児童養護施設、里親の相談窓口に 担い手不足に支援の手

中日新聞 2016年5月8日

虐待や育児放棄といったさまざまな事情で親と暮らせない「要保護児童」の養育の場として、親子関係をつくって育てる「里親制度」に注目が集まる。幼い子どもは特定の大人(=里親)と生活を共にすることが、人間形成に重要な役割を果たすとされる。一方で、里親の担い手は不足している。行政の支援態勢が十分でない中、一部の養護施設で独自に支援する動きが出てきた。
長野市松代町、千曲市、坂城町の仏教会が運営する児童養護施設「恵愛学園」(長野市)は昨年、里親の新規確保や制度のPR、家庭訪問や一時預かりなど里親支援をする相談センターを立ち上げた。
センター所長の松崎篤さん(58)は三十二年間、指導員としてさまざまな境遇の子と接してきた。「里親は社会奉仕だと思う人が多い。責任は伴うが、手当や養育費は支給される。子どもの幸せのため制度を周知させ、理解者を増やしたい」と語る。

県の家庭養護率 全国平均下回る
県こども家庭課によると、二〇一四年三月末現在、県内の要保護児童は六百三十五人。里親の下で生活したり、五~六人の児童が養育者の家庭で一緒に暮らすファミリーホームなど「家庭養護」の割合は10%と、全国平均(16%)を大きく下回る。県は、今後十年間で家庭養護を三割強に増やす目標を掲げている。
里親支援は、県内に五つある児童相談所が担当する。四月から支援に力を入れるため人員を増強したが、十分とはいえない。

虐待問題追われ、児相は手回らず
県里親会連合会の中島睦雄会長(69)=松本市=は「児相は児童虐待に追われ、里親ケアまで手が回っていない。里親支援のためベテラン会員が相談に乗っているが、すべて手弁当。会存続を諦めようと思ったこともある」と説明する。
田中康夫知事時代、里親会への県の補助金は打ち切られた。会の収入は会費のみで、県職員OBが身銭を切り維持してきたが、恵愛学園が六月以降に事務局を引き受ける決断をした。元中央児童相談所長で、学園の橋詰邦男園長(72)は「未来ある子どもを里親や行政、養護施設が三つどもえで支えている。センターや事務局設置を通じて手を差し伸べたい」と話す。
とはいえ、里親になるのは簡単なことではない。中島さんは希望者に子どもを短期で預かったり、養護施設のボランティアに参加することを勧める。「知識も大事ですが、悩んだり難しいと体験することが血となり肉となる。具体的に経験し、先輩から助言を受けることが大切」と語った。
センター所長の松崎さんも、「施設と違って里親は二十四時間、子どもと向き合う。悩んだり、苦しいときはSOSを発信してほしい。一時預かりや交流の場もある。息抜きしてもいい」と話す。
里親に関する相談は中央児童相談所=026(238)8010など、県内五カ所の児相で受け付けている。
(沢田佳孝)
<里親制度>
虐待や養育放棄などの理由で、親と暮らせない0~18歳の子どもを里親が家庭環境の下、養育する児童福祉法上の仕組み。養子縁組を前提とした「養子縁組里親」と縁組を前提としない「養育里親」、虐待や障害などの子どもを養育する「専門里親」などがある。県内では特に「養育」と「専門」が不足している。里親の登録は児相による調査や家庭訪問、研修などを経て知事が認定する。

血縁なくても幸せ親子 不妊治療10年、迎えた養子

朝日新聞デジタル 2016年5月4日

日曜の午前。遊び疲れて抱っこをせがむ2歳の息子を真ん中に、妻(47)、夫(46)と3人、川の字になってじゃれあった。「パパとママと3にん」。息子の口癖がでる。
「40代半ばで親になって、今が一番幸せ」。2年前に特別養子縁組で8カ月の息子を迎えた大阪府の夫婦は口をそろえた。
2人は妻が29歳の時に結婚。自然妊娠せず、34歳から月約20万~50万円かけて体外受精の治療を始めた。正社員の妻は、煮詰まらないよう、趣味の楽器演奏も続けながら取り組んだが、だんだんつらくなった。
排卵のための自己注射、激痛が伴う採卵。妊娠検査は陰性の連続で、病院のトイレや帰り道で泣いた。2人は子どものいる親戚や友人まで避けるようになった。妻は卵子提供や養子を迎えることも夫に相談したが、「覚悟ができない」と言われ、治療を続けた。
44歳。妻は、体外受精に使える卵ができなくなった。採卵は26回、費用は1千万円になっていた。
妻は明るくなった。「やれることはやった。私は十分幸せ。もう諦めよう」。夫婦は、旅など趣味を満喫するようになった。
「特別養子縁組で子どもを迎えないか」
半年後の正月休み、夫が打ち明けた。40歳を過ぎてから、考えてきた選択肢だった。夫は、妻が無理に明るく振る舞っているように見え、「僕に任せて」と説得。「今さら」と妻は怒ったが、4日間話し合い、「あなたがリードしてくれるなら」と同意した。
まず児童相談所を通して、里親の資格を取る研修を受けた。新聞で特別養子縁組を希望する子どもの記事をチェックするようになった。
夫婦は「血のつながりのない子をかわいいと思えるだろうか」と不安もあった。だが、乳児院で抱っこした赤ちゃんのあたたかさに、「血縁など気にしない」と強く感じ始めた。

