経済的に大変、自信がない…子供がいらない理由の本音

NEWS ポストセブン 2016年10月13日

厚生労働省の国民生活基礎調査によると、夫婦のみの世帯は、1986年から2015年までの30年で2倍以上に増加した。中央大学文学部教授で『家族難民』(朝日文庫)の著書で知られる山田昌弘さんは、その理由をこう分析する。
「昔に比べて後継ぎをつくることへの圧力が弱まったことが一因にあげられます。それに加え、日本の将来を悲観して子供を産みたくないと、控える人が増えていますね。また、経済的な理由や自由な時間を削られたくないという男性に、妻が従わざるを得ないケースもよく聞きます」
女性セブンが行ったアンケート調査(※20代から80代の男女594名を対象に実施)でも、「子供が欲しい、欲しかったですか?」という質問に18.5%が“子供は欲しくない”と答えた。「親になる自信がない」(57.5%)、「子供が好きではない」(43.8%)、「経済的に不安」(37%)というのが主な理由だ。
一方で、欲しくても授かれなかった夫婦もいる。諦めた時期は、「40才を過ぎて、年齢的に厳しいと感じた時(67%)」が多数だが、こういった意見もある。
「夫と趣味や旅行を満喫するうちに、この生活が私たちらしい生き方だと感じた。子供を授かると生活のリズムが崩れるし、いろいろと我慢しなければならないなら、今のままがいいと思った」(38才・専業主婦)
時間とお金を夫婦や自分のために使いたいと、あえて“子づくり”を諦める人や、「子供をつくるために結婚したのではない」と夫に言われ、ホッとして不妊治療をやめたケースも。今や“結婚=子づくり”ではない時代なのだ。
81.5%もの「子供が欲しい、欲しかった」と答えた人の中にも、いざ授かってみると、「経済的に大変」「自分の時間がなくなった」「仕事を辞めざるを得なかった」「ママ友との人間関係が苦痛」といった、子があるゆえの苦労ものぞかせた。
これに対し、立命館大学産業社会学部教授で『結婚と家族のこれから』(光文社新書)著書の筒井淳也さんはこう話す。
「仕事と育児の両立支援制度がしっかりしているノルウェーでは、子供を持つ女性の幸福度が高かったのに対し、アメリカと日本は低いというデータもあります。『子供を産むと仕事との両立が大変=子供を産むと不幸になる』という概念が日本の女性には強いため、出産による生活満足度が下がるんです。仮に仕事を辞めたとしても、今度は家の中に閉じこもりがちになるので、外部とのコミュニケーションがとれなくなってストレスがたまる。そういうことが予想されるから子供を産みたがらないともいえます」
女性は、子供という宝を手にする代わりに、家事・育児・仕事・夫の世話、そして介護の両立を迫られ、自分の時間が失われる。さらに家族が増えることで経済的にも逼迫するため、必ずしも幸せになれないのだ。

