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 視点が、子どもたちやその保護者、社会的養護に向けられており、根拠付けも明確で客観性もあります。

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 このブログは、ある程度の調査をしながら客観的切り口で論じられています。
 ただ、あまりにも文書量が多いので、リンクを紹介しただけでは、読むのをためらわれる方も多いと思いますので、一部、抜粋させていただきました。
 抜粋しても、これだけの文書量になっていますが、可能な限り、本サイトへ飛んで全文を読まれることをお勧めします。

 「松田沙也」なる本名を持つ、脚本家は、この世に存在していなかった。
 といって、ゴースト・ライターでも無かった。
 代わりに、存在していたのは、「大江」というのが旧姓の、この実写版の連続テレビドラマの脚本を、初めて書いた新人の、30歳前後の女性。
 実は、昨年の5月。大江は、結婚した。
 翌月には、新婚旅行で、雨の成田空港をたち、モルジブへと、新婚旅行へ行ってもいる。
 しかし、夫の姓は、松田ではない。
 「松田沙也」なる名前は、それ以前から使っている、ペンネームに過ぎない。まだ、妊娠は、していないようだ。

 だが、「明日、ママがいない」は、それを軽~く飛び越えた、デタラメ産物。飛躍し過ぎ、ありえなさ過ぎ。
 チョ~架空。チョ~・フィクション。
 ただただ、そのすべての関わる人達の心を、傷付けているだけでしかない。まさに、救いようのない愚作だ。
 これは、「フィクション」とか「架空」とかの逃げ口上では、とても片づけられない。そんなもん、書くう??と、大江には、シャレを、かましたい。
 彼女は、まだママには、なっていない。なってみて、初めて、我が子を見て、少しは、書いた傷みに、気付くかも知れない・・・・・

 さて、全9回を強行放送すると明言した、日本テレビの大久保好男(よしお)社長だが、ストーリー展開も変えないと、言い切った。
 世間の冷ややかな視線と、スポンサー皆無の荒波をかぶっているのにだ。
 どうして、そこまで、新人女性脚本家に、肝いり、肩入れ、援護するのであろうか?
 実は、この大久保。卒業した大学は、東京外国語大学(フランス語学科)。そして、元・読売新聞記者にして、元・論説委員。
 そう、お気づきになりましたか?
 大江の実父と、大学で同窓生、職場で同僚だったのであります。
 奇妙な偶然。そう言って置きましょう。点と線は、つながるのでありますが。
 親しい人の、実の娘が脚本家となれば、ひと声かけられ、かけて、新人で、ドラマ未経験であろうが、強力に後押し、推薦したことだろう。
 だから、何としてでも、スポンサーが無くても、最終回まで、強行放映したい。
 記者には、定例会見でも、そんな裏事情は、ひた隠しに隠した。
 ちなみに、大江の実父が教授をしている大学に、元・日本テレビの問題多き男性アナウンサーが、準教綬としていきなり、同じ学科に就任。やがて教授となり、現在は客員教授として籍を置いております。

 なんと、第3回の視聴率が、下がるどころか、逆に15%と、上昇。
 正直、予想外だった。
 観る人の「意識」というのは、なんと言うべきか・・・・。
 日本テレビ放送網(株)と、番組制作スタッフと、「松田沙也」は、やった! やった!と、表向き、意気が上がっていることだろう。この記事も、さらに、逆に、その一助に、ヘタすると成りかねない。
 そう危惧する一方で、この「明日、ママがいない」について、放送中止や、内容の改善や修正を求める関係者の動きについて、
 [表現の自由の侵害]だの、[圧力団体]だのと、歪んだ勘違いをしている輩。
 また、もっと燃えろ!というような、火事場見物の如き、[ネット野次馬]。
 そして、一番怖いのが、[たかがテレビドラマなのに]、そんなに反応するのはおかしい、と主張しつつ、番組内での、児童養護施設のありえなさや、職員の異常な言動、里親の感情などを、[ほぼ事実]なのではないか!? と、信じて疑わない文面を、書き、ないし、打ち殴り書きするネット上の輩が、多いこと!
 自傷行為をしたと報じられている児童が、15人もいる。それについても、「たったの15人しかいないんでしょ。たいしたことないじゃん!」と、書いてのける奴もいた。

