厚生労働相 児童虐待防止で児童福祉法改正を

NHKニュース 2015年9月28日

塩崎厚生労働大臣は東京都内で講演し、年々増加している児童虐待の防止に向けて、国、都道府県、市町村の役割と責任をより明確にし、協力体制を構築するための児童福祉法の改正案などを、来年の通常国会に提出する考えを示しました。

安倍総理大臣は先週の記者会見で、希望を生み出す強い経済、夢を紡ぐ子育て支援、安心につながる社会保障の新たな「三本の矢」で、誰もが活躍できる「1億総活躍社会」の実現を目指す考えを表明しました。
これに関連して、塩崎厚生労働大臣は28日の講演で、「子どもの問題が今回の2番目の新しい矢に入っている。児童虐待で、未来を背負っていくはずの子どもたちが命を落とすことがないようにしていきたい」と述べました。そのうえで、塩崎大臣は「児童福祉法の改正を抜本的に行うことを安倍総理大臣とも話しており、来年の通常国会に出そうと思っている。国、都道府県、市町村の役割と責任をもっと明確にして協力体制を作り直したい」と述べ、年々増加している児童虐待の防止に向けて、児童福祉法の改正案などを来年の通常国会に提出する考えを示しました。

「殺人老人ホーム」暴虐の日常〈週刊新潮〉

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 2015年9月29日

老人ホームは終の棲家かもしれないが、いったい誰がそこで変死したいものか。短期間に3人もが転落死していた「Sアミーユ川崎幸町」には、虐待も窃盗も茶飯事の「暴虐の日常」があった。しかも、そんな恐ろしい実態は、必ずしも例外的ではないという。

家族愛という名の地獄――親を捨てられない長女たち

老人ホームヘの入居は、本人にはもちろん、家族にとっても、大いなる決断であるに違いない。多額の費用がかかるのもさることながら、死への準備ともいうべき道程を、そこで歩みはじめることを意味するのだから。いわば人生の最終章の彩りが、老人ホームの善し悪しに左右されるわけである。いきおい、家族もその選択には真剣になる。これから入居する老人の幸福を願えばこそだが、同時に家族も、そう遠くない将来の自分自身を、そこに重ね見ているはずである。
それだけに、川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で明らかになった「暴虐の日常」には、高齢化率が高まる一方の日本において、誰もが震撼させられたのではなかろうか。
川崎市健康福祉局が、市議会の健康福祉委員会に提出した報告によれば、そのあらましはこうだ。
昨年11月4日、要介護3の男性(87)が4階401号室のベランダから転落死すると、12月9日には要介護2の女性(86)が、同じ401号室から転落死。続いて同じ月の31日にも、要介護3の女性(96)が6階のベランダから転落死と、同様の“事故”が3件、立て続けに起きていた。
今年になっても、3月7日には要介護2の男性(83)が、浴槽の中で呼吸が停止して死亡したほか、5月21日には、介護従業員が窃盗容疑で逮捕。また、家族からの通報で、4名の介護従業員が、ナースコールを外したり、「死ね」などの暴言を吐いたり、頭部を叩いたりする「虐待」を行っていたことがわかった――。
まさに、あらゆる不幸の巣窟であったわけだが、とりわけ恐ろしいのは、3件の転落死である。運営する積和サポートシステムの中坪良太郎本部長は、「3件の転落死は、行政も警察も特段、捜査を行わなかったので、事故という認識でした。現在は事件、事故の両面から捜査しているという警察に協力していくつもりですが、原因は“わからない”というのが正直なところです」
と弁明するが、むろん、遺族の不信感は拭えない。
「少し痴呆の気があったので、前日に孫が家の周りを散歩させたり、車で川崎市内を連れて回って“ここ覚えてる?”と聞いて、“覚えてる”なんてやりとりをしていたんだ。それが突然亡くなったから、不自然だし、孫も“不自然じゃないか”って言ってたよ」
と語るのは、12月9日に亡くなった女性の親族のひとり。また、3人目の犠牲者の遺族は、「今にいたるまで施設からの謝罪はないし、うちのおばあちゃんの前に2人が亡くなっていたことも説明されませんでした」
と怒りを露わにし、こう続けるのだ。
「おばあちゃんが転落したと一報が入ったのは、大晦日の午前2時ごろ。かけつけましたが、“首の骨が折れて亡くなった”と説明を受けました。あと、転落したのは本人が入っていた609号室からではなく、601号室だとも。夜中に徘徊するような状態ではなかったはずですが、向かいの部屋を自分の部屋と間違えたのか……。疑問はありましたが、目先のことに追われて。ところが、一周忌をどうしようか、などと考えていた矢先に、あの施設が乱れに乱れていたことを報道で知ったんです」
以来、次々と疑問が湧いてきたという。
「おばあちゃんは要介護3で、普段は手押し車で移動していました。ベランダから自力で降りる力はないし、120センチもある柵を越えるなんて、無理だと思うんです。また、私が施設に顔を出すと、自分で部屋の鍵を閉めて一緒にコンビニに行くこともあるなど、意識はしっかりしていた。落とされたんじゃないかという疑問は、当然湧きます。それは現時点では想像にすぎませんが、うちは3回目だったんですよ。最初の転落死のあとで、なんらかの防止策を考えるのが普通でしょう。有効な対策が取られなかったわけだから、管理体制は相当ずさんだったと思うし、我々は被害者だという意識は強いです」

