子育てや教育への支援を抜本的に拡充すると総理

エコノミックニュース 2016年3月30日

安倍晋三総理は29日の記者会見で「若者たちにチャンスあふれる社会を創る。多子世帯への支援、子育てや教育への支援を抜本的に拡充する」考えを強調した。
この中で、安倍総理は「家庭の経済事情に関係なく、希望すれば誰もが大学にも専修学校にも進学できるようにしなければならない」とし「本年から児童養護施設や里親の下で育った子どもたちが進学した場合、毎月、家賃相当額に加え、5万円の生活費を支給し、卒業後、5年間仕事を続ければ、返還を免除する新しい制度を始めた」と紹介。
安倍総理は「本当に厳しい状況にある子どもたちには、返還が要らなくなる給付型の支援によってしっかりと手を差し伸べていく」と語った。
また「可能な限り速やかに、必要とする全ての子どもたちが利子の無い奨学金を受けられるようにしていく」とし「返済額についても、社会に出た後の所得に応じて変化させることで、過度な負担とならないように配慮する」方針を示した。(編集担当:森高龍二)

「本当に死んで」「産まなきゃよかった」母親に包丁突き付けられ…虐待乗り越え大学院へ

西日本新聞 3月31日

「サンタさんどーれだ。かくれんぼしてるよ」
杏(25)=仮名=が絵本を持ってきた男児を膝に乗せ、抱きしめながら読み聞かせる。

杏が働くのは、福岡県内の乳児院。経済的事情や育児放棄、虐待。さまざまな理由で児童相談所に保護された2歳未満の幼児約20人が暮らす。
生まれた病院から直接入所した子もいる。毎日面会に来る親もいれば、全く来ない親もいる。
自分の不遇を知らず、甘えてくる乳児たち。杏は、かわいい盛りの笑顔を見ながら、言い聞かせる。
「今度は私が子どもを支援する番だ」

苦しい境遇でも県立進学校に合格
中学生の杏と2人の弟は、電気と水道が止まったアパートでじっと耐えた。トイレの水も流せず、お風呂にも入れない。そんな夜がたびたびあった。
シングルマザーの母親は、見も知らぬ「彼氏」と旅行に出掛けたまま。生活保護を受給していたが、大半は母親が遊びに使い、納豆1パックをきょうだいで分け合うことも珍しくない。
家事も、弟の世話も杏が担った。苦しい境遇でも杏は懸命に勉強し、福岡県内の県立進学校に合格した。
「お金を勝手に使わんで」。杏が母親を諭すと、逆に「高校やめて働け」「あんたなんて産まなきゃよかった」と怒鳴られ、掃除機のパイプで殴られた。
高2の夏、コンビニのアルバイト代を奪われた。「私が稼いだお金やけん」と奪い返そうとすると、母親は泣きそうな声で「本当に死んで」と言い、包丁を突き付けた。杏は家出した。
友人宅、児童相談所を経てたどりついたのが、里親の豊田幸子(60)=仮名=夫妻だった。

「専門的な知識を身に付けたい」
自己肯定感がなかなかもてず、「死にたい。誰かが私を刺してくれればいいのに」と、ずっと思っていた。そんな杏を、幸子は正面から受け止めた。「自分が嫌い」「じゃあ、好きになるために何かしたの」。そんな会話を夜が明けるまで続けたこともある。
自分の好きなところ、嫌いなところ。杏は紙に書いて自分を見つめ直した。幸子が見つけてきた民間企業の奨学金を得て、西日本地区の私立大学に入学できた。時間をかけて、自分の将来を前向きに考えられるようになった。
そのころ、母親も虐待を受けて育ったことを、祖母から告白された。
大学を卒業し、乳児院に就職。愛情に飢え、不安定な子どもが多いことを知った。「乳児院は子どもたちにとってのお家」だが、職員はシフト制のため、親のように1人が同じ子どもに接するわけではない。施設の限界も痛感した。
杏はこの4月、3年間働いた乳児院を離れ、臨床心理学を学ぶため、国立大学の大学院に研究生として入る。研究テーマは、私大の卒業論文と同じ「虐待の世代間連鎖を断ち切るために」。
「私には支援する側、される側の両方の気持ちが分かる。どうすれば厳しい環境にいる子どもたちを幸せにできるのか。専門的な知識を身に付けたい」。そう決意し、次の一歩を踏み出す。

