児童養護施設は悲しいところではないと知ってほしい――「親に頼れない」子どもたちが語った夢

メッシー 2016年7月1日

児童養護施設は悲しいところではない
「今日、この場に来ている皆さんは、『児童養護』をどう思っていますか? 今のと同じ質問を学校の先生がクラスでしたことがあります。その中で、次々と言葉に出るのが『寂しそう』『悲しそう』『冷たいところ』などネガティブなものでした。ぼくは心の中で『いやぁ違うんだよなぁ』なんて思いながら、自分自身が施設で暮らしていなかったらこんな風に思うのかなと思いました。確かに、自分が施設に入るとき、『刑務所みたなところに行くのか』と思っていたほど不安でした。しかし、これは施設のことを知らない人たちの思う先入観です。ぼくはこれをなくし、もっといいところと思えるところにしたいです」(カナエルンジャーピンク ジェイ 専門1年生 スピーチより)
ピンクの服をきた恰幅の良い青年がスピーチをしています。茶目っ気があり、堂々とした様子です。客席は彼の言葉の一つ一つに聞き入ります。
「『世の中の児童養護施設は悲しいところではないよ』と知ってもらい、愛情をもらえなかった子どもを助け、本当の親のような愛情を注げる児童養護施設の職員になりたいと思っています。これがぼくの夢です。そしてこの夢は絶対に叶えます!」
朗らかな宣言に、客席から拍手が自然と湧き上がります。神奈川公会堂は、横浜らしくレンガが施され、音のよく響く会場でした。拍手をするたびに、天井から音が降ってくるようです。
2016年6月18日、「カナエール 夢 スピーチコンテスト 横浜」が行われました。「カナエール」は大学等への進学を希望する児童養護施設出身者向けの奨学金です。
児童養護施設を出た後の子どもたちの進学率は、2割。全国の高校生の7割が進学することを考えると、かなり少ない割合です。施設入居者の多くは高校卒業の18歳とともに退所しなければなりません。親の死別や虐待、経済的困難など様々な理由で子どもたちは児童養護施設に入ります。18歳までに迎えに来なかったということは、これらの問題が解決しなかったとことを意味します。つまり、頼る大人がほとんどいない状態で、社会に出ていかなければならないのです。
入学金、授業料、敷金礼金、家賃、生活費……それらのすべてを一人で賄いながら、勉強とアルバイトとを両立させるには相当の努力が必要です。途中でけがや病気をしてしまう可能性もあります(親がお金を集りにきたり、詐欺などもトラブルに巻き込まれることもあるようです)。もし、途中で挫折してしまったら、手元には借金だけが残るかもしれません。そのため、施設の職員も高校卒業後の就職を強く進める傾向があります。
このように、児童養護施設退所後の子どもの進学環境は、必ずしも恵まれているとは言えません。そんな中、「カナエール」は、進学を目指す子どもに、一時期30万円と月3万円の返還不要奨学金を卒業まで給付しています。
その、奨学金の給付条件は、「スピーチコンテストで夢を語ること」です。
私が開いたカフェに来てくれますよね?
“あぐぅ”さんは、カフェのオーナーを目指し、専門学校に進学しています。食べることが大好きな彼女ですが、4歳までは一日一食食べられるかどうかという生活をしていました。ときには、食べるものがなく、姉と一緒に裏山にたけのこを取りにいく日もありました。姉が堂々とカナエールで夢を語る姿をみて、自身も参加を決めます。あぐぅさんは、施設の調理師の先生と一緒にやった料理教室がきっかけで、自分の料理をみんなが食べてくれる喜びを知り、みんなが集まることのできるカフェのオーナーになる夢を話します。
「施設では私がケーキをつくると、みんながわいわい集まって、みんなで楽しく食べるんです。あの雰囲気が大好きでした。小さくてもいい、子どもからおばあちゃんまでいろんな人たちが気軽に立ち寄ることのできるカフェ。施設でそうだったように、美味しいにおいに誘われて、みんながわいわい集まって、お喋りをする。そんな空間。そして、いつかお姉ちゃん、施設の先生、施設の子どもたち、里親さん、私をここまで応援してくださったすべての方々に、そして会場の皆様に、私の焼いたケーキと私が入れたコーヒーをぜひ、私が開いたカフェで心ゆくまでゆっくりとお楽しみください。そのときは来てくれますよね?」
客席からは「行くよ」の思いを込めた拍手が鳴りやみませんでした。
イタリア料理人を目指す“T2”くんは、ある日、卒業記念に施設関係者が連れていってくれたイタリア料理屋さんで背伸びをしてみて、名前を知らないメニューを注文しました。その緑色のソースがかかったパスタは、「口の中になんとも言えない美味しい味が広がり、鼻に抜ける香りが良い」のです。この鼻に抜ける香りがバジルであったこと、このパスタがジェノベーゼであったこと後で知ります。
自分も料理をつくりたい! とインターネットでレシピを調べ、クリスマスには施設で50人分のローストビーフとタンシチューをふるまいました。その際、ワインは飲むだけでなく、肉をやわらかくする作用があることを知り、素材の良さを生かすために料理人が様々な工夫をしていることに感銘を受け、より料理人になりたい思いを強めていきます。
“のこっち”くんの夢はゲームクリエイターになることです。「モンスターハンター」のキャラクターの動きがいかに素晴らしいのか、実際に身振り手振りを交えながら、楽しそうに語ります。その熱心さと、ゲーム動作の忠実な再現に、客席からは笑みがこぼれました。

