子どもの心の傷、医療ケアを 家庭内暴力、自傷行為、親の虐待 専門病棟、九州は3県のみ

西日本新聞 2017年1月30日

家庭内暴力、自傷行為、親からの虐待…。こうした状況下で心に傷を負っているにもかかわらず、医療的ケアを受けられないまま成長してしまう子どもは少なくない。だが、国が整備を促す「児童思春期病棟」は道半ばで、九州でも佐賀、長崎、熊本3県に4病棟のみ。子どもの心は発展途上だけに専門的な支援が欠かせず、識者は「都道府県に1カ所は必要」と訴える。
「八方手詰まり。専門病棟は喉から手が出るほど欲しい」。福岡県内の児童相談所職員は打ち明ける。児相の一時保護所には、親に暴力を振るうなどして保護される子が後を絶たない。施設での集団生活ができないほど精神的なダメージを受けている場合もあり、入院治療を受けさせたいが、県内に専門病棟はない。
通院させようにもそもそも児童精神科医が少なく、初診まで1~3カ月待ち。県外の専門病棟が満床で、親元に戻すケースもある。「成長するにつれて症状が悪化し、社会に適応しにくくなる。早期治療が必要なのに…」。職員は嘆く。
そこで国は2002年度から、患者のおおむね8割以上が20歳未満で、子どもの治療経験がある医師を2人以上配置するなどの条件を満たした病棟に対し、2年に1度の診療報酬改定のたびに優遇策を拡大してきた。15年10月現在、全国で32病院が1102床を開設。九州では3県の4病院に153床ある。
福岡県でも動きが出てきた。久留米市の医療法人光生会(堀川百合子理事長)が19年にも、運営する久留米厚生病院の建て替えを機に全69床のうち30床前後を充てる構想を進めている。退院後の生活を支援するデイケアも計画している。
提案した堀川理事長は副院長を務める別の精神科病院で、子どもの入院が年々増えて2割を占めるようになり、特化した治療の必要性を痛感したという。「大人に恐怖感を抱く子は、大人と同じ病棟での治療は難しい。長い時間をかけて人との関わり方を学び直す必要もあり、数週間から数カ月単位で患者が入れ替わる一般病棟はそぐわない。スタッフの専門性を高めて細やかに対応したい」と話す。
一方で医療現場では「それでも採算が取れない」との声が根強く、専門病棟の約7割は公立病院による開設だ。日本児童青年精神医学会の齊藤万比古前理事長は「専門医の養成や子どものメンタルヘルスを向上させる地域拠点としても期待される。学校、児相、保健所などと連携する仕組みの構築が必要で、さらなる公の支援が欠かせない」と注文する。

【ちば深読み】千葉市の男性保育士活躍推進プラン ネットで賛否…議論過熱

産経新聞 2017年1月29日

男性保育士が働きやすい環境づくりを進めようと、千葉市は新年度から「千葉市立保育所男性保育士活躍推進プラン」を実施する。これまで女性職員が多かった保育士業界で男性の活躍の幅を広げることで、保育の質の向上や父親が積極的に保育に打ち込める環境を整えることが目的。一方で、「男性に女児の世話を任せることに不安がある」といった保護者らからの意見もあり、インターネット上では賛否両論を呼ぶ事態にも発展している。(中辻健太郎)

倉庫で着替える人も
約130人の児童が元気に駆け回る同市美浜区の市立保育所では、12人の正規職員の保育士が勤務。うち4人が男性保育士だ。2歳児のクラスを担任する30代の男性保育士は、「相撲などの体を使った遊びでは男性保育士ならではの活躍ができて、保護者から『楽しかった』といってもらえることもある」「保育していた子供たちが成長し、町中で声をかけてもらえたりするのがうれしい」と、日々の仕事のやりがいを話す。
市幼保運営課によると、市内の公立保育所の数は、認定こども園を含め平成28年4月1日現在で59カ所ある。市内の正規職員の保育士は全体で700人だが、男性保育士の数はそのうち50人と全体の1割を切っている。
男性保育士の数は18年4月で12人、5年後の23年4月には32人と徐々に増えつつある一方で、56人いる保育所長に現在でも男性が1人もいなかったり、保育所の中には男性用のトイレや更衣室が備わっていなかったりと、女性職員が大半を占めている職場で男性保育士の労働環境には課題が残されている。男性は「更衣室がない保育所の中には、男性保育士が倉庫で着替えをしている場所もある」と話す。

