「この世に障害者という人種はいない」 ホンダ子会社の理念

NEWSポストセブン 2017年9月2日

民間企業で働く障害者は約47万4000人(2016年6月)。13年連続で過去最高を更新しているが、企業が義務付けられている雇用割合の2.0%を達成している企業は全体の半数に満たない。そんな中、36年前から障害者雇用を主軸としている企業がある。大手自動車メーカー、ホンダの特例子会社「ホンダ太陽」と本田技術研究所の特例子会社「ホンダR&D太陽」だ。
ホンダ太陽では車やバイクの部品を生産。障害者の雇用率は51.9%で、健常者と作業台を並べて組み立てや品質管理を行う。一方、ホンダR&D太陽の障害者雇用率は84.6%。最新のCAD技術を駆使した機械設計などデスクワークがメーンで、福祉機器や車、バイクの汎用製品の研究開発を行う。

“健常者”“障害者”の意識すらないでしょう
大分県速見郡日出町。豊かな自然に囲まれた広大な敷地に、ホンダ太陽・ホンダR&D太陽の工場はある。ここでホンダ太陽は正・嘱託社員合わせて計198名/うち障害者(重度・軽度・知的・精神)は97名、ホンダR&D太陽は計52名/うち障害者は44名が働く。
建物内に入ると、広々とした通路を車いすのスタッフと歩行スタッフが躊躇なく行き交い、私たちに「こんにちは!」と声をかけ、通り過ぎる。
「ここでは障害者は特別扱いされません。給与形態も同じですし、自分のことは自分でやるのが基本。助けを求められないかぎり、障害者だからといって手を貸すことはまず、ないですね」
そう説明するのはホンダ太陽の総務課課長でジョブ・コンダクターの直野敬史さん。「おそらく“健常者”“障害者”という意識すらないでしょう」と付け加えた。
昼休みを告げるベルが鳴った。私たちも社員食堂で昼食をいただくことになり、これまた広々とした食堂へ。食事の受け取り口からトレイの返却口に至るまで、すべての動線が車いす目線で設計してある。トレイをひざに置いて移動するのになんの造作もないし、多少動作に時間がかかっても、誰も慌てないしイラつきもしない。もはや、太陽が燦々と差し込む明るい食堂のテーブルにつけば、健常者と障害者の見分けすらつかない。
障害者の自立、健常者との連帯、障害の有無に関係なく作業ができる環境の整備…。まさに、厚生労働省が理想とする企業の労働形態が、ごく自然に目前にあった。

「太陽の家」とホンダ創業者・本田宗一郎さんの出会い
ホンダ太陽設立のきっかけとなったのは、社会福祉法人「太陽の家」である。「障害をもつ人の本当の幸せは、残存機能を活用して生産活動に参加し、社会人として健常者とともに生きることにある」と提唱した整形外科医・中村裕博士が、1965年に障害者が働きながら暮らせる施設として設立した。
1978年、ソニーの創業者、井深大さんの紹介でホンダの創業者、本田宗一郎さんが「太陽の家」を訪れた。中村博士の案内で作業所を見て歩いた本田さんは、ホンダ太陽の設立を決意する。
志を共有するソニー、オムロンも障害者就業支援に乗り出し、1981年には近代的な工場が完成。当時は1階にホンダ太陽、2階にソニー・太陽、3階にオムロン太陽電機が入り、それぞれが生産活動の管理と運営を行って、就労障害者の健康管理と日常生活の支援を太陽の家が行うという、ユニークなシステムが採用された。
オムロン太陽電機はホンダ同様、事業を拡大し、大分・別府にオムロン太陽、1985年にはオムロン京都太陽電機を設立。「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」を社憲に、障害者の雇用を促進している。