過去を語る場ではなく、夢を語る場
スピーチコンテストの入場料5000円は、子どもたちの奨学金やプログラム費に充てられます。奨学金と引き換えに、観客の前でつらい経験を語る会であったらどうしよう、と彼らのスピーチを聞くまで思っていました。
しかし、私が思い描いていた「かわいそうな子ども」の枠を軽々と飛び越え、彼らは多種多様な夢を語っていきます。自身のつらい体験について、詳しく話す子もいましたし、話さない子もいました。夢を語る際に、必要があれば話す、必要でなければ話さない姿勢を感じ、「過去を語る場」ではなく、「夢を語る場」にした意図が伝わってきます。
運営団体NPO法人ブリッジフォースマイル代表の林恵子氏は、児童養護施設退所後の子どもたちが抱える問題は経済面だけでないと指摘します。お金の不安や将来の不安は子どもたちの夢見る力をうばい「どうせ頑張っても無理だろう」と思ってしまうのです。だからこそ、カナエールの先輩方が夢を語る姿を見せることで、身近なロールモデルにしてほしいそうです。
また、今までプライバシーの問題から児童養護施設の子どもたちは表舞台に立つことが少なく、周囲に自分の状況を話す子どもも限られています。そのため、「本当にそんな子どもがいるのか」と社会の人たちは問題を見て見ぬふりすることができました。しかし、カナエールでは、子どもたちが実際に目の前に立って、自分たちの状況を自分たちで説明するため、家族ではなく社会で育てる必要のある子どもたちがいることを目の前に突きつけられます。「『児童養護』をどう思っていますか?」と真っ直ぐなまなざしで問われ、私はあたふたすることになりました。
本来ならば、夢を語らずとも、奨学金を受け、進学できる方がいいに決まっています。とりあえず大学に入ってから夢を決めることが許されている子どもも沢山いるからです。そう考えると、児童養護施設の子どもたちに「なんで進学するのか」と説明を迫るのは、不公平でしょう。ですがカナエールは、夢があり、あと月3万円があったら目標を叶えられる子どもたちに手を差し伸べられる制度だと感じました。
自分の夢を、応援してくれた人がいる。人生は、自分でどうにかしないといけないことが多いものです。それでも、投げ出したくなるような日々を、誰かが応援してくれた事実で、なんとかしのげることが時々あります。スピーチをした後に響く、天井から降ってくるような惜しみない拍手を聞きながら、そんな場に居合わせているのかもしれないと思いました。

早期支援で貧困連鎖を防ぐ 養子縁組や里親の現場〈AERA〉

dot. 2016年7月1日

母親の腕の中で赤ちゃんはスヤスヤと寝息を立てていた。
「この子には幸せになってほしい。あなた方が必要なんです」
母親はそう言うと、育ての親となる夫婦に赤ちゃんを手渡し、後は涙で言葉を継げなかった。母子と向き合った夫婦は、
「責任を持って育てます」
と言い、赤ちゃんをそっと胸に抱いた。
赤ちゃんは生みの親にとって4人目の子だった。妊娠後期に入り、夫が突然解雇される。妻は親の介護のために仕事を辞めていた。生活は困窮し、妊婦健診も受けられなくなった。夫婦で何度も話し合い、出した結論が養子縁組だった。
インターネットで、妊娠相談や養子縁組仲介をする民間団体「アクロスジャパン」にたどり着いた。代表の小川多鶴さんは、夫婦の誠実な生き方や子どもへの思いを知り、生活保護などの公的支援を得て自力で育てる方法も真剣に提案した。だが夫婦は、
「この子に、十分な教育や機会を与えられる『未来』を描けない」
と話したという。

