追跡:虐待を越えて生きる 被害女性、見守られ自立模索

毎日新聞 2015年05月30日

子供への虐待が後を絶たない。全国の児童相談所が2013年度に対応した虐待相談は7万3802件で過去最多を更新。10年間で2倍以上になった。虐待による心身への深い傷は、簡単には癒えない。自己肯定感や安心感を育むには、大人になってからも長期的に関わって支える存在が必要だ。子供の頃に虐待被害に遭った女性たちのケースを追った。【加藤沙波】

羽島の施設、支えに
「お帰り!」。仕事を終えて帰宅した10代半ばの2人の少女を、女性スタッフが明るく迎える。2人は食卓に向かい、録画したテレビドラマを見ながら、夕食の揚げ物やちらしずしを平らげ、ボーイフレンドの話で盛り上がる。
岐阜県羽島市の自立援助ホーム「Ohana(オハナ)の家」では、家庭的な雰囲気の中、15歳以上20歳未満の少女8人が暮らす。親から虐待されて自宅を出た者や、児童養護施設を退所するなどした少女たちが社会へ巣立つまで、スタッフ10人が支える。
施設長の味岡和子さん(65)が「うちの子」と呼ぶ少女たちは、複雑な家庭環境で育ち、入所後も「約束を守れない」「仕事が長続きしない」「男性関係にだらしない」といった問題行動を見せる。だが味岡さんは「見捨てることは絶対にない」と強調する。
かつて入所していた一人の少女(18)は生後間もない頃から実母に暴力をふるわれた。保育園の時に両親が離婚して父に引き取られたが、今度は継母から殴る蹴るの暴力や食事を与えないなどの虐待を受けた。
小学4年で児童養護施設に入った。勉強が嫌いで、中学時代、授業中はほとんど寝ていた。成績は5教科オール1。教師は見放し、叱ることすらしなかった。
中学卒業後にオハナの家で暮らすようになり、信頼できる大人に出会えた。自室にこもっていると「早くご飯食べんと冷めるよ」とスタッフが声をかけてくれた。夜に脱走した時も、見放さずに捜しに来てくれた。オハナの家から通った介護の仕事を辞めようとした時は、職場の人たちから「一緒に働こう」「来てくれて助かってるよ」と励まされた。「心配してくれたり、喜んでくれたりするのがうれしかった。ここにいれば安心だと思えた」とほほ笑む。
味岡さんは「どうしたら責任や意欲を持ってくれるかが課題だった。周囲に必要とされていることに気づいて変わった」という。
少女は自立を目指し、昨年3月にオハナの家を出たが、婚約した男性とは破談し、仕事は長続きしない。「生まれてこなきゃよかった」と落ち込むこともある。しかし、少女は「オハナの家の人たちは今も見守ってくれている。自分のことが嫌になることも多いけれど、いつかは認めてもらえるようになりたい」と言う。

3月からオハナの家にスタッフとして加わった浅井梨沙さん(22)は、児童養護施設で過ごした自らの体験を生かそうとしている。
小5の時に両親が離婚。自分を引き取った父の過干渉に追い詰められた。門限は午後4時半。指示に従わないと、父は「もう飯は作らない」「習い事の金は払わん」と激高した。同居の祖父母と話しただけで「何しゃべっとったんや」と怒鳴りつけられた。「何をされるか分からない。とにかく怒らせないようにと、いつも顔色をうかがっていた」
自殺願望から、中学の時はリストカットや薬の大量服用をした。友人や先生には相談できなかった。「言ったところで、どうなるわけでもない」と諦めていた。
家出を機に、中3で岐阜県内の児童養護施設へ。子供と関わる仕事をしたいと思うようになり、施設を出て日本福祉大学に進んだ。家賃や生活費などを稼ぐアルバイトと学業の両立は大変で、退学も考えたが、かつて過ごした施設の職員らの言葉で思いとどまった。「大学に入ったあなたは、私の自慢」「応援してるよ」。施設の催しにも誘ってもらった。覚えていてくれたことがうれしくて、裏切れないと思った。
オハナの家では、少女たちから「ねえさん」と慕われる。しかし浅井さんは、少女たちに気軽に話しかけられずにいる。「何気ない言葉で傷つき、今後に影響するかもしれない」と考えてしまうからだ。それでも「過去は変えられない。自分の力で生きていけるよう、手助けができれば」。少女たちと共に成長しようとしている。

唯一居心地いい場所 救ってくれた教育相談員
愛知県内の派遣社員、明子さん(25)=仮名=は、子供の頃に虐待を受け、大人になってからは、母からの過剰な依存に悩まされた。救ってくれたのは中学時代に教育相談員として話を聞いてくれていた女性(66)だ。
明子さんが小学生の頃、両親は離婚。名古屋市内のアパートで母と暮らした。しかし母は帰宅しないことが多く、食事は自分でコンビニで買って済ませた。母が入れ替わり連れてくる男にたびたび暴力を振るわれた。「殴られるのは当たり前だと思うようになった。人への関心がなくなっていき、笑ったり泣いたりしなくなった」と振り返る。
両親が復縁し、引っ越した先の岐阜県内の中学では、非行や不登校の生徒らの居場所となっていた「相談室」に通い、相談員の女性と出会った。「口うるさいけど、何でも話せる親戚のおばちゃんみたい。今まで出会った大人とは全然違う」と感じた。相談室が校内で唯一の居心地のいい場所だった。
一方、両親は再び離婚。高校卒業後に母は明子さんの給料を当てにするようになった。財布から金を抜き取られることもあり、精神的に追い詰められていった。
その時、悩みを打ち明けたのが、中学の相談室で自分を受け入れてくれた女性だった。既に相談員は辞めていたが、明子さんは中学卒業後も、たびたび連絡を取っていた。
一昨年の冬、女性の付き添いで不動産業者の所へ行き、アパートを借りた。母に「私は金づるじゃない」と宣言し、家を出た。元相談員の女性は当時を振り返り「彼女は自分で動くエネルギーすらなかった」と語る。他に頼れる人はいなかった。
明子さんは現在、1人で暮らし、愛知県内の工場で働く。好きなブランドの洋服を買い、友達と遊ぶのが楽しい。「普通に生きていければ、それでいい。こんなに笑えるようになるなんて、思いもよらなかった」

