日本で深刻「子どもの6人に1人貧困」これを救う「魔法の缶詰」とは?

リビング福岡・北九州 2017年10月31日

 食べられるのに販売できない、家庭で眠ったままになっている…そんな“もったいない”食品を活用する取り組みがあります。
 持ち込みOKの食品、NGの食品をチェック!
 子どもの貧困率が16.3%。子どもの6人に1人が貧困状態といわれる日本(厚生労働省「平成25年国民生活基礎調査」より)。そんな子どものセーフティーネット構築に食品ロスを活用しようと、福岡県内でも「フードバンク」「フードドライブ」の活動が盛んになってきています。

フードバンクとは
 賞味期限内の食品で、まだ食べられるにも関わらず、印字ミスや箱の損傷、規格外などの理由で販売できない“もったいない食品”を、企業や農家・個人などから収集し、生活困窮者(ひとり親家庭、介護家庭、失業者、外国人労働者、路上生活者など)、児童養護施設、障害者施設、老人介護施設、里親家庭、ファミリーホームなどに無償で提供する団体や活動全般のこと。

フードドライブとは
 家庭で余っている食べ物を学校や職場などに持ち寄り、それらをまとめて、フードバンクなどに寄付するフードドライブの“イベント”。だれでも、好きな時間に実施できるボランティアです。

おなかだけでなく、受け取った人の「心」も満たす活動
 特定非営利活動法人「フードバンク北九州ライフアゲイン」理事長・「北九州希望の光 キリスト教会」牧師 原田昌樹さんは、こう語ります。
 「私たちは送付作業の際、食品に励ましの言葉を添えて心を込めています。おなかだけでなく、『自分は1人ではない』と、受け取った人の心も満たすことができると信じているからです。また、送る方も「自分の行動が誰かの助けになる」と心が満たされます。送ったら終わりではなく、“心を込める”ことで活動の中に物語をつくり、良い方向に変えていければいいと願っています。」
 「特定非営利活動法人 フードバンク北九州ライフアゲイン」
フードバンク・フードドライブの活動を通して、命と食べ物を大切にする意識を持ち、誰もが尊厳を持って“その人らしい”生活を営める地域社会の実現に貢献。また、将来を担う子どもが環境に左右されずに明るく健康に育つようサポートすることを目的として設立されました。

 

 

社会福祉士を地域支援の旗振り役に 厚労省 カリキュラム改正へ

福祉新聞 2017年10月31日

社会福祉士養成の見直しを議論する専門委員会
 厚生労働省は24日、社会福祉士養成の見直しに関連し、地域住民が主体的に生活課題を解決するよう社会福祉士が関わることを養成目標の一つにする考えを社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会(座長=田中滋・慶應義塾大名誉教授)で明らかにした。かねて提唱する「地域共生社会」の実現に向け、社会福祉士が住民活動の拠点づくりや立ち上げを支援することを想定。社会福祉法人も巻き込むなど地域の社会資源を総動員する旗振り役として期待を寄せる。
 2018年3月までに養成見直しの方向性をまとめ、18年度中にカリキュラム改正の詳細を固める。周知期間を経て20年度にも養成校で新カリキュラムを導入する。社会福祉士及び介護福祉士法の改正には踏み込まず、実習の方法を改めることなどにより質の向上を図る方針だ。
 現在のカリキュラムは07年の法改正を受け09年度に導入された。その後、福祉の各分野で大きな制度改正が続き、「地域づくり」がキーワードに浮上。全国一律の制度に基づいて専門職が対象者を個別に支援するだけでなく、その地域ごとの特性を生かした支え合いの仕組みをつくることが不可欠だという論調が強まっている。
 厚労省は16年7月、大臣をトップとする「我が事・丸ごと地域共生社会実現本部」を立ち上げ、今年9月には「地域力強化検討会」(座長=原田正樹・日本福祉大教授)の最終報告で地域共生社会におけるソーシャルワーカーの重要性を強調していた。
 同日の専門委員会では西島善久・日本社会福祉士会長、上野谷加代子・日本ソーシャルワーク教育学校連盟副会長がそれぞれ資料をもとに意見を表明。福祉施設を運営する側の内田芳明・全国老人福祉施設協議会副会長は、社会福祉法人改革を念頭に「法人による地域への貢献において社会福祉士の役割は重要だ」と話した。
 厚労省は「地域住民という言葉には社会福祉法人も当然含まれる」(福祉人材確保対策室)とし、その地域に住民票のある人だけでなく、高校や大学、商店や企業も含むとの解釈を提示。社会福祉士が狭義の福祉にとどまらずに活動することを想定している。

 

 

