激務で「自殺も考えた…」と介護士。入居者を怒鳴りつける戦場のような介護現場

女子SPA! 2016年10月28日

介護を必要とするお年寄りに寄り添い、身のまわりの世話をする介護士。高齢化によって需要が高まる一方で、慢性的な人手不足から過酷な労働を強いられている人も少なくないそうです。
フランチャイズで全国展開するデイサービス施設Sで働いていたトモエさん(仮名・28歳)は、劣悪な労働環境によって心身のバランスを崩し、問題を抱える介護士や保育士を支援する団体『介護・保育ユニオン』へ声を上げたひとり。1年半勤めた現場の状況を伺いました。

「入居者を人として扱わない」介護施設の実態
ヘルパーとして働く母親の姿に感銘を受けて、中学生のころから介護士として働くことを夢みていたというトモエさん。一心にその道を目指して資格を取得し、念願の介護士ライフをスタートさせました。
「入居者数が10名ほどの施設だったので、和気あいあいとした環境で一人ひとりに寄り添った手厚い介護ができると期待に胸を膨らませていました。でも、その理想は勤務初日で打ち砕かれた感じです」
表向きは国の定める人員基準を満たす4人のスタッフが常駐していると謳っていたにもかかわらず、実際の現場は2人ほどのスタッフで全入居者の対応に追われるという状況。ひとりで5人近い入居者を介助しなければならず、「戦場のようでした」とトモエさんは言います。
「先輩スタッフはまるで流れ作業をこなすかのように入居者に接していて、例えば入居者のかたが『トイレに行きたい』と言っても『オムツにしてよ!』と怒鳴りつけるなど、言葉の暴力も日常的におこなわれていました」
リハビリを兼ねて歩かせたい入居者も寝かせっぱなし、「喉が渇いた」など入居者の要求にも「今忙しいんだから!」「うるさい! 黙ってて!」と一喝して耳を傾けることはなく、先輩スタッフの対応は「人として扱っていない」と感じるほどだったといいます。
状況を改善しようと相談しても、「あなたの理想はわかるけど、人手が足りないんだから仕方がないでしょ。じゃあトモエさんがもっとシフト入れば?」と返されるだけ。
上層部へスタッフの増員をお願いしても、「求人を出しても集まらない」「派遣はお金が莫大にかかるから払えない」などと取り合ってもらえず、「今の人数でも回ってるんだから大丈夫でしょ」と、増員の意思がないことを感じさせる返答もあったそうです。

自殺を考えるほど追い詰められた
本来入居者の心休まる場であるはずの施設は、スタッフの言い合う声が飛び交い、言葉の虐待が横行する戦場のような場所だったという現実。そして基準に満たない人数で介助にあたる日々は、トモエさんの心身を蝕んでいきます。
「本当は丁寧に対応してあげたいのに目先の業務で手一杯で、入居者のかたへ『ごめんね、ごめんね』と心の中でくり返す毎日でした。私がしたい介護はこんなんじゃない。そんな思いと現実のギャップに心苦しさや申し訳なさを感じ、胸が押しつぶされそうでした」
気分の落ち込みを感じることが多くなり、次第に眠れない日も増えていったというトモエさん。それでも気持ちを奮い立たせて出勤し、わずかながらも入居者へ自分ができる範囲の配慮をしていたといいます。
とはいえ、激務の合間にできることは限られていて、ときおりやってきては我が物顔でのさばる上司にも抑圧され、ついには自殺願望まで抱くように。
「病院に行ったところ『うつ症状』と診断されました。このままこの環境にいてはいけないと思い、退職することにしました」
現在入居者のために、ユニオンを通して劣悪な労働環境の改善を求めているというトモエさん。心身に不調をきたしてもなお「次こそは、理想に近い介助ができる職場で介護士として働きたいです」と、夢をあきらめず職探しに励んでいます。

