1日1食、貯金ない…児童福祉施設退所後、厳しい生活実態判明

京都新聞 2016年5月16日

児童福祉施設で暮らした人が退所後、金銭管理や食事に困るケースがあることが、滋賀県児童福祉入所施設協議会の調査研究部会による調査で分かった。退所者との面接による聞き取りで「1日1食しか食べていない」「貯金がない」などといった厳しい生活実態が明らかになった。
同協議会は県内の児童養護施設や乳児院の12機関で構成。退所前の生活訓練などに生かそうと、各機関や子ども家庭相談センターの職員でつくる調査研究部会が昨年8~9月に、退所後5年以内の大学生や社会人を中心に、18~31歳の男女13人と面接した。小学4年以上の入所者約120人と、在職中の職員約190人にも相談相手の有無などをアンケートした。
退所者13人が最も困っているのは、金銭関係7件、食事関係5件、人間関係2件(複数回答あり)の順だった。「バイトの掛け持ち」「仕事がなくなり生活に困った」といった金銭面の苦労が多かったほか、「お金がなく1日3食取れない。アルバイトの廃棄品などで何とかしている」など食事面の影響も分かった。
貯金の有無は分かれ、「ない」と答えた人の中には「金銭管理の方法が分からない」という声があった。自立に向けて施設で伝えておいた方が良いことについて「給料の仕分けや引き落とし方法など金銭管理の仕方」「食費や医療費、光熱費など1カ月の生活費のシミュレーション」「食事作りの練習」などの意見が出た。
困った時の相談相手に施設職員を挙げたのは2人にとどまった。一方、入所中の子どもの半分以上は相談相手に施設職員を挙げ、職員の85%は退所後も頼ってほしいと回答した。
部会メンバーで、児童養護施設「鹿深(かふか)の家」(甲賀市甲賀町)の打田絹子施設長は「退所してまで迷惑をかけたくないと思うようだが、職員はアフターケアでも力になりたいと思っている。具体的なアプローチが課題」と話した。
同部会は2月に県社会福祉学会で研究発表し、奨励賞を受賞した。来年2月発行の「滋賀社会福祉研究」に論文を掲載する。

子どもの「体罰」「しつけ」を法律でどう定義する? 児童福祉法改正案めぐり議論

弁護士ドットコム 2016年5月16日

児童虐待問題に取り組むNPO法人・児童虐待防止全国ネットワークが5月上旬、今国会での成立に向けて議論が続いている児童福祉法改正案を考えるシンポジウムを都内で開催した。児童相談センターの職員や児童虐待問題に取り組む自治体職員らが登壇し、児童虐待を防ぐために、改正案をどう活かすべきか、意見を交わした。

児童の「権利」を正面から認めた
改正法案では、監護・教育のために必要な範囲を超えて児童を懲戒してはならないことや、県、市町村など自治体の役割の明確化、児童相談所へ弁護士を配置することなどが盛り込まれた。
児童虐待防止全国ネットワークの吉田恒雄理事長は、改正法で児童の養育・保護・成長などについて「等しく保障される権利を有する」と、明確に「権利」が明記されたことについて、「児童の権利を正面から承認したことは大きく評価できる」と語った。
一方で、親の子どもに対する懲戒権について、「監護及び教育に必要な範囲を超えて当該児童を懲戒してはならない」と明記し、一定の制限を設けたことは評価しつつも、体罰やしつけの定義が不明確なままである点に懸念を表明した。
「国連の権利委員会から、子どもに対する体罰およびあらゆる形態の品位を傷つける取り扱いを法律によって明示的に禁止するよう勧告を受けている。これに対して日本政府はどう答えていくのか。体罰としつけをどのように定義すればいいのか。体罰を肯定する国民意識が根強い中で、法律の中にどう盛り込めるかどうか、議論を続けてほしい」と訴えた。