 対峙したのは、「全国児童養護施設協議会」の会長・藤野興一と、副会長・武藤素明(そめい)。
 当初は、よくありがちな、厚生省などから早期退職後、天下った名誉職の、へっぽこ官僚かも?と、思っていたら、大間違い。
 2名とも、若い時から児童養護施設の仕事に関わってきた、もろに専門家だった。
 藤野興一(72歳)の方は、明治時代に「孤児院」として発足した児童養護施設に、戦後、親族が関わってきた家に産まれた。
 「鳥取こども学園」を基盤に、時代の流れとともに、子供を囲む環境も変わるに従い、情緒障害児のための短期治療施設など、必要に応じて、大、中、小。さまざまな施設を作り、他県の岡山県からの助成金も得て、運営してきている。
 孤児院のスタートから、すでに創立106周年をかぞえ、普段は、藤野は、園長として、心の傷を抱えている児童たちと接しつつ、職務をこなし、必要に迫られるときだけ、上京している。
 入所している児童を、叱る時は、叱っている。そのやり方は、経験の積み重ね。児童には、叱られる権利があるとも言っている。
 もう一方の、副会長である武藤素明は、61歳。
 駒澤大学の社会学科を卒業したあと、東京都調布市にある、「社会福祉法人 二葉保育園」に、児童指導員として勤め始め、以来一筋。こちらも園長として、日々、頑張っている。
 この「二葉保育園」も、創立は、明治33年。なんと、日本テレビの局舎が今もある麹町に、私立幼稚園として建てたのが、スタート。華族の子供も、貧しい子供も、分け隔てなく預かり育てた。以来、紆余曲折を経て、こちらも、118周年を数える。
 名称こそ、保育園だが、分園も多く拡大。「乳児院」や、「児童養護施設」や「グループ・ホーム」もあり、いつも子供たちと、現実に接している。
 だからこそ、あの心無いドラマに怒りの声を挙げざるを得なかったようだ。
 間違っても、圧力などかけるつもりも無いし、そのような「団体」でも無いことは、調べてわかった。
 別に、支援するつもりなど、毛頭ない。なかなか、交渉ごとが上手く、権謀術数にたけているなとも、感じているし。

 制作局長の、佐野譲顯(よしあき)。
 元アナウンサーという経歴があるのだが、ブラウン管越しに、その名を見た記憶は、無い。その後、プロデューサーを経験したのち、局傘下の番組制作会社である、旧・日本テレビビデオ、現在の「日テレ AXON(アックスオン)」の常務から専務を経て、本社に戻り、現職に就いている。
 AXONが、この問題の番組を作っていることは、過日の記事で書いた。
 で、驚いたのが、なんと佐野も、東京外国語大学を、卒業していたこと。
 佐野は、ドイツ語学科だった。
 大江の実父が、中国語学科卒。日本テレビ社長・大久保好男が、フランス語学科卒。
 見事に、ラインが一本連なった。
 ある人は、こう、私に言った。
 「いやあ、脚本家の新人の女の子の父親との関係までは、知らなかったけれど、大久保社長と、佐野制作局長との長年の親しい関係は知っていたよ。そうだね、屈強なラインと言っても、良いだろうね。新人の子を起用するらしいという噂は、去年から耳にしていた。大胆なことやるなあ、と思っていたよ」
 また、ある人は、「局の社運を賭けたってまで言うと、大げさだけど、ゴーサインが出てからは、すごかったね。大丈夫かなあと、不安視する現場のスタッフ はいたけどさ・・・・。社長と制作局長が、やる気満々でお墨付き、出してるんだもん。もう、プロデューサーたちは、イケイケだったからなあ・・・」
 「会社の社長と、制作局長が、まあ、言って見れば、クビ賭けてもいいくらいの気持ちで、臨んだはずだからね。僕らとしては、何も、クチはさめる訳ないじゃない! ねえ、お分かりになるでしょ? あなたも、この業界と現場、知らないわけないでしょ?(笑)」
 ドラマを始めとして、企画の段階で上層部で審議され、了承を得るのがタテマエ。
 また、局内試写を放送前に行ない、上層部に見て戴いて、問題の有る無しを、チェックする慣習もテレビ局にはある。
 だから、実は多忙でまったくタッチしていなかった、観ていなかったので・・・という、言い訳、釈明は通用しない。
 ましてや今回は、ニコ動に呼びかけ、大々的に一般視聴者向けに、異例とも思える、試写会イベントまで行なった。
 太いライン。いや、個人的な、トリプル、トリオの太い綱でも、結ばれていた。

 しかし、デタラメ過ぎるドラマと、作り方は、いけない。太く、堅いラインも、気になる。
 ただ、事実を調べて、書くのみの身だ。
 会見で武藤は、こう言っている。
 「子供を、まるで動物のようにさげすみ、平手打ちしたり、バケツを持たせたりしているが、あれは、施設内虐待に当たります」
 施設内虐待が、露見し、確認された場合、ヘタすると、施設閉鎖につながる。
 言葉も含めての虐待を、「明日、ママがいない」では、ドラマとはいえ、平気でやってのけている。
 あり得ないことの連続。
 もし、アレが日常茶飯事なら、即刻、立ち入り検査が入り、三上博史演じる施設長は、取り調べを受けたうえ、逮捕拘留される可能性が高い。
 「架空」の「フィクションです」では、済まされない。
 その範疇(はんちゅう)を、超えているのだ。
 1部には、確かに存在していた。いや、今も、あるだろう。個人の「犯罪」が。
 だが、「叩く」「怒鳴る」「見下す」「家畜。動物。ペット扱いする」このドラマの日常。
 このドラマによって、どこもかしこも、全国でやっているんじゃないの?と、誤解されるのが、怖い。
 ましてや、ペットは、無い! 里親に、そんな人間はいない!
 作り手が、無神経のままだけに。
 里親制度にも、誤解を与えるストーリーだ。
 近年は昔と違い、父母の虐待というより、子育て責任放棄による児童が、増えつつあるという。
 預かれる子供は、基本的には、2歳から18歳まで。しかし、個々のケースに応じ、0~20歳まで育てているところもある。
 日本全国に、585か所。児童というくくりでの入所者、3万人を少し超えている。
 あだ名などで、互いを呼び合わない。ましてや、「ポスト」などは、常識外れだ! 誰が、どう言い訳しても、熊本市にある「慈恵病院」を想起させてしまう。
 このドラマは、それが致命傷となった。「架空」と、見なされなくなってしまった・・・・
 全員が、ドラマでは、あだ名。それも、心傷つける、出生にまつわる、あだ名。
 大江(旧姓)が産んだ子供に、そう、マンション近くで呼びかけたら、彼女は平気だろうか・・・・・