ポスト・ヨウタイキョウを~児童虐待支援

田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表 2016年10月28日

それが「18才」
各地の自治体は、児童虐待支援の中心である児童相談所(児相)を中心として「要保護児童対策地域協議会」という専門家会議を各地で組織しており、弁護士なども加わり個人情報も共有し、虐待被害者である子どもたちを総合的に支援する(要保護児童対策地域協議会設置・運営指針)。
その、通称「要対協」の支援は、当事者の18才の誕生日で終わる。
実質的には、当事者たちが高校生あたりになってくると「見守り」や情報確認が中心となり、児相は幼少期の当事者たち対応に重点を置くようだ。なにしろ、少ない体制で多くの事例を抱える児相にとって、虐待被害者といえども高校生になりある意味「サバイバー」となったハイティーンからはいずれ支援体制を解く。
支援体制が解かれる時、それが「18才」だ。
が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、僕が若者を支援する実感では18才以降もしつこく当事者たちを襲う。PTSDのバイブルである『心的外傷と回復』(ジュディス・L・ハーマン/中井久夫訳/みすず書房心的外傷と回復)によると、回復したかに見えても、中年になっていきなり襲うフラッシュバック(トラウマ記憶の再来)もあるという。
僕が医療者ではなく民間機関の支援者のせいだろう、映画に出てくるような典型的な多重人格のような劇的症状とは出会ったことはなく(あって「乖離」)、それは、鬱であったりパニック障がいのようなかたちで現れることが多い。
または、ひきこもりとして外出できなくなることもある。

状態としてはひきこもりだが
状態としてはひきこもりだが、その背景にはシリアスな児童虐待とPTSDがある。
ハーマンの言う通り、それはいつまでも尾を引く。が、フラッシュバックの内容を当事者たちは語ることはできない。語るという行為そのものが、さらなるフラッシュバックを呼ぶ可能性があり、その言語化による体験の再現が、自分で自分を傷つけることにつながるからだ。
だから当事者たちは仮にフラッシュバックに襲われたとしても多くは沈黙する。そして我慢する。
あるいは、劇的フラッシュバックではなくとも、深刻な気分の低下に見舞われる。メランコリーなその鬱状態は、劇的フラッシュバックでなくとも(トラウマの記憶再現でなくとも)、被害場面に似た環境や映像や人に遭遇したことを契機に当事者を襲う。
それらは、10才だろうが20才だろうが、40才だろうが50才だろうが変わりはない。
ある意味、当事者たちは生涯かけてそのトラウマとつきあっていくことになる。だからPTSDはやっかいなのだ。
ハーマンはPTSDの主原因として、虐待、自然災害、戦争、事故があると指摘する。それらによる傷つきには程度の差はないが、加害者の「顔」が具体的に見えるという点で、虐待は特殊だ。特に、性虐待は、被害者にとってその意味が受け入れられない理不尽なものだ。
その理不尽さは、 18才を迎えたからといって受け入れられるものではなく、これまた生涯を通した刻印として当事者にまとわりつく。
その結果、鬱やパニック障がいの症状を引き起こし、あるいはひきこもり状態へと当事者たちを追い込む。また、こうした症状や状態が現れないこともあるが、それらがいつ襲ってくるかは誰にもわからない。
たとえばこのTEDスピーチにあるように(「子ども時代のトラウマが寿命を20年縮める」小児科医が驚きの実態を指摘)、それが原因で寿命が20年縮むこともあるだろう。

「18才の壁」を突き崩す議論を
だからこそ、「18才以降の支援システム」をなんとか構築する必要がある。
僕は、要対協以降の取り組みをなんとかできないかと思い、弁護士を含む要対協メンバーが定期的に集まり、若者支援の一環として会議を構成している。
そこでできることは安否確認と自立支援の提案程度だが、まあないよりはマシだ。
幸いなことに、ボランティアで弁護士の方や学校の先生方が参加してくれる。それもこれも、上に書いたような「ポスト・ヨウタイキョウ」を誰もが希求しているからだう。
が、児相での支援延長は、体制的にも本人たちの人生にとってもよくはないと思う。
おそらく、自立支援や就労支援としてそれは組み立てたほうが「支援のスモールステップ」の中に組み込むことができ、本人たちとしても自分の人生が進んでいることを実感できるだろう。
ここでは問題提起にとどめるが、児童虐待案件がすごいスピードで増え続ける現在、「18才の壁」を突き崩す議論を始めるときが来ていると思う。★

出産割合は35歳で5人に1人…子どもがいないことを悲観しない。「不妊治療」後の幸せの見つけ方とは?