7時間も放置
ところで、運営母体である積和サポートシステムは、老人ホーム大手のメッセージと積水ハウスが合弁で2005年に設立。事業の柱ともいうべき有料老人ホーム「Sアミーユ」は、全国に25棟を数える。
さて、「川崎幸町」に戻ると、くだんの転落死は、最初の2人が401号室から、3人目も真上の601号室から落ち、遺体発見現場がみな一緒。なんとも奇怪だが、今年5月に入居者の金品を奪い、窃盗容疑で逮捕されたのち懲戒解雇された元従業員(23)だけが、3つの転落事件のいずれの日も、当直として勤務していた点も不思議である。
ちなみに、この窃盗事件については、9月10日に横浜地裁川崎支部で審理が行われた。傍聴した記者が解説するには、
「入居者3人から現金11万6000円および指輪など4点、計68万円相当を窃取した、というのが公訴事実ですが、全体では昨年9月以降、19名から200万円以上を盗み、親戚からお金を借りて弁済し、示談にしていました。元従業員が言うには、“自分をよく見せたい、見栄を張りたい”という思いから、音楽鑑賞や食事代、スポーツ観戦などに使い、知人の分まで出してあげていたそうです」
Sアミーユ川崎幸町は定員80名。その4人に1人から金品を奪ったとは、鬼畜としか言いようがあるまい。横浜市神奈川区の自宅近くの住人によれば、
「彼の家はおじいさんの代から電気屋でしたが、数年前におとうさんが脳腫瘍で亡くなって、店を閉めてしまった。おかあさんは市内の公立保育園の園長をされています。彼は昔からまじめで、比較的印象が薄い子でしたが、電気屋を継がずに救急救命士を目指している、という話で、おとうさんは亡くなる前、“息子が受かった”と嬉しそうに話していたのを覚えています。ところが、せっかくの救急救命士をすぐに辞めてしまい、福祉関係の仕事に就いたと聞いていました」
この男に現金を盗まれた入居者の親族が言う。
「母が入居していて、数十万円相当の金品を盗られました。被害に遭ったのは1月ごろだそうですが、8月に施設の人から呼ばれ、初めて事実を知りました。しかし、この従業員に余罪があったことや、転落死が続いていたことなどは、報道で初めて知ったのです」
あらためて、施設の“隠蔽体質”が浮き彫りになるが、3件の転落死との関わりについては、この元従業員は否定している。
だが、いったん暴虐ぶりが表沙汰になるや、次から次へと綻びが露呈するものである。先に触れた虐待も、入居する女性(85)の親族が、隠しカメラで撮影したことでわかったのだが、それを受けて、こんな訴えが次々と寄せられるのだ。
「8月31日の朝9時、92歳で要介護3の母が“午前2時ごろにベッドから落ちて大腿骨を折った”と電話があり、“病院に搬送したいが救急車か介護タクシーのどっちを使うか”と聞かれたのです。“なぜ、朝まで7時間も放っておいたのか”と職員を問い詰めましたが、“嘔吐もなく意識もしっかりしているので、緊急性がないと判断した”と言う。また母は窓側に頭を向けて倒れていたそうですが、それは母が寝ているとき、いつも頭を向ける方向とは逆なのですが……。思えば今年2月末の入居直後、左手首に青あざができていて、部屋に男性スタッフが入ってくると、怖がるそぶりを見せていました」
そう語るのは60代の女性。母親は現在、入院中だという。別の女性も、
「85歳になる母は、認知症が進んで会話も難しいのですが、今年5月ごろ、左目にあざを作っていました」
と、不審な面持ちだ。別の60代の女性も訴える。
「要介護4の母は、2011年の開所時から入っていますが、年々スタッフの質が落ちて、うまくコミュニケーションが取れないとか、シーツを替えるように頼んでもできていない、といったことが増えました。今年4月ごろに母の部屋に行くと、ちょうど20代の女性従業員が、母を入浴させるためにベッドから起き上がらせようとしていたのですが、“早くして! 何やってるの!”っていう強い口調で、母も“痛い”“嫌だ”と言っていました」

