国力の基本は幼児教育にある! 子どもをお荷物扱いする日本に未来はない!?

現代ビジネス 2015年6月17日

家庭教育の様子も見抜かれる
先日、娘の通うシンガポールのインターナショナルプレスクール(幼児教育の学校)で三者面談があった。その直前に、ワイン通の有名ファンドのオーナーに彼が愛する希少な赤ワインと素敵なイタリアンをいただき、ほんわかいい気持ちになっていた私は「先生たちに幼児教育オタク化しつつある私の教育論をぶつけてみよう」と意気込み、娘の学校へ向かった。その後、娘の先生の能力の高さに目を見開かされることになるとはつゆしらず。
私を迎え撃つは、シンガポール人、フィリピン人、中国人という三人の若い先生。全員が見事な英語を話し、うち二人は完璧な北京語を話す。子育て経験があるのは中国人女性のみ。
学校での娘の様子から、家庭での様子を論理的に察したうえで説明が始まる。遠回しながら、親である私の愛情に敬意を表しながらも、娘を甘やかすことがいかに害になりうるかを諭される。娘が三人の先生に助けを求めることから、彼女たちは、家内が的確にしつけをしていることを察する。家内とは別の人物が、家庭内で家内の努力をぶち壊していることを想像し、論理的に説明してくれる。その人物とは、私のことである。
夫婦のしつけに一貫性と共通のルールがないと娘が混乱して、増長して、わがままになっていく。私が腹を立て感情的になって娘に立ち向かうようになれば、やはり娘は混乱し、天真爛漫さが失われていく。だからこそ、3歳になる直前の今から家庭内でルールをつくり、一貫性を持って、感情的になることなく冷静に、娘の身になって説明し、いかに自制心を植え付けていくかが勝負になる。
食事からスマホやタブレットのブロックまで、原理は同じである。うちの娘はなぜお転婆なのだろうと思っていたが、それは間違いなく私の一貫性のなさによることに気が付いた。

子供がいなくても育児のプロ
「あなたたち、子育てオタクの私をこんなに見事に論破するなんて、いったい何者? 子供もまだいないし、子育てもしたこともまだないでしょ? なんでそんなに凄いの?」という感じで悔し紛れの反論をしてみた。すると、次のような答えが返ってきた。
「私たちは教育のプロとして、科学的なトレーニングを受け、あなたたちよりはるかにたくさんの子供に毎日接しながらその理論を検証しています。各自のフィードバックを皆で持ち寄って、さらに同僚とも情報交換し、日々アップデートしているのです。子育てに関しても私たちは訓練を何度も受けているので、私たちを信用してください。今から私たちのアドバイスにしたがって家族全員のリズムとルールを改善すれば、娘さんはさらに素晴らしい人物になっていくでしょう」
教育オタクとしてのプライドはぶっ飛び、なぜか信じられないくらいストンと腑に落ちた。その日からさっそく、娘に先生たちの指示通りの対応をしてみた。すると、いつもより早い時間に娘が寝てくれ、スマホやタブレット視聴時間も劇的に減った。やはり何事もきちんと訓練されているプロには敵わない。自分の狭い経験から我流を押し通すより、訓練されたプロのアドバイスに耳を傾ける方がはるかに賢明だと再認識させられた。