「崖から落ちないようにする対策こそ必要」
神奈川県茅ヶ崎市こども育成相談課の伊藤徳馬さんは、虐待の現状を「高い崖」にたとえ、児童相談所(児相)に負担が集中している現状を、児相の機能強化で対応しようとすることに疑問を投げかけた。
「その崖では、子どもが落ちる事故が起きる。子ども落ちてきたら大変だから、すぐに発見できるように救急車やヘリコプター、どちらで運ぶかすぐに判断できる体制をつくろうという話になる。『そうしないと、落ちてきた子を助けられない』と。
本来であれば、『崖から落ちないようにするためにはどうすればいいのか』という議論の方が生産的ではないか。『児相が大変そうだから』と児相の機能を強化しようという話になっている。(児童への対応が)余計後手に回るのではないかと心配している」
そのうえで、伊藤さんは自治体同士、自治体と児相の役割分担や、意思疎通が必要だと指摘。自治体ごとに異なっている用語の定義を統一する必要があると訴えた。
「たとえば、『要支援児童』という言葉があるが、市町村によって『要支援』の内容がバラバラなのが現状だ。こうした言葉がちゃんと定義されて、共有されないことに話が進まない。自治体によって定義がわかれている様々な言葉の定義をさだめて、共有する必要がある。言葉の基準が明確にされないと、実際の運用はうまく回らない」

<ブラックバイト>高校生6割に被害 労働条件書面渡されず

毎日新聞 2016年5月18日

書面交付は労働法令で使用者に義務づけ 厚労省調査

アルバイトをする高校生の6割が賃金など労働条件を記載した書面を渡されずに働いていたことが、厚生労働省の調査で分かった。書面交付は労働法令で使用者に義務づけられている。ルール無視のブラック企業による被害が高校生のアルバイトにまで拡大していることが、国の調査で改めて裏付けられた。
厚労省は昨年12月~今年2月、アルバイト経験のある高校生にアンケートを行い、1854人から回答を得た。バイト先は▽スーパー22.6%▽コンビニエンスストア14.8%▽チェーン飲食店6.7%--など。
労働条件が記された書面では仕事の内容や労働時間、残業、有給休暇などを明示するが、回答者の60%が交付されていなかった。労働条件の説明がなかった回答者も18%いた。
また、33%が労働条件を巡るトラブルがあったと回答。内容は▽給与明細もらえず5%▽労働基準法に違反する6時間を超えて休憩なし4.8%▽準備や片付けの時間の賃金が払われない3.8%▽深夜労働2.2%--など。高校生から「テスト期間も休みがもらえない」「睡眠不足になった」などの声が上がった。厚労省の担当者は「働く上で最初に確認しなければならない労働条件があいまいにされている。働くことを学ぶ機会をもうけたい」と話す。【東海林智】

1億総活躍プラン決定、同一賃金・保育士賃上げ

読売新聞 2016年5月18日

政府は18日午前、関係閣僚と有識者で構成する「1億総活躍国民会議」(議長・安倍首相)を首相官邸で開き、今後10年間の中長期計画「ニッポン1億総活躍プラン」案を決定した。
保育や介護の人材確保のための賃上げや、雇用形態の違いで賃金差をつけない「同一労働同一賃金」実現などを明記した。与党内手続きを経て、政府は31日に閣議決定する方針だ。
同プランは、安倍内閣が掲げる「1億総活躍社会」に向け、待機児童問題や働き方改革などの具体策をまとめた。首相は会合で、「少子高齢化の下での持続的成長は先進国共通の課題だ。日本が先駆けて克服に向けた道筋を示すことは大きな意義がある」と述べた。

ゼロからわかる「奨学金問題」~負担すべきは、国か、親か、本人か 対立する“3つの教育観”

現代ビジネス 2016年 5月17日

社会問題となった奨学金
奨学金をめぐる議論がここ数年、かまびすしい。一方で、日本学生支援機構奨学金の回収が厳しいというキャンペーンが張られ(奨学金問題対策全国会議など)、他方で、2016年3月には新しい制度として、「所得連動返還型奨学金返還制度」の導入が決定された。
こうした中、特に最近は、「給付型奨学金」の導入が焦点になっている。これについては、「日本には大学生向けの公的な給付型奨学金がないので、創設せよ」という主張と、「諸外国とは国情が異なるので、他国と比較するのはいかがなものか」(麻生太郎財務大臣の2016年3月28日の参議院予算委員会での答弁)という対立がある。
この対立は、単に給付型奨学金についての見解の相違ではない。背景には、教育費の負担をめぐる考え方の相違がある。それは、教育観の相違でもある。
現在は、この教育観の相違によって、意見が分かれているといっていい。この問題は根深く、教育観ひいては社会観の対立に起因していると言えるのである。