そのまま死んでしまい…
報道を見て不安を募らせ、ホームを訪れる“遺族”もいる。60代の男性は、
「89歳で要介護3の母が入居していましたが、昨年12月に逝ってしまった。朝4時ごろにホームからの電話で、“トイレで倒れており、意識がないので病院に搬送した”と聞かされました。それから10日後に亡くなり、死因は脳梗塞とのことでしたが、母はいつもオムツをしていて、1人で歩くのも困難な状態でしたから、不思議だったんです」
と話す。また、別の60代の男性の話はこうだ。
「去年12月27日、朝5時ごろホームから電話があって、“深夜に見回ったときは大丈夫でしたが、容態が急変したので病院に搬送した”という。93歳で要介護3の母は、そのまま死んでしまいましたが、3日前にも家族とファミレスでカレーライスとデザートを食べるほど元気だったので、驚きました。夏には廊下で倒れていて、打ち身のようなケガをしましたが、母は1人で歩くのも難しかったので不思議でした」
いずれも、転落死が続いたのと同時期のことだけに、疑念に駆られるのも無理からぬことだろう。
入居を検討したが選ばなかったのは、国際政治学者の天川由記子さんである。
「私の母は今85歳で、3年前に入院してから歩行困難になり、要介護5のうえ人工呼吸器を装着しなくてはなりません。医師から老人ホームヘの入居を勧められ、候補のひとつにSアミーユ川崎幸町も含まれていました。ホームページに“夜間および緊急時も介護スタッフが医療機関への取次ぎや安全確認を行います”と書かれ、人工呼吸器をつけた者も受け入れ可とされていたので、見学に行ったのですが、責任者が“医師や看護師は夜間は常駐していない。提携ドクターの予定が重なった場合、丸1日来られないこともある”と言う。“ホームページの記載内容と違う”と言うと、“条件が合わないならほかの施設を当たってくれ”と言われてしまいました」
そのおかげで、「殺人老人ホーム」に入居せずにすんだわけだが、ともかく、この「Sアミーユ川崎幸町」で暴虐が続くのには、理由があるという。
「ここは頭金なしで、食費や光熱費を含めた月額が22万1700円とのことですが、価格破壊レベルの安さだと思います。頭金なしなら、普通は月額30万円ほどで、22万円なら頭金を500万円以上は用意するのが当たり前です。費用をできるだけ安くして入居者を集め、収入が少ないので賃金をできるだけカットし、従業員の質を低下させてしまったのでしょう」
そう語るのは、お茶の水女子大学名誉教授の袖井孝子さん。実際、ほかの介護施設の従業員に聞いても、
「Sアミーユはスタッフの離職率がかなり高い。介護業界は給料が安いので、転職を繰り返して給料を増やしていく人も多いのですが、Sアミーユはそうやってステップアップをめざす人が行く施設ではない。人材不足で素人でも簡単に入れる施設なんです」
とのこと。『崩壊する介護現場』の著書があるライターの中村淳彦氏も言う。
「アミーユの介護職の基本給は額面で20万円ほどで、年収は300万円以下。介護事業は都市部を中心に需要があり、メッセージの系列は拡大路線で、急激な施設数の増加にスタッフの補充が追いついていない。施設数はトップクラスなのに、スタッフレベルは最下層なのが実情です」

