「社会で支援」今も 戦争孤児が体験談

カナロコ by 神奈川新聞 2016年2月7日

戦争孤児の本人が、過酷な体験や現在の児童養護の在り方を語る動画の上映会が6日、横浜市神奈川区の県社会福祉会館で開かれた。児童養護施設の職員らで構成する全国児童養護問題研究会神奈川支部(事務局・綾瀬市)が、児童養護の原点である戦後の孤児救済を再認識することを目的に主催し、約30人が参加した。
インタビューに応じたのは、「戦争孤児の会」代表の金田茉莉さん(80)=埼玉県蕨市。戦後70年を迎えた昨年秋、神奈川支部の安部慎吾代表(42)らが撮影した。
金田さんは1945年、東京から宮城に学童疎開していた小学校3年のとき、3月10日の東京大空襲で家族全員を失い孤児になった。預けられた兵庫の親戚宅で、家事労働の強制やいじめに遭った過酷な日々や、社会に出ても就職できない苦労を証言。
50代から始めた戦争孤児の調査では、先の大戦による孤児が全国で約12万3千人に上り、うち施設入所できたのは約1万2千人と少なく、ほとんどが親戚宅で酷使や虐待に耐えるか、逃げ出して浮浪児になるかの選択しかなかったと報告。孤児には国からの支援がなく、逆に国が孤児の実態を隠していたと指摘した。
また現在の児童の社会的養護の在り方について金田さんは「社会に出たときに相談できる人や場所があるといい。社会全体での子育てが必要」と提言した。
安部代表は「動画は今後、児童養護施設への配布や、投稿サイトでの公開も検討したい」と話していた。
「戦争孤児」は戦争に起因する孤児の総称。空襲などで親を失った戦災孤児のほか、外地から引き揚げ中に孤児になった引揚孤児、戦争中の医薬不足で親が病死した孤児なども含む。

<虐待予防>妊娠中から支援対象を把握へ 大阪府が対策

毎日新聞 2016年2月7日

望まない妊娠や若年妊娠など、支援が必要な妊婦を早期に把握して児童虐待予防につなげようと、大阪府が市町村の担当者向けのガイドラインを作った。過去の事例を教訓に、リスク評価や関係機関の連携方法などをマニュアル化した。府内の虐待の相談対応件数は全国最多で、府は「痛ましい事案を繰り返さないよう妊娠期から切れ目ない支援を目指したい」としている。
心身や家庭環境に問題を抱える妊婦は虐待に及ぶ可能性があるとされ、国が2009年に「特定妊婦」と位置づけ、市町村ごとに関係機関で作る「要保護児童対策地域協議会」(要対協)の支援対象とした。一方で特定妊婦の定義は明確でなく、保健師らがどの妊婦をピックアップするかは、市町村によってばらつきがあった。
ガイドラインはA4判114ページ。妊娠の届けが出た時点で、生活歴や経済状況などを確認するシートで妊婦の状況を確認する。
児童虐待に詳しい津崎哲郎・関西大客員教授(児童福祉論)は「リスクのある妊婦を把握するための取り組みで評価できる。特定妊婦の数が増えた場合、対処する体制を充実させることも重要だ」と話す。【牧野宏美】

◇特定妊婦
出産前の支援が特に必要と認められる妊婦。虐待予防などのため、09年4月施行の改正児童福祉法で位置づけられた。国の指針では、市町村ごとに設けられた「要保護児童対策地域協議会」(要対協)が認定する。3カ月ごとに要対協で状況を確認、支援方針の見直しなどを行う。

「わが子」に会いたい~離婚と面会交流(1)裁判勝っても保障なく

@S[アットエス] by 静岡新聞 2016年1月28日~2月7日

親が離婚した未成年の子は全国で22万人を超える(2014年、厚生労働省調べ)。別居する親子が定期的に会う「面会交流」は11年に改正した民法で初めて明文化され、子の利益を最優先に協議するように促しているが、14年の日本弁護士連合会(日弁連)調査では、子と別居している親の4割が面会できていないことが明らかになった。親子がなぜ会えないのか。課題を追った。