「明日、ママがいない」の、キャッチ・コピーに、以下の1文がある。
<捨てられたんじゃない。わたしたちが、捨てたんだ。>
 実は、これに酷似した内容のキャッチ・コピーが、39年前にあった。
<親から、見捨てられたんじゃない。おれたちが、見限ったんだ>
 1975年から、1981年まで、「花とゆめ」という雑誌に連載された、「はみだしっ子」という漫画が、それだ。
 当初は、「われら、はみだしっ子」という題名での、読み切りの予定だった。ところが、読者からの圧倒的支持を得て、題名も変え、長期にわたる人気作となった。
 いまもって、隠れた人気を誇り、テレビのアニメ談義で出てきたり、谷山浩子という、シンガー・ソングライターが、これに材を得て、歌ったりしている。
 この作品のファンや、愛読者に取材したところ、ところどころのセリフや、展開が似ているところがあると言う。
 物語の基本は、それぞれ、親に捨てられたり、親を見限って、家を飛び出したりしていた「4人の児童」。彼らが、知り合い、さまざまな経験をしてゆく、という物語だ。
 そこに、孤児院、現在の児童養護施設も深く関わり、作品中に何人も登場する。
 まさに、キャッチ・フレーズ通り。
 先に、大江が、アニメのプロットや、脚本を書いていたことは紹介した。
 この「はみだしっ子」の人気は、今も根強く、絶版となったりした末に、「花とゆめ」を出版していた白泉社から、文庫となって出ている。
 大江が、このドラマの企画段階の昨年。ネタ探しに苦心した末に、「はみだしっ子」を手にした可能性は、極めて大きい。
 今、このキャツチ・コピーといい、パクリ&酷似疑惑をどう感じているのか、作者である三原順こと、鈴木順子に話しを聞こうと思った。
 ところが・・・・・残念なことに、今を去る19年前。42歳という若さで、この世を去っていた。
 残念でならない。

 もう、そのことからして「明日、ママがいない」は、デタラメ。よく外出。おまけに、きれいな洋服、着まくって(笑)
 そして、もっともありえないことは、叩いたり、いつも恫喝しまくる以上に、児童のココに入ったいきさつや、それまでのその子の家庭の事情を、施設の職員が、ベラベラ、他の児童にしゃべってしまうこと。
 「絶対にありえない!」 「絶対に、してはいけないことです!」
 どの施設の職員も、児童相談所の職員も、そして、長~~~~い都の部署の係の職員も、完全否定し、怒った。
 子供のプライバシーは、どんなことがあっても守り抜くのが、鉄則。そんな大事で秘めたことを、ドラマでは、ベラベラ、ベラベラ。
 いくら、ストーリーや、あらすじを分かりやすくするためであっても、これは、ひどい、ありえない、デタラメの極みだ。
 やむなく入れる親にしても、子供にしても、施設でばらされては、たまったもんじゃない!
 入れたくなくなる。
 今回の取材の過程で、他の児童の事情を、どんなことが有っても話さないのは、もちろんのこと、児童同士でも、将来のことも考え、互いの名字は教えない、とさらに詳しいことが分かった。
 もちろん、あだ名で呼び合うことも、ありえない。
 名前だけ教え合い、「・・・ちゃん」 「・・・・さん」とだけ、呼ばせる仕組みにしている。
 そこまで、細心の注意を払うなど、配慮をしているのだ。ましてや、里子先の、「値踏み」なども、あり得ない。
 ところが、次回では、今度は職員同士が、児童のプライバシーをしゃべりまくり、それを児童が聞いてしまうという。
 もはや、ひどいデタラメの極地。
 ちなみに、「松田沙也」の脚本の手直しも、撮影済みの分の取り直しも、一切していない。
 番組企画当初から、変ったことと言えば、10回連続の放送予定だったのが、1回減って、9回になったことだけ。
 あとは、何一つ変わっていない。
 コマーシャルなど、無くても、厚顔無恥にも、突っ走り続ける!
 東京外国語大学トリオの、強固な結束は、放送終了まで続く!
 入所児童の心と境遇を、ズタズタに切り裂きながら・・・・