虐待は年々増加
先の天川さんは結局、在宅介護を選択し、メッセージの子会社のジャパンケアサービスを利用したが、
「ケアマネージャーは、私が使っていた訪問入浴の契約を勝手に解約し、メッセージの介護入浴に切り替えさせたんです。で、毎週月曜午前10時に来てもらうように契約したのに、徐々に回数を“間引く”ようになった。訪問入浴は、ヘルパーのほかに看護師がつくように義務づけられていますが、常駐の看護師がおらず、派遣企業を利用しているので、手配できずに穴が空いてしまうことがある。最後のほうは、月に1回来るかどうかでした」
最終的には虐待の疑いを抱き、カメラを設置したところ、手つきや言葉が乱暴であったため、契約を解除したという。
だが、残念ながら、こうした実態はメッセージ系列にかぎらず、介護現場に広く見られるという。たとえば、昨年夏に閉鎖された神奈川県座間市のデイサービスは、元管理者によれば、
「法令では生活相談員がいなければ営業できないのに、不在でも平気で営業していました。また、利用者を増やすために、求められれば医療従事者でもないスタッフが、骨粗鬆症の改善薬などを注射していました」
東京都北区で岩江クリニックが運営する高齢者向けシニアマンションも、元職員によれば、ひどいものだったという。
「食事を自力で飲み込めない人や、与えようとすると抵抗する人には、自転車の油さしに使うようなプラスチックポンプで、無理やりにおかゆを流し込んでいた。認知症がひどい人やヘルパーに抵抗する人は、手足が動かないようにミトンをはめたり、ベッドから出られないように四方を柵で固めたりし、親族が来るときだけ、“拘束”を隠してバレないようにしていました」
介護・医療ジャーナリストの長岡美代さんは、
「現在、介護施設における従業員の利用者への虐待は、年々増加しています。安易に施設を増やしても従業員の教育が行き届かず、介護業界の人材不足に拍車をかけるだけです」
と言うが、実際、厚生労働省の調査によれば、介護施設などで虐待の相談や通報があった件数は、06年度と13年度の比較で、273から962に、虐待と判断された件数は54から221へと、まさに激増しているのである。
要は、我々が人生をよりよく締めくくれる可能性が、年々失われているということだが、そのリスクを多少でも下げる方法はないのか。先の中村氏は、介護施設を選ぶ際の留意点として、次のような点を挙げる。
「私の感触では、半分くらいの施設は虐待などの問題を抱えていると思いますが、費用に比例してよいサービスを受けられるものでもない。まず、施設が汚かったら人手不足だと思ってください。離職率が高い施設も避けるべきで、ネットや求人誌にやたら求人広告を出している会社も危ない。それから、スタッフに中年男性が多い施設は、元失業者が多い、すなわち素人集団だということです」
くだんの「殺人老人ホーム」の実態は、あまりにひどい。だが、それを対岸の火事としないことが、我々が家族の、そして自分自身の人生の彩りを最後まで失わないために必要なようだ。

日本理化学工業はなぜ知的障害者を雇うのか
幸せを提供できるのは福祉施設ではなく企業

東洋経済 2015年9月29日

同情心からスタートした障害者雇用
私が会長を務める日本理化学工業はチョークの製造メーカーで、全80名の社員のうち、7割を超える60名が知的障害者。しかも、そのうち半数近くが「重度」に該当します。
そう聞くと皆さん驚かれるのですが、知的障害者が主力でも、チョークの品質や生産性は業界トップクラス。数字が苦手な知的障害者でも正確に分量・サイズを測れる道具や、作業時間を短縮できるような段取りを工夫した結果、川崎の工場ではJIS規格をクリアした高品質のチョークを1日に10万本製造しています。
知的障害者の雇用を始めたのは、今から50年以上前のこと。当時会社の近くにあった養護学校の先生から「生徒の就職をお願いしたい」と頼まれたのがきっかけでした。今でこそ私は障害者雇用に積極的ですが、当時は世間の多くの人たちと同様、知的障害者に対して偏見を持っていましたから、就職はお断りしました。
でも、その先生はあきらめなかった。3度目に来られた時、「もう就職させてくれとは言いませんから、働く体験だけでもさせてくれませんか」と前置きしたうえで、こうおっしゃったのです。「もし就職しなければ、この子たちは卒業後、施設に入ることになります。そうなれば、一生“働く”ということを知らずに人生を終えることになるのです」と。
ここでようやく私にも、「確かにそれはかわいそうだな」という気持ちが芽生えました。そして、2週間の就業体験を受け入れたのです。とはいえ、私の心にあったのは知的障害者への理解ではなく、あくまで同情にすぎません。だから2週間後には「ご苦労様、さようなら」と言ってこの件は終わりにしようと考えていました。
ところが就業体験に来た2人の女性は、とても熱心に働いてくれました。製品が入った箱にシールを貼るという簡単な作業でしたが、本当に真剣に取り組んでくれたのです。それを見たほかの従業員が、「こんなに一生懸命やってくれるんですから、雇ってあげたらどうですか。私たちも面倒を見ますから」と私に言ったのです。それで「2人くらいなら何とかなるかな」と、翌年その女性たちを採用しました。それがわが社の障害者雇用のスタートです。

