「帰るとこ、なくなっちゃった」 少女がこぼした家族の終わり

神戸新聞NEXT 2018年2月16日

ふわふわが好き
 少女がこぼした。
 「帰るところ、なくなっちゃった」
 かぶったままのコートをぎゅっと握りしめた。痛みと強がりの混じった、か細い声だった。

 家族の終わりを突然告げられる。何度も繰り返されてきた光景。ベテラン職員大庭英樹(52)が振り返る。「何回経験してもつらい。たまらんです」。眼鏡を上げ、両目尻を押さえた。
 少女は父と2人で暮らしていた。幼児のころ、ここにやってきた。経済的困窮による養育困難。父が愛梨を預けた理由だった。
 父は1~2カ月に1度、面会や行事で訪れた。愛梨はそのたび大はしゃぎした。「お父さん、大好き」。大型連休の後、父はぱったり来なくなった。何度連絡してもつながらなかった。
 「お父さん、どうしてるかな」。愛梨は毎日尋ねた。小さな心と体は徐々に悲鳴を上げていった。髪を引っ張り、血がにじむまで爪で腕をひっかいた。
 ある日、こども家庭センター(児童相談所)から連絡が入った。父は住居を移し、新しい家族を作っていた。事実を告げなければならない。愛梨が落ち着くのを待った。1年以上を要した。
 わが子を傷付ける親がいる。受け入れられない親がいる。育てられない親がいる。「若いころは『なんちゅう親や』と思っていた」と大庭。でも多くの親子を見てきた今は違う。「この親たちも同じように育てられたんやな」。腹が立たなくなった。ただ、負の連鎖は必ず断ち切る。
 大人たちは見守った。戸惑いや心細さに耳を傾けた。愛梨の顔からちょっとだけ、とげとげしさが消えた。
 「悲しいけど、区切りがついた。ここからが我々の仕事です」。大庭が言う。子どもたちが失った時間を積み直す。裏切らない大人がいると伝えたい。ここにいる間に気付いてほしい。
 「あんたは存在価値があるんやで。生きてていいんやで」(敬称略、子どもは仮名)

【児童養護施設】
 虐待や経済的困窮、死別などが原因で、こども家庭センター(児童相談所)に一時保護された子のうち、家庭に戻れない2~18歳(原則)が入所する施設。2017年4月時点で全国に602施設あり、兵庫県内は32施設。近年、児童虐待が増加傾向にあり、児童養護施設にいる子の約6割が虐待経験があるとされる。里親や里親ファミリーホーム、児童自立支援施設などを含め「社会的養護」と呼ばれる。

子どもたちは何も悪くない 児童養護施設で職員奮闘
 のどかな田園風景が広がる神戸市北区道場町。木もれ陽の注ぐ道の先、小高い山の上に児童養護施設「尼崎市尼崎学園」がある。通称「尼学(あまがく)」。親と暮らせなくなった子どもたちが暮らしている。
 神戸にあるのに尼崎学園。その歴史は72年前にさかのぼる。
 かつては関西学院の修養道場だった。第2次世界大戦中、兵庫県尼崎市の児童が集団疎開してきた。終戦後、関学が土地と建物を尼崎市に提供。1946年2月、尼学の前身が開設された。
 戦災孤児や引き揚げ孤児が暮らした。食べるものや寝る場所のない浮浪児も身を寄せた。高度経済成長期、バブルの崩壊。時代が大きく変わっても、社会の隙間からこぼれ落ちそうになった子たちを受け入れてきた。
 そして現在。ほぼ全員が親のいる子だ。虐待のほか、親の病気や逮捕、経済的困窮で保護された18歳までの約40人が暮らす。
 適切な家庭環境で育たなかったため、基本的な生活ができない子がいる。勉強が苦手な子、他人とのコミュニケーションが難しい子。小さなトラブルはしょっちゅうだ。それでも職員は口をそろえる。「子どもたちは何も悪くない」
 職員や地域の人がそっと光を当てる。その中で少しずつ成長していく。副園長の鈴木まや(50)が強く願う。「人を信じていいんだ、と思える大人に育ってほしい」
 子どもたちの生活に「当たり前」を取り戻す。長期の密着取材を通じ見えてきた原点だ。奮闘する大人たち、ゆっくり育つ子どもたち。尼学で営まれる日常を描く。(記事・岡西篤志、土井秀人、小谷千穂:写真・三津山朋彦)