教育費負担の考え方
それでは、教育費負担の考え方、その背景にある教育観とはどのようなものであろうか。ここでは、大きく、教育費負担について、3つの考え方に分けてみたい。
教育費負担は主として次のように分けられる。まず第1に公的負担か私的負担か、第2に私的負担は民間負担か家計負担か、第3に家計負担は親負担か子(学生本人)負担か、といった区別である。
民間負担には、企業、慈善的(寄付、財団など)負担もあるが、その割合は高くない。したがって、教育費の負担は、公的負担、親負担、子(本人)負担の3つが主なものである。
実際には、多くの国ではすべて1つの負担というよりこの3つの負担を組み合わせている。
現状では図1のように、GDPに対する高等教育費の公的支出の割合で、OECD諸国の中でも日本は最低水準にある。これまではこのことが高等教育費の公財政支出を求める根拠とされてきた。
しかしこれだけでは論拠として十分ではない。日本の公財政の負債は、GDPの2倍を超え、主要国の中でも最悪である。こうした状況の中で、単に高等教育費の増加を主張しても、財政当局からは「無い袖はふれない」という回答しか返ってこない。さらに、国民は高等教育費の公財政負担を求めていないという主張がつけ加えられる。

3つの教育負担と教育観
国際的に見ると、教育費の負担については、図2のように、先に見た3つの考え方があり、それは教育観の相違が背景にある。
第1に、教育費の「公的負担」は、「教育は社会が支える」という教育観に根ざしている。これを教育費負担の「福祉国家主義」と呼ぶこともできよう。スウェーデンなどの北欧諸国で広く見られる考え方である。
第2に、「学生本人負担」は、教育は個人のためであるという教育観が背景にある。これは、教育費負担の「個人主義」と呼ぶことができる。アメリカやイギリスやオーストラリアなどアングロ・サクソン諸国で広く見られる教育観である。
これは、自己責任という考え方であり、教育は個人の責任であるから、教育費は学生本人が負担することになる。といっても学生本人はほとんど稼得力はないから、在学中はアルバイトや貸与(ローン)で学費や生活費をまかない、卒業後にローンを返済することになる。
第3に、教育費の「保護者負担」は、親や保護者が子どもの教育に責任を持つべきだという教育観が背景にあり、教育費負担の「家族主義」と呼ぶことができよう。日本・中国・韓国などで強い教育観である。

