明日、ママがいない 批評まとめ

 

 もし、このドラマが、それほど話題になっていなかったら、新聞の番組表を見て「明日、ママがいない」を番組欄から見つけて、チャンネルを合わせる視聴者が、どれほどいたのだろうか。テレビ朝日の報道ステーション、TBSの水曜プレミアなど、同時間帯の対抗番組を押しのける魅力があるドラマなのでしょうか。
 それでも、どんなドラマなんだろうと、様子見的にチャンネルを回す視聴者もいるでしょう。ところが、内容はともかく、登場人物が子どもたち中心になっているため、「子ども向けのドラマか」と迷わず、報道ステーションに戻る。仕事から帰宅したビジネスマンが、ビールでも飲みながら、ちょっと、テレビをつけるパターンの光景です。
 ところが、今回は、インターネット上や新聞、テレビニュース等で取り上げられ、「明日、ママがいない」と言う題名が、クローズアップされ、普段は、それほど、テレビドラマに興味を示さない人でも、「観てみようか」とチャンネルを回した人も数多くいることでしょう。
 このドラマは、子役を中心に展開していますが、その子役たちは、みんな魅力的なキャラクターです。ところが、芦田愛菜さんに対して、一般視聴者、芸能人がその演技を絶賛しています。確かに、素晴らしい演技力と感心しますが、その演技は、舞台や映画向きの演技で、連続テレビドラマ向けの演技としては違和感があります。そのため、しばらく観ていると、疲れてきます。 鈴木梨央さんをはじめ、その他の子役の演技は、とても自然で、観ていて疲れないし、じわじわと、そのキャラクターに惹かれていきます。つまり、そのようなキャラクターがいるからこそ、芦田愛菜さんの演技が際立っていると見えるのでしょう。 完成された天才的演技の芦田愛菜さんか、自然な演技で感情面を表出させる演技の鈴木梨央さんか、どちらが、魅力的な絶賛に値する演技なのかは、評価が分かれるところだと思いますが、マスコミやインターネット上は、芦田愛菜さん寄りの偏った評価になっているように感じるのは、私だけでしょうか。 
 インターネット上では、様々な主張が飛び交っています。実に素晴らしいことです。しかし、その主張に反する側を非難したり完全否定する行為は、成熟した大人の所作ではないでしょう。相手の主張にも耳を傾け、理解を示す努力も必要ではないかと考えますし、子どもたちに、そのような教訓を示している大人も多いことでしょう。
 Twitterや掲示板上で、一方的に相手を否定する書き込みを見かけます。時には、それが誹謗中傷的な文言になっている場合もあります。それらの行為は、時には「荒し」と表現されることもあります。私たちは、紛争を求めているのか、より良い解決策を求めているのか、願わくば、後者であり、インターネット上の人々も、理性的に主張を討論していただきたいと願います。
 慈恵病院や全国児童養護施設協議会も、主張に一貫性はあるものの、大人の対応として、相手の立場も考慮した主張へと変化しています。大切な事は、「誰(何)を守りたいのか」の一点に尽きます。テレビ局や視聴者は、「表現の自由を制限される危機感」、慈恵病院や全国児童養護施設協議会は、「子どもたち」、守りたい対象が明らかに違うため、その主張は平行線をたどります。そのような場合、双方が納得できる妥協点を探しだし、解決策を導きだしていく作業が必要です。
 「明日、ママがいない」のドラマでは、まず、「児童養護施設」と言うキーワードを前面に出し、また、有名子役の配役で話題性を作り、第1話の視聴率を得、第1話のショッキングな内容で、更に視聴者の興味をドラマに向けて、第2話の視聴率を得て、第3話は、多分、脚本を一部修正し非難をかわし、慈恵病院や全国児童養護施設協議会の要望について作品内容を検討すると柔軟な姿勢に転化することで、視聴者は、「ドラマ内容の変化に興味を持ち」第4話の視聴率へと繋げていきます。そして、隠し球であろう、双子の兄弟、ハンとリュウのエピソードで、もう一度波乱を起こし、最終話である第9話まで視聴率を繋げていく戦略が見え隠れしています。
 守るべき対象は何なのか、「社会として見守るべき子どもたち」なのか「視聴率や視聴者の欲求」なのか。もう一度、再考しても良い時期なのではないでしょうか。
 2010年末頃から始まったタイガーマスク現象により、一般市民が興味を示し「児童養護施設」と言う名称は、その認知度を高めました。しかし、残念なことに、児童養護施設の存在意義については、一般市民の認知が拡がりませんでした。テレビドラマでは、相変わらず、「児童養護施設で育った」=「不幸な生い立ちでトラウマを抱えている」の路線であり、ニュース報道では、「ご招待、ご寄付、ご寄贈」の話題が殆どです。この様な情報のみを目にする一般市民の方に「社会的養護の取り組みを理解して欲しい」と訴えても空回りするだけでしょう。
 また、私たちの知識に最も影響を与えたのは学校教育と思いますが、その学校教育で、児童養護施設の知識を得ることは殆どありませんでした。つまり、「児童養護施設とはなんぞや」の問いに答えることができない状況は当然なのです。
 そして、「明日、ママがいない」の反響です。インターネット上で話題が飛び交っているのは周知の事実ですが、酒の肴に酒場で話題が飛び交ったり、きっと、ご家庭内でも話題の一つとして取り上げられていることでしょう。
 しかし、それは、ドラマに対する話題であり、児童養護施設を理解するためのものではないかも知れません。もちろん、これを機会に、児童養護施設について学ぼうとしている一般市民の方も数多くいます。それは、児童養護施設のホームページへのアクセス数が、ここ最近増えていることが物語っています。児童養護施設へのボランティア活動、ご寄付、ご寄贈等の問い合わせが増えていることも現象として挙げられます。
 これらは、児童福祉啓発にとって、良い効果をもたらしていると言えますが、この期を逃さず、厚生労働省が推進している社会的養護の取り組みについて、各行政機関も、一般市民への啓発を推進していく努力が必要でしょう。
 児童養護施設は、日本全国の子どもたち全員が、対象児童となり得る場所です。現在、児童養護施設にいる子どもたち全員が、ここに来る前は、まさか、自分が、児童養護施設に行くとは誰一人思っていませんでした。「ある日、急に大人の都合で、ここに来た。」と言うのが子どもたちの視線から見た現実です。
 私たちは、そのような子どもたちを社会全体として見守っていくことが大切です。
 「明日、ママがいない」の一連の騒動を通して見えてきたのは、「守るべき存在は誰(何)なのか」と言うことではないでしょうか。