「親に育てられなかった子ども」が児童養護施設を出るとき、立ちはだかる社会の壁

messy 2016年5月1日

保護者の経済的理由や虐待などによって家庭で育てられなくなった子どもたちが預けられる児童養護施設は、18歳で施設を退所しなくてはなりません。ただでさえ不安な新生活にもかかわらず、子どもたちは頼る人も、制度もないまま、自立を迫られるのです。児童福祉保護法改正の議論とともに、施設出身者の進学率の低さに注目が集まっていますが、本当の問題はどこにあるのでしょうか。児童養護施設から社会に巣立つ子どもたちの自立支援をしているNPO法人ブリッジフォースマイルの植村百合香さんにお話を伺いました。

——児童養護施設にいる子どもたちはどのような理由で入所しているのでしょうか。
植村:みなさんがイメージするような、親の死亡・行方不明で天涯孤独に……という子どもは1割もいません。一番多い理由は育児放棄(ネグレクト)を含む親からの虐待です。そのほかにも、貧困、親の疾患、拘禁といった理由から、親が養育できなかった子どもたちが児童養護施設に入ります。「社会的養護」が必要な子どもとされ、現在4万6000人が児童養護施設や里親のもとで暮らしています。

——親は存命だけれど、一緒に暮らせない子が多いのですね。孤児院のようなイメージがありました。
植村:1970年代までは、保護者の死亡・行方不明が4割近くをしめていました。40年前の古いイメージのままの人が多いのかもしれませんね。2000年に児童虐待防止法が施行され、社会で児童虐待について関心が集まり、児童相談所における児童虐待の相談件数が大幅に増加していることも背景にあります。
植村:実際に、8割ほどの子どもが、親と連絡を取っています。家族との縁が完全に切れているわけではないのです。正月やお盆休みに帰省し、一緒に過ごすこともあります。実際は施設と家を行ったり来たりしているのが現状です。
施設の平均在所期間は、平均して5.2年です。生活保護家庭だったけれど親の仕事が決まって落ち着いた、親の病気が治り退院できたなど、問題が解決したら基本的には家庭に戻ります。
児童養護施設にいる多くの子どもたちは、高校卒業とともに施設を退所します。ですから、それまで親元に戻れなかったということは、親の力に頼れないことを意味します。もちろん、18歳で家庭復帰する子もまれにいるのですが、ほとんどが一人暮らしを始めます。

——親の力に頼れないと、どのようなことが問題になるのでしょうか。
植村:いざというときに、頼る先がありません。一般的には、お金がないときに、少し家族から融通してもらったり、家賃が払えないほど困窮したときも実家に身を寄せることができるでしょう。もし、進学や就職で失敗しても、実家で1カ月くらい休めば、「また頑張ろう」と前向きになることもできるますよね。
でも、施設を出た子どもたちには、逃げる場所がないのです。病気になったり、仕事を失ったり、詐欺や脅迫などの犯罪に巻き込まれてしまうと、すぐに大変な事態に追い込まれてしまいます。
そのときに、かくまってくれたり、相談できる大人の存在があればいいのですが、彼らは大人とのネットワークをつくる力が弱い傾向にあります。というのも、6割の子に被虐待経験があり、大人をうまく頼ることが苦手なのです。
施設の職員さんは一生懸命育ててくれますが、自分だけの親ではない。自分の親だったら多少迷惑をかけられますが、施設に顔を出しても、職員さんがほかの子を相手に忙しく働いていることは分かっています。自分だけが職員さんに迷惑をかけるわけにはいかない。だから、一人で抱え込んでしまうのです。
若い彼らが困ったとき、大人との関係は重要です。同世代の友達は、数日家に泊めることはできても、根本的な解決ができるわけではありません。きちんと問題を解決できる力を持っている大人に対して、早めにSOSを出すことができればいいのですが、彼らはそれができないのです。