公的負担から私的負担、親負担から子負担へ
もちろんこれらは理念的な捉え方で、現実には各国ともこの3つの負担方法が混在している。特に最近では、公的負担から私的負担、親負担から子負担へと移行している傾向にある。
この背景には、福祉国家主義を貫く北欧諸国などを除けば、大学進学者が増加するのに対して、いずれの国も公財政が逼迫しており、教育費の公的負担が難しくなっているという事情がある。
このため、私的負担を求める国が多くなっている。しかし、授業料を高額にして、家計負担を重くすることは、教育機会に悪影響を与える恐れが強い。
つまり、ただでさえ無理して教育費を捻出して我が子を進学させている低所得層にとって、これ以上の負担は難しい。
図3のように、家計可処分所得に対する授業料の比率は、国立大学・私立大学とも増加傾向にあり、これ以上の負担を家計、とりわけ低所得層に求めるのは難しくなっている。これに対して、ローンやアルバイトで教育費をまかない、卒業後にローンを返済するという自己負担を採用する国が増えてきたのである。
現在の給付型奨学金に対する立場は、家族主義+個人主義+福祉国家主義の3つの教育観が混合したものである。ただ、その比重が異なる。伝統的には、家族主義であることは共通しているが、それに対して、福祉国家主義の方向に向かうのか、それとも個人主義(自己責任)かで大きく分かれているようだ。
日本では、伝統的に家族主義の教育観が強いため、教育費も親が負担するのが当然であるという考え方が続いてきた。
図4のように、高等教育費の家計負担割合は、チリに次いで2番目に高い。このことが、裏を返せば、教育費を公的に負担することはないという考え方に結びついている。
特にすべての者が進学するわけではない大学の教育費については、私的に負担すべきだという考え方が強くなることになる。このため、これまで公的給付型奨学金の創設が見送られてきたということがあると思われる。
これに対して、給付型奨学金は、貧困の連鎖を打ち切るための福祉政策であるという考え方は、福祉国家主義の教育観である。ここでは、教育機会の均等のため、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行う福祉的な施策として給付型奨学金が位置づけられる。
しかし、最近では、アメリカの影響を受けて、伝統的な家族主義に対して、個人主義的な教育観がかなり主張されるようになった。この考え方では、奨学金は現行のようなローンで十分であり、給付型奨学金は必要がない、あるいはきわめて限定的なものに留めるべきだということになる。
さらに、限定の方向は、メリットベース(スポーツや学業などの優秀者)を対象とするべきであり、福祉的なニードベース(経済的必要度)に応じたものは、極力少数に留めるべきだと考えられる。
個人主義の場合には、経済的な理由で進学できない個人や家族に対して、支援を行うという点では福祉国家主義と同じであるが、あくまでフェアな競争という考え方による。
つまり、進学のための競争や卒業までの学習にハンディキャップを負うことは、フェアな競争ではない。学費や生活費の調達のためにアルバイトなどを過多にしなければならないとしたら、ハンディキャップを負うことになるからだ。
したがって、その場合に経済的な支援を通じてハンディキャップを解消することは重要だが、給付である必要はなく、ローンで十分ということになる。これが、日本の公的奨学金がローンであり続けている背景にあるもうひとつの考え方だと思われる。
しかし、ローンに依存することは、卒業後のローン負担や回避という問題を生じさせる。

重いローンの返済を避けるために、ローンを回避して、進学先をたとえば、生活費のかからない自宅からにする、あるいは、4年制大学ではなく、2年制の短期大学や専門学校に進学するというような進路選択をする、ひいては進学そのものを断念することが、各国でみられるようになり、大きな問題となっている。
所得の低い人ほど、ローン回避する傾向がある。私たちの調査でも図5のように、低所得層ほど「将来の返済の負担を恐れてローンを借りたくない」というローン回避傾向があることが明らかにされている。
また、私たちの調査による推計では、毎年、高卒後進学しなかった者のうち、約6~7万人は「給付型奨学金があれば進学したい」としている。こうした者は、進学を断念することにより、結果として十分な所得が得られないことになる可能性が高い。

所得連動返還型奨学金と給付型奨学金
これに対して、給付型奨学金が最も望ましい学生への経済的支援の方法であることは言うまでもない。
しかし、給付型奨学金は財源が常に問題となる。それに対して、最近オーストラリアやイギリスあるいはアメリカが導入しているのが所得連動型ローン返済制度である。この制度は、奨学生本人の卒業後の所得が低いと返済額が低くなるため、返済の負担が少ないというのが最大のメリットである。
しかし、このことは裏を返せば、低所得層は返済額が低くなるため、生涯かけても返済総額を返済しないケースが出ることを意味する。つまり、所得連動返済型は、未返済(デフォルト)の可能性を内在している制度である。このため、この未返済額に対しては国庫負担が必要である。
日本でも3月、私が主査を務める文部科学省の所得連動返還型奨学金制度有識者会議は、日本学生支援機構第一種奨学金について「新たな所得連動返還型奨学金制度の創設について(第一次まとめ)」をとりまとめた。
この案は、図6のように課税所得がゼロ(年収約117万円)の場合には2,000円、それ以上の場合には課税所得の9%を返還年額とするというものだ。
最も奨学生数の多い私立自宅生の場合、従来の返還月額は、14,000円である。これが2,000円からと大幅に引き下げられる。年収約410万円までは、これまでの返還月額より低くなり、負担は大幅に軽減される。とりわけ20代、30代の若年層や非正規雇用者などは所得が低く、この制度の恩恵を受けることができる。
このように所得連動返還型は、所得が低い場合には、返還総額を返還しない場合があり、その点では、給付型の要素を持っているといっていい。しかし、現在さかんに俎上にのぼっている給付型奨学金は、所得連動返還型だけでは解決しない低所得層の進学を支援するための制度であり、似て非なるものである。
所得連動返済型は、卒業後の本人の所得によって、返済額が決定される。これに対して、給付型奨学金は、一般に進学時や在学時の経済的困難に対して支援するものであり、本人の家計(一般には親や保護者)の所得が基準となる。低所得層で貸与総額をすべて返還できなければ、その残額は実質的には給付型奨学金となる。
しかし、低所得層は所得連動型奨学金だけでは、高い学費と生活費すべてカバーできず、進学や生活が困難である。特に、貧困が深刻な生活保護やひとり親家庭、児童養護施設出身者あるいは家計急変者(親や保護者の死亡、リストラなど)などについては、所得連動型奨学金だけでは明らかに不十分であり、給付型奨学金が必要である。
しかし、給付型奨学金は、渡しきりになるため、納税者の理解を得ることが何より重要になる。とりわけ、誰が誰に支給するのか、つまり支給主体と受給主体を明確にする必要がある。そのためには、何のための奨学金か、その理念を明らかにすることが求められる。
現在、政府や各党で検討されている給付型奨学金では、それらをどこまで具体的に示すことができるかが問われているのである。