静岡県内に住む幸二さん=40代、仮名=は、街で家族連れを見るのがつらい。元妻が離婚前に実家に連れ帰ったまま、2年間会えずにいる小学生の息子を思い出すからだ。「なぜ自分だけこうなってしまったんだろう」
息子と会話したのは、離婚調停中の「面会交流」が最後だった。肌寒い日、待ち合わせ場所の公園の入り口に15分前に着き、「会わない間に嫌われていないかな」とどきどきしながら待った。心配をよそに、息子は「パパ!」と全力で駆け寄ってきた。鬼ごっこやボール投げといったいつもの遊びに、息子は歓声を上げた。幸二さんは同居中に風呂で遊んだことや、送迎をした車内でのたわいない会話を思い出し、胸が熱くなった。
「次も会おうね」という父子の約束は、かなわなかった。離婚成立から少したち、次回の日程調整を求めるメールを元妻に送ったが、連絡が途絶えた。親権を譲った直後の「強行」だった。
静岡家裁に面会交流を求める調停を起こしたが、不成立になった。審判に移行して「月に1回、市内で2時間程度面会をする」と念願の決定を受けたが、元妻は不服として東京高裁に抗告。高裁が棄却すると、さらに特別抗告をした。高裁は退け、幸二さんの勝訴が確定した。それでも元妻は、息子を会わせようとしない。
決定確定後、同居の親が面会に応じない場合は金銭を求める間接強制という手段がある。しかし幸二さんには、元妻に送った養育費の一部が“罰金”名目で返ってくるだけに思える。「裁判に勝ち続けても、願いはかなわない。仕事を休んで法廷闘争に時間を費やす間、息子は成長していってしまう」
養育者を自分に変更するよう請求することもできるが、幸二さんは転校など息子の負担を考えるとためらってしまう。「面会交流」が離婚時の協議事項として改正民法に明文化され、夫婦の感情的な対立とは別に、子の視点から検討するよう求めた意義は大きい。しかし、別居する親子が会える保障はない。幸二さんのように裁判を通じて取り決めても、守らない親への強制力はなく、課題は残ったままだ。面会交流問題に詳しい馬場陽弁護士=名古屋大法科大学院非常勤講師=は「現状では子どもの利益を守れない」と警鐘を鳴らす。
忘れられるのが怖くて、幸二さんは昨秋、息子の運動会に行った。一瞬目が合った息子に顔を背けられ、「嫌われている」と感じた。愛情を直接伝えるチャンスがないまま、年があけた。「打つ手なし」の絶望的な状況は疲弊を招き、最近は「面会を諦めれば、自分が前に進むことができる」とさえ思い始めた。
<メモ>面会交流 面会交流は過去に面接交渉と呼ばれ、50年以上の歴史がある。基本的には両親間の協議に任されているが、協議離婚ではなく、裁判所での調停や審判、訴訟では、面会交流について具体的な頻度や場所を決めることが多い。厚労省によると、現在、親権は8割が母親であり、離別親は圧倒的に父親が多い。2014年、県内の離婚件数は6400件。離婚件数は減少傾向にある一方、静岡家裁によると、面会交流を求める調停の申立件数は県内で340件で、10年前の倍以上だった。増加の背景には、男性の育児に対する意識の高まりがあるとみられる。

