借金して大学進学、意味ある?

ファイナンシャルフィールド 2017年10月3日

 最近では奨学金とか教育ローンの話は、高校3年生本人にも理解してもらう必要性が増しました。
 なぜなら、教育ローンはさておき、奨学金の申し込み窓口は学校であり、成績が審査に関わってきますので、保護者の年収や経済状況だけで済ませられる問題ではないからです。
 高校生がいよいよ長いライフプランニングと真剣に向き合うデビューのきっかけになります。

奨学金と教育ローンの違い:「主語の違い」
 ご相談で「教育ローンと奨学金とどちらがいいんでしょうか?」というご質問をお受けすることがあります。
 「どうしてそう思われるのでしょうか」と聞き返すと、「教育ローンはローンという名前の通り返さなければいけないけれど、奨学金って返さなくてもいいような気がするし」と言われます。
 奨学金の仕組みは国の施策によって変わりますので、整理しておきましょう。
 まず奨学金と教育ローンの大きな違いは主語です。奨学金は「子どもが借りる(あるいは給付を受ける)」のに対して、教育ローンは「保護者が借りる」のです。したがって返すのも保護者が返します。まずはここをおさえましょう。

平成29年からスタートした給付型奨学金
 日本学生支援機構では、特に経済的に厳しい世帯(家計支持者の住民税の所得割が非課税)または生活保護受給中か、18歳時点で児童養護施設等に入所している生徒又は18歳時点で里親等のもとで養育等されている生徒に対して平成29年度から先行的に給付型奨学金制度をさせています。
 給付型ですから返還しなくてもいいのです。
 ですが、ちゃんと誓約書を提出し、7月と10月には在籍確認を行い、毎年度給付奨学金継続願を提出しなければ交付が止まってしまいますので目的をもって充実した学生生活を送らなければなりません。
 これらの財源は国の税金ですから当然といえば当然です。それ以外にも従来型の所得に応じた貸与型奨学金(利子ありと利子なし)は継続して提供されています。

奨学金の申し込みは意外と早い
 ここで注意しなければならないのは、給付型奨学金と従来からある貸与型奨学金も利子がつかない(つまり100万円借りたら100万円だけ返還する)タイプの募集時期は申し込みや書類の手続きが意外と早く締め切られるということです。
 具体的には5月中旬~7月中旬です。そのころにはまだ進路が固まっていないかもしれませんが、奨学金を活用して大学生活を考えている生徒や保護者はタイミングに十分気を配り、乗り遅れないようにしなければなりません。
 「聞いてなかった」という言い訳は通用しない、という大人のルールが適用される初めての経験になるかもしれません。

子供への虐待通報も監視社会の再来!?一部マスコミの歪んだ言い分

ダイヤモンド・オンライン 2017年10月5日

 自分から声を上げることのできない「弱者」である子ども。左翼マスコミが、子どもの権利を守るための罰則規定や通報制度を「監視社会の再来」と槍玉に挙げる理由はどこにあるのだろうか?(写真はイメージです)
 家庭内で人知れず受動喫煙に苦しんでいたり、虐待をされている子どもは大勢いる。しかし、声を上げられない彼らに代わって法律や条例で保護しようという動きが出るたびに、左翼マスコミからは「監視社会だ」「ファシズムだ」との反対意見が出てくる。(ノンフィクションライター 窪田順生)