子供を見殺しにしたのは誰―? 元職員が明かした、児童相談所の非情な現場

ダ・ヴィンチニュース 2016年10月11日

ニュースで「児童虐待」の文字を目にする度に、いやな気持ちになる。なぜ、将来を切り開いてくれる子どもたちが虐待という仕打ちを受けなければならないのか。大人が手を差し伸べることはできないのか。
虐待をはじめ、発達障害、子育て、非行など0~18歳未満の子どもに関する全ての相談を受ける公的な相談機関に「児童相談所」がある。厚生労働省は、児童相談所の虐待に対する取り組み強化のための法改正を繰り返してきた。児童相談所の職員は年々増えている。にもかかわらず、虐待死が収まる気配はない。なぜか。問題は児童相談所の数や人員数ではなく、機関そのものの体質にあるからだ、というのは『告発 児童相談所が子供を殺す(文春新書)』(山脇 由貴子/文藝春秋)。著者は、都内児童相談所に心理の専門家として19年間勤務した、児童相談所の裏側を知り尽くす人物で、本書の内容は児童相談所の衝撃的な実態を“告発”するものだ。
児童相談所に相談が入ると、その案件は、児童福祉司がトップに立って解決に当たっていくことになる。本書によると、児童福祉司の権限は“絶対的”。案件は基本的に管理職に詳しく報告する必要はなく、指導の内容は著しくプライバシーに関わるため、よほどの重大案件以外はマスコミに公表されることもない。ときに子どもと親の将来を左右するほどの重大な決定権を持つ児童福祉司だが、「子どもや相談に関する専門家」ではなく、じつは「普通の公務員」であることは、あまり知られていない。
本書によると、児童福祉司は、精神保健福祉士や社会福祉士といった「士」のつく資格職とは性質が根本的に異なる。児童福祉司は、地方公務員試験を受けて役所に入った普通の公務員が、人事異動で配属されて、簡単な研修を受けただけで就く役職なのだ。そして、数年そのポジションを務めたら、他へ異動していくという。本書は、性的虐待の疑いで保護になった小学生女児の担当児童福祉司が、案件の方針決定会議の場で「この家庭について、責任を持ち、指導します」と言った翌年に、児童相談所ではない所へ異動になった事例を挙げて、こんなことが日常茶飯事であると赤裸々にしている。
百歩譲って、専門知識やスキルは乏しくとも、児童相談に対して真剣で熱意ある児童福祉司が多ければ、児童虐待は減少するのかもしれない。しかし、残念ながら現実はそうではないらしい。誰もが虐待を防ぐ、なくす確実な手段なんてわからない。児童福祉司は足繁く家庭に通ったり、親の罵詈雑言や憎悪を受け続けたりする、肉体的にも精神的にも相当な激務である。だが、虐待に関するニュースが流れるとき、児童相談所はマスコミや世間に責められる憂き目にあう。児童福祉司という“一般の事務職”が、誰もが「働きたくない場所」に押し込まれ、心身ともに疲弊していく中で、仕事へのモチベーションを保つことは困難だ。結果、構造的に「保身」「トラブル回避」「ことなかれ主義」という“小役人根性”の児童福祉司ばかりになってしまう。
このような構造的背景から、多くの児童福祉司は、虐待など面倒な親と悲惨な状況に置かれた子どもがいると、迷わず面倒な親の側に立って、子どもを見捨てるのだという。さらには、所内でセクハラ・パワハラを繰り返したり、性的な非行の問題を起こした中学・高校の女子に「最後の生理はいつだった?」としつこく質問する男性児童福祉司、虐待の対応方針を決める「緊急受理会議」が終わった直後に職員大勢の前で「緊急受理会議っていうのは楽しいね」と笑いながら言う児童相談センター所長など、人格を疑わざるを得ない少数の職員が、職場の意欲をさらに下げる。
ところで、児童福祉司がもっとも受けたくないのが「虐待」の相談だと著者は語る。理由はいくつかある。まず、解決への進め方や手続きが煩雑なことが挙げられる。児童福祉司は前述のとおり全てを決定できるほどの絶大な権限を持っているが、虐待に関しては管理職のチェックを受ける必要がある。経過報告が求められるため、放置できない。また、終了させるにしても、他の相談に比べるとハードルが高いという。そのため、できるだけ「虐待ではない相談」に切り替えたいという心理が働く。具体的には、近隣住民から「虐待」の通報があって親を訪問したときに、親が子育てに困っていて相談の意志がある場合、多くの児童福祉司は「虐待相談」を終了し、「しつけ相談」や「性格行動相談」に切り替えるという。こうすれば、進め方は全て児童福祉司次第であり、管理職からノーマークとなる。終了の仕方も、「お母さんに相談の意志が無くなった」だけで十分らしい。
児童福祉司がこれ以上に「虐待」の相談を受けたくない理由は、「親との敵対」であるという。虐待をする多くの親にとって、児童福祉司とは問題を解決してくれる者ではない。自分を否定する者、子どもとの間を引き裂く者なのだ。児童福祉司が家庭を訪問した際、「虐待を疑われるなんて心外だ」と怒鳴る、脅迫めいたことを口にする親は少数ではなく、場合によっては訪問の後日、「児童相談所が虐待を疑ったせいで、妻がうつ状態になった。責任を取れ。謝罪に来い」という逆ギレもあるという。「虐待」の相談を受けるということは、苦情対応が増えるとともに大きな心的ストレスを抱え込む、ということなのだ。
本書は、児童相談所の実態を辛辣に批判しているが、だからといって全ての児童福祉司を否定しているわけではない。そもそも、地方自治体の一組織、公務員採用試験に受かった人間の一異動先であることに構造的無理があると指摘している。このままでは厚生労働省が法改正を繰り返しても、児童相談所は虐待の専門機関にはなり得ないという。本書は、早期に児童相談所を虐待の取り組みに特化した専門組織として作り直すと同時に、養成プログラムの充実を図るべきだと提唱している。