「毒親」との縁の切り方…お金の要求、恫喝された場合は?

弁護士ドットコム 2016年5月18日

子どもに悪意をぶつけたり、経済的に頼りきったりする「毒親」。話し合いをしようにも成立せず、逃げても「金を出せ」と追いかけてくるーー。弁護士ドットコムの法律相談コーナーには、そんな「毒親」に悩まされる方からの相談が後をたちません。
17歳で一人暮らしをする女性は、母親からガス代や電気代を度々援助してきたといいます。ある時、「自分でなんとかしろと言いました。そうしたら『お前の会社にいって給料取るからな!』とブチ切れ。実際会社に来ましたし、暴れられて周りの人に迷惑をかけました」。そして、その日帰宅すると「家で待ち伏せしていて、金を出せと脅してきます」。
また、家族が自分の意見を聞くまで怒鳴り散らすという父親から逃れようと家を出た方は「学費を返せと請求されました」そうです。さらに、「引越し先にも自分は悪くないという手紙が届きます。精神衛生上の問題もあり、面談強要禁止、接近禁止などの法的な処分、親族関係調整調停などを用いて事態を改善することは可能でしょうか?」
実親と「縁を切る」ことは、法的に認められているのでしょうか? 毒親やアダルトチルドレンの問題にくわしい福尾 美希弁護士に聞きました。

「毒親」とは何か?
「毒親」とは、スーザン・フォワードの「毒になる親」(副題は「一生苦しむ子ども」)という書籍からきています。この本が刊行されたのは今より10年以上も前ですが、ベストセラーとなっており、それだけ親との関係で苦しんでいる人は実は日本でもとても多いのではないでしょうか。
毒親との関係に悩む方から、「縁を切りたい」という相談をよく受けます。しかし残念ながら、法的に親と「縁を切る」術はありません。
「毒親」とは、子どもに対し虐待(心理的、経済的虐待も含む)をし、子どもが安心・自信・自由をもって生きられる環境を奪う親ですので、縁を切って新しい自分の人生を切り開きたいという気持ちが生まれるのは当然です。しかし、そのような親に対してとれる法的手段は限られているのが実情です。
未成年者であれば、「親権喪失(民法834条)」、「親権停止(民法834条の2)」の制度が民法上用意されていますが、親権という権利に対する制限なので、やはり最小限にしか認められないということで裁判所の判断も非情なのが実情です。
成人している場合は、親権にはそもそも服さないですし、18歳を超えれば児童福祉法の対象からも外れるので、もはや手立てはありません。成人の場合、気になるのは「扶養義務(民法877条)」及び「相続(民法887条等)」かと思います。
実際福祉の現場では、生い立ちを理由に親の援助を断る例も多いようです。親に対する扶養義務は自らが社会的地位にふさわしい生活を確立した上で、なお余裕があれば養うというものですので、それほど厳格なものではありません。
また、相続についてですが、民法上、親の生前にあらかじめ相続放棄をすることは残念ながら認められていません。そのため、遺言を書いてもらうのが一番確実ではありますが、毒親に書いてもらうことは困難でしょうから、相続開始後、放棄するしかありません。
もっとも、子である以上、最低限の遺産の取り分である「遺留分」がありますが、こちらについては親の生前から「遺留分放棄」の審判を受けることで放棄することが可能です。