条例づくりのきっかけは 子どもから寄せられた3件の相談
 今日10月5日、東京都議会で「子どもを受動喫煙から守る条例案」が成立する。
 子どもがいる家庭や、自動車の中での禁煙を努力義務とするほか、学校、児童福祉施設、公園、小児科などの敷地内でも、子どもの受動喫煙防止に努めなければいけないという条例で、このように「子ども」に主眼を置いた受動喫煙に関する条例はこれまで存在していない。
 条例案の骨子をつくった岡本光樹都議(都民ファーストの会)は、「日本初」の条例が生まれた背景を以下のように説明する。
 「もともと私は弁護士として10年以上、受動喫煙に関する相談を受けていました。そこで寄せられるのは、ほとんどは職場や住居における受動喫煙の問題でしたが、3件だけ『子ども』に関するものがありました。それがこのような条例をやらなくてはいけないと考えたきっかけです」
 3件ぽっちで?と驚くかもしれないが、岡本都議にとって、この3件は他の相談と比べ物にならないほど「印象に残った」という。
 たとえば3件のうちの1件では、祖父母と3人で暮らす中学生からの相談だった。2人ともヘビースモーカーで、喉も痛いし気持ち悪くなるのでやめてほしいと訴えた。祖母は家の外で吸ってくれるようになったが、祖父はまったくとりあわず、「嫌ならお前が出ていけ」と逆ギレされる始末だった。
 「私はもう50年、タバコを吸い続けています。そして我が家でも、自由にタバコを吸い続けておりまして、子どもが4人、孫が6人、一切誰も不満は言いませんし、みんな元気に頑張っております!」と胸を張った自民党の大西英男・前衆議院議員のような「愛煙家」のなかには、「一家の主が家で吸って何が悪い」という考えを持つ人も多い。
 それは、裏を返せば喫煙者である親の顔色をうかがって「くさくて嫌だ」「煙いからやめて」という声をあげることができず、受動喫煙を強いられている子供たちが全国には無数に存在しているということでもある。

世界的にも常識になっている 受動喫煙による子どもの健康被害
 「この子は中学生なので、自分でどうにかSOSを発することができましたが、小さな子どもは声を上げることすらできません。この構造は児童虐待とまったく同じ。そこで、小児科医の先生などの協力を得ながら条例案をつくって、いろいろな自治体や厚労省に掛け合ったりしました。そのなかで、小池都知事と話をする機会があって『ぜひやりましょう』ということになったんです」(岡本都議)
 「受動喫煙と児童虐待を一緒にするな」という愛煙家のみなさんの怒声が飛んできそうだが、残念ながら「受動喫煙=子どもの健康被害」を裏付けるようなエビデンスが世の中にはあふれており、圧倒的に不利な状況なのだ。
 たとえば、日本循環器学会のサイトに詳しいグラフが掲載されている「喫煙と乳幼児突然死症候群との関係」(厚生省心身障害研究、1998)という研究では、両親とも非喫煙者の乳幼児に対して、両親とも喫煙者の乳幼児が突然死をする確率はなんと4.7倍に跳ね上がる、という衝撃的な結果が出ている。
 今回の条例制定を支持し、自身もさまざまな小中学校で禁煙教育をしている尾崎治夫・東京都医師会長も、子どもへの「被害」を懸念しているひとりだ。
 「喫煙者の親がいる子どもが気管支炎をこじらせたり、風邪が長引いたりというのは小児科医の間では常識。産業医大の大和浩教授の調査でも、運転席でタバコを吸っていると、後部座席にいる子どもは、中国・北京の7倍くらいPM2.5を吸い込んでいるということがわかっている。こういう事実をしっかりと説明すると、『うちの子どもはそんなに受動喫煙の害を受けているのか』とタバコを控える親御さんも多いのですが、なにしろほとんどの喫煙者の方は知らない。そういう意味では、今回の条例がいい『気づき』の機会になるのではないかと期待しています」