究極の幸せは「当たり前」の中にある
ただこの時点でも、私が知的障害者を雇ったのは決して前向きな理由からではなく、単なるなりゆきのようなものでした。その認識が大きく変わったのは、それから3年ほど経った時のこと。知人の法要に出席した際にその寺の住職と話をする機会があり、私はふと思いついてこんな質問をしてみたのです。
「うちの工場では知的障害者が一生懸命に仕事に取り組んでいます。施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きに来るのでしょうか」
すると住職はこう答えました。
「人間の究極の幸せは4つあります。1つ目は、人に愛されること。2つ目は、人に褒められること。3つ目は、人の役に立つこと。4つ目は、人に必要とされること。だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」
その瞬間、私は自分の考えが根本的に間違っていたことに気づきました。人は仕事をして褒められ、人の役に立ち、必要とされるから幸せを感じることができる。仲間に必要とされれば、周囲と愛し愛される関係も築くことができる。だから、彼女たちはあんなに必死になって働こうとするのだと。
私は日ごろから従業員たちに、「今日もよく頑張ったね、ありがとう」と声を掛けていましたが、私にとっては、単なるあいさつにすぎませんでした。でも、知的障害者の人たちは、心からうれしそうな顔をするのです。健常者がごく当たり前だと思っていたことの中に、人間の究極の幸せが存在する。そのことに私自身が気づかされました。
それ以降、私は知的障害者の雇用を本格化させました。経営者として「人に幸せを提供できるのは、福祉施設ではなく企業なのだ」という信念を持つようになったからです。今の日本理化学工業があるのは、知的障害者の従業員たちが導いてくれたおかげ。私や健常者の社員たちの方が、「働く幸せ」とは何かを知的障害者から教えてもらったのです。
働く喜びを知ることで、知的障害者たちが変わっていく姿もたくさん目の当たりにしてきました。
わが社では、「周囲に迷惑を掛けたら、就業時間中でも家に帰します」と約束しているのですが、ある男性はちょっと気に入らないことがあると暴れ出すため、就職から2年間で30回以上も家に帰されました。
親御さんには「本人の口から『もうしません』という言葉が出たら、翌日からまた会社に来ていいですよ」と伝えてあるので、しばらくすると彼も再び会社に来るのですが、結局はまた暴れてしまう。
それでも、最初は週に1度だったのが、やがて2週間に1度になり、1カ月に1度になって、間隔はどんどん伸びていく。私は彼が確実に成長していると感じました。そして今では、彼はまったく問題行動を起こさなくなり、それどころか後輩社員の面倒を見てあげるまでになったのです。

女性にとっては子育ても立派な“仕事”
彼が成長できたのは、やはり「働く幸せ」を求めていたからでしょう。家に独りぼっちでいると、「会社に行って役に立ちたい」「皆から褒められたい」といった欲求が涌き上がってくる。ある脳神経外科の教授は、その理由を「人間は“共感脳”を持っているからだ」と教えてくれました。
人間は一人では生きられない動物であり、群れの中で周囲に支えられて、初めて生きられる。そして支えてもらうためには、自分も周囲の役に立つことが必要になる。つまり人間は、「人の役に立つこと=自分の幸せ」と感じる脳を持っているのだというのです。この話を聞いて、私はあの住職の言葉はやはり正しかったのだと、改めて実感しました。
もし皆さんが、仕事をしていても幸せを感じられないのなら、自分が働くことでどのように人の役に立てているのか、今一度見直してみてください。時には会社や上司に不満を抱くこともあると思いますが、仕事を通して誰かの役に立つことそのものが、自分自身の幸せにつながっているはずです。
ただ、女性が社会に出て働くことについては、少し違った思いもあります。
今年83歳になる私が、あえて本音を申し上げるなら、女性にとっては「子育ての役割」や「家族の生活を支える役割」を果たすことも立派な“仕事”であり、人の役に立つことなのだと思うのです。特に子育ては、日本という国を支える大事な国民を育てる仕事ですから、社会全体のために役立つ仕事でもあるわけです。
もちろん会社で働くことは意義のあることですし、世の中もそれを求めています。経済的な事情から、共働きを余儀なくされている人が多いことも分かります。ですが、「仕事と家庭は両立しなければならない」という思いが、どうも先行しすぎているように思うのです。
だからこそ若い女性たちには、子育てが大事な仕事であることをしっかり認識したうえで、将来をじっくり考えてもらいたい。どんな結論が出るにせよ、「自分はどんな形で人の役に立ちたいのか」を考えることが、きっとその方の人生を幸せへと導いてくれるはずです。