——「親を頼れない」とのことですが、18歳で施設を出てからの親との関係は、どのようになっていくのでしょうか。
植村:これは、非常に難しい問題ですね……。親の力に「頼れない」だけならまだいいのですが、親が子どもの人生を邪魔することもあります。
18歳で、進学や就職をして、本人は前向きに人生を歩もうとしているのに、ギャンブルに使うためのお金を子どもにたかりにくる親もいます。今までは、施設の中にいたので、周囲の大人がクッションになってくれました。でも、一人で生活すると、自分の親との複雑な関係に正面から向き合わざるをえなくなるのです。厳しい言い方ですが、はたからみると、18歳まで迎えにこなかったわけだから、その子と親がうまくいくことはあまりないでしょう。でも、「今度こそうまくいくのでは」と子どものほうにも期待がある。だから、親にたかられてお金を渡してしまう子もいますし、自分から会いに行く子もいます。でも、欲しい言葉なんてもらえないから、「やっぱり自分は愛されていないんだ。」とまた傷ついてしまう。
せっかく前向きに頑張ろうとしていた子だったのに、親との関係でメンタルがぐらつき、進学をあきらめてしまったケースもあります。育てることはしなかったにも関わらず、関係性は親子のままだと思い込んでいるのかもしれません。親の言う事を聞いて当たり前だと。だから、いつまでも干渉してくる。

——安倍政権では三世代同居を進めていくなど「伝統的家族」への回帰を目指そうとしている動きがあります。今のお話を伺っていると、その「家族」って本当に信用できるのだろうかと疑問に思います。
植村:政策そのものについての是非は分かりませんが、「伝統的家族」へ回帰することは、なんだか時代に逆行しているように見えます。性別や血縁を超えた新たな家族の形を望んでいる人に配慮されていない気がしますし、親子の関係を典型的な形に当てはめてしまうことにならないでしょうか。「子どもは親のもの」という思い込みも、そんなところから生まれそうです。
親、とくに母親が、子どもを愛して育てることが当たり前となっていますよね。この価値観は、親と子を苦しめていると思います。「愛されなかった自分が悪いんだ」と子どもは自分を責めてしまうし、「愛せない自分が悪いんだ。」と親も苦しめることになる。
児童虐待の背景にも、母親の育児ストレスがあります。誰かに相談なんてできっこありません。虐待行為の6割は実の母親によっておこなわれており、思い通りにいかない子育てに悩んでいるケースが多いんです。
親が子どもを育てられないこともあるし、家族は崩壊することがある。その事実から社会は目をそらしている。育てられないなら、社会で育てればいい。なにがなんでも親が育てなければならない価値観は、誰しも自分で自分の首をしめているように思います。「親は子どもを愛し育てる」という思い込みが、それを享受できない子どもを傷つけていると思います。

——児童福祉保護法の改正案が閣議決定され、注目されています。施設にいられる年齢が18歳から20歳に引き上げられるという話もありますが、どのように影響しそうでしょうか。
植村:もともと、延長措置は設けられており、最大で20歳までは施設にいられることになっていました。しかし、実際は施設に余裕がないため、「18歳の5月まで」「19才の8月まで」と子どもの状況をみて施設の裁量で対応していたのです。それが一律で20歳に引き上げられ、予算がついたのは歓迎できることだと思います。
しかし、問題点は、18歳であろうが20歳であろうが、施設を出てしまうと急に支援がなくなってしまうことです。みなさんも自分がそれくらいの年頃だったころを回想してもらえればわかると思うのですが、親や頼れる人が周りにいない状態で自立するのは簡単なことではありません。
施設にいる間は、企業がテーマパークのチケットをたびたびくれるなど、普通の家庭より恵まれている面もあるのかもしれません。今まで与えられてこなかった分、機会を与えるのは、いいことですよね。でも、その支援はいつか打ち切られ、厳しい社会に一人で投げ出されます。施設を出たらこの支援がなくなるのがわかっていても、目の前の子どもの養育に精いっぱいで職員さんは手を打てません。段階的な支援が求められていると思います。