条例はファシズム!? ネットにあふれる勘違い
 なんて感じで医療関係者は手放しで喜んでいる今回の条例だが、世間的にはあまり評判がよろしくない。この条例案を提出する、という報道が出た時は以下のような批判がネットにあふれかえった。
 「家庭のことにまで行政が入るなんて北朝鮮みたいだ!」
 「ナチスが異常に健康管理に気を使ったように、これは禁煙ファシズムだ!」
 大きく頷いていらっしゃる方も多いかもしれないが、個人的には「禁煙政策」と「ファシズム」には何の因果関係もないと思っている。
 それは、今回成立した条例よりも格段に厳しい規制をしている国々を見てもよくわかる。
 たとえば、海外では子どもが乗っている自動車内での喫煙を罰則付きで禁じている国はそれほど珍しくなく、アメリカではカリフォルニア州やオレゴン州など8つの州、オーストラリア、カナダ、イングランド、フランス、バーレン、キプロス、モーリシャス、南アフリカ、アラブ首長国連邦など例を挙げればきりがない。
 ご覧になっていただけばわかるように、アメリカのような「ザ・監視社会」という国もあれば、あまりそういうイメージのない国もある。ちなみに、北朝鮮は金正恩委員長がミサイルを発射しながら取り巻きとプカプカやっている映像が流れていることからも分かるように、「禁煙ファシズム」ともっとも縁遠い国のひとつだ。
 つまり、「子どもの受動喫煙防止」というのは、無理にイデオロギーや権力の話に結びつけるようなものではないのだ。
 では、なぜ「子どもの受動喫煙防止=ファシズム」となってしまったのか。いろいろなご意見があると思うが、筆者は「左翼マスコミ」のみなさんによる行き過ぎた「恐怖訴求」の弊害だと思っている。
 実は先の岡本都議は、受動喫煙問題の弁護士として都民ファーストの会の政策顧問になる前の今年2月、豊島区で今回の都条例に「通報制度」を含んだ条例案を進めていたことがあるのだが、そこでパブリックコメントに寄せられた反対意見の「主張」に驚いたという。

通報=治安維持法の再来! 日本のリベラルの頭の中とは
 「監視社会になってしまう、治安維持法の再来だなどという声が多く寄せられたそうです。タイミング的にちょうど共謀罪反対の動きがあったこともあって、リベラルの方たちから主に寄せられたという風に聞いています」(岡本都議)
 確かに、いまや「朝日新聞」を抑えてリベラル界のクオリティペーパーになりつつある「東京新聞」も、都議会に「子どもを受動喫煙から守る条例案」が持ち上がった途端、安保法制や共謀罪にも劣らないハイテンションで「ハンターイ」と叫び始めている。
 2017年8月13日の紙面では、デカデカと「条例 家庭内まで監視?」という見出しをつけただけではなく、「過度の介入 プライバシー侵害 懸念」という見出しも合わせ、本文には専門家を引っ張り出して、以下のような「恐怖」をリピートした。
 《私生活にまで踏み込む「禁煙ファースト」にうすら寒さを感じないか》
 《一般市民を監視して、権力へ『通報』することが普通とみなされる社会は恐ろしい》
 先ほども紹介したように、子どもへの受動喫煙を防ぐためのルールは世界的にはわりとよくあって、罰則もついている。とはいえ、警察や職員が四六時中パトロールして摘発なんてわけにもいかないので必然的に「通報」に頼らざるを得ない。今回の条例案など何の目新しさもないし、他国に比べて超マイルドで恐怖を感じる要素など皆無だ。
 にもかかわらず、なぜこんなにもガクガクブルブルと足が震えてしまうのかというと、日本のリベラルのみなさんの頭には「通報→監視→隣組の復活→治安維持法の再来」という日本の破滅シナリオができあがっていて、そこから1ミリたりとも逸脱することができないからだ。
 たとえばわかりやすいのが、2013年に兵庫県小野市で制定された、パチンコや競輪、競馬などに生活保護費や児童扶養手当を常習的に使っている人を見つけたら、速やかに通報することを市民の責務とした条例である。不正受給が「犯罪」であることは言うまでもないのだから特に問題はないと市長や担当者は説明したが、「朝日新聞」は右から左で聞き流し、《「密告制度」「監視社会」。そんな言葉が頭に浮かぶ》(13年4月1日)と、日本脱出でもしかねない勢いでうろたえた。