家族のような雰囲気と、一人になれる時間と場所と

神戸新聞NEXT 2018年2月17日

みんなで「いただきます」
 「ご飯するで。ゲームやめやー」
 午後6時。夕食を取り分け終えた職員大庭英樹が声を張り上げた。リビングから、自分の部屋から、子どもたちが集まってくる。
 「はよゲーム終われや」。中学3年の大和が怒鳴った。小学2年の大雅がしぶしぶ席に着く。「いただきます」
 この日のメニューはかぼちゃコロッケにエビのソテー。みんな大好物だ。手のひらいっぱいの茶わんに山のような白ご飯。中高生がぺろりと平らげる。
 「学園の飯、うまいやろ」。中学2年の太一がのぞき込むように尋ねてきた。即座に「まずい時もあるけどなー」。照れくさそうに大声を出した。
 キッチンの壁には小さな紙がびっしり。用事で個別に食事を取る子のために、食器に添えた名前入りのメモだ。自分たちで張り付けた。「おいしかった」。感謝の数だけ、壁が埋まっていく。
 神戸市北区の児童養護施設「尼崎市尼崎学園(尼学)」。親と暮らせない約40人の子どもが暮らしている。同じ建物内だが、生活するのは「ユニット」と呼ばれるスペース。小学生以上と幼児用に分かれる。
 小学生以上は6人単位。六つの個室と居間、台所、トイレなどがある。「6LDK」のようなイメージで、玄関もユニットごとに別々。「兄ちゃん」「姉ちゃん」と呼ばれる職員が、午前6時45分から午後10時まで常駐する。
 「そらちゃんから風呂入ろか」。皿洗い中の大庭が声を掛けた。入浴は小さい子順。最年少の蒼空がおどけながら風呂場に駆けていく。他の子はゲームやネット。1日で最もゆったりした時間。
 「ユニットになってから落ち着いた」。職員が口々に言う。建て替えは4年前。それまで個人の空間はなかった。(敬称略、子どもは仮名)

配偶者DV 最大の被害者は子供。“負の連鎖”生まれる

NEWS ポストセブン 2018年2月14日

 内閣府が発表した「配偶者暴力相談支援センターの相談件数」(2016年度)は、10万6367件。過去10年で2倍近く増えている。被害内容は「身体的暴力」に加え、人格否定などの「心理的脅迫」、生活費を渡さないなどの「経済的圧迫」まで幅広い。
 世間一般では“夫が加害者で妻が被害者”というイメージが浸透しているが、「最大の被害者は子供だ」と主張するのは、DV問題に詳しい心理士の山脇由貴子さんだ。
 「DV家庭で育った子供たちは、心に闇を抱えながら育ちます。母親が殴られている光景を見て、あまりの恐怖心から精神不安になるだけでなく、発育不全やストレス性のチックなど、身体的症状も出やすいんです」
 実際、NPO法人ウィメンズライツセンターの過去の調査によれば、DV家庭で育った子供には夜尿症や喘息、頭痛、多動や破壊衝動など、顕著な特徴が表れていた。DV家庭で育った子供にとって、極めてセンシティブな時期が思春期だという。
 「かつては恐怖に震えるだけだった子供も、思春期を迎えると、体力的にも父親とわたりあえるようになる。こうなると立場が一転して、父親が攻撃対象になってしまうことがあるんです。
 もともとDV家庭の子供は精神的に不安定なところがありますから、何かのきっかけで積もり積もった怒りが爆発すると、歯止めがきかない。今回の事件も、このケースだと思います。殴られる母やきょうだい…それを見て、長年張り詰めていた糸が切れてしまったのではないでしょうか」(山脇さん)
 成人後もその影響は根深く残る。
 「20代、30代になっても幻聴で父の声が聞こえてきて、恐怖心で動けなくなってしまったり、女性の場合だと男性自体への恐怖心が心の奥底に刻まれ、恋愛ができないかたもいます。『母親を助けることができなかった』という罪悪感に苛まれるあまり、かえって母親に強く依存してしまう男性も見てきました。いわゆるPTSDで、こうした症状は容易には消えません」(山脇さん)
 最も恐ろしいのは、DV癖が親から子へと“伝染”することだ。内閣府の調査によれば、配偶者に暴力を振るった経験のある男性の4人に1人が「18才までに父が母に暴力を振るう光景を見ていた」と回答している。
 「中には『自分もやられてきているし、これくらいは暴力じゃない』と考えている人もいる。幼少期の体験から、DVが当たり前になってしまうのです。完全に“負の連鎖”です」(山脇さん)
 DV家庭の激増を前に、子供たちの救済が急がれるが、残念ながら行政の対応は遅れている。第三者が通報できる児童相談所や学校の教育相談所があるものの、躊躇してしまう住人が多い。
 「現代社会は人間関係が希薄ですから、『あの家はDVか虐待が起きているのではないか』と薄々気づいていても、深入りしないかたが多いんです。また、家庭内のDV加害者は外面がいい人間が多く、そもそも周囲の人間が気づかないケースも散見されます」(元児童相談所職員)
 欧米に比べて当事者が駆け込める専門ケア施設も少なく、DV加害者は、「殴った後は普段以上に優しくなる」ことが特徴で、家族が離れられない共依存の関係に陥りやすい。
 「DVに苦しむ母親に勧めたいのは、『宣言』と『実行』です。『次に暴力を振るったら子供を連れて出て行きます』と宣言し、殴られたら本当に出て行く。ほとぼりが冷めたら戻ってもいいですが、また一度でもDVがあれば即座に出て行く。これをやると、父親が“学習”するんです。殴ると出て行ってしまう、と。それでもDVがやまないときは、離婚しましょう。子供の成長にとって悪影響しかないですから」(山脇さん)