[施設で育って(下)]目標に向け一歩ずつ

秋田魁新報 2015年10月15日

きっかけは高校1年の時の職場体験だった。地元の保育所に3日間通い、0歳児の世話をした。抱っこをしたり、一緒におもちゃで遊んだりしているうちに子どもが懐いてくれた。「愛情をかけた分だけ応えてくれるように思えて、うれしかった」
高校3年間を横手市の児童養護施設「県南愛児園」で過ごした永沢愛美さん(20)は、保育士を目指して山口県の私立大学に通う。
現在3年生。毎月約6万円の奨学金とアルバイト代で学費や家賃、生活費を賄う。好きなミュージシャンのライブに行ったり、洋服を買ったりするのが楽しみだが、多くのお金は掛けられない。少しでも高い時給を得ようと、夜遅い時間のバイトをしている。「身体的にきついけど、職種を選んでいたら生活できない」

高校1年の時、家庭の事情で養護施設に入った。思春期の集団生活には息苦しさも感じた。門限が厳しく、携帯電話を持つことができない。学校の友人とは疎遠になった。
同じ施設の子どもたちは高校卒業後、大半が就職した。「保育士になりたい」。明確な目標があった永沢さんは、負担の大きさを覚悟した上で、奨学金を活用して大学に進むことを決めた。
大学には養護施設出身者向けの奨学生枠があり、授業料が減免されている。保育士と幼稚園教諭1種の資格を両方取得できるのが魅力だ。欲を言えば准看護師の資格も取りたいと思うが、無理だと分かっている。「私にはこれ以上、お金も時間もない」
養護施設で育った子どもが大学や短大、専門学校に進学するケースは少ない。県によると、今年3月に高校を卒業した県内4施設の子ども14人のうち、進学したのは2人だけ。進学率は14・3%で、県全体の61・4%(2013年)に比べて大幅に低い。
県内の養護施設関係者が現状を説明する。「進学が少ない一番の理由は、経済的な厳しさ。施設にいる時はある程度の生活が保障されるし、希望すれば塾に通ったり部活をやったりできる。でも退所後は学費も生活費も自分で工面しないといけない。進学には本人の強い意志と努力が必要になる」
永沢さんの進学は、目標とする保育士の養成課程と、養護施設出身者への手厚い支援制度の両方が大学にあったことで実現した。養護施設で育つ多くの子は退所後に親の援助は期待できず、高卒後の進学は、平等に与えられた選択肢とは言い難い。施設関係者は「返還負担がない奨学金や、退所後も継続的に支援するアフターケアの充実が必要だ」と話す。

永沢さんには目標の他に夢がある。「いつか子どもができたら、ここに生まれてよかったと思ってもらえる家庭を築きたい」。養護施設から先の道は狭く険しい。でも歩んでいけると思っている。
夢と目標に向かって、一歩ずつ。

(1)心理、福祉…専門家と連携

読売新聞 2015年10月16日

いじめや不登校、ICT(情報通信技術)教育……。学校現場では、様々な課題に対応するため、心理、福祉の専門スタッフや地域の人たちと連携を強める「チーム学校」構想が進められている。
教員を中心にチームとして子どもたちと向き合い、教育の質を高めようと模索する各地の取り組みを伝える。

家庭とつなぎ役
9月、東京都清瀬市の教育相談センターの一室。不登校を続けている小学5年のA君(10)は、不登校児らに学ぶ場を提供する「適応指導教室」の見学に訪れた。机で勉強する他の子どもたちを眺めている間、付き添った母親の手を離そうとはしなかった。
「なじむには少し時間がかかるかもしれませんね」
この教室をA君に紹介したのは、スクールソーシャルワーカーの太田潤さん(47)。社会福祉士の資格を持ち、市職員として家庭や学校をつなぐ役割を担う。この日の様子はすぐに小学校に報告された。
1人で息子を育ててきた母親は人付き合いが苦手で、学校と連絡を取ることはほとんどない。5月にA君の不登校が始まり、太田さんは学校から家庭訪問を依頼された。2度、3度と足を運ぶうち、A君の好きな野球の話で打ち解け、キャッチボールをするようになった。A君が母親にあまりかまってもらえず不安を抱えていることもわかった。
食事を3度取れているか。何に興味があるのか。学校は太田さんから寄せられる情報をもとに対応を考えることもある。校長は「教員は学校の外にまでは、なかなか目が届かない」と打ち明けた。
清瀬市のスクールソーシャルワーカーは太田さんら2人。不登校の子らを中心に小中14校で平均約40人を担当し、様々な福祉制度も使って子どもを取り巻く環境の改善を進める。