県内の里親「誰かに託すのも愛」

読売新聞静岡 2015年05月30日

虐待や貧困などで、親元で暮らせない子どもの受け皿の一つである里親制度。下田や伊東市などで生後1年未満の乳児を殺害したとして親が逮捕される事件が相次ぎ、県内でも里親制度への関心が高まる中、県中部の里親が読売新聞の取材に応じた。両親は、「誰かに託すことも愛情。里親や施設が、支えのない親御さんの最後の砦とりでになれれば」と話している。(村上藍)

「氷がほしいな」
5月の夏日、季節外れの暑さの中、カナちゃん(2)(仮名)は、マユさん(42)とツカサさん(44)(いずれも仮名)の膝に交互に乗って、飲みかけのコップから氷をすくった。満足げに氷をほおばる顔に、2人が自然とほほ笑み返す。だが、カナちゃんと2人の間に血のつながりはない。
マユさんは結婚後、不妊治療に取り組んだが、一つの区切りと言われた35歳になっても思いは実らなかった。「夫と二人だけの人生でもいい」と、治療を諦め、働き始めた福祉の仕事で偶然、里親制度を知った。
「家族になりたい」。そんな思いがよみがえり、児童相談所で里親登録した。
カナちゃんは、シングルマザーの2人目の子ども。経済的に苦しかったことなどから、親族が妊娠中に福祉事務所に相談した。その後、児童相談所(児相)の仲介で、両者が巡り合った。
2人とカナちゃんは特別養子縁組を結び、法的にも親子になった。人生が豊かなものとなった今、「この子がいない生活は考えられない」と2人は言い切る。
カナちゃんが近所の人に「お姉さんになったね」と声を掛けられると、親としても成長できていると喜びを感じるという。幸せな日々の中、乳児の虐待や遺棄のニュースを聞く度に、「うちに預けてくれれば」という思いを強くするという。
「この子も同じ運命をたどっていたかもしれない……」。2人は、誰にも頼れず、追いつめられた親に伝えたいことがある。「育てることだけが愛情じゃない。手放し、誰かに託してくれることも子どもへの愛情だよ」
児相は、「急増する虐待の対応に追われる現状はあるが、養育に困ったら、児相にも相談できると知ってほしい」としている。

【児童虐待】飼い犬のように扱われた赤ん坊!! 痛ましい姿に世界が戦慄!

TOCANA (風刺記事) ?2015年5月29日?

深刻化する子どもへの虐待。全国の児童相談所に寄せられる相談・通告件数は、毎年数千件ずつ増え、過去最悪を記録し続けている(2013年度は約74,000件)。少子化が進むにもかかわらず一向に減らない児童虐待に対し、ついに自民党は時効を停止する案の検討も始めた(ただし性的虐待を対象とする)。
このように児童虐待への社会の関心が高まっているのは、決して日本だけの話ではない。現在、フィリピンで発生した児童虐待のおぞましい画像が、世界中の人々に衝撃を与えている。詳細についてお伝えしよう。

まるで飼い犬のように……
問題となっている画像を発見したのは、アイルランドの首都ダブリンを拠点に児童虐待の防止活動「Nolonger Victims」を展開するルーレーン・ヒリアードさん(46)だ。今月25日付の英紙「The Daily Mail」によると、彼女がこの痛ましい画像を目にしてしまったのは、Facebookを巡回中のことだったという。
首に紐を巻かれ、ドッグフードを与えられている赤ちゃんの姿――まるで飼い犬のように扱われている! しかも画像の元となった動画は、虐待を加えた母親自身の手で投稿されていた。
「すぐに例えようのない怒りがこみ上げてきました。こんなことは決して許せません」
「母親はどのような気持ちで投稿したというのでしょう。画像はあくまでも母親が“見せたかった”もので、この裏ではもっと恐ろしいことが行われているかもしれません」
「これを見逃せば、母親は注目を集めようとしてもっとひどい画像を投稿するでしょう」(ヒリアードさん)
彼女は、まず虐待画像の存在をアメリカの法執行機関に連絡。後にアメリカ当局がフィリピン側に通告したことで、現地の警察が動き始めた。その間、母親のFacebookページでは、虐待行為を非難する多数のユーザーによって大炎上が起きていた。予想もしていなかった(?)事態に恐れをなした母親は、とうとう自ら警察に出頭。赤ちゃんは無事に保護された模様だ。
「社会全体の問題として、児童虐待をなくさなければなりません」
「(子どもを虐待するのは)ろくでもない母親で、女性を侮辱する存在です。しっかり責任を取り、その後も監視下に置かれなければなりません」
このように、厳しい口調で児童虐待を非難するヒリアードさん。彼女によると、今回保護された赤ちゃんの父親は現地の行政機関で働いているため、裏で何らかの力が働き、母親への処罰が甘くなる可能性も考えられるという。そのため、彼女は今後もフィリピン側に圧力をかけ続けるとした。
SNSの浸透を背景として、アイルランドの活動家、そしてアメリカとフィリピン当局の協力によって一旦の解決をみた今回の虐待事件。子どもへの虐待には、国境を越えて人々が厳しい目を向けている。今後、同様のケースは増えるかもしれない。