声をあげることのできない子どもは 通報がないと救えない
 01年に大阪池田小事件が起きたことを受けて全国で生活安全条例ができた時も「朝日新聞」は《市民の「警察化」危ぶむ声(監視する社会)》という連載をおこなっている。
 03年11月7日の記事では、警備員が小学校や幼稚園を見回る写真ともに、自治体が警察と連携して「安心・安全なまちづくり」を進める動きに警鐘を鳴らした。警察庁生活安全企画課の担当者が、「犯罪予防で最も効果があるのは『見知らぬ人がくればすぐ分かる』という街の姿だ」と話したのがよほどカンに障ったようで、「それは、相互監視社会ではないか」とつめよっている。
 なんて言うと「朝日新聞」にケチをつけているように聞こえるかもしれないが、個人的には共感はできなくても、こういう考え自体は尊重したいと思っている。70年前と時代が大きく変わっているなかで、なんでもかんでも治安維持法の再来にするのはさすがにどうかと思う時もあるが、とにもかくにも「権力の暴走」に目を光らせるという人たちも、この世の中には必要だからだ。
 ただ、ひとつだけいただけないのは、先の「東京新聞」のように「通報怖い」「監視社会が恐ろしい」があまりにも強くなりすぎて、子供のように自ら声をあげることができない「弱者」のSOSをかき消してしまっている点だ。
 たとえば、10年に奈良県で、両親から十分な食事を与えられなかった5歳男児が餓死をするという痛ましい事件があった。家族は近所と交流がなかったが、向かいのガソリンスタンドの店員たちは、両親が出かけるのをアパートの窓から見送る、やせこけた子どもの姿を何度も目にしていた。
 彼らは「虐待されているのでは」(読売新聞10年3月7日)と話していたが、その声が児童相談所や警察に届くことはなかった。マスコミにあふれている「監視社会」だ、「密告」だという論調にならされていて、「通報」することに抵抗があったからだ。

子育て支援サービスの裏で性犯罪が続発、というジレンマ

NEWS ポストセブン 2017年10月4日

子育て支援サービスを利用する共働き世帯は多い
 児童ポルノや買春、それにまつわるビジネスなどで性的搾取の被害に遭う子供が後を絶たない。簡単に子供を他人に預けるからだと被害者側を非難する心ない声も聞こえるが、労働力不足が報告され、政府は1億総活躍社会を呼びかけ、働ける人はすべて働こうという時代に、家族をケアするサービスの利用は当然だろう。ライターの森鷹久氏が、犯罪の危険があってもサービス利用を続けねばならない事情を追った。