異変素早く対応
川崎市で2月に中学1年の男子生徒が殺害された事件では、その役割が改めて注目された。
担任教諭は不登校を続けていた生徒と会えていなかったが、スクールソーシャルワーカーに協力を求めなかった。学校から市教委側への相談もなかった。太田さんは「地域に入り、子どもの異変をいち早くつかむ大切さを改めて感じた」と話す。
昨年8月から週1回、地域の人たちと集会所を借り、親の帰宅の遅い子らが放課後に過ごせる「居場所作り」を続けている。当初、所在なく立っていた子が友達とカードゲームで遊ぶようになる。A君も「太田さんがいるから来やすい」と笑顔を見せた。
全国の公立小中高校約3万3000校に対し、国の補助事業で昨年度配置されたスクールソーシャルワーカーは1186人。勤務は平均週3日に満たず、大半は非常勤とみられる。名古屋市のように、配置した13人を週5日の常勤にしている自治体は少数派だ。
財政事情が厳しい清瀬市では、非常勤の待遇だったが、太田さんは今年夏から都内でも珍しい常勤のワーカーになった。坂田篤教育長は「学校で果たしている重要な役割に見合った待遇に改め、連携を強化していきたい」と語った。

複雑化する課題
文部科学省は様々な人材の力を活用する「チーム学校」構想をかかげ、昨年7月から中央教育審議会で具体的な方策について議論を始めた。
不登校の児童生徒の割合は昨年度、小学校が0.39%、中学校が2.76%で、いずれも20年前の2倍以上になった。
貧困家庭の子どもや外国人児童生徒への支援など、学校の課題は多様化、複雑化している。教員がすべてを抱え込まないことで、授業の準備時間や子どもと向き合う機会を増やすこともできる。今年7月に中教審部会がまとめた中間報告では、スクールソーシャルワーカーを法令上、学校の正規職員と位置付けることなども検討事項として盛り込まれた。

[絡み合う困難家計のため高校中退

秋田魁新報 2015年10月11日

「私、お母さんのこと助けるね」。県内のある女性(48)は次女(18)のその言葉を思い出すたび、心が痛む。次女は昨年3月、働いて家計を支えるため高校を1年で中退した。女性は「学校を辞めなければならないほど娘を追い込んでしまった。自分が情けない」と振り返る。
女性は20代半ばで結婚。夫は短期間で離職を繰り返し、職が安定しなかった。無職になるたびに家を出て長期間、実家に帰った。女性はコンビニエンスストアなどのパートで家計を支えたが、生活は困窮した。

苦しい生活は、子どもの健康にも影響を及ぼした。長女(22)と特別支援学校に通う長男(16)にはいずれも知的障害があり、てんかんの持病を抱える。だが、通院する金銭的余裕がなくなり、てんかんの薬は2年ほど前に切れた。長女は毎日のように何度も発作で倒れるようになった。
昨年、長男の修学旅行も、てんかんの薬がないため参加できなかった。女性は長男に「なんで俺だけ」と責められ、謝ることしかできなかった。
この間、障害者通所施設の利用料の滞納で長女は施設に通えなくなり、女性は面倒を見るため、まともに働けなくなった。次女が高校を中退したのは、さまざまな困難が絡み合ったそうした時期だった。
「後悔はなかったけど、友達との別れはつらかった」。次女は中退時をそう振り返る。飲食店でのアルバイト収入は家族の日々の食費で消え、光熱費の支払いもままならない。ガスは今年1月に止められ、以来半年間、家族は風呂に入れず、タオルを水でぬらして体を拭き、冬も冷たい水で洗髪した。
女性は一昨年末と昨年末、地元自治体に生活保護申請したが、働ける夫がいることを理由に却下された。
「ばかなおっかあでごめんな」。泣いて子どもたちに頭を下げたこともある。家族みんなで死ぬしかないと何度も思い、何とか踏みとどまった。「障害があってもなくても、子どもたちはみんなかわいい。手を掛けるなんて、やっぱりできなかった」

夫が仕事を辞めて再び家を空けた今年5月、不動産屋から家賃滞納で即日退去を命じられた。女性は以前世話になった障害者施設の職員に相談。紹介された生活困窮者の支援団体の力を借り、7月に新たな住居を確保した。夫と離婚協議に入り、生活保護も受けられるようになった。
団体の代表者は「もっと早い段階で生活相談ができれば、困窮が長引くことはなかった」と指摘する。
生活保護を受けるようになり、7月から長女と長男はてんかんの受診を再開できた。長女が再び通所施設を利用できれば、女性は仕事を探し保護に頼らない生活をするつもりだ。
次女には人の役に立つ仕事に就きたいとの夢がある。「不安は山ほどあるけれど、家族が穏やかに暮らせればいい」と願っている。

[母子家庭の苦悩]非正規転々、不安募る

秋田魁新報 2015年10月12日

小学4年の息子を育てる県央部の40代女性は数年前、夫の暴力が原因で離婚した。生計を立てるためにレストラン店員など非正規の短期雇用を転々とし、今の職場が5カ所目。働いても月10万円余りの手取りでは生活は楽にならない。
「シングルマザーの就職は難しい」。女性はそう思う。離婚後、結婚前に経験した事務職を探したが、求人は少なかった。40を過ぎた年齢もネックになった。ハローワークなどで目に付いたのは介護の仕事。しかし、「夜勤の多い仕事を、子育てしながらこなしていく自信はなかった」という。

