「どこにも行かないで」震災、障害児の心に傷 壁に体当たりし頭血だらけ、お漏らし…異変相次ぐ

西日本新聞 2016年6月9日

不登校や発達障害がある子どもたち約30人が暮らす熊本県益城町の児童心理治療施設「こどもLECセンター」。震度7に2度も見舞われ子どもたちに次々と異変が現れた。
「怖いから、どこにも行かないで」。親から虐待を受け、アスペルガー症候群の疑いがある高校3年の鮎美(17)=仮名=は4月14日の前震後、職員に腕を絡ませ、離れなくなった。
未明に本震が襲った16日の夜には、廊下をうろつき、相談室に1人で閉じこもって壁に体当たりを繰り返した。頭が血だらけになっている鮎美を職員が6人がかりで止め、病院に連れて行った。
突然裸になり、お漏らしをする男子中学生、気絶する小学生。一方で、高揚したようにしゃべり続ける子もいた。「もともと情緒面に課題がある子どもたちが地震の恐怖にさらされた。心の傷は深刻だ」と、宮本裕美施設長(52)は語る。
全国から臨床心理士、精神科医ら約30人の専門家が施設に入り、心のケアに当たった。1週間ほどたつと子どもたちは表面上は落ち着きを取り戻した。
ただ、東日本大震災では数カ月後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの症状が現れるケースもあったという。宮本施設長は「震度7に2回遭うという未曽有の経験をした子どもたちに、いつ、どんな症状が出るのか誰も分からない」と懸念する。

地震後、校舎に入れず不登校に
熊本市に住む大石恵子(43)は中1の長女優衣(12)、小3の長男祐一(8)=いずれも仮名=が、ともに発達障害を抱えている。
前震の時、3人で寝ていると寝室の家具が次々に倒れてきた。けがはなかったが、2階建ての自宅は外壁の一部が崩れ、その日から近くの公園の駐車場で車中泊を始めた。
中学校に入学したばかりの優衣は「卓球部に入りたい」と、学校再開を楽しみにしていた。だが、再開した学校で亀裂が入った廊下の壁を見ると怖くなって学校に通えなくなった。祐一も建物を怖がり、一度も学校に行くことなく不登校になった。
自宅も、子どもたちが滞在できるのは1日3時間が限界。大半は車の中で過ごす。子どもたちは夜は怖がって眠れず、昼に寝る昼夜逆転の生活。優衣は「なぜかイライラする」と精神安定薬を飲み始めた。きょうだいげんかも絶えない。
7年前に離婚した恵子は、パートで月給5万円の介護の仕事をしながら子育てをしてきたが、子どもたちの異変で仕事に行けなくなり、今は無収入。
5月下旬、恵子は「学校の花壇を見に行こう」と祐一を誘った。祐一は校庭までは入ったが、やはり校舎には入れなかった。スクールカウンセラーからは「慌てても逆効果。少しずつ寝る時間を戻していきましょう」と助言を受けた。
「子どもの気持ちを大切にしたい」。そう思うが、社会福祉協議会から借りた10万円で何とか食いつなぐこの生活を続けるのは難しい。「早く学校に行ってくれれば助かる」。子を思う気持ちと厳しい現実の間で悩むが、答えは出ない。

「情けないけど…」息子の貯金崩し生活費 被災地の困窮家庭、深刻な状況

西日本新聞 2016年6月7日

災害は、家庭が困窮していたり、ハンディキャップを抱えたりしている子どもに、より深刻な影響が出る。熊本地震の被災地で懸命に生きる親子の姿を追う。
熊本地震から1カ月あまりたった5月下旬。熊本県益城町の小学校のグラウンドで、永田真実(30)は、長男で小学1年の貴史(6)の手を引き、妹の優花(1)を抱きかかえ、炊き出しの列に並んでいた。
豚汁とおにぎりを受け取る。真実が「ふーふー」と息を吹きかけ冷ました豚汁を、貴史はうれしそうに食べた。子どもたちはボランティアからかき氷ももらい、にっこりと笑った。
シングルマザーの真実は地震前、訪問販売会社の契約社員として働いていた。自宅は熊本市内の賃貸アパート。養育費はなく、月給14万円でやりくりしながら、子どもの将来のため少しずつ蓄えてきた。
4月14日の前震後から車中泊。風呂も着替えの服もなく、4日後に真実の右足が化膿(かのう)し、高熱で1週間入院した。この間、子ども2人は施設に預けた。退院すると今度は優花が40度の熱を出した。入院費がかさみ、優花の学資保険を解約して現金6万円を捻出した。
真実は児童養護施設の出身。頼れる親族はいない。入院と優花の看病で仕事に行くことができず、収入は途絶えた。今春、小学校に入学した貴史のランドセルや制服をそろえたばかりで、貯金も多くはなかった。
お金を節約するため、炊き出しの情報を聞いては長い列に並んだが、4月下旬、ついに生活費が底を突いた。やむを得ず、今度は貴史のお年玉をためていた貯金から2万円を引き出した。貴史は「おもちゃが買えないよ」と怒ったが、「ちょっと借りただけ」と言い繕うしかなかった。
5月中旬、追い詰められた真実は壁に亀裂が走る自宅アパートに戻り、職場にも復帰した。だが、収入は目減りし、家賃や食費を支払うとほとんど残らない。
「情けないけど、またお年玉を借りるしかない…」と肩を落とす真実。地震で追い詰められた母子3人の、綱渡りの生活が続く。 (登場人物はいずれも仮名)