「給食だけ」13歳、26キロ飢餓寸前 母親に手首切られ…里親と出会い「居場所」

西日本新聞 2016年3月30日

この春、高校を卒業した愛(18)=仮名=が福岡県内の里親の家に来たのは中学1年の夏。身長128センチ、体重26キロ。小学校低学年ほどの大きさしかなかった。
この春、里親の元を離れる愛さん。「小学生のころは、ずっとおなかがすいていた」と語る
持参した服はいずれも6~7歳児のサイズで、多くに血痕が付いていた。
「骨が浮き出るほど痩せているのに、おなかだけぷくっとふくれていた」と、里親の山本直子(58)=同=は振り返る。
愛を診察した大学病院の医師は紙に0~10の数字を書き、「0が死、1がアフリカの飢餓状態の子ども。彼女は1に限りなく近い2だ」と説明し、深いため息をついた。「本当によく生きていましたね」

ホームで食卓を囲む愛さん。「ここにもっと早く来たかった。山本夫妻にはどれだけ感謝しても、感謝しきれない思いです」
「給食だけで生き延びた」
愛は九州北部で生まれ育った。幼いころから母と、母の交際相手の男、兄2人の5人でアパート暮らし。
男はいつも子どもたちに暴力を振るい、一番の標的が愛だった。気にくわないことがあると馬乗りになって殴られ、木刀や椅子でたたかれた。
この後遺症で愛は今も、怒鳴り声や大きな物音を聞くと過呼吸を起こすことがある。
家で満足にご飯を食べた記憶はなく「給食だけで生き延びた」。空腹を満たすため万引を繰り返し、小学生のころから警察に何度も補導された。
愛の左手首に3センチほどの傷がある。母に裁ちばさみで切られたときの傷だ。
2010年6月。きっかけはたわいもない口論だった。突然、興奮した母ははさみで愛の髪を切り刻んだ後、左手首を切った。さらに頸(けい)動脈にはさみを当て、「あんた、ここ切ったら死ぬんばい」とすごんだ。
下の兄が母からはさみを取り上げ、「逃げろ」と怒鳴った。愛は夢中で外に飛び出し、血だらけで夜の住宅街をさまよい歩いた。
コンビニの明かりが見えたので飛び込み、店員に助けを求めた。何時間も逃げたつもりだったが、家から歩いて数分の距離だった。
愛は児童相談所に保護され、山本夫妻の元に。母は愛への殺人未遂容疑で逮捕された、と聞いた。
「あのとき兄が助けてくれなければ、私は死んでいた」。今もうっすらと残る左手首の傷痕を見つめ、愛はつぶやく。

里親と出会い「居場所」
今月中旬の夕暮れ。ダイニングルームの大きな食卓でニラの卵とじや肉野菜炒め、みそ汁、白いご飯が湯気を立てる。
「おかん、明日は朝から出かけるけん」「お母さん、僕この野菜いらん」。小学4年の男児から高校を今春卒業した愛(18)=仮名=まで、中高生を中心に男女8人の子どもと里親である山本直子夫妻=仮名=とのおしゃべりが飛び交う。
5年半前、母に手首を切られ児童相談所に保護された愛は、夫妻が福岡県内で運営する「ファミリーホーム」で暮らしてきた。
来た当初、愛の異常な食欲に直子は驚かされた。体は小さいが、毎食ご飯をどんぶりで3杯、おかずも2人前を平らげた。「食べる物がない生活をしてきたから、あるときに食べようという強迫観念があったようだ」と振り返る。
食事中、愛は常に周囲をうかがうような目をした。幼い頃、母の交際相手から「食べるのが遅い」と木刀でたたかれたり、ビールが入ったコップを投げつけられたりしてきたからだ。「何時間かかってもいいけん、安心して食べり」。直子は愛の背中をさすった。
主治医から「やっと飢餓状態を脱した」と告げられたのは高校に入学したころ。ただ、「親元に帰せば、すぐ逆戻りする」とくぎを刺された。5年半で、愛の身長は18センチ伸び、体重も20キロほど増えた。

