲間とのつながりを深めているのだと思いました。
ヌエバスクールには、特殊な子供たちが集まっていて、彼らに合わせた教育が実践されています。子供は小さいながらも独自の経験を積み重ねた個性を持つ存在です。一方的に大人が教えるのではなく、子供の能力、興味・関心を引き出し、伸ばすのが、これからの教育の一つの方針になるのだろうと私は感じています。

電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター

時事通信 2016年3月5日

4月の電力小売りの全面自由化に絡んだ消費者の苦情や相談件数が急増していることが4日、明らかになった。
国民生活センターに寄せられた悪質な訪問販売などに関する通報は、年明けから3月3日までで325件に上った。2015年4月からの累計は435件で、大手電力や新規参入事業者が料金プランを発表し、販売キャンペーンを始めた年明け以降に増加している。
国民生活センターによると、主な相談事例は「電力会社を名乗る人物からの紹介で業者の話を聞いたら、給湯器の勧誘だった」「自由化で電気料金が上がると説明され、高額な太陽光発電システムの購入契約をしてしまった」など。
最近は「携帯電話の修理の書面と思って署名したら、電気契約を結ばされていた」といった事例も増えているという。同センターが2月12日に発表した年明けからの苦情・相談件数は98件(2月9日時点)だった。2月中旬以降、政府が自由化に絡んだ詐欺行為などへの注意喚起を本格化させていることも、通報が増えた一因になっているとみられる。
経済産業省の電力取引監視等委員会は2月、国民生活センターとの間で消費者トラブルを防ぐための連携協定を締結した。相談内容を共有し、事業者への監視体制を強化していく方針だ。