「わが子」に会いたい~離婚と面会交流(2)親権争い さらなる遺恨

日本が先進諸国で唯一、採用している「単独親権制」は離婚後、片方の親しか親権者になれない。面会交流の保障がない現状は、「親権を失えばわが子に会えなくなるかもしれない」という懸念を生み、両親の親権争いは激化する。対立は離婚後も遺恨となり、面会交流の実現をさらに難しくしている。
県中部のさゆりさん=40代、仮名=は、4年近く、娘たちに忘れられた母だった。2010年春、同居していた義父との関係が悪化し、5歳と2歳の娘を連れ実家に戻った。春休みが明け、「幼稚園に行きたい」と言う長女がかわいそうで、迎えに来た夫に2人を渡した。しばらくして「親子4人だけで暮らしたい」と訴えようと自宅に戻ったが、夫に追い返された。別の日、娘の顔が見たくて習い事の会場に行くと、そこにいた義父に叱られた。
円満解決を目指し静岡家裁に調停を起こしたが決裂し、離婚は避けられなくなった。親権争いは、その時に育てている親が有利になる。さゆりさんが「あのまま娘と一緒に暮らしていれば、自分が親権者になれた」と気付いた時には遅かった。身を切られる思いだった。事態を打開するには、元夫について「親の適性がない」と批判を繰り返すしかなかった。
「気分を害したのだと思う。それが、元夫が娘を私に会わせたくなかった最大の理由かも」。離婚成立時に決まった「1カ月に1回」の面会交流は、約束に反して「半年に1回、2時間、公園で」とされ、娘のリュックに録音機が入っていたこともあった。ある日、次女は面会交流に同伴した元夫の妹を「ママ」と呼び、さゆりさんには「おばちゃん」と言った。隣にいた長女は申し訳なさそうに沈黙した。
さゆりさんが面会交流を求めた審判は14年、「月1回6時間、母子のみで」と決定し、1年半ぶりに交流が再開した。すると、長女は覚えていると言わんばかりに冗舌に思い出を語り、「ママの気持ち、分かるよ」と言った。寂しさの中でも母を肯定しようとする、いちずな思慕を感じた。
1990年の「子どもの権利条約」は、子が離別親(別居する親)に会う権利をうたう。各国とも批准を機に、離婚後も両親が子の成長に責任を持つ「共同監護」の制度を整え、離別親と子の絆も重視してきた。同条約を批准していないものの、いち早く共同親権を採り入れた米国は「隔週、2泊3日」の面会が主流といわれる。日本は94年に批准したが、現在も単独親権のままで、面会は「月1回、2時間」が多く、格段の差がある。「単独親権が、離別親を切り捨てている」と批判する声もある。
最近、次女もさゆりさんを「ママ」と呼ぶようになり、母子の絆をようやく取り戻せたと実感している。毎回、時間を惜しむように話す娘たちを見て「自宅に泊めて、手料理を振る舞いながら思い付くままに話したい」という夢も膨らみ始めた。しかし、親権者でないさゆりさんは、親であっても、親ではない。実現するには、元夫の“許可”を得るか、再び会えなくなるリスクを覚悟して調停を申し立てるしか方法がない。
<メモ>親権 未成年の子の親権は夫婦が離婚協議をする際、自分たちでどちらかに決める。双方が親権を主張し、争いが生じた場合などは、裁判所の指定を受けることもできる。親権者の判断では「子の意思」「監護の継続性(子の環境を変えないこと)」が重視される。特に幼児の場合、後者が重んじられる傾向が強い。

「わが子」に会いたい~離婚と面会交流(3)同居の祖父母 かやの外

親の共働きなどで「孫育て」に関わる祖父母は増えているが、面会交流の当事者は父母であるため、祖父母は家族として暮らしていても「非当事者」にされてしまう。静岡県西部の康子さん=60代、仮名=は一緒に暮らしていた初孫の男児(7)と1年半、会えずにいる。息子と離婚訴訟中の妻が、孫を連れていったためだ。
病院で初めて抱いた瞬間からとりこになった。豪快な笑い方が愛らしく「笑い袋!」とからかった。しかし、息子夫婦の仲が険悪になるにつれ、孫は妻の前で康子さんを無視するようになった。孫は「ばばあ」とののしった夜、妻が出掛けると突然、部屋に遊びに来た。何げない会話に無邪気に笑う孫を見て、「大人に振り回されてかわいそう」と感じた。
ある日、妻は荷物をまとめて実家に帰った。「ママ、なんで」。残されて泣く孫をなだめながら、いつかこの子もいなくなるのでは―と不安にかられ、「離れたら、二度と会えなくなる」と言い聞かせた。孫が時折寂しげな表情を見せるのが気になったが、康子さんには、妻の存在をうかがわずに、孫といつでも笑い合える夢のような日々だった。
1カ月後、離別の時は突然やって来た。2人が散歩していた時、路上にふいに車が止まり、中から妻が出てきた。連れ出す機会をうかがっていたと感じた。康子さんは孫を抱きしめて抵抗したが、妻は引き離し、「走れ!」と叫んだ。久々に母の顔を見てうれしかったのだろう、孫は車の方へ走って行ってしまった。数日後、妻は離婚調停を申し立てた。
孫との面会交流が法的に認められた調停は1977年にさかのぼる。この時は祖父母が不在の親にかわって一定期間、孫を育てていたという特別な事情があった。民法は面会交流を「父母間」の協議事項とするため、康子さんのような一般的な祖父母には、夫婦の争いが決着して初めて、「子どもと孫の面会に同伴する」という形でチャンスがくる。しかし、それも親権者の意向が影響するため、会えるかどうかは分からない。
息子夫婦の調停は長期化した末に決裂し、訴訟に移行した。部屋には孫が書いた「パパの似顔絵」が張られ、食卓に子ども用の椅子、玄関には小さな自転車が置かれたまま。家は時が止まったかのようだ。「息子のつらさ、孫への思いと二重の苦しみを味わっている」と康子さんは語る。
弁護士の尽力で面会が実現し、息子は1年ぶりに孫と会えることになった。「これでお手紙を書いてね」と息子に託そうと、前日、康子さんは文具店でプレゼント用のレターセットを探した。孫が好みそうな新幹線のイラストを見つけたが、「妻の気分を害したら、息子の次の面会がなくなるかも」と思い、数時間迷った末に諦めた。
息子は、少し成長した孫の写真を撮ってきた。携帯電話の待ち受け画面にして、毎朝「おはよう」と声を掛ける。「近所の友達は皆、そんなこともせず、孫の話題に花を咲かせている」。毎晩、康子さんは風呂の中でだけ涙を流す。
<メモ>離婚などで別居する離別親が2008年に発足させた全国組織「親子ネット」に加盟している祖父母らが09年12月、祖父母の会を結成した。「孫を愛するのは自然な感情だ」「愛してくれる人が多いほど、子どもの利益になるはず」などとして、国会議員への要望を続けている。海外ではフランスなどで、祖父母の面会交流を法的に認めている。