ダ・ヴィンチニュース 2016年10月28日

子どもがほしいのに妊娠しない。思い切って不妊治療をはじめたのになぜかうまくいかない。でも高い治療費を払い続けてきた不妊治療をあきらめるわけにはいかない。子どもがいない人生なんて考えられない……。
そんな悩みと先の見えない不安を抱えている女性は多いのではないだろうか。
2014年のART(生殖補助医療)の患者数は約46万人で、同年に生まれた体外受精児は4.7万人。出産年齢で“高齢”とされる世代別の出産割合は、35歳で5人に1人、40歳で10人に1人、45歳になると100人に1人と不妊治療の現実はとてもシビアだ。
では不妊治療をあきらめた人たちはどんなタイミングで決断し、結果をどのように受けとめ、どんな生活を送っているのだろうか?
不妊治療経験者が情報を共有できる場が少ないなか、16人の“不妊治療のその後の物語”と産婦人科医やカウンセラーのインタビューを収めた『不妊治療のやめどき』(WAVE出版)という本が、発売から半年以上経った今も注目を集めている。
著者の松本亜樹子さんも不妊治療経験者で、その体験談を赤裸々に綴っている。
子どもを望んでいる女性が妊娠、出産できないという現実は、そう簡単に受けとめられるものではない。松本さんも不妊治療中は人の出産をうらやんで自己嫌悪に陥り、「妊娠したい」ではなく「妊娠しなきゃ」という強迫観念に駆られて精神的に不安定になっていった。そこから抜け出した彼女のアドバイスは、当事者でなければわからない苦しみに寄り添う具体的なものばかりだ。
たとえば不妊治療の結果(ゴール)は「妊娠する」ことだけではなく「妊娠しなかった」こともひとつの結果を得ることだと考える。妊娠できない自分は決して不合格でもダメな人間でもないから頑張っている自分を認めてあげる。「諦める」という言葉は仏教用語の「明らめる」で「明らかにして見極める」という意味があり、新しい人生に進むためのはじまりになる……。
松本さん自身は子どもをあきらめた後、不妊体験者を支援する“妊活コーチ”として活動をはじめNPO法人Fineを設立。孤独になりがちな不妊治療患者の交流の場を全国展開して国政にも働きかけるなど、新しい人生で大きな花を咲かせている。
不妊治療経験のある16人の女性たちもそれぞれの輝きを放っている。仕事と不妊治療を両立しながら職場のトイレで涙したこともあった女性は、44歳のとき7回目の体外受精で断念。その後に行政書士の資格をとり落語と着物ライフを楽しんでいる。体外受精で流産を2回、妊娠24週で死産も経験した女性は、乳児院のボランティアや児童養護施設の子どもたちの支援をしながら養子を検討中だ。不妊治療期間は「人生の冬休み」だったという女性は、キャリアカウンセラーとして活動をはじめた。2年間だけ不妊治療をした女性は里親になり里子を特別養子縁組して育てている。34歳と早い段階で不妊治療に区切りをつけた助産師の女性も、長男と長女をそれぞれ特別養子縁組で迎えて忙しいながらも充実した日々を送っている。
本書に収録されている産婦人科医はこう語る。
がんを患って「あなたの5年生存率は80%です」と医師に言われると多くの人は残りの20%に入ってしまうと心配する。しかし体外受精の成功率が20%と聞くと80%は妊娠できないのに「私は妊娠できる」と考える女性が多いと。
その一方で、Webメディア「こそだてハック」の調査によれば、不妊治療経験者の2人に1人がやめようと思った経験があり、その理由の1位が「精神的に不安定になったから」(60.4%)という結果も出ている。
不妊治療のやめどきに正解はない。しかしそのシビアな現実に打ちのめされる前に、そして不妊治療を「後悔するもの」ではなく「自分の愛しい人生の一部」にするためにもこの本を参考にしてほしい。松本さんのそんなメッセージがひとりでも多くの孤独な当事者に届くことを願う。