生涯の不平等解消
10代の妊娠、不法滞在の外国人、風俗で働く女性など、小川さんには妊娠に悩むさまざまな女性からの相談が寄せられる。多くの場合、問題は複層的だ。親自身がまともな養育を受けていない、軽い知的障害があるなど多重の困難を抱え、支援を求めるすべも知らない。いずれも生まれる子の貧困につながりかねない。小川さんは言う。
「子どもを救うには、まずお母さんを助けなければ」
こうした貧困の連鎖を断ち切る現実的な方法の一つとして注目されるのが特別養子縁組だ。理想を言えば、実の家庭で安定した子育てができることがベストだ。だがそれがかなわず、子どもの利益を最優先しようとした場合、安定した養育ができる子どもを望む夫婦に子どもを委ねるやり方だ。
幼い頃の成育環境がその後の発達に大きな影響を与えることは海外の研究でも実証されている。英国の「ERA研究」は、1990年代初頭にルーマニアから養子として英国に引き取られた孤児のうち、生後半年未満で養子となった子と、半年~3歳半までに養子となった子の発達度を継続して調べた。11歳時で特別な教育支援を必要とする子の割合は前者が4%、後者は39%と有意な差があったという。
米国のノーベル賞経済学者ヘックマンは、60年代に米国で黒人の低所得世帯の幼児を対象に行った継続的教育支援と成果を調べた研究に着目した。就学前の30週間、毎朝教室に通い、週1回の家庭訪問を受けた子のグループは、根気や意欲などの非認知能力が向上し、支援を受けなかったグループより40歳時点で学歴が高く、収入が多く、生活保護受給率や逮捕者率が低かったという。幼少期の介入が生涯にわたる不平等解消に役立つとヘックマンは主張する。

大切なのは「継続性」
だが、人生早期に支援を受けられる子ばかりではない。日本では、生みの親と暮らせず保護が必要な子のうち、養子縁組で家庭を得る子は全体の1%程度。多くは施設で暮らしながら親元に帰ることを目指すが、施設生活の長期化も問題視されている。「親が育てられない子どもに家庭を!里親連絡会」事務局長の竹中勝美さんが1977~2012年度の国の統計を調べたところ、1年未満の短期入所が減る一方、10年以上施設にいる子の割合は5%が14%に、乳児院から直接施設に入る子の割合は14%から21%に増えていたという。
18歳で施設を出ても、多くは頼る家もなく、経済的支えも足りない。NPO「ブリッジフォースマイル」が15年に全国170施設の職員に行った調査では、昨春高校を卒業して退所した子の7割が就職し、3カ月後の時点で13%が離職や転職をしていた。進学者も退所1年後の時点で9%が中退していた。
社会的養護下の子どもの心理に詳しい東北福祉大学特任准教授の池上和子さんは、子どもの成育に大切なのは「継続性」だと指摘する。
「生後数年の間に親の離婚や失踪で転居を繰り返し、施設に出たり入ったりの生活を送ると、養育の連続性が失われ、将来への希望を描けなくなる。やがて学ぶことや他者と関係を築くことへの関心まで失ってしまう」
養子縁組もできず、生まれた家にも戻れない。困難を抱える子どもたちが、それでも安定した家庭で育つことができる方法が、一定期間、親に代わって子どもを育てる里親制度だ。
千葉県君津市の住宅街の一角に廣瀬正さん(72)、タカ子さん(69)夫婦が切り盛りする「ひろせホーム」がある。2人は88年に県の里親に登録し、09年に一度に5、6人を世話できるファミリーホームに切り替えた。これまで約60人を預かった。短い子で1日、長い子で14年。寝食を共にし、学校に送り出し、悪さをすれば叱り、育ちを見守ってきた。タカ子さんは言う。
「最初から来たくて来る子はいない。誰から生まれようが、誰に育てられようが、自ら人生を切りひらく力を得てほしい」

体験から生活を学ぶ
最初に迎えた里子は16歳の女の子。母親を亡くし、父親とは不仲で、養護施設で脱走を繰り返した末、廣瀬家にやってきた。「太めだなと思ってたら妊娠してた」(タカ子さん)。女の子は拠点病院で出産。赤ちゃんは廣瀬さん夫婦に育てられ、生後7カ月で別の夫婦の養子になった。養親に沐浴や食事の仕方を教えたのはタカ子さんだ。
「あの子がわが家を去ったときは寂しかったな」(正さん)
保護の緊急性が高かったり、施設の集団養育になじまなかったりする難しいケースも積極的に引き受けてきた。いま世話をする3歳の女の子は、一緒に風呂に入るうち、見よう見まねで使ったオモチャを片付けるようになった。子どもは日々の体験から「生活」を学んでいく。
タカ子さんは児童相談所と生みの親の面談にも同席し、
「子どもたちは家に帰る日を待ってるよ。がんばって」
と親を励ます。ありのままを受け止められ親もまた育っていくのだと、タカ子さんは言う。