「わが子」に会いたい~離婚と面会交流 (4)心の整理できずに困惑

厚生労働省の調査によると、1950年代、親権者は父親が過半数を占めたが70年代に逆転し、90年代以降は「母親8割」の状態が続いている。面会交流を求めても会えないのは、父親が多い。親権を得た母親たちはなぜ、子どもを会わせたがらないのか。
静岡市でシングルマザーを支援する「シングルペアレント101」は昨年、離婚数年の段階で、悩みながら面会交流を続けている母親たちの座談会を設けて実態を探った。「結婚中のつらかった出来事を思い出す」。多くがそう語り、離婚の遺恨を抱えたまま、面会交流に臨むことに困惑していることが分かった。
静岡県中部の30代女性は「離婚調停で絶対に顔を合わせないよう配慮してもらったのに、離婚後の面会になると『あとは2人で』と放り出される」と不満を語る。40代女性は「元夫に会うと、相手が絶対優位のパワーバランスに引き戻されて苦しい。日程調整を求める普通の文面のメールさえ『会えなければこちらから行く』と脅迫のように感じる」という。
母親は面会交流に同伴しなくても良い。父親の中にも「同伴されると、子どもが顔色をうかがう」と反対する声が根強い。しかし母親たちは「自分が見ていないと不安」と口をそろえる。
子どもが、面会で父親への思慕を募らせていくことに戸惑う母親も少なくない。静岡県中部の30代女性は娘に「パパと一緒に暮らしたい」と懇願された。子どもの心情をくめば、元夫ばかりを悪者にできない。「とっさに『ママがけんかしちゃった』と自分のせいにした。気持ちのやり場がない」と話す。
面会の翌日、息子が保育園で「パパに会えてうれしかった」と打ち明けたのを、保育士に聞いた40代女性は「心苦しかった半面、『子どもにとって良かった』と、初めて思えた」と複雑な心境を吐露した。離婚調停に際し、調停委員から面会交流が「子どもの利益」と促されても理解できなかった。「でも信頼できる保育士に聞いたらすんなり受け入れられた」。息子は最近、元夫に自分の携帯電話を介してメールを送り始めた。「まあ、いいか」と黙認できるようになった。
「101」の田中志保代表は「日程調整や同伴を一人で行うことは、心理的な負荷が大きい。離婚から数年と間もないうちは特に、前向きにはなれない」と指摘し、第三者による継続支援の必要性を強調する。
静岡県内には少ないものの、面会交流の付き添いや日程調整などを、両親の同意の下で行う支援団体は各地で増えつつある。「びじっと」(横浜市)の古市理奈代表理事も「支援を受けて初めて、冷静になる親は多い」と語る。
半年ぶりに再会したゼロ歳児が離別親に抱かれると急に泣きやんだり、会えなかった寂しさを子どもがぶつけ、絆をつくったりする場面を見てきた。古市さんは「子は親を忘れない。両親がどんな人かを知ることが子どもの自己肯定につながり、将来的な自立に結び付く」と言い切る。悩んでいる両親には、支援を新しい福祉として意義を見いだしてほしいと願っている。
<メモ>静岡県内にスタッフがいる面会交流支援団体は、「びじっと」(横浜市)と「ウインク」(千葉県船橋市)の2団体がある。県内に本部を置く団体はまだないとみられる。県は本年度、(1)県内在住(2)児童扶養手当の受給と同様の所得水準である―などの条件を満たす両親を対象に、交流支援事業を実施した。