私には戻れる場所がある
母は逮捕後、執行猶予付きの有罪判決を受けた。愛との接見を禁止されていたが、クリスマスや誕生日には手紙や贈り物を届けた。高2の秋、母から電話がかかってきた。
「保護観察が終わったけ、一緒に住もう。帰ってきて」
ホームに来てからも、愛は直子たちに母のことを決して悪く言わなかった。
お母さんは変わったのかも。もうひどいことはしないはず…。違う。交際相手の男が自分を働かせようと思ってるんじゃないか。ここを出てしまえば、もう戻れないんじゃないか…。
母を信じたい気持ちと不安で心が揺れた。決心させたのは直子の一言だった。
「お母さんのところに帰ってもいいんよ。それで無理やったら、戻っといで」。私には戻れる場所がある、ここにいる大人は信用できる。ここが自分の居場所だ-。そう、初めて感じる自分がいた。
結局、母の元へは戻らなかった。直子によると、この頃から愛の状態は目に見えて落ち着いたという。
今月初旬、高校の卒業式から帰宅した愛は、直子たちに深々と頭を下げた。「ここに来て初めて家庭というものを実感できた。山本のお父さんもお母さんも、私たちのことを一番に考えてくれた。ありがとう」

私は私の道を行く
愛は4月から食品メーカーに就職する。児童福祉法に基づく保護措置が解除され、ホームを巣立って1人暮らしを始める。
愛は、子どもは欲しくないと思っていた。「(母と)同じように虐待しそう」と不安だったから。でも、今は違う。「普通の家庭を築きたい。子どもが帰ってきたら『お帰り』と言ってあげたい」
この冬、母から再び帰宅を促す電話があった。「私を見捨てないで」。愛が「交際相手と別れるなら考える」と言うと、母は言葉を濁した。愛はきっぱりと言った。
「お母さんは自分の道を歩んで。私は私の道を行くけ」
初任給で山本夫妻にプレゼントを買う-。愛はそう決めている。
冬を越えて芽吹く春。貧困や虐待の連鎖を断とうとする若者たちの姿を追った。

少年の犯罪率が成人の犯罪率より高い理由

日経DUAL 2016年3月31日

日本の少年の犯罪率は高くないけれど
こんにちは。武蔵野大学講師の舞田敏彦です。
今回は、少年犯罪のお話です。「今の少年はおかしいとかいう、ウザい説教かな」と思われるかもしれませんが、そういう内容ではありません。少年犯罪は減ってきています。数字の上では、今の少年はずいぶんおとなしいものです。
第29回では時代比較をしましたが、今回は他国との比較、国際比較をしてみようと思います。結論を言うと、日本の少年の犯罪率は高くありません。しかし、社会を共に構成する成人(大人)のデータと併せて観察すると、「あれ?」という傾向が見えてきます。われわれ大人が子どもに対し、いかにゆがんだまなざしを向けているか。どれほど彼らをいじめているか。このことの反省を迫る事実です。
「少年犯罪の統計と何の関係があるのよ」という感じですが、本文を読んでいただければ分かるかと思います。では、話を展開していくことといたしましょう。

少年の犯罪率が成人より高いのは日米独仏瑞露6カ国中、日本だけ
国連薬物犯罪事務所(UNODC)のサイトにて、世界各国の少年と成人の犯罪率が公表されています。法に触れること(犯罪)をして、御用となった人間の数です。少年は18歳未満人口10万人当たり、成人は18歳以上人口10万人当たりの人数で示されています。
最新の2013年の数値を見ると、日本の犯罪者出現率(以下、犯罪率)は、少年はベース10万人当たり279.6人、成人は192.6人です。少年が成人よりも高くなっています。やんちゃな子どもがワルをし、守るべき地位や財産がある大人はそういうことは控える、ということでしょうか。
これは日本のデータですが、他国はどうでしょう。表1は、主要国の少年と成人の犯罪率です。韓国とイギリスは、データが非公開となっています。
少年の犯罪率を見ると、日本はロシアに次いで低くなっています。米国はスゴく多いですね。ベース10万人当たり1445.1人。日本の5倍以上です。日本の少年の犯罪率は、国際的に見て低いようです。
しかし、日本が際立って高い数値が一つあります。少年の犯罪率が成人の何倍か、という倍率です(右端)。日本は1.45倍でダントツです。というか、少年の犯罪率が成人より高いのは、わが国だけではありませんか。