働きやすさを追求
同市は「ダイバーシティ(多様性)推進のためには、女性の社会進出の促進と同時に、男性が少数派を占める職場の見直しも必要」とし、男性の育児意識向上も目指した男性保育士の勤務環境の見直しを進めることを決めた。
計画期間は今年4月~39年4月までの10年間。プランではまず、男性保育所長を34年度までに1人、39年度までに5人に増やすといった登用目標を設定。この目標に向けたキャリアデザインとして、市役所の幼保支援課や児童相談所といった育児関連の他部署への配属も積極的に進めていき、将来所長として保育所を運営する素養を深めるとしている。
労働環境については、すべての市立保育所の調査を行い、トイレの男女完全分離化といった整備を進めるなど、働きやすさを追求するという。熊谷俊人市長は「働きやすい環境をつくることで、保育の世界を目指す男性に千葉市で働きたいと思ってもらえることにも期待している」とした。

「女児保育に不安」
だが、市にはこれまでにも保護者らから「女児の着替えやおむつの交換を男性保育士にさせないでほしい」といった保育上の配慮を求める要望も届いているという。ネットの短文投稿サイト「ツイッター」で熊谷市長に対し「女児の着替えを女性保育士に望むことは保護者としては当然」など、不安を吐露する声も上がっている。
これに対し、「男女共同参画社会の実現に向けて必要な施策だ」などとプランの策定を評価する意見もあり、賛否をめぐり議論が過熱化する場面も散見する。
市では昨年9月、各保育所に市の方針として「男性保育士も女性と同様に保育全般に関わる」と保護者に通知するよう要請。入所申込書にも同様の文言を組み込むなどし、保護者らに性差に関わらない保育を実施することへの理解を求めている。
前出の男性保育士は一連の論争に対し、「極端な形で議論が進んでいるのが残念」と懸念を示す。「不安に思う保護者の気持ちももっともだが、現場ではプロの一保育士として、男女隔てなく児童たちに接しているということを分かってもらいたい」と話している。

知っているようで知らない「芸者」~実際はどんな職業なんですか? 「花柳界」と彼女たちの歴史をたどる

現代ビジネス 2017年1月28日

仕事に関する誤解
向島あたりの老芸者たちに神輿担ぎの若者を配してドラマを構成し、ストーリーを起こそうとしているけれど、悲しいかな、芸者を上げて遊んだ経験はなきに等しい。
戦時中、高知の四万十川河口の漁村に大阪の花街で芸者をしていたという粉黛染みた肌の年増が疎開してきて、戦後は近隣の女子らに舞踊を教えていた。青年会館で三味線を弾き弾き、女の子が踊りの所作をしくじると、癇を立てて長煙管をパシッと叩き付ける。
そんな様子を私たち悪童は窓に群がり面白がって飽かずに眺めていた。それが私の芸者という存在に触れた最初である。
ネットで向島芸者を検索すると、芸者募集の広告に行き当たった。『年齢二十五歳以下、身長百五十八センチ以下、容姿端麗、お酒に強い方』などとあり、端から衣装や小間物類も貸してくれて声曲舞踏の稽古もさせてくれるそうな。
早速、取材に行きたいけれど、先ずその前に伝統的な芸者という種族の研究をしなければと、岩下尚史著『芸者論 花柳界の記憶』『名妓の夜咄』を繙く。題名の示す通り、『名妓の夜咄』は戦前から新橋で活躍した高齢の元芸者さんからの聞き取りの回顧録で、2冊はところどころ重複はありながらも相補っている。
そもそもの芸者の原型は、豊穣をもたらす神の来訪を巫女が待ち受けて接待し、一夜をともにするという神婚秘儀から生起しているという。
つまり客自らが神となって、巫女である芸者の接待を受けるという神婚秘儀の再生装置として発展して、江戸吉原で初めて芸者という呼び名が生まれた。
吉原とは遊女ばかりが蠢いている一大売春地帯だと決め込んでいたのだが、客と遊女の情が通い合うよう、座敷での弦歌など芸の取り持ちのみを務める芸者が存在していて、遊女の職分を侵さぬよう売色は禁じられていたと知り、目から鱗だ。
古代中世から説き起こして、江戸、明治、大正、昭和、平成の現代までの芸者の様態と花柳界の沿革が述べられている。これ以上の参考書はないであろう。