「わが子」に会いたい~離婚と面会交流 (5・完)「子の利益」当事者任せ

面会交流について改正民法は「子どもの利益を最優先に両親が協議する」とし、実現を保障しているわけではない。当事者任せの現状で、離婚を経た両親が同じ「子の利益」を描くことは容易でなく、「会えない親子」は絶えない。こうした中、両親による子育て(共同養育)の意義を伝える取り組みが静岡県外の自治体や民間団体によって始まっている。一方、離別親(別居する親)の団体はより踏み込んだ法制化を求めて声を上げる。
兵庫県明石市は民法改正を受けて2014年、全国に先駆けて「こども養育支援ネットワーク」の運用を始めた。
同市が窓口で渡す離婚届はぶ厚い。両親が面会交流の頻度や養育費の額などを書き込み、契約書とする「養育に関する合意書」や、「離れて暮らす親と気軽に会えるようにして」などと子どもの気持ちを記した冊子などが挟んであるからだ。
市は関係機関と連携を強化。意識啓発にとどまらず、元家裁調査官らが面会交流や養育費の相談に応じる専門相談などの体制も充実させた。市民相談室の村山由希子課長は「窓口を持つ基礎自治体として、渦中の両親に関わりを持てる特徴を生かしたい」と話す。
民間団体も先進的な取り組みを始めた。東京都の「離婚と親子の相談室らぽーる」は昨年10月、厚生労働省の調査研究事業を受託して「親教育プログラム」を開講した。参加者は離別親が多く、共同養育の意義を伝えたい同居親はわずかだが、ある父親は「少し前まで当事者間のもめ事としか見られなかった。コツコツと訴えてきて良かった」と、今後の周知に期待する。
らぽーるはこのほか、弁護士同席の下で両親が養育計画書を作る「ADR(裁判外紛争解決手続き)」も手掛け、計画書を最終的に公正証書にするよう勧めている。
離別親団体は活発に声を上げる。全国組織「親子ネット」と関係団体は連絡会を作り、面会交流の拡充や、離婚前の子どもの連れ去り禁止などを盛り込んだ「親子断絶防止法」の制定を求めて陳情や署名運動を展開している。これを受け14年、国会に超党派議員連盟が発足し、今年中の法案提出を目指して始動している。
一方、静岡県内の動きは鈍い。自治体支援は乏しく、相談、啓発、支援と網羅した「明石モデル」は見られない。面会交流支援は県外の団体が担い、知名度の向上や、支援者確保が目下の課題だ。
団体活動も浸透の途上にある。浜松市の会社員半田伊吹さん(41)は12年、情報交換や交流を目的に「浜松親子の会」を設立したが、問い合わせは少なく、県外との温度差を感じている。半田さんは「諦めて『なかったこと』(子どもはもともといないこと)にする人が多いのかもしれない」と県内事情を推測。「こういう問題は離別親に理由があるとレッテルを貼られがち。語り合いに来る以前の問題で、誰にも言えないまま苦しんでいないか」と指摘する。
わが子に会う―それだけのことが当たり前にできる社会になるには、まだ壁が高い。
<メモ>静岡県がひとり親家庭を対象に実施した2014年度の調査で、6割以上が面会交流の取り決めをせずに離婚し、面会交流を続けている家庭は4分の1程度にとどまることが分かった。離婚の9割は裁判所を介さない「協議離婚」が占める中、親権だけを決めて離婚届を出し、そのまま親子交流を絶つ事例の多さがうかがえる。こうした傾向は全国で共通し、窓口での啓発が行政課題になりつつある。