普通に仕事をし、車に乗って、普通に人生を楽しむ
「この世に『障害者』という人種はいない。また、同じ人は一人もいない。人にはそれぞれ他にはない個有のすばらしい『持ち味』がある。その違いを互いに認め合う中に、一人の人間としての自立が生まれる。
例え、心身に障害は負っても人生に障害はない。『障害者』としてではなく『一人の人間』として社会に役立ち、普通に生きてゆく。これが私たちの基本理念『何より人間 ─夢・希望・笑顔』です」(ホンダ太陽・ホンダR&D太陽の会社案内より)
「ぼくは子供の頃から、家と病院と養護学校を行き来する生活でした。将来も授産施設(障害者の自立助長を促す職業訓練施設)で働くんだろうなあ…と漠然と考えていました」
そう語るのはホンダR&D太陽で解析業務や競技用車いすレーサーの研究開発に携わる佐矢野利明さん(29才)。
「でも、理学療法士のかたの勧めで車いすレーサーで競技に参加するようになり、ホンダR&D太陽に就職して初めて知ったんです。障害があっても、健常者と同じように普通に仕事をして、普通に車にレーサーを積み、自分で運転して練習や競技に参加する。そんな自由で楽しい生活ができるんだって」
また、工場のバリアフリー設備を担当する技師の藤内芳郎さんは健常者だが、きっぱりとこう言う。
「“障害者専用”という言葉がなくなればいいと思います。この工場の設備はすべて車いす目線で設計、階段はなくスロープです。だって、健常者はしゃがめばいいし、スロープでこと足りるじゃないですか。分ける必要は全然ないし、自分や自分の子供も、いつ障害者になるかわからないわけで、特別な人たちではないんですよ」
生前、障害者の自立支援に尽力し、国際ユニヴァーサルデザイン協議会の初代総裁も務められた“ひげの殿下”こと寛仁親王殿下の言葉を思い出した。
「100%の障害者はいない。100%の健常者もいない。人間は皆、身体(または精神)のどこかに障害部分を持っており、なおかつ健常なる部分をも併せ持っている」
食堂の大きなテーブルから、弾けるような笑い声が響いた。

 

性的トラブル 対応怠り2度被害 愛媛

毎日新聞 2017年9月8日

愛媛県南予地域の社会福祉法人が運営する児童関連施設で児童間の性的トラブルが起きていたのに、施設が対応を怠ったために2度目の被害が起きていたことが、県への取材などで分かった。また、県内の別の社福法人は「経費」で政治資金パーティー券を購入していたことも判明。県はいずれについても早急に改善するよう指導した。
毎日新聞の情報公開請求に県が開示した2016年11月~今年7月の社福法人と施設の「指導監査結果通知書」などによると、南予地域にある児童関連施設では15年度に児童同士の性的トラブルが起きた。その後、児童が施設側に相談したにもかかわらず、児童の部屋を変えるなどの十分な対応をせず、約4カ月後に2度目の被害が起きたという。
県は施設に対し、被害児童の心のケアの実施と、夜間の観察の仕方や児童の部屋変えなどについて検討し、再発防止に努めるよう指導した。改善結果について文書での回答を求め、施設側は「以後十分な対策をとる」などと返答したという。【花澤葵】

 

里親と養子 施設から家庭へ 支援を

北海道新聞 2017年9月5日

厚生労働省は、原則18歳まで一時的に子供を預かる里親や、戸籍上も養父母の実子となる特別養子縁組を大幅に増やす数値目標を打ち出した。
全国平均17・5%と極めて低い里親への委託率を、就学前の子どもは7年以内に75%に引き上げ、就学後の子どもについても、10年以内に50%に増やす。
特別養子縁組についても、5年以内に倍増させ、年間千組以上を成立させるという。
親の虐待や貧困などにより、施設で暮らす子どもたちを家庭的な環境で育てる。目指す方向は妥当であり、評価したい。
数値目標は野心的で過大な印象も否めないが、掲げた以上、政府は、受け皿となる家庭の教育環境が整うよう、きめ細かい支援態勢を築く責務がある。
先進諸国では「施設から家庭へ」の転換が主流になっている。
日本もようやく昨年成立した改正児童福祉法に、家庭的な養育が原則と明記された。
子どもの発達には、特定の大人との愛着関係を築くことが重要だ。施設では複数の職員が担当したり、異動で入れ替わったりして、親密な関係を醸成しにくい。
安定した家庭的環境として、里親や特別養子縁組の役割はますます高まっていると言えよう。
ところが、受け皿の数が絶対的に不足している。
児童養護施設や乳児院などで暮らす子どもは約3万8千人いるが、現状では里親登録数は全国で1万世帯にとどまる。いかに増やすかが大きな課題だ。
里親や養子縁組を成功させるためには、丁寧なプロセスが求められる。子どもの人生を左右するだけに、その個性や受け入れ家庭との相性を考慮して、慎重に組み合わせなければならない。
こうした役割を担う児童相談所は、過去最悪の勢いで増え続ける児童虐待の対応に追われている。専門職員の確保など人員の拡充が急務だ。
受け入れ家庭が決まった後のフォローも欠かせない。
心身に傷を負った子どもが、新しい暮らしに慣れるまでには時間がかかる。なじめず施設に戻る子どもも少なくない。
受け入れ家庭と子どもの双方が相談できる支援態勢を官民でつくり上げるべきだ。
政府や自治体は財源確保に努めるとともに、地域社会全体で受け入れ家庭を孤立させぬように見守る必要がある。