幼児をおろそかにする日本には未来はない!?
保育と幼児教育の差がこれから、決定的に国の未来の差になってくるだろう。日本は都市部を中心に子供を預けるところさえない状態だ。幼児教育以前に保育もかなわない。運よく保育所に入れても、そこでは上述のような訓練された先生たちが教育をしてくれるわけではない。
ところが、シンガポールをはじめ、先進国はもちろん、中国やASEANのような新興国でも、幼児教育の重要性をしっかり認識し、国家や個人がこれに大きく投資している。アジアの新興国でも、高度な幼児教育がどんどん提供され、非常に高額であるにもかかわらず、皆競うようにそこに子供を送り込む。
0~4歳児の学習能力の高さを私は毎日体験している。主流となっているレッジョ・エミリア流のインクアリー(探究)方式の教育は、人生で最も学習能力があるといわれる0~4歳の潜在能力を引き出してくれる。これは、学びが日常になり、関連付けによって理解をより深めることができる。
脳のハードウェアとソフトウェアを整備した子供と、預けられるだけでその高度な学習能力を発揮する機会がない日本の子供たちとでは、将来に大きな差が開いていくだろう。やはり、科学的に検証された高度な訓練が、先生の技量とカリキュラムに莫大な差をつけるのだ。しかも幼児の訓練は、子どもたちが一番大好きな「遊び」というスタイルをとる。遊び方ひとつでその後の運命が変わってくるのだ。
日本では、学校やテクノロジーや起業家にリスクマネーさえ供給すれば、生産性が高まるという錯覚があるようだ。しかし今は、世界中にお金が溢れており、日本はそれらにつぎ込まれているお金の総数が突出して高いわけではない。世界では、「人間そのものの生産性を高めることが大事」だという結論が出ていて、そのために教育、とりわけ幼児教育への再認識が高まっている。国力の基本は幼児教育だと宣言する国家が後を絶たない。シンガポールでは、故リー・クワンユーさんも今のリー・シェンロン首相も幼児教育を理解し、その支援に全力を傾けている。
一方、日本では保育士不足に対応すべく「保育ママ」と呼ばれる、にわか仕立ての保育士を増やそうという試みが称賛を受けている。シンガポールと日本の子どもたちの差はすでに、埋められないくらい開いてしまっている。
それ以前に日本では、幼児を大切にしようという意識も社会に欠けているようだ。キャリアを持つお母さんが、通勤電車にベビーカーとともに乗っていると罵倒されるという。話には聞いていたが、私の知人が最近その対象になり、「本当にそんなことがあるのか!」と愕然としている。どんなに公共機関が混雑していても幼児にやさしいシンガポールやアメリカとは天と地の差だ。
幼児を社会のお荷物のように扱う日本。国家的な幼児教育への取り組みにはまだまだ時間がかかりそうだ。人口が減っていく中で、過大な負債が増え続けているのに、国民の生産性を本気で高めようとしない日本。高齢化や人口減少という深刻な課題より、幼児を大事にしないという事実に、日本には未来がないと思ってしまう。

「絶歌」出版は継続 太田出版が説明 「少年犯罪理解に役立つ」「遺族には理解いただけるよう努力する」

ITmedia ニュース 2015年6月17日

太田出版は6月17日、神戸市で1997年に連続児童殺傷事件を起こした元“少年A”の手記「絶歌」について、「出版を継続する」と表明する文書を、岡聡社長名で公表した。被害者の遺族が出版に抗議して同書の回収を申し入れており、批判的な世論の高まりもあるが、「少年犯罪の理解に役立つ」として出版を続けるという。遺族には「出版の意義を理解いただけるよう努力する」としている。
絶歌は、元少年Aが事件の経緯や、犯行後の社会復帰に至る過程を自らつづったもの。同社は「深刻な少年犯罪が繰り返される中、なぜそのようなことが起きたのかをそれぞれの事件の加害者自身が語ることはほとんどない」と指摘。同書に書かれた、事件に至るまでの彼の性的衝動や心の揺れなどは「むしろ少年期に普遍的なもの」とし、「社会は、彼のような犯罪を起こさないため、そこで何があったのかを見つめ考える必要があると思う」としている。
少年法に守られ、比較的早く社会復帰した彼は「社会が少年犯罪を考えるために自らの体験を社会に提出する義務もある」という。手記には「彼自身が抱える幼さや考えの甘さもある」としながらも「それをも含めて、加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に踏み切った」と説明している。
出版検討時に「遺族の気持ちを乱す結果となる可能性は意識した」とし、遺族に無断で出版したことへの批判は「重く受け止めている」としている。だが「出版は出版する者自身がその責任において決定すべきもの。出版の可否を自らの判断以外に委ねるということはむしろ出版者としての責任回避、責任転嫁につながる」と釈明している。
出版後は、批判だけでなく「少年Aのその後が気になっていたので知ることができてよかった」など評価する声も多数届いているとし、「出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信している」と出版の継続を宣言。「ご遺族にも出版の意義をご理解いただけるよう努力していくつもり」だとしている。