自閉症―学ぶ機会を逸してきた子どもたち

竹内弓乃 特定非営利活動法人ADDS共同代表/臨床心理士 2016年10月13日

少し前に、児童福祉や障害福祉の領域で話題になった動画です。
Can you make it to the end?(あなたはこんな状況をやり切れますか?)
The National Autistic Societyという英国の自閉症支援団体が公開しているものです。
動画では、ショッピングセンターでの何気ない光景を、自閉症がある男の子の視点から再現しています。是非ヘッドフォンを付けて視聴してみてください。
自動ドアが開く音、館内のBGM、子ども用遊具の音、証明写真の撮影音と強い光、ワゴンの中の袋が擦れ合う音、不気味な服の模様、コインの落ちる音、すれ違う人がストローでジュースを吸う音、カラフルな風船、突然視界に現れるたくさんの人、自分の鼓動や息づかい、広告TVの強い光、行きかう人々の視線…
一般的には何でもない、こういった外界情報の一つ一つが強烈に知覚され、男の子はパニックを起こします。
最後に男の子の声で、「I’m not naughty. I’m autistic, and I just get too much information.」と締めくくられます。
確かに、ヘッドフォンを付けて動画を見ると、次から次へと押し寄せる大きな音や光の刺激に身体中がザワザワするような、背筋がゾッとするような感覚になります。
自閉症はどういう障害かというと、一言では説明が難しいのですが、敢えて端的に言うなら、「身体内外からの刺激が、私たちと同じようには脳に伝わらない障害」です。伝わり方に違いがあるだけで、伝わらないわけではありません。ただ、特定の刺激を極端に強く感じてしまったり、逆に鈍感になってしまったり、たくさんの刺激を処理しすぎてしまうなどのアンバランスさがあります。その症状の一つに「感覚過敏」があるといわれます。程度や傾向は一人ひとり異なるため、あくまで一例と捉えてほしいのですが、この動画では、音への過敏性、光への過敏性などが顕著に表現されています。公衆トイレのエアータオルをひどく怖がるとか、テレビの何でもない特定の場面を怖がるという話はよくあり、これもこの感覚過敏に関係します。
結果として、すごく怯えた様子になったり、奇異な行動やコミュニケーションになってしまう、というのが自閉症の一つの状態像です。
街で、パニックになってしまっている子どもがいたり、保育園や幼稚園で、みんなと同じように過ごせない子どもがいるかも知れません。「躾の悪い子」「困った子」と思わず、せめて理解をもって見守って欲しいというのが一つの願いです。
しかし話はこれだけでは終わりません。本記事では、もう少し踏み込んだ話をしたいと思います。

感覚の特異性が、発達の凸凹や遅れに
自閉症の子どもたちやご家族の抱える問題は、感覚が過敏で生きづらいというだけではありません。小さなお子さんだと、「発達の遅れ」として指摘されたり、保護者が「あれ?周りの子ができることが、うちの子はできないな」という違和感をもち、相談に繋がることが多いです。他者の働きかけへの反応が薄い、会話のやりとりがスムーズにできない、身辺自立が進まない、集団活動ができないなど様々な困り感のパターンがあります。なぜ、自閉症がある子どもたちは、周囲の子どもたちができることが、同じようにはできないのでしょうか。
自閉症がある子どもたちは、少数派であるために、「学ぶ機会を逸してきた子どもたち」だと私は捉えています。これには、先ほどの感覚の特異性が大きく関係します。