花柳界の隆盛と衰微
板前がいて客に料理を供するのが料理屋(お茶屋)であって、待合は板前がおらず他所から仕出し料理を運ばせる。料理屋では客の寝泊まりはさせないけれど、待合は居続けも可能だと、そんなことも知らなかった。
「待合政治」と揶揄された明治政府の元勲らの正妻が揃いも揃って芸者出身であったり、権妻と呼ばれた芸者上がりの第二夫人がいたりも合点される。
隆盛を謳われた柳橋、新橋、赤坂などの花柳界も昭和30年代の半ばから、ナイトクラブやキャバレーが接待の場として重宝されるに従って、次第に景気に翳りが見え始め、39年の東京オリンピックの旧市街再開発の追い打ちを喰って、都下の40ヵ所に余る芸者町が姿を消していった。
その後のオイルショックによって大手企業の接待自粛が始まると、政治家も同じ密室政治なら料亭よりもホテルのほうが手軽で好都合だとばかりに足が遠のき、平成を過ぎる頃には江戸時代からの由緒ある柳橋の芸者町が姿を消し、赤坂の料亭もあらかた廃業、花柳界の格を保っているのは新橋のみとなった、とある。
東京の芸者屋にとって何よりも致命的だったのは、戦後の労働基準法と児童福祉法で、六つ七つの幼い少女を子飼いから半玉、そしていっぽんの芸者として仕立て上げるまでのシステムが崩れてしまったことで、冒頭の芸者募集の公告に見る通り、会社勤めやホステスなど他業種からの横滑りも多く、一夜漬け同様の芸者ばかりが右往左往しているのが現状だと、著者もシラけている。
向島には80歳の現役芸者さんもおられるそうだから、戦前から子飼いとして芸事を仕込まれていれば、18、9歳で戦後の花柳界の最盛期を迎え、「ほんものの芸者」として活躍したのかもしれないと妄想してみる。
永井荷風の隠れもなき名作『腕くらべ』は大正期の新橋芸者3人が男を巡って意気地を張り合う展開で、読み物としてのエンタメ性に改めて目を瞠る。過去に映画化されなかったのが不思議なくらいだ。
老芸者たちのひとりが老人ホームに入居して虐待を受けるという設定もあるのだが、藤田孝典著『続・下流老人』によると、東京の場合、民間の有料老人ホームの月額利用料の平均が37万円とあるから、国民年金しかないであろう芸者上がりの老女にそんな金額が払い続けられるものかと心配だ。
日本老年学会が高齢者の定義を65歳以上から75歳以上とすべきだとの提言をなし、政府もそれに乗っかる姿勢なので「国を挙げての年齢のサバ読み」で「一億総活躍社会」の名のもと死ぬまで働かされかねない。
「生きるも地獄、死ぬも地獄」と、老芸者が嘆く場面もアリであろう。
『週刊現代』2017年2月4日号より

タリウム事件、元名古屋大生が「発達障害」理由に無罪主張…どんな影響があるのか?

弁護士ドットコム 2017年1月30日

2014年に名古屋市で高齢女性を殺害し、2012年には仙台市で高校生2人に劇物の「硫酸タリウム」を飲ませたとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた名古屋大の元女子学生(21)の裁判員裁判の初公判が1月中旬、名古屋地裁ではじまった。
報道によると、元女子学生は初公判で、高齢女性の殺害について「特に言うことはない」と述べたが、高校生2人に対する殺意については否定した。争点となっているのは、犯行時に責任能力があったかどうか。弁護側は「発達障害などの影響で、善悪の判断がつかない状況だった」として無罪を主張している。
厚生労働省によると、発達障害とは、自閉症やアスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)など、生まれつき脳の一部の機能に障害があることだ。個人差が大きいが、社会性、コミュニケーション能力、想像力が欠如していることなどの特性があるとされている。
もし仮に、発達障害があったと認められると、刑事事件の判決にどんな影響は及ぼすのだろうか。発達障害を理由に、無罪となったり、罪が軽くなる可能性はあるのだろうか。刑事事件にくわしい永芳明弁護士に聞いた。