3人に1人が配偶者からの暴力の経験あり!現代の「駆け込み寺」を知っておこう

Mocosuku Woman 2015年6月17日

江戸時代の女性の「唯一の離婚手段」といわれる駆け込み寺を題材にした映画『駆け込み女と駆け出し男』(主演:大泉洋 監督:原田眞人)が話題を呼んでいるようです。
映画にも描かれているように、江戸時代に女性の側から離婚をするには、全国に2か所しかない縁切寺に駆け込むしか方法はなかったようです。
いわば縁切寺は、DVやモラハラの被害に悩む江戸期の女性たちにとっては、唯一のシェルターであったということができるでしょう。
ここで現代に目を移すと、加護亜衣さんや米倉涼子さんの報道を見るまでもなく、DVやモラハラの被害者の多くは、昔と変わらず力や立場の弱い女性や子供が多いようです。こうしたDV被害から避難するための現代の「駆け込み寺」にはいったいどのようなものがあるのでしょうか?

DV防止法とは?
内閣府が2011年におこなった調査によると、既婚女性の3人に1人が配偶者からの暴力を受けた経験があり、そのうち4割の人がこうしたDVについて誰にも相談をしていないことが判明したそうです。
このようなDV被害に対処するためのものとして、日本には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」(DV防止法)が存在します。2013年に改正され、2014年に施行された現行のDV防止法においては、配偶者だけでなく、同居中のパートナーや、かつて同居していた交際相手からの暴力も対象となりました。

どのようにして暴力から逃れるか
DV防止法で重要とされている柱に、まず被害者の「一時保護」があります。これはDV被害者が、加害者であるパートナーと離れたいが、逃げる場所がないというときに、一定期間別の場所で生活できるようにするものです。「一時保護」の窓口は、基本的に地域の福祉事務所が担当しており、休日や夜間は最寄りの警察が対応することになっています。
また、DV被害者の安全を確保する制度としては、DV防止法に基づく「保護命令」があります。これは裁判所にDVについての書類や証拠を提出することで、必要があれば加害者が被害者に接近することを禁止したり、同居している住居から加害者の退去を命じたりするものです。「保護命令」に至る手続きについては、通常は警察やDV相談支援センターと相談しながら行うようです。

さまざまな相談窓口
また、DV被害に遭っているのが子供である場合や、子供がいる家庭でDVが行われているような場合は、児童相談所や子ども家庭支援センターなども相談窓口になります。子供が関わるDVにおいては、配偶者だけでなく、必要があれば児童虐待防止法などに基づき子供を保護施設に一時避難させるケースもあるようです。
さらに、上記の福祉事務所やDV相談支援センターのほかにも、NPOなど民間でDVについての相談やカウンセリングを実施している団体も多く存在しますが、最も身近なDV相談の窓口は「110番通報」かもしれません。
パートナーからの暴力に身の危険を感じたり、子供が虐待されている可能性のあるとき、警察には「DV相談窓口」としての側面もあることを思い出しましょう。

介護現場の“虐待”を許し続けていいのだろうか?

Yahoo!ニュース 2015年2015年6月16日

介護士、保育士、看護師……、ヒューマンサービスの現場が、疲弊している。
「高齢者は地方へ移住を!」「待機児童を減らそう!」「自宅看護の充実を!」などなど、一見“良さそうな”方針ばかり政府は打ち出しているが、“今”の現場の声をひとつひとつ丁寧に洗い出し、それらを改善することを最優先させるべきだ。
「介護報酬ができたときは、もうちょっといい金額が出ていたのに、徐々に下がってきていて、減る一方なのかなぁ~」
「介護職が虐待するっていうニュース……あってはならないことだし、絶対あっちゃいけないんだけど……分からなくない瞬間っていうのがある……かなぁって。誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にあるんだなぁって……常に思う」
「介護を必要とされている方の年齢が変わってきている。年代が下がってくると、お金は出してる、だからこれくらいのサービスはしてもらって当たり前って感じがあって。ご家族からも、『どうしてできないの?』というような要望が強い感じはある」
これらは4月から介護報酬が2.27%引き下げられた際に、私が出演させていただいているテレビ番組で特集を組んだときに、現場から出てきたナマの声だ。
改め言うまでもないが、今回の引き下げは2006年(2.4%減)から2回目。前回の引き下げで労働力不足に拍車がかかったにもかかわらず、再び引き下げるという狂気の沙汰を政府は実行した。
介護施設の人権費率は約6割、訪問系介護は7割と大きいため、報酬引き下げはダイレクトに労働力不足に影響を及ぼす。政府は、介護労働者の賃金を月額1万2000円引き上げるとしているが、労働者にちゃんと支払われているかを確かめる手段もなければ、毎月の賃金が上がる代わりにボーナスや手当が減らされて実年収が下がる可能性は高い。
なのに、そんな“愚策”を現場の方たちは実に冷静に受け止めていた。
ホントは、
「もっと賃金上げてよ!」
「介護報酬が下げられると、しわ寄せが現場にくるんだからやめてよ!」
「虐待したくなる気持ちだって、少しだけ分かってよ!」
と、言いたかったのだと思う。ホントはその声なく声が、問題の根底にあるのに、それらは都合よく、そうホントに都合よく置き去りにされている。