多くの人は“重要な刺激”を知っている
多くの人は、日常の中で晒される様々な刺激の中から、自分にとって重要な刺激だけを抽出して知覚することができます。例えば、カフェで友人とおしゃべりするときを思い浮かべてみてください。ザワザワした周りの話し声や、コーヒーが注がれる音、食器が擦れ合う音、人の行き交いや足音、窓の外の雑踏などはある程度シャットアウトして、目の前の友人の話し声や表情や身振りだけに自然に注意を向けることができますよね。
冒頭で紹介した動画のように刺激の多いショッピングモールでも、パニックにならずに必要な刺激だけをキャッチし、落ち着いて楽しく過ごすことができます。
これは赤ちゃんや子どもでも同じで、あふれる刺激の中から「これが自分にとって注目すべき刺激だ」ということを本能的に脳が知っているのです。
では、日々発達する赤ちゃんや子どもにとって本能的に重要な刺激とは何だと思いますか?お母さんの存在やおっぱいなどはもちろん生きるために重要なのですが、認知機能や対人コミュニケーション機能の発達のために重要な刺激は?
それは、まず「人」という刺激。それから「視線」や「表情」、「声」、「指差し」などです。意識さえしない人が多いでしょうが、これら全て、赤ちゃんの頃から人が自然に注目してしまうものなのです。

ママが子どもに「お花、いっぱい、キレイキレイね~」とお話している場面だとしましょう。
一般的に考えると、そういう関わりで、子どもは「お花」とか「いっぱい」とか「キレイ」とか様々な言葉を覚えていきます。なぜそんなことができるかというと、余計な刺激を排除して、先ほど挙げたような、発達に重要な刺激だけに自然に注目できるからです。まず、ママという「人」を常に意識できています。ママがお花を指させば、その「指差し」の先に大事なものがあることが分かります。ママもお花を見ているので、その「視線」や「表情」からも、このお花を一緒に見ているんだなという体験を共有します。そこへ、「お花、いっぱい、キレイキレイね~」というママの「声」が同期し、言葉と特定の体験や物が結びついていくのです。ママの言葉を真似して「おあな、きえーきえー」と言えば、ママがニコニコして「そうだね!お花キレイよね~」と笑顔で返してくれます。このような機会を繰り返し経験し、子どもはたくさんのことを学んでいきます。親子の温かい関係性も、このような経験を通して深まっていきます。

学ぶ機会を逸してしまう自閉症の子どもたち
これがもし、刺激の取捨選択を脳が適切に行わず、他の様々な刺激のほうを強く感じていたらどうでしょうか。
ママと一緒にお花畑を歩いているとき、色々な刺激が入ってきます。車の走る音、空の色、雲の動き、鳥の声、風の音、風で揺れる草花、虫、道にある砂利や、それを踏んだ感覚、通りすがる人の動き、足音、話し声、誰かのリュックについているキーホルダー、服の模様、遠くにいる人の声。そのような様々な刺激をすべていっぺんに感じながら、ママの「指さし」や「声」、「表情」だけをしっかりとキャッチして、学ぶことができるでしょうか。それは、実際非常に難しいことのようです。
このような、日常生活の中の学びの機会は、毎日何度も何度も訪れ、子どもたちだけでなく、私たち自身もたくさんのことを学びながら大人になってきました。その自然に訪れる学びの機会を、自然に逸し続けてきてしまうのが、自閉症がある子どもたちによくあるケースです。その結果、同年齢の子なら「できて当たり前」のことができないということが増え、「発達の遅れや偏り」という形で特徴が顕在化するのです。