妊娠期からの支援
貧困の世代間連鎖を防ぐには、子どもだけではなく、生みの親への支援も大切だ。前出の池上さんは言う。
「子どもの貧困の背景には、親の精神疾患や虐待など多重の逆境があることが多い。保健、福祉、教育の施策がうまく統合される必要があります」
子育て中の家庭を地域住民が無償で訪問支援する「ホームスタート」は今年度から地域を限定し、妊娠訪問モデル事業を始める。山田幸恵事務局長は言う。
「子育てに困難を抱える方の多くは妊娠期から一人で悩みを抱えがち。一人ひとりの状況に応じて柔軟に動ける『近所のオバチャン』が必要なんです」

アングル:日本の改正児童福祉法、施設暮らしの子ども救うか

ロイター 2016年6月30日

[東京 28日 ロイター] – 金属の柵で囲まれた小児用ベッドに寝かされた赤ちゃんが、枕元に置かれた哺乳瓶からミルクを飲んでいる。この子を抱きしめてミルクを与えたり、あやしてくれたりする人は誰もいなかった。
周囲を看護師が慌しく動き回るなかで、都内にある日本赤十字社医療センター付属乳児院の院長は、そこで預かる70人程度の乳幼児にもっと注意を払えるだけの時間とスタッフが欲しいと語る。しかし、その実現は遠い。
「1人1人を抱っこしてあげたいが、なかなか難しい」と同院の今田義夫院長は言う。「それを虐待と言う人もいるが、難しい状況だ」
先月、約70年前に制定された児童福祉法の改正法案が、国会で可決・成立した。子どもの家庭養護原則を掲げる改正児童福祉法は、具体的で即効性のある対策に欠けるものの、こうした施設が現在のような状態から抜け出し「最後の手段」となるための第1歩だと専門家は指摘する。
日本では産みの親と暮らせない子どもが4万人に上っており、そのうちの実に85%が施設で暮らしている。これは富裕国の中でずば抜けて高い数字であり、国連から何度も勧告を受けている。
改正法が成立しても、政府の目標はとりわけ高いものではない。こうした社会的養護を必要とする子どもたちのわずか3分の1を、2029年度までに家庭養護環境に置くことだ。
それでも、この数字には疑問の声が上がっている。数万人の子どもたちの里親は、いったいどこで見つけられるのか。
「私たちは一生懸命その子に関わっていくが、やはり1対1でその子を受け止めてくれる里親がいた方がいい」と、都内にある二葉乳児院都留和光院長は話す。「自分だけを可愛がってくれる人がどうしても必要になってくる」
大きな障害となっているのが、里親制度についての認識不足だ。里親家庭の登録数がわずか1万0200にとどまる一方、特別養子縁組はさらにまれで、昨年は544人しかいない。そして、均一性と血筋を重視する日本社会では、里子に出されたり、養子縁組をしたりした子どもも、しばしば色眼鏡で見られてしまう。
児童虐待の報告件数が増加していることも1つの障害となっている。児童相談所の職員は子どもを目の前の危害から救い出すことに忙しい。子どもを施設に入れるほうが里親を探すより速いのだ。
また彼らは、新たに危害を受けた子どもの対応に追われ、子どもたちの事後ケアにほとんど時間を割けずにいる。そのため、子どもたちが何年も施設に放置される事態を招いている。

<愛着障害>
里親となったある母親は、幼い子どもを施設に入れることが、いかに有害となり得るか、よく分かっている。
今では16歳になる彼女の里子は、何分間も頭で枕をたたいて、ようやく眠りにつくという。それは、6歳になるまで施設で過ごすうちに、周囲に構ってほしくて仕方がない子どもが覚えた癖だ。
息子は魅力的な少年だが、風変わりだ、とこの母親は言う。
「普通であれば自分が悪いと納得する場面でも、納得しない。愛着障害の子は自分が恵まれなかったので優遇されるべきだと思っている面がある」と話す。「幼児性も残ってる。私にいつも『ママ、だいちゅきーっ』と言う。普通の高校生は言わない」
別の母親は、ちょうど家族がいないと認識し始めた5歳の子どもを施設から引き取った。彼は学校で発作的に逆上することがあり、家の外に出ることを恐れていたという。
新しい家族の愛情を確かめるために、彼女の息子は「自分が死んだらどうするか」と質問してみたり、別の時には、彼女の膝の上で哺乳瓶からミルクを飲みたいと懇願することもあったという。
こうした子どもたちの受け入れをめぐる状況は、高齢化が進むなか、一向に上がらないままの出生率と増大する社会保障費で苦しむ日本の矛盾を浮き彫りにしている。
施設養護は里親委託に比べ3倍も費用がかかると専門家は指摘する。こうした施設職員を保育サービスに回すことで、より多くの女性が働けるようになり、ひっ迫した日本の雇用市場も改善されるという。
二葉乳児院の都留院長は乳児院の役割もいずれ変化するだろうと述べ、施設がいずれ里子と養子縁組家庭を引き合わせるような役割も担うようになるのではないかと話す。「乳児院はいたずらに長く(子どもを)置いておきたいとは、これっぽっちも思っていない」