そもそも介護サービスとは、「3大介助」といわれる「食事」「排泄」「入浴」だけを提供すればいいサービスである。
ところが、平成15年度(2003年度)介護報酬の見直しの際に、
「個々の利用者のニーズに対応した、満足度の高いサービスが提供されるよう、サービスの質の向上に重点を置く」とし、訪問介護を家事援助から生活援助と改め、自立支援や在宅生活支援の観点を重視し、認知症の症状を軽減するケアを、積極的に導入するようになった。
つまり、サービスを受ける人の「well-being(健康で幸福な状態)」という普遍的なニーズの充足にまでサービス領域は拡大し、介護を要する高齢者の人格や心理も理解する必要が出てきてしまったのだ。
これって……、めちゃくちゃ大変なこと。自分の親のケアでさえ苦労するというのに、どうしろというのだ。私自身、父に“変化”があってから、父親という、80年以上人生を歩んできた“人生の先輩”との向き合い方の難しさを痛感している。よほどの専門的な教育と経験なくして、生活を支援することなどできやしない。
介護や保育などのヒューマンサービスワーカーたちは、究極の感情労働者(emotional labor)だ。
かつて肉体労働者が、自分の手足を機械の一部として働いたように、感情労働者は自分の感情を自分から分離し、感情それ自体をサービスにする。そのためとんでもなくストレスがかかる。
気難しい上司が、全く面白くないジョークを言った場面を想像してほしい。大抵の場合、部下たちは、作り笑いをして面白がるフリをする。ところが上司は、微妙な顔。そこで部下たちは、「これでもか!」と必死で持ち上げ、転がし、「では、私も一句」と川柳を読み上げたりと、上司が心地良い気分になるように演技する。
この演技こそが感情労働である。感情労働者は、常にサービスを受ける人が心地良い時間を過ごせるよう、いかなる状況になっても、自分の感情をコントロールし、冷静に対処しなければならない。
また、同じ感情労働者でも、客室乗務員に代表されるサービス業者が、顧客との短期的で一時的な関係性で成立しているの対し、介護や保育などのケア現場の感情労働者は、顧客(=ケアを受ける人)と長期的・継続的な関係を持たなければならない。同時に、高齢者を持ち上げたり動かしたりと、肉体労働も伴う。
心も身体も酷使される状況下で感情をコントロールするには、特殊な訓練や専門的な知識の習得が必要不可欠。
だが、現状は個人のスキルに委ねられ、隠れた自発的な行為と見なされ、金銭などの経済的報酬も、他者からの尊敬や感謝などの心理的報酬もない。正当な評価が行われているとは言えない状況で、現場の人たちはとてつもなく高い要求を突きつけられているのである。
また、人間は、「そうすべきである」「そうしなければならない」という感情規制に基づいて社会生活を営んでいるわけだが、感情労働者たちのそれはヘビー級に強い。特に、日本人は、ニーズに「+α(プラスアルファ)」を加えた、極めて複雑な感情規制に拘束されがちである。
いわゆる「オ・モ・テ・ナ・シ」だ。