その子に合った学び方がある
では、自閉症の子は学べないのでしょうか?コミュニケーションや身辺自立や色々なことを「学べない障害」として受け入れるしかないのでしょうか?
確信をもって言いますが、それは違います。自閉症がある子どもは、「学べない子」ではなく、「学び方の違う子」だと私は思います。実際に私がかかわってきた自閉症の子どもたちは、その子に合った教え方とほめ方によって、本当に多くのことを学んでいます。一言も言葉が話せなかった子が、おしゃべりになって困ることもあります。靴を履くのが難しかった子が、シンプルに1手順ずつ教えることできちんと靴を自分で履けるようにもなります。
支援方法として、部屋や学習スペースの刺激を少なくすることや、絵カードなど視覚的に注目しやすい補助教材を使うこと、しっかりと目線を合わせて注意を引いてから働きかけることなどは、自閉症があるお子さんに共通して有効な場合が多いです。また、目標を具体的に設定して、小さなことでもクリアできたらしっかり褒めることも重要です。その上で、一人ひとり特徴が異なるので、それぞれの発達水準に合った目標設定や、注目しやすい教材、褒め方などを工夫していきます。
詳しい支援方法はまた別の機会に書きたいと思いますが、筆者が普段自閉症があるお子さんへの支援に用いているのは、「応用行動分析」という科学的にも効果の実証された方法です。気になる方はこちらをご参照ください。
http://www.adds.or.jp/?page_id=1012

子どもの可能性を見過ごさない社会へ
自閉症がある子どもたちは、学べないのではなく、学ぶ機会を逸しがちな子どもたちです。
「一生『ママ』とは呼んでもらえないかと思っていた」
「絵なんて描けるようになると思わなかった」
「ひらがななんて読めるようになると思わなかった」
支援をしていく中で、お子さんの学びに立ち会ったとき、保護者の方から聞く声です。子どもに合った教え方にたどり着くまでに、子どもの学びを諦めてきた方も多いのです。でも、一人ひとりに合ったかかわり方の工夫で、お子さんにたくさんの学びの機会を作ってあげることができます。たくさんの悩める親子が、一日も早く適切な支援方法にたどり着けるように。子どもたちの可能性を見過ごさない社会が一日も早く来るように。この情報を周りの誰かに伝えていただけるととても嬉しいです。

殴る蹴るが止まらない夫への唯一の対処法

東洋経済オンライン 2016年10月11日

※ミセス・パンプキンへの子育て・家族関係などのお悩み相談は
専用メール、専用サイトで受け付けています私はこのように、ようやく相談できる場所を見つけただけで、何も解決していないのにほっとするほど、毎日息が詰まる生活をしています。夫の性格についていけず、苦しんでいます。
結婚15年目で子供が3人います。私が子どもの勉強を教え始めると、夫は「市によってはランクが違う。僕の出た市はランクがいい」などと子供をばか呼ばわりし、それでも子どもが覚えられないと子どもを叱咤(しった)し、殴る蹴るが始まります。
私がかばうと私を殴り、肩を痛めたこともありました。ならば夫から教えてもらえるように仕向けると、お前は子どものことを考えていないと、またののしります。近所から児童相談所にも連絡が行くほどです。
私が不在時には整理整頓名目で、部屋や台所をかたづけてくれるのですが、自分が気にくわない洋服などを勝手に捨てたり、リサイクルに出してしまいます。あらゆる物がなくなり、最初は夫の仕業と気づかなかったので「知らない?」と尋ねると、私の整理整頓が悪いからとまたしかられます。何度も注意して、ようやく止めてもらえるようになっても、また気が変わると繰り返し。子どももお気に入りの服がいつ捨てられるか、気が気でないようです。
夫の暴力は物にも向かい、機嫌が悪いと物に当たって壊します。掃除機、扇風機をはじめ陶器類・はしなどは序の口で、机なども破壊寸前のガタガタです。買い足してもすぐに壊される不安で購入する元気もなくなり、わが家は壊れた家具類だらけです。この家庭に出口はあるでしょうか。
いつかどこかで(仮名)

パンプキンからのコメント
私はこのコラムに寄せられたご相談に対して、自分の年の功をかさに着て、一方的に自分の価値観で判断した答え方にならないよう、随分注意しております。そんな私ですが今回はあえて、今のままだと、あなた方夫婦に希望は無いと断言できます。あなたも気の毒ですが、何よりも子どもさんたちが負うであろう心の傷が心配です。
21世紀の先進国日本では、衣食住さえ保証されればあとは耐え忍べという時代ではありません。あなたの夫君は、家族の人生のホームベースとなる家庭を作るどころか、前世の敵だった人の妻子に復讐しているような敵意に満ちた夫であり父親をしています。
何らかのショック療法をきっかけに彼が変わろうと努力するなら別ですが、このままだと家族全員の不幸が待っているだけです。