「面談強要禁止」「接近禁止」などの法的な処分は?
では、子どもが親元を離れ、自立してからもどこまでも追ってくる親に対し、「面談強要禁止」や「接近禁止」などの法的な処分は認められるのでしょうか。
「面談強要禁止」や「接近禁止」というと、まず「DV規制法」や「ストーカー規制法」が思い浮かびますが、これらの法律は親子問題を想定した法律ではありません。
もっとも、民事保全法上の仮の地位を定める「仮処分命令(民事保全法23条第2項)」を求めることは可能です。ただし、子どもの側に生ずる「著しい損害又は緊急の危険を避けるために必要な場合」という要件があり、これらについては疎明資料(証拠書類)を提出して裁判所を説得せねばなりません。
未成年者で警察や児童相談所に相談しているような場合であればまだしも、現在は親と別居していて差し迫った身の危険が生じていないような場合では、そもそも以前の虐待についての資料がないことや、現在は緊急の危険はないと判断されてしまう可能性があるなど、なかなかハードルは高いといえます。
そのため、身の危険を感じたらまずは警察に連絡するのが一番です。また、何度も強要してくるのが嫌という場合には弁護士を通じて「内容証明郵便」を送ることも考えられます。

「親族関係調整調停」とは?
また、毒親との関係に悩む方が「親族関係調整調停」を申し立てることも考慮に入れても良いでしょう。
「親族関係調整調停」については、裁判所のHPでは、「感情的対立や親などの財産の管理に関する紛争等が原因となるなどして親族関係が円満でなくなった場合には,円満な親族関係を回復するための話合いをする場として,家庭裁判所の調停手続を利用することができます。」とありますので、特に毒親と話し合いをするために利用できないという制約はありません。
しかし、裁判所HPの記載例にもあるような「物置の設置」についてもめているなど、毒親との間で生じている具体的な問題について話し合う場を裁判所は想定しています。
そのため、毒親育ちの子どもが親に対して子ども時代の虐待によって傷ついたことやもう関わらないでほしいこと等を伝える場としては利用すること自体にハードルがあり、弁護士が裁判所と交渉してようやく話し合いの場をもてることもしばしばです。
しかも、調停はそもそも話し合いの場であり、調停委員はどちらかというと親世代であり、子どもは親の言うことを聞くべきといった古い価値観の持ち主が多いため、話が通じない可能性も高く、結局自分の悩みは大したことないのではないか等と悩み苦しみ、二次被害を受けることもしばしばです。
もっとも、調停で話し合いがつけば、最終的には調停調書というものが作られます。
そこに過去の虐待について謝罪するという文言を入れたり、もう二度と接触しないという条項を入れたりすることができる可能性はあります。ただし、あくまでも相手方が同意してくれる場合に限られ、毒親は往々にして過去の虐待を否定したり、自分も一生懸命だったなどと言い訳にはしったりしますので、そこまでうまくいくことはまず期待しない方がご自身の精神衛生上もよいといえます。
ここまで説明すると、親族関係調整調停は無意味なのではないかと思われるかもしれません。しかし、それでも、自分が子ども時代を冷静にとらえ、そこと決別し、乗り越えて自分の人生を切り開いていくための大きな儀式になることは間違いありません。
子ども時代に受けた傷は成人してからもありとあらゆる場面で自分を苦しめますから、いつかは子ども時代と向き合い、そこを乗り越えていくことが必要になるでしょう。そのための手続きとしては、親族関係調整調停は有効な一つの手段であると思います。
日本ではまだまだ「年老いた親の面倒を見ないとはなんと非情な子どもだ」という観念が強いようですが、果たして親から虐待を受け、親元で安心した生活を送ることができなかった人が同じことを言えるでしょうか。親からの虐待や子ども時代の傷つきは一生に影響するといっても過言ではありません。もっとそういうことを堂々と議論できる社会になってほしいと切に思います。