世間では、「介護職の離職=賃金の低さ」という公式で理解されているが、実際には燃え尽き、メンタルが低下した結果、離職している人たちの方が多い。燃え尽き症候群。「バーンアウト」だ。
バーンアウトは、「長時間にわたって人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を示す症候群」で、介護職に携わる3割以上もの人が、この状態にあると言われている。
私が大学院生のときに、先輩の院生が行った調査で、「上司との関係性が感情の不協和解消 → いいサービスの提供 → 家族からの感謝」、というポジティブな循環がある職場で働く介護職の人たちの職務満足感は高く、自分の仕事に“誇り”を持っていることが確かめられていた。
だが今は、
「過酷な労働環境 → 上司・部下の関係悪化 → サービスの質の低下 → 家族からのクレーム」、という180度逆のネガティブな循環にある。
奇しくも、
「介護職が虐待するっていうニュース……あってはならないことだし、絶対あっちゃいけないんだけど……分からなくない瞬間っていうのがある」
とコメントした方がいたが、これがホンネ。
「燃え尽きますか? それとも虐待しますか?」――。そんな悪魔のささやきと必死で戦っているのだ。
高齢者を虐待したくて、介護職に就く人はいない。もちろん中には、人を人と思わない不届きモノもいるかもしれない。でも、件の介護士さんが打ち明けた通り、「誰にでも、実はそういう事件を起こしてしまう立場にある」ほど、みんな疲弊しきっているのである。
つまり……、もし、質の高いサービスを望むなら、もっともっと介護保険料を国民が負担すべき。それができないのであれば、サービスの質を下げるしかない。
食事、排泄、入浴のニーズに対応するためだけのサービスと割り切り、現状の劣悪な環境を変える。当然、残業はゼロ。1人でも離職者を減らし、1人でも多くの人たちが介護士さんを目指し、1人でも多くの高齢者がケアを受けられ、1人でも多くの家族が自分の仕事と両立できるようにした方がいい。
介護現場は、頑張りすぎた。頑張らないことから、議論し直す。崩壊するよりその方がまし。
だって、このまま質を求め続ければ、介護業界は破綻する。
これ以上の介護現場の方たちへの甘えは、暴力と同じ。崩壊も、虐待も、破綻もイヤ。このままじゃ誰1人、幸せになんかなりやしない。

<身元不明者の写真付き台帳>全国で閲覧可能は16人だけ

毎日新聞 2015年6月18日

認知症などで氏名や住所が不明のまま保護された人の身元特定に役立てるため、身元不明者の写真付き台帳を警察で閲覧できる制度が昨年始まったにもかかわらず、全国で閲覧可能な台帳は16人分にとどまることが分かった。保護された都道府県での閲覧に限られる23人分を含めても39人分しかない。身元不明のまま保護されている人は全国に300人規模でいるとみられ、身内が行方不明になっている家族らは「きちんと情報を出してほしい」と訴えている。

家族「もっと情報提供を」
身元不明のまま保護された人が長年、家族の元に帰れなかったことが昨年相次いで発覚したことで、警察庁は昨年6月、自治体の要請に基づいて身元不明者の情報をまとめた台帳を警察本部か警察署に配備するよう全国に通達した。行方不明者届を提出した家族らに閲覧してもらい、身元判明につなげるのが狙いで、昨年11月には全国の警察で台帳を閲覧できる体制が整った。
ただし、台帳を作るのも閲覧の可否を決めるのも、本人を保護している市区町村の判断で、警察は写真や情報を持っていても無断で閲覧扱いにはできない。警察庁によると、今年4月23日時点で、全国で閲覧できる台帳は16人分、保護した自治体がある都道府県内に閲覧が限られる台帳で23人分。ある県の担当者は「個人情報保護条例との兼ね合いから写真提供について慎重な姿勢を示す市町村は少なくない」という。
全国に先駆けて昨年9月に台帳制度を始めた大阪府警も、府内で保護されている身元不明者40人中、閲覧可能な台帳は4人分だけ。このうち約30人を保護している大阪市は公開の適否について「個人情報の審議会に諮問する予定」と説明する。
身元不明者の情報提供の仕組みは他に厚生労働省ホームページの特設サイトがあるが、こちらも情報掲載に消極的な自治体が多く、性別や推定年齢など基礎情報の公開は今年5月時点で68人分、このうち写真公開は25人分のみ。行方不明になった認知症の夫(75)の帰りを待ち続ける福岡県の女性(71)は「家族は早く見つけたいと願っている。自治体はきちんと情報を出してほしい」と話した。【銭場裕司、山田泰蔵】