子どもの将来も奪う、親の暴力
「貧しいながらも楽しいわが家」という言葉がありますが、この言葉には本当に奥深い意味が込められています。子どもが毎日安心して楽しく過ごせ、健やかに育つ家庭作りは、裕福であることとは別問題で、親の人生観一つということです。
愛情豊かな親に育てられた子どもの多くは素直で誠実です。人を欺くことを知りません。親を愛し尊敬し、感謝することを知る子に育つものです。それは子どもが社会に出て築く人間関係にも影響せずにはおかないものです。そして人生でもあらゆる場面で、その心持ちが力となり財産となるのです。
病院へ行けば病人がいっぱいいるように、このコラム欄を読んでいると、世の中は家庭問題で悩んでいる人ばかりに見えます。ですがあなたの夫君に是非とも少しでも学んでほしいと思う夫・父親像の方が、実は周囲に満ちあふれているのです。大多数の夫婦は相手を警戒せず、信頼し支え合って生きているのです。
妻子は何かが出来るから愛おしいとか出来ないから憎いではなく、存在するだけで大切な存在であるのが、まず人の本能です。年を重ねながらお互いが向上するよう助言はしますが、すること成すことにけなしたり暴力は振るいません。
生活ができるだけ便利で楽しく豊かであろうとする親の努力や価値観は、家具その他の調度品でも表現されます。それらに囲まれて育った子どもたちは、美しいものを美しいと認められるセンスを養ったり、かけがえのない思い出をそれらに重ねるものです。

とにかく子どもたちがかわいそう
うれしいときに共に喜んだ感動、困難にあったときに励まされた思い出など、それらは生涯に渡って、人生の節目節目や、何かの拍子に思い出す原風景の一部になるものです。原風景がしっかりしている人ほど、困難にぶつかった時に、それに打ち勝つ力も大きいと言われますが、あなたの子どもさんたちの原風景を想像しますと、かわいそうでなりません。
夫君がしていることは、今現在、妻子を脅かしているだけでなく、あなたや子どもたちの将来に渡って、深い傷を刻んでいることになるのです。壊れた電化製品や家具、陶器やおはしで暮らし、勉強の覚えが悪いといっては殴られ、それを止めに入った母親が、目の前で殴られる子どもたちの心境と将来を、考えてみてください。夫君の罪の大きさが分かろうというものです。

夫が改心しない限り、同居は無理と覚悟を決める
あなたの箇条書きのようなご相談文を、勝手に少し直させていただきました。あなたの切羽詰ったご心境、お察し申し上げます。同時に私の知人が思い出されてなりませんでした。
彼は妻の性格が大嫌いで離婚したくてしかたがないのですが、それが想像できないほど、いつも妻に優しいのです。理由をきくと、彼の父親が母親にとても優しく、自分もそのような優しい振る舞い以外は、覚えてこなかったからだというのです。あなたの子どもさんたちが、嫌いでもない伴侶に、暴力でしか意思伝達ができなくなるかもしれない可能性をうかがわせるエピソードです。それほどあなたの家庭は、異常事態が続いています。
ここは夫君が変わらないなら、壊れても惜しくない家庭だと、あなたが覚悟をくくることです。あなたはかなり限界にきておられ、このまま大きくなっていく子どもたちも、あらゆる面で心配です。子どもたちが何かでつまずいたとき、あなたも子どもたちを守らなかった責めで、ますます苦しむかもしれません。大げさかもしれませんが、何かコトが起きてから行動を起こしても、遅いのです。
これは私の悪い想像でしかありませんし、むしろ父親を反面教師に母子の絆が深まることも想像されますが、それでも、現在の家庭事情は、あなたにも子どもさんたちにもひどすぎます。
夫君の友人か親戚を介して、あなたが限界に来ていることや、この環境で子どもを育てて予想される現在と将来の弊害を彼に説明し、彼の改心がなければ今の家庭が崩壊することを、説得してもらえないものでしょうか。
あなたが覚悟さえできれば、家庭裁判所が一番いいと思われます。このまま続いても、結局は彼にも不幸しか待っていませんから。