働けない若者に受け入れられた「働かざるもの食うべからず」論

工藤啓 認定特定非営利活動法人育て上げネット 理事長 2017年10月31日
 
 先日、NHK「ニッポンのジレンマ」のスピンオフイベントが行われた。テーマは「働きたいのに働けない・・・若年無業のジレンマ」というもので、モデレーターに古市憲寿さん、地域若者サポートステーション公式サイトでキャンペーンキャラクターを務められている足立梨花さん、そして漫画家の蛭子能収さんとともに登壇させていただいた。
 会場には、働きたいのに働けないという若者や、就職活動に向けて疑問や不安を持っている大学生、いまの働き方でいいのかどうか迷っているビジネスパーソンなどが参加し、事前アンケートや挙手によるインタラクティブなものであった。
 私はNPO法人の経営者、古市さんはフリーランス、足立さんは芸能界、蛭子さんは漫画家と、いわゆる一般企業に属しているわけではないメンバーではあったものの、厚生労働省のデータや地域若者サポートステーションを追った映像などを交えながらイベントは進んだ。
 無業の若者に関するイベントやシンポジウムに登壇させていただくなかで、「働きたい」という想いをもちながら、さまざまな理由によって「働けない」若者をどうとらえるのか。社会的にどんなサポートが可能なのか。当事者の想いはどこにあるのか。それぞれの立場から、働けない状態にある若者に理解を示しつつ、一方でどうしたら働きたい気持ちを実現できるのかを議論していくというのが典型的なパターンだ。
 そして登壇者にほぼ混じることのないのは、「働かざるもの食うべからず」「飯を食うために働くのは当然」「いただける仕事はなんでもやる」といった意見の持ち主であり、イベントの最後の質疑でこの手の話をされると、会場のムードは重いものとなる。実際、私も会場質疑でこのような話を持論として話続けられる方に出会った経験は少なくなく、司会なりモデレーターが止めないといつまでも話が終わらなかったりする。
 もちろん、個々人が持つ考えは自由であり、否定されるものではないかもしれないが、少なくともこの手のイベントにおいては、あえて聞きたいというひとは会場にほとんどいないがゆえに、持論展開の際に会場の空気は非常に重苦しいものになりがちである。
 しかしながら、このようなテーマを掲げたイベントにおいて、会場に来られている方々を含めて、これほどまでに「働かざるもの食うべからず」論が受け入れられた経験は初めてであった。それも働けなかったり、働くことが苦しい若者にだ。それは受け入れられただけではなく、「働きたいけど働けない」という漠然とした言葉に輪郭を描くことにも一役かっていた。
 それは70歳になられた蛭子能収さんのキャラクターがそうさせているものと最初は考えたのだが、どのような話の展開になっても蛭子さんの軸はぶれることがなかった。記憶にある範囲で印象的であった蛭子さんの言葉を書き留めておく。
・働かずもの食うべからず
・食っていくためには働かなければならない
・生きていくにはお金がかかるのだから、稼ぐために働く
・いただける仕事はなんでもありがたく受ける、ありがたいに決まっている
・昔、熱湯風呂に一日に何度か入る仕事があり、熱くて嫌だったがお金もよかったのでありがたかった
 これらの言葉は、働けない状態のひとたちや、働くのがつらいひとには受け入れられないのではないだろうか。働く意味や価値について悩んでいるとき、「食っていくためには働かないと」と言われて納得することは難しい。働けない心情を吐露したところ「働かざるもの食うべからずだ」と言葉を向けられたら、今後そのひとに相談をすることはなくなるだろう。
 しかし、受け入れられないはずの言葉も、蛭子さんが言うとまったく異なる受け止められ方をする。イベント中はずっとその理由を探していた。そして後から気が付いたのは、蛭子さんはそれらの言葉をすべて「自分の話」の範囲を出ることなく使っていた。一般論や「べき」論ではなく、あくまでも「私」という一人称の考え、経験に留めている。
 漁業をされていたご両親を見て、命を懸ける怖さを感じて看板屋に入り、それからさまざまな仕事をされてきた。もらえる仕事はありがたく受け、それは熱湯に入るものも含まれる。生きていくにはお金が必要で、仕事をいただければありがたくなんでも受ける。しかし、その考えを周囲に押し付けることもなく、同意も求めない。自分はそう考えて生きてきており、これからも継続していく。ただそれだけというものだ。
 イベント中は、真面目な「働く」話以外にも、笑いを誘うような話題にもなるが、そういうとき蛭子さんは私がテレビなどで知っている感じで応答し、会場の笑いを取っていた。しかし、働くこと、働く理由、働く未来という話になれば、また「働かざるもの食うべからず」というご自身の場所に立ち、ご自身の言葉と経験を語る。
 東京工業大学の西田亮介先生との共著『無業社会 働くことができない若者たちの未来』などを通じて、働きたくても働けない若者の存在を少しでも知っていただけるようさまざまな場面で発言などをさせていただいていたが、蛭子さんのような「働かざるもの食うべからず」の立場を取り、それが受け入れられるとき、若者と無業の議論はより深く鮮明な形をもって進んでいくものと考える。
 会場のスクリーンには、蛭子能収さんの新刊『笑われる勇気】が投影されていた。その帯にはこう書かれていた。

「“他人の評価”にとらわれない「わが道」の歩き方! 」
 他人の評価にとらわれないというのは非常に難しい。しかし、蛭子さんの言葉を聞いているなかで、他人の評価にとらわれないだけでなく、自分の軸や価値観をしっかり持たれているからこそ、一般論として受け入れられない言葉も必要なものとして若者の心に入っていくのだろう。