発達障害だけでは「責任能力」が認められる例が多いが・・・
「刑事事件では、責任能力がないと無罪とされます。簡単にいうと、責任能力とは、ものごとの是非や善悪を見分けて、それにしたがって行動する能力のことです。
精神の障害などで、(1)ものごとの是非や善悪を見分ける能力(事理弁識能力)、または(2)それにしたがって行動する能力(行動制御能力)が、失われた状態でおこなわれた犯罪は、心神喪失として無罪となります。
他方で、精神の障害などによって、(1)事理弁識能力、または(2)行動制御能力が著しく減退している状態であれば、心神耗弱として、刑が減軽されます。
発達障害がある被告人について、知的障害をともなわないケースでは、善悪の判断に問題がないと考えられるため、責任能力が完全にあると認められる例が大半です。
もっとも、アスペルガー症候群が問題になった事件で、(2)の行動制御能力が著しく低下していた疑いが残るとして、心神耗弱を認めた裁判例もあります(宮崎地裁2013年7月29日判決)」
報道によると、起訴された元女子大生側は、発達障害のほかにも、双極性障害(躁うつ病)もあったと主張しているという。
「今回の事件では、発達障害と双極性障害があいまって、(1)事理弁識能力または(2)行動制御能力が、『失われていた』あるいは『著しく減退していた』と考える余地はあると思います。
たとえば、強い衝動のため、自分がしようとしていることの善し悪しを考えることができなかったり、衝動を抑えることができなかった、あるいはそういったことが著しく困難であった可能性も考えられるということです。
そのような判断がされれば、心神喪失で無罪、または心神耗弱で減刑となる可能性もあります」

インターネットで「神」を探索する

ウィーン発コンフィデンシャル 2017年1月18日

オーストリアのローマ・カトリック教会の信者数は昨年516万人で前年比で0・99%減少した。同国の司教会議が10日、2016年の教会統計を公表した。教会脱会者数は昨年、前年比で微減に留まり、5万4886人だった。
教会脱会者数の動向をみると、2014年5万5003人、13年5万4869人、12年5万2336人、11年5万9023人とあまり変動はないが、2010年には8万5960人と歴史的な記録を作った。同年は教会関連施設内で聖職者による未成年者への性的虐待事件が発覚した年だった。
ここまで書いてきて、宗教改革者マルチン・ルターのことを思いだした。ルター(1483~1546年)が当時のローマ・カトリック教会の腐敗を糾弾し、「イエスのみ言葉だけに従う」といった信仰義認を提示し、贖宥行為の濫用を批判した「95箇条の論題」を発表して今年10月で500年目を迎える。ローマ法王を中心とした教会体制から抜け出し、各自が聖書を中心とする信仰を求めたルターは自ら聖書を独語訳した。
話は急展開し、人類始祖アダムとエバ時代に戻る。彼らは「取って食べるな」という神の戒めを守っていた時は神と直接一問一答できた。神と彼らの間には教会も聖書もいらなかった。
そのアダムとエバが神の戒めを破ってから、神と一問一答できなくなった。人類は家庭から氏族、民族、国家と繁殖・拡大していった。その間、神と民衆を取りなす士師や国王、祭司長らが現れ、神のお告げを民衆に伝えた。神は人間が傲慢となって神のようになるのを恐れ、彼らの言語を混乱させた。そして、ユダヤ民族に約束したイエス・キリストの降臨数百年前には多数の予言者が神の使命を受けて、民衆に神の御心を伝え、「天国は近い」と語りかけた。
「私は神に、神は私と共にある」と叫ぶイエスは、ユダヤ人社会から疎外され、迫害を受け、最終的には十字架で処刑された。神との意志疎通の道が再び途絶えた。イエスが受け入れられていたならば、その福音はローマに伝わり、世界に拡大する予定だった。
イエスの十字架後、ローマ法王はペテロの後継者となって天国のカギを管理した。神との意思疎通はローマ法王を通じて、そしてイエスの体といわれる教会が運営された。
しかし、教会指導部が腐敗堕落する状況になって、ルターなど多くの宗教改革者が登場し、神との対話ルートは教会経由ではなく、聖書にあると宣言し、プロテスタント運動が始まった。
時代は21世紀に戻る。われわれは今、インターネット時代に生きている。神との対話を願うものは教会に足を運び、神父や司教の説教を聞かなくても、インターネット礼拝に参加し、必要ならば聖書の講義を受けることができる。
まとめる。神との対話の歴史は、「アダム・エバの直接対話時代」から「部族・氏族代表、祭司長、預言者経由時代」を通過し、「イエス時代」を迎えた。その後、「教会、ローマ法王経由」から各自が「聖書を通じて神と対話する時代」に入った。そして現代、「インターネット時代」になり、各自が教会に出向かうことなく神を探すことができる時代圏に入ってきたわけだ。神を探索できる時代だ。
ただし、グーグルで「神」をサーチすると、英語で16億以上、独語で1億3700万件以上の結果が出てくるといった具合で、インターネットの世界で自身が求める「神」を探し出すことは容易ではないことが想像できる。
スウェ―デンの国民作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849~1912年)は「子供の時から神を探してきたが、出会ったのは悪魔だった」と書いているが、インターネットで「神」を探索する場合、「神」より「悪魔」に出会う機会が実際は多いのかもしれない。