 9月29日、一時預かりをしていた男子児童どうしにわいせつな行為をさせたとして逮捕されたのは東京都荒川区に住む清掃作業員の男(41)。
 男は「子育て支援サイト」に登録し、依頼が来た保護者等からシッターとして男児二人を預かっていたが、その後、男の子の母親が警察に届け出て事件が発覚した。男は容疑を認め「小さい男の子に興味があった」と供述しているというが、既視感を覚えるのは、筆者だけではないはずだ。
 今年2月には、現役の教員や家庭教師を含む男児ポルノ愛好家グループの男らが、強制わいせつや児童買春、児童ポルノ法違反の疑いで逮捕、追送検されている。被害者は170人近くとみられ、男児のポルノ画像10万点以上が押収された。一昨年にも、関西地方で児童ポルノ愛好家ら男5人が児童買春などの疑いで逮捕され、小中学生ばかり47人が被害に遭っている。
 SNSなどを巧みに利用して、表からは見えにくいところで児童ポルノ愛好家らが「組織」を結成。そこで自らが違法に撮影などした画像や映像を交換しあったり、イベントと銘打ち、騙して連れてきた男児にわいせつ行為を働く、というのが最近のパターンだ。そして、容疑者たちに共通するのは、教師や家庭教師、ダンサーや、清掃員といった子供への理解がある「善人」を装い、児童やその保護者に近づいていくという点だ。
 「まさかという思い。子供好きの”いい人たち”だと思っていましたから、ショックです」
 肩を震わせ、驚きと怒りが混ざり合ったような様子で筆者に語るのは、今年2月に逮捕された容疑者らが主催していたイベントに、小学二年生の男児とともに参加した関東地方在住の主婦Aさんだ。
 Aさん一家は共働きで、夫ともども土日にも出勤することも少なくない。そういった環境の中で、容疑者らがイベントを開催し、子供の面倒を見てくれていることにありがたみを感じていた。子供もイベントを「楽しい」と話し、容疑者らをお兄ちゃんと慕っていたのだ。幸い、Aさんの子供は被害者にはなっていないというが、Aさん夫婦が受けたショックはあまりにも大きく、それまで通っていた習い事を全て辞めさせ、仕事に無理をきかせても、出来るだけ子供と一緒にいるようになった。
 「いい人だった容疑者らが、実は悪魔、性欲のままに行動するケダモノだったかと思うと、それを見抜けずに子供を預けていた私たちも、反省すべきところがあるかもしれない。何よりも、恐ろしい場所に、何の疑いを抱くこともなく我が子を預けてしまっていたというのが、悔しい」
 ネットで知った、安価で自身に都合の良い託児サービスを利用した方も悪い、そもそも子供を産まなければ良いだろう──。そういった指摘が聞こえてきそうでもあるが、それは託児サービス利用の難しさや、子育て環境の厳しさを知ろうともしない無責任な発言だ。
 Aさん夫婦には、子供の世話を考えられないくらい極貧で経済的に追い詰められ、馬車馬のように働かなければならない事情はない。とはいえ、夫婦のうちどちらかが仕事をやめ、子供の世話にかかり切りになるほど余裕があるわけでもない。今後の教育費や生活費のことを考えたら、夫婦ともに働くのはごく自然な選択だ。
 お金があるなら、それなりの金額を提示して確実な託児サービスを利用すればよいと思うかもしれない。だが、金をいくら積んだところで、急な預かり保育に対応してくれる機関は少ないのが現実だ。
 Aさん夫婦は、子育てを最優先にしたいと願いつつも、会社から、そして職場の同僚からのオファーがあれば仕事に駆けつけなければならなかった。こういった人々が日本社会を支えているというのは、もはや周知の事実だ。そんな中、レクリエーション色が強く、しかもフレキシブルに困った夫婦に対応してくれるサービスはほとんどない。我が子にとって”有益だ”と思える場所がある。そんな場所を見つけた時、親はありがたがって利用したいと考える。金銭的な負担が軽ければ、なおさらだ。
 悪人は、こうして魅力的な場所を提示し、半ば追い詰められた、選択肢のない家族をピンポイントに狙っているとさえ思える、卑劣な手段を用いていた。
 昨年、関東の男性小児科医が、学校検診の際に複数の小学生児童の下半身を執拗に触ったのではないかという騒動が起きた。小児科医は、地元での評判もいい年配の開業医だったが学校医を辞め、この騒動は事件化されなかった。医院はその後しばらく営業を自粛したが、いまは再開している。医院に子供を見せたことのある主婦は、いまも憤りを隠さない。
 「小児科医や先生、放課後ルームの先生など、子供が好きなのは当然であり、私たちが”善人”だと思っていた方々にこういうことをやられると、もう何も信用できない」
 冒頭にあげた事件で逮捕された男のものとみられるSNSには、自身が「小児性愛者」であることを伺わせる書き込みが見受けられた。子供と接する役割をまかせるには検討が必要な性癖を、必死で隠すこともしなかった男が、なぜ子育て支援サイトでシッターを務められたのか。
 児童教育の現場からは「人が足りない」との悲鳴もあがるが、正規の教職員や保育士などを増員するのではなく、臨時職員を募集してしのぐ場合がほとんどだ。だからといって誰でも彼でも、それこそ猫の手だろうが犯罪者の手だろうが借りてよい、ということにはならない。だが現実には、入念なチェックをする余裕がなく、検討する時間と手間より、早く人員を増やして受け入れ子供数を増やすことが優先されている。
 児童教育の現場だけではない。老人介護や障害者施設などでも、善人のはずだったスタッフや関係者が引き起こす痛ましい事件が後を絶たない。日本人が信じてやまなかった「性善説」に依拠して生き抜ける時代は、すでに終わってしまったかのようだ。危ういところで犯罪に巻き込まれずにすんだAさん家族も、いつまでも仕事の都合を無視し続けられないだろうから、近々、何らかの託児サービス利用を再検討しなければならないだろう。事件や事故に遭わないためには、運にまかせるしかない時代になってしまったのだろうか。