母子狭い車内で川の字
「怖いから抱っこして」「地震、来ない?」
軽自動車の車内で、岸田綾(26)に長男の裕樹(5)、妹の鈴羽(4)が代わる代わる甘える。
シートを倒して平らにしても広さは2畳分もない。服や洗面器、学用品が所狭しと置かれる。熊本県益城町の避難所の駐車場で、母子は地震から50日以上たった今も車中泊を続ける。
大きな地震を2度経験し、子どもたちは夜になるとおびえる。熊本市の公園で車中泊していたが、常駐していた自衛隊が4月末に撤退すると、心細くなった。車内荒らしやわいせつ事件のうわさを耳にしていたからだ。車中泊者が多い今の駐車場に移った。
綾は4年前に離婚したシングルマザー。熊本市のアパートを借り、近くの縫製工場でパート勤務し、手取り5万円の月給と養育費月5万円で暮らしてきた。
だが、地震で建物の中に入るのが怖くなり、働けなくなった。貯金を切り崩し、生活費として使えるお金は10万円を切った。
「熊本市内の方ですよね」。益城町の避難所で配給の列に並んでいると、避難所の運営者から暗に移動を求められた。食事や生活用品をもらえないと生活が立ちゆかない。「避難所を転々として、やっとここにたどり着いたんです」と必死で訴え、何とかとどまることができた。
東京ディズニーランドに行くのが親子の夢で、震災前は1日数百円ずつ貯金箱に入れてきた。「お母さん、早く行きたいよ」。車の中で、裕樹がせがむ。
「子どものためにも、少しでも前に進まないと」。5月下旬、綾は自らに言い聞かせ職場に復帰した。それでも、アパートには近づくだけで足がすくむ。
梅雨入りし、車内は蒸し暑く、虫も増えてきた。「頑張ればディズニーに行けるよ。お母さんも頑張るから」。そんな会話で子どもたちを励まし、防犯ブザーを握りしめたまま、寝返りも打てない車中で今日も川の字になって眠る。

障害の子4人と避難所
熊本市のある避難所。山本さつき(37)は、段ボール塀で仕切られた6畳ほどの住居スペースに、子ども4人と暮らす。さつきもシングルマザーだ。
子どもはいずれも発達障害がある。毎朝、中学2年の次男(13)と中1の次女(12)を車で30分以上かけ、避難所から学校に送る。地震後に生計を支えるためアルバイトを始めた長女(19)と長男(18)も職場まで送り、夕方、4人をそれぞれ迎えに行く。
その合間に避難所で配給の列に並び、同市東区にある一戸建ての借家に戻ってウサギと小鳥の世話をする。ペットは、子どもの精神安定のために飼っている。
さつき自身も国指定の難病を抱え、フルタイムで働くことはできない。収入は月12万円の障害年金と、パート先のコンビニの給料約3万円。毎月ぎりぎりの暮らしを地震が直撃した。
着の身着のままで自宅近くの小学校に避難し、避難所の運営を手伝いながら、人手不足のため連日コンビニで働き続けた。
2週間後、さつきは疲労とストレスから避難所で倒れ、緊急入院。最高血圧は260もあり、医師から「死んでもおかしくない状態だった」と言われ、今も働くことができない。
大家は自宅を補修してくれるというが、大家自身も被災し、めどは立たない。障害を抱えた子どもたちの条件に合う物件も見つからず、仕方なく5万円の家賃を払い続けている。
避難所で配給される3食では、育ち盛りの子どもたちには足りない。スーパーで安売りの弁当を買うが、苦しい家計を圧迫し、親族からの借金でなんとかしのいでいる。
地震から1カ月以上が過ぎ、街中は平穏を取り戻しつつある。若い人たちは新しい住居を見つけて避難所から次々と出て行き、周りには高齢者や障害者を抱える家庭が目立つようになった。被災者の間に、格差が広がりつつあることを感じている。
忙殺される日々を送りながら、さつきは言う。「先が全くみえない。今は、その日を生きることだけを考えるようにしている」 (登場人物はいずれも仮名)