非正規の仕事でつなぐ間、一度だけ正社員として採用された。建設会社の事務職で、月の基本給は13万円ほど。手取りにすると非正規の時と大差なかったが、将来にわたって生活が安定する安心感がある。自宅から職場が近い点も、子育てとの両立を考えれば魅力的だった。
しかし、上司の厳しい指導が続き、頭痛や目まいを覚えるようになった。症状が悪化し、入社から1年足らずで退職。「私の受け止めとしてはパワハラ。体が持たなかった」とうつむく。
実家から食料などの援助を受けており、生活が行き詰まるほどの危機感はない。ただ、子どもの成長とともに必要になる進学や部活動の費用を考えると、不安が募る。
「家庭の経済状況にかかわらず、どんな子どもにも将来の道が開かれている社会であってほしい」。女性は隣で宿題に励む息子の横顔を、いとおしそうに見詰めた。

2012年の子どもがいる現役世帯の貧困率は15・1%。母子家庭を中心としたひとり親世帯だと54・6%に跳ね上がる。一方、シングルマザーの就業率は80・6%(11年)に上るものの、平均年間就労収入は181万円(10年)で、子どものいる全世帯平均の半分にも満たない。母子家庭の多くが、働いても貧困から抜け出せない「ワーキングプア」の状況に陥っている。
国や自治体は母子家庭に対し、児童扶養手当の支給、子育てと仕事の両立支援、収入増につながる就業促進などの施策を進めているが、状況の大幅な改善は見通せない。
県母子寡婦福祉連合会の大野佑司常務理事(63)は「児童扶養手当は子ども1人の場合、満額でも月4万2千円。手当とパート収入だけでは暮らしは厳しい。全体の収入をもう少し底上げすることが必要だ」と話す。
「目の前の低賃金・不定期の仕事にしがみつかざるを得ない」「仕事に追われ、子どもとの時間を持てない」「子どもの将来に向けた貯蓄ができない」…。県が13年に実施した「ひとり親家庭実態調査」では、切実な声が数多く寄せられた。
こんな訴えもあった。「ひとり親家庭が健やかに笑顔で毎日過ごせるように、もっと支援を充実してほしい」

[家族を襲った病]収入減り暮らし暗転

秋田魁新報 2015年10月13日

小幅な足取りと小刻みに震える手で食器を運ぶ。「やっぱり、たまにこぼしてしまうんですよ」。県南部の女性(42)が自宅で夕食の準備中、そう言って苦笑いした。
「食べるときは膝を立てないで」。横に座る育ち盛りの長男(9)に注意しながら、震える手でご飯をつまむ。思うように動かない自身の体に意識が向くたび、暗い気持ちが胸を覆う。
昨年1月末のことだった。一緒に暮らす福祉施設職員の夫(42)は、妻がトイレに入ったまま、しばらく戻らないことに気付いた。ドアをノックしても返事がない。ノブを引くと妻が倒れていた。

女性は意識を取り戻すまで丸1週間かかった。倒れる直前の記憶は抜け落ち、体はうまく動かない。視界も左半分ほどが見えなくなった。脳梗塞―。それが女性を襲った病気の正体だった。真っ先に頭に浮かんだのは長男のことだった。「子どもはまだ小さい。私たちの生活はどうなってしまうんだろう」
寝たきりは避けられたが、両手両足にまひが残り、ろれつが回らなくなった。車の運転はできず、自転車にも乗れない。保育関係のパートの仕事は辞めざるを得なくなり、月何万円かの収入も失った。再就職の見通しは立っていない。
家計の収入は、夫の給料の手取り10万円余りとなった。大半は食費や光熱費に消えてしまう。小柄だと思っていた長男は最近、食欲が旺盛になり、体つきも大きくなってきた。服や靴の買い替え費用も次々と掛かる。車の車検時期はいずれ来るし、いつかは買い替えも必要―。「子どもの将来への貯金なんてとても…」。夫はため息をつく。
共働きによって成り立っていた家計は、突然の病気で暗転。日々食いつなぐのに精いっぱいになった。

地元の社会福祉協議会によると、同協議会の困窮者支援事業の利用者には病気が理由で生活苦に陥った人が少なくない。担当者は「病気で障害が残った場合、障害の程度が軽いと障害年金などのサービスが受けられないことがある。そうした人が一般就労も難しい状況だと収入の道を絶たれてしまう」と指摘する。
女性の事例では、障害年金を受け取れるかどうか見通しは立っていない。受け取れない場合は障害者雇用を目指すことが最善策になるが、女性は「体は震えるし、うまくしゃべれない。こんな体で何ができるのか」と不安を抱える。
長男はゲームで遊ぶのが大好きだ。「大きくなったらゲームクリエーターになろうって、友達と約束している」と笑顔で話す。女性は「本人が希望するなら、大学や専門学校にも行かせてあげたいけど…」と言葉に詰まる。
外出時、長男は母が転ばないよう手をつないでくれる。母親思いの一人息子の夢を後押ししてあげたい―。女性は、その道筋が見えないのがもどかしい。