——児童養護施設の子どもたちは、施設を出た後どのような進路を歩むのでしょうか。
植村:専門学校や大学への進学が2割で、8割が就職をします。一般の高校生の進学率は71.2%ですから、かなり低い進学率だといえます。
私たちのアンケートによると、施設の高校生は36.2%が進学を「希望」していますが、「予想進路」を聞くと27.9%に減ります。さらに、学年が上がるにつれて「希望」「予想」ともに、就職と答える生徒が増えていきます。進学できないと諦めているんです。
というのも、当然ながら進学するにはお金がかかります。親に頼れない施設の子どもたちは、授業料だけでなく、生活費もすべて自分で稼がなければいけません。「目標がないから、とりあえず進学しよう」なんてかなり贅沢です。しかも、社会経験が浅く、親のサポートが得られない状態で、一人暮らしをしながらの進学になってしまいます。かなり険しい道です。
そのこともあり、施設の職員さんも就職を勧めます。高卒での求人はいまだにあり、高い確率で就職することができます。親だったら「あなたの人生だから、好きにしなさい」と言えます。でも、これは自分が最終的に支えられるから言える言葉なんです。職員さんは、親のように愛情を注ぐことはできますが、最終的に面倒を見れるわけではありません。
実際、施設出身者の中退率は高い傾向にあります。たとえば、進学したのだけど、「家庭が欲しかった」と、妊娠して出産したため学校をやめる子もいます。貸付型の奨学金を借りることもありますが、もし中退してしまうと、その子の手には負債だけが残ってしまいます。進学することは現状ではかなりリスキーだと言えます。

——施設によって、進学状況に差はあるのでしょうか。
植村:かなり違いますね。社会福祉法人とはいえ、施設は小さな中小企業が点在しているようなものです。経営がうまいところも苦手なところもあります。本人が進学を望めばほぼ100パーセント進学させる施設がある一方、大学進学者を一度も出したことのない施設もあります。
施設によって、子どもに接する職員の数にも違いがあります。社会福祉法人は子どもの数によって行政からもらえる予算が決まっているので、人員を増やしたり、職員にとってよりよい職場環境にするには自分たちに予算がないと難しいのです。職員数の余裕は、もちろん子ども一人ひとりへのサポートの厚さにかかわってきます。給付型の奨学金を施設自ら提供するところもあれば、職員さんが毎日精いっぱいで退所後のことまでなかなか手が回らない施設もあります。
子どもたちは、どこの施設に入るのか自分で選んで決められません。それなのに、どの施設に入るかで将来の選択肢の幅が限定されてしまうのです。進学できるかどうかもそうです。本来ならば、どの施設に入っても同じような支援が受けられるようになればいいですよね。施設と施設の差をなくすことも私たちの課題だと思っています。

——ブリッジフォースマイルでは、進学したい子どもたちにどのような支援を届けているのでしょうか。
植村:大学などへの進学者を卒業までサポートするプログラム「カナエール」をおこなっています。高校3年生から進学中の若者を対象にしたもので、スピーチコンテストへの出場を条件に奨学金を給付しています。

——スピーチコンテストですか? それはなぜでしょう。
植村:私たちはロールモデルづくりがしたいからです。「施設にいるからどうせ努力しても無駄」と思ってしまう子もいるんです。進学も多くの子がどんどん諦めてしまいます。活躍されている施設出身の方もいますが、特殊なガッツがある人だったりして、思いのほかロールモデルにはなりません。「あなただからできたんですよね。」と、なりかねない。でも、一緒に悪さして怒られたり、寝食ともにした先輩たちが輝いているのをみると、「頑張れば、自分の生きたいように生きられるかもしれない」と思えますよね。そんな先輩を増やすため、一人でも多く進学、卒業してもらえたらと、資金面と意欲面から応援するためにちょっと変わった仕組みにしました。
それに、施設のことを見たこともなく、一般家庭で育った人たちに話しても「そんな子本当にいるの?」と思われてしまいます。だから、顔の見える会場で、本人たちの口から夢や進学の思いを話してもらいます。子どもたちも、まだまだ偏見や勘違いの多い中で、施設出身者であることをカミングアウトできないまま生活しています。自分たちがどういう存在なのか、自分の口から語ることがほとんどなかったのです。
お涙ちょうだいの会にしたい訳ではないので、大変だった自分の過去を語る子もいれば、淡々としゃべる子もいていい。「かわいそうな子」と言ったほうが支援は集まるかもしれません。でも、支援を集めるために、施設の子を「かわいそうな子」にしていいのか。このあたり、子どもと社会の間に立つ役割としてはいつも悩ましいです。
子どもたちは生まれ育った環境は選べなかった。自分のせいではないのに、チャレンジできない状況に立たされている。周囲が応援して、自分が努力すれば未来を切り拓ける。選択できる。そんな仕組みを、提供できればと思っています。
(山本ぽてと)