子どもの叱り方…カッとしたら時間置く

読売新聞(ヨミウリオンライン)2016年6月9日

褒めることも忘れず
北海道の山中で、小学2年生の男児が親に置き去りにされ、その後保護された出来事で、しつけのあり方が改めて注目されている。子どものしつけについて悩む親は多い。叱り方や怒りの対処法などについて専門家に聞いた。
「子どもをどう叱ればいいか、悩んでいる」と話すのは3歳と6歳の子どもがいる横浜市の会社員の女性(39)だ。外出先で騒いだり、あいさつができなかったりする時に、きつく怒ってしまうことがある。注意を聞かないと暗い部屋に閉じ込めたことも。「置き去りにした親の気持ちもわかる。夫の帰宅は深夜。一人で子育てをしていると、余裕がなくなってしまう」
NPO法人「子育て学協会」の2013年の調査(6歳以下の子どもがいる親約1000人、複数回答)によると、育児の悩みは、「感情的に叱ってしまう」が35%で最多だった。以下「食事の好き嫌い」24%、「叱り方がわからない」20%と続いた。
神奈川県茅ヶ崎市は09年から、子どもの叱り方や褒め方を教える市民向け講座を開いている。講師を務める一人で同市こども育成相談課の渡辺めぐみさんは 「暴力や家から閉め出すなどは、一見効果があるように見えても、何がいけなかったのか子どもはわからないままのことが多い。親の行動もエスカレートしやすい」と指摘する。
子どもが石を投げるなど危険なことをした場合、まず制止し、「(嫌なことがあって石を投げたのなら)口で言おうね」などと言葉で説明する。
子どもの行動にカッとした時はどうすればいいか。父親の育児を支援するNPO法人「ファザーリング・ジャパン」理事の棒田明子さんは、気持ちを落ち着かせるために一時その場を離れたり、時間を置いたりすることを勧める。「子どもが小学生の頃、感情的になった時には、一人で台所に入り、冷静になる時間を作った」。一方、子どもが興奮して、親の話を聞けそうにない時には、「話せる準備ができたらお母さんのところに来て」と言って落ち着かせたという。
「子どもの内面も理解してほしい」と訴えるのは、立教大学教授、浅井春夫さん(児童福祉論)だ。「落ち着きがなかったりいたずらを繰り返したりと、大人の目に『困った子ども』と映る子どもは、衝動を抑える方法や適切な振る舞い方がわからず、自分でも困っていることが多い」と指摘。言葉にできないいらだちを感じているような場合は「『学校で嫌なことがあったの?』などと話しかけ、原因に気づいてあげることも大切だ」とアドバイスする。
東京学芸大学付属幼稚園園長で同大教授の岩立京子さん(発達心理学)は、「叱るだけではなく、褒めることもセットに」と助言する。日頃からよく褒めてもらったり、親との間に楽しい思い出をたくさん共有できていたりする子どもほど、大好きな親から受けた注意が心に響くという。
岩立さんは「親も社会も、子育てにすぐに結果を求め、子どもの成長や変化を待つ余裕を失っている。成長には時間もかかることを理解してほしい。子育てに悩んだら、周囲の人や地域の子育て支援センターなどに相談し、一人で抱え込まないで」と話す。

子どもの権利、海外では敏感
海外で、しつけのため子どもを置き去りにしたらどうなるか。ニューヨークでの子育て経験がある海外生活カウンセラーの福永佳津子さんは、「危険を回避する能力がない子どもを、親の保護が及ばない場所に置き去りにするのは、アメリカなどでは刑事事件になる場合がある」と話す。
「日本には『家の外にいる子どもでも、誰か大人が見ていてくれる』と信じる文化があるが、一般に海外では『子どもの安全は親が守る』というのが常識」という。アメリカに住んでいた日本人夫婦が、眠っている子どもを乗せた車をスーパーの駐車場にとめ、短時間で買い物を終えて戻ってみると、警察官が窓をこじ開けて子どもを助け出していたという事件もあったという。
日本では、街中で、子どもをたたいたり、言うことを聞かない子を置いて歩いて行ったりする光景を見ることがある。「海外は、子どもの権利に敏感で、刑事事件となる可能性がある」と福永さん。
子どもが他人にけがを負わせるような危険なことをしている時、海外ではどのように注意すべきだと考えるだろうか。「子どもの手を取ってやめさせ、その行為がなぜいけないかを目を見ながら言って聞かせるでしょう」。いい叱り方については、海外も日本も大きな差はないようだ。