復興支援を騙る詐欺 日本赤十字社の職員を名乗る手口に注意

ZAKZAK 2014年3月25日

 東日本大震災から3年が経つ。しかしながら、なかなか思ったように復興が進まない現状に、心を痛めている人も多いだろう。大地震の直後に、震災に便乗するような詐欺が横行したが、今もなお善意を利用した騙しの手口は後を絶たない。
 昨年、80代の女性宅に男から「地震で被災した学校に機械を寄付したいので、名義を貸してほしい」との電話があり、女性は了承した。1週間後、注文を受けたという会社の男から連絡があり、名義貸しは問題なので、警察沙汰になるなどと脅されて、女性は450万円を払ってしまった。
 これは名義貸しを電話で依頼し、相手の同意を取り付けた後に、違法行為をしたなどと言いがかりをつけて解決金の名目で金を騙し取る特殊詐欺の手口である。
 このほかにも、80代男性は児童養護施設の職員を名乗る人物から「震災孤児のための施設の開設をしたいので、協力してほしい」という依頼の電話を受けて、250万円をだまし取られている。
 私たちは震災の復興支援という言葉を聞くと、どうしても警戒心が緩くなりがちであるが、この言葉に誘われて、見ず知らずの相手にお金を渡すことがないようにしたい。
 こうした詐欺は電話によるものだけでない。昨年、日本赤十字社の職員を名乗る50代の男がラーメン店経営者に対して30人ほどの宴会予約をした上で「大震災の復興支援に行く学生の交通費を寄付してほしい」と言い、9000円をだまし取ったとして、警視庁により逮捕されている。
 この男は日本赤十字社の名前が入った封筒を見せるなどして相手を信頼させる手口で、複数人から寄付金を搾取していた。今後も、復興支援への気持ちにつけいるような詐欺が起こりうるので十分に気をつけたい。

子供のネット中傷、削除に壁…運営者が拒否も

読売新聞 2014年3月25日

 インターネット上に書き込まれた小中高校の児童・生徒に対する中傷や個人情報を削除するようサイト運営者に要請したことがある自治体が、47都道府県と20政令市のうち少なくとも53自治体に上ることが読売新聞の調査でわかった。
 要請件数は把握されているだけで約7万件に達する。一方、53自治体中39自治体は、「中傷された本人からの要請でないと削除できない」などの理由で断られた経験があると回答。書き込みが放置され子供が不登校になるケースもあり、専門家は「サイト運営者は要請に応じるべきだ」と訴えている。
 調査は都道府県と政令市の教育委員会、私学担当部署に行った。対象期間は、民間業者などに委託してネット上の中傷を監視する自治体が増え始めた2008年の4月から13年12月まで。

2013年に懲戒処分受けた一般職の国家公務員は332人 人事院

FNNニュース 2014年3月24日

人事院は、2013年の1年間に一般職の国家公務員332人が懲戒処分を受けたと発表した。
人事院によると、2013年の1年間で懲戒処分を受けた一般職の国家公務員は332人だった。
前の年より51人減り、1957年に集計を始めて以来、最も少ないという。
省庁別では、法務省が105人、国土交通省42人、国税庁35人などで、種類別では、免職が25人、停職65人、減給156人、戒告86人だった。
処分を受けた「事由」別では、窃盗や暴行などが123人、不適正な業務処理や報告怠慢などが68人となっている。

結婚は理屈じゃない、障害者向け結婚相談所/横浜

神奈川新聞社 2014年3月25日

 障害や病気があっても結婚し、家庭を持ちたいと願うのは自然なこと。それでも障害や病気を理由に縁談を断られたり、自信を持てずに諦めたり、現実の壁は低くない。横浜にある障害者向けの結婚相談所を介して出会った夫婦を訪ね、結婚の意味を考えた。
 横浜・みなとみらい21(MM21)地区を遠望するマンションのリビング、笑顔で収まる2人の写真が並んでいる。東京ディズニーランドでミッキーマウスの耳を着けておどけ、ウエディングドレスとタキシード姿で背筋を伸ばし…。
 「彼女の笑顔が増えたのは僕のおかげや」。大阪出身、冗談めかしてそう豪語する高木則幸さん(仮名=45)=川崎市川崎区=は脳性まひで右半身が不自由だ。妻由紀子さん(仮名=35)にはパニック障害やうつ病など精神疾患がある。
 食卓では、則幸さんの右隣に座った由紀子さんが「これ食べる?」と料理をサッと取り分ける。休日はそろって音楽教室に通い、人気歌手のポップスを歌う。由紀子さんのストレスを和らげるためだ。
 「うつなんて気合で治せる、と最初は思っていましたが」。則幸さんがまた笑った。僕のおかげや-。冗談であっても、そう口にできる幸福が顔いっぱいに広がる。傍らで由紀子さんがうなずいた。「仕事の帰りを夕食の支度をしながら待つのが楽しみ。健康のために野菜と魚中心の食事にしたら、随分と痩せたんだよね」。結婚生活も4度目の春を迎えた。