メディアで「少年が悪い、悪い」と言われる理由
はて、これは日本の特徴とみてよいのでしょうか。比較の対象をもっと広げてみましょう。横軸に少年の犯罪率、縦軸に「少年/成人」の倍率をとった座標上に、57の国を配置したグラフを作ってみました。図1をご覧ください。
日本は、左上の桁外れの位置にあります。少年の犯罪率は低いのですが、成人の犯罪率に対する倍率が際立って高い社会です。「少年>成人」の国、つまり縦軸の倍率が1.0を超えるのは日本とオーストラリアですが、1.45倍にもなるのは、紛れもなく日本だけです。わが国は、犯罪が少年に集中する度合いが非常に高い社会であるともいえます。
繰り返しますが、日本の少年の犯罪率は高くありません。にもかかわらず、メディアで「少年が悪い、悪い」と言われるのは、大人と比べた場合の犯罪率の高さが問題視されているためと思われます。大人は文字通り「大人」しいのに、少年がワルをしでかす、けしからん、という論法です。

子どもばかりを厳しく取り締まる社会
しかし、そういう見方をとらない論者がいます。私の恩師の松本良夫先生(東京学芸大学名誉教授)です。松本先生は、1999年に「わが国の犯罪事情の特異性」という論文を公表されています(『犯罪社会学研究』第24号)。そこでは、少年の犯罪率が高いことではなく、成人の犯罪率が異常に低いことに関心が向けられています。
少年と成人が同じ社会状況の下で暮らしているのに、両者の犯罪率が大きく異なるのはどういうことか。わが国では、子どもと大人が本当に社会生活を共有しているのか。子どもと大人の間に「断絶」ができているのではないか。大人が自分達のことは棚上げして、子どもばかりを厳しく取り締まっているから、少年犯罪の異常多、成人犯罪の異常少という、国際的に見て特異な構造ができているのではないか。松本先生の言葉を借りると、少年の「犯罪化」、成人の「非犯罪化」の進行です。
犯罪の原因は、逸脱主体(ワルをする当人)に関わるものだけに限られません。ワルを取り締まり、それに「犯罪」というラベルを貼る統制機関(警察、世論…)の姿勢も、犯罪の創出に寄与しています。私服警備員を多く配置するほど、万引き犯が多く捕まるというのが好例です。ちなみに少年犯罪の大半は、遊びやスリル目当ての万引きです。
この伝で言うと、大人の世界では、なれ合いや癒着などの形で不正が隠蔽されているのに対し、少年については、ささいなワルも厳しく取り締まられている。こういう事態が想起されます。「子どもがおかしい」「道徳教育の強化を!」という道徳起業家の声も、それを後押ししているでしょう。
わが国は、このような「病理的」な状態になっているのではないか、という懸念が持たれます。松本先生は別の論稿において、「わが国の社会病理は、少年犯罪『多』の病理というより、成人犯罪『少』国の病理といえる」と指摘されています(「少年犯罪ばかりがなぜ目立つ」『望星』2001年4月号)。なるほどと思います。

人口比の上で「子ども1:大人9」の社会になるとどうなるのか
戦後にかけてこういう事態が進行してきたことは、少年と成人の犯罪率の推移をたどってみると分かります。図2は、1950~2014年の長期推移のグラフです。ここでの少年の犯罪率は、14~19歳人口をベースに出しているので、先ほどの国際統計の数値より高くなっていることにご留意ください。
戦後初期のころは、少年と成人の犯罪率に大きな差はなかったのですが、1950年代の後半あたりから差が開いてきます。1998年には、少年の犯罪率は成人の10倍を超えました。最近は少年の犯罪率減少、成人の犯罪率微増により、差は縮まっています。しかしそれでも、少年と成人の乖離が国際的に見て格段に大きいことは、図1で見た通りです。
人口の年齢構成変化により、子どもが減り、大人が増えてきています。子ども1人に向けられる、大人の(ウザい)まなざしの量が増えているわけです。近未来の日本は、人口比の上で「子ども1:大人9」の社会になりますが、こうなったとき、どういう事態になるか。ヒマを持て余し、子どもの一挙手一投足をとがめるのを生きがいにするような大人(高齢者)が増えたら、それは大変です。
未来社会は、稀少な子どもが大事にされる社会でしょうが、反面、彼らにとって「生きづらい」社会になるかもしれません。

少年と成人の犯罪率の異常な乖離は大人社会の病理
冒頭の「大人が子どもに対し、いかにゆがんだまなざしを向けているか。どれほど彼らをいじめているか」という文言の意味を、お分かりいただけたかと思います。未熟な子どもを大人がとがめるのは常ですが、大人の側も自らを律しないといけません。日本ではそれができておらず、非難やとがめが(不当に)子どもに集中している。少年と成人の犯罪率の異常な乖離は、その表れととれます。今回の統計から読み取るべきは、子どもではなく、大人社会の病理であると思います。