諦め強いる壁
 一生をかけ、誰か一人を幸せにしたい。則幸さんが抱いてきた夢は、かなわぬものだと感じていたからこそ思いは強かった。
 小学生のころの運動会。組み体操ができない則幸さんは競技のアナウンス係を担当した。懸命に役目を果たそうとしたが、友だちに出来をけなされ、打ちのめされた。
 両親は不仲で家を空けることが多かった。学校から帰り、不自由な手で自分のためだけに晩ご飯を作る。「自分の事も満足にできないのに、誰かを幸せにできるだろうか」。線路に寝転んで、いなくなってしまいたいと思った。
 外資系の大手証券会社に就職しても、壁はなくならなかった。20代後半に登録した大手結婚相談所では「障害がある人は結構です」と面会を断られた。
 諦めていたのは由紀子さんも同じだった。「病気がある人は、幸せな結婚なんてできないのかな」
 離婚を経験していた。元夫は「仮病だろう」などと暴言を吐き続けた。ストレスでうつ病が重症化。死ぬことばかり考えて過ごしていた。
 由紀子さんも結婚相談所に出向いたことがあった。相談員に病気のことを話すと「薬を常用しているなら子どもを産めないでしょ。それじゃ駄目」。子どもは諦めていたが、病気があるからといって産めないと決まっているわけでも、結婚できないわけでもない。冷たくあしらう態度に傷ついた。

後押し支えに
 2人をつないだのは結婚相談所「NPO法人横浜ブライダルセンター」(横浜市青葉区)の見合いだった。パソコンで「障害者 結婚」と入力したところ、同じサイトにたどり着いていた。それぞれ家庭を持つ夢を諦めていなかった。
 2010年の初夏、プロフィルで互いにカラオケが趣味だと知り、顔を合わせることになった。
 則幸さんが振り返る。「若くてかわいいな、と」。薬が手放せないと聞いていたので様子が気になっていたが、「会ってひと言目が、全然普通やん、でした」。
 カラオケボックスで3時間、障害や病気のことや自分が育った家庭環境、過去の恋愛、結婚経験を語り合った。
 由紀子さんは「男性に対してトラウマのある私のために、家では酒を飲まない、恩着せがましいことは言わない、とはっきり約束してくれて安心できた」。その日の夕方にメールで交際を申し入れ、約半年後に結婚届を出した。
 出会いにはセンターの代表、清水光代さん(67)の後押しもあった。
 見合いのたび、相性が合わなかったり、病気への理解が得られなかったりして落ち込む由紀子さんに「悩めるのも若いうちだけよ」と声を掛け続け、由紀子さんの病気を気にする則幸さんには「相手だってあなたの障害のことはよく分からないのよ。互いに少しずつ理解していけばいい」。

安らぎを求め
 由紀子さんは1度だけ「別れよう」と告げたことがある。結婚間もなく、うつ病が悪化して入院が決まり、タクシーで病院に向かう途中だった。「家事すらできず、則幸さんに迷惑が掛かると思って、申し訳なかった」
 則幸さんは「何もしなくてもええ。居てくれるだけでええ」と声を絞り出した。やはり以前に由紀子さんが入院したとき、電気が消えてがらんとしていた自宅に涙がこぼれた。一人になるのはもう嫌だった。
 本やインターネットで由紀子さんのストレス解消法やリラックスするための体操を勉強したという則幸さん。由紀子さんがうれしそうに打ち明ける。「どうしても外せない会社の飲み会があったときは『酔っぱらいは嫌だったよね。僕は廊下で寝るから、寝室の鍵を掛けて寝ていていいよ』とまで言ってくれました」。最近は重い症状は出ていない。
 則幸さんは前を向く。「誰だって1人では生きていけない。弱い部分は互いに助け合えば何とかなる。障害があることは大変だけど、『起承転結』の『結』ではなくて『転』。障害や病気があるという現状を悲観して終わりではなく、人生を素晴らしい『結』にしていけばいいと思います」。結婚はその長い道のりの通過点。
 清水さんは障害というハードルを乗り越えようとするカップルを見詰めてきた。「心の安らぎや心の豊かさを得るため、人は結婚を望む。理屈じゃない。障害のあるなしは関係ない」。それは世の婚活ブーム、将来への不安から相手の条件をより厳しく見分けるような風潮へのアンチテーゼでもあるようだ。「障害があろうとなかろうと完璧な人間などいない。それと同じで完璧な結婚生活もない。恐れていては何もできません」

偏見を変えていく
 「大船(おおぶね)に乗ったつもりでいなさい」。障害者の結婚相談に乗る横浜ブライダルセンター代表、清水さんの口癖だ。「うまくいくときはうまくいくもの。自分を卑下することなく、運命を信じなさい、と伝えたくて」。出会いに消極的になりがちな背中を押してきた。
 元小学校教諭。主に県立の養護学校(現・特別支援学校)で障害がある子どもと向き合った。57歳で介護ヘルパーに転身し、成人の障害者に接するなかで独身の多さが気になった。
 2007年にセンターを設立。身体障害や精神疾患がある人を中心に約350人以上が利用し、136人が成婚した。現在も95人が登録し、お見合い活動を行っている。障害者向け相談所は全国でも珍しく、北海道や九州など遠方の会員もいる。
 会員同士でお見合いするコースのほか、日本仲人連盟など一般の団体と情報をやりとりできるコースもあるが、風当たりの強さを感じたことも。ほかの相談所から「うちの会員が退会したのは、障害者から申し込みが来たせいだ」と心ない言葉を投げ掛けられた。
 相手の障害を理由に親に反対され、悩んでいるカップルには言う。「反対するのも心配してのこと。自信を持って、2人で困難を乗り越えますと宣言できるようになりなさい」
 会員がいる限り支え続ける。パートナーが見つかるということは理解者を得ること。一組、また一組と社会の偏見を変えていく歩みになると信じている。