児相覚知の虐待死150件 「警察との情報共有」義務化要請

産経新聞 2017年2月24日

児童相談所(児相)が虐待の疑いを知りながら虐待死を防げなかった事例が過去10年で約150件に上ることが23日、虐待防止に取り組むNPO法人「シンクキッズ」(東京)の調べで分かった。同法人は同日、児相と警察との連携不足が虐待死の要因にあるとみて、関係機関の情報共有を義務付けた児童福祉法などの法改正を警察庁と厚生労働省に要請した。
同法人によると、児相が虐待の疑いを知りながら家庭訪問を満足にできず、警察に通報もせず放置しているケースが近年増加しているという。
平成27年4月には東京都足立区で、3歳児がウサギ用のおりに監禁され死亡。児相が11回家庭訪問したが、警察に通報したのは子供が殺害されてから1年以上たった後だった。同法人代表の後藤啓二弁護士(元警察庁企画官)は「当初から児相と警察が連携して、家庭訪問していれば悲惨な虐待死は防ぐことができた」と話す。
また、東京都葛飾区では26年1月、児相が虐待の疑いを把握している家庭に110番通報が入り、警察が現場に駆けつけたものの、親から「夫婦げんか」といわれ退却。その5日後に2歳児が死亡した。体には約40カ所のあざがあったという。
こうした「放置」や不十分な取り組みの背景には、児相への通報件数が27年度に10万件以上となり、25年前の約100倍に上るなど、児相の対応が増加していることがある。同法人によると、児童福祉司が1人当たり140件を抱え、案件を抱え込む傾向にあるという。
同法人はこれまでにも署名を集め政府の対応を促してきたが、後藤弁護士は「行政側は縦割りで他の機関と連携をするのを嫌い、面倒なことを避けている」と強調。米国や英国はすでに、虐待情報を児相部局が警察と全件共有し、原則共同で活動しているという。
政府は現在、対応に苦慮する児相を支援するため、虐待児の「一時保護」に家庭裁判所の審査を入れるなど司法の関与を強化する法改正案を準備し、今国会に提出する方針。しかし、検討中の案には関係機関の情報共有は入っていない。

「子供の貧困」は約43兆円の所得を吹き飛ばす

東洋経済オンライン 2017年2月25日

「子どもの貧困」は日本にも存在する
「子どもの貧困」と耳にすると、どこか遠い国の話題と感じる読者が多いかもしれない。しかし、子どもの貧困問題は経済大国日本においても確実に存在しており、拡大しつつある。
現状を紹介するために、わかりやすいデータをいくつか示すところから始めたい。わが国の子どもの貧困率は上昇傾向にあり、2012年は16.3%となっている。すなわち、6人に1人の子どもが貧困状態にある計算となる。子どもの貧困率とは、相対的貧困状態にある17歳以下の子どもの割合を指す。相対的貧困とは、貧困ラインに満たない暮らしを強いられている状態である。親1人、子2人のような3人世帯の貧困ラインは、約207万円となっている。
ここで読者は不思議に思うかもしれない。「207万円もあれば暮らせないこともないだろう。仮に6人に1人の子どもが貧困状態にあるとしても、自分の周りにそんなに貧しい子どもはいない」と。まさにこの感想に、わが国の子どもの貧困問題の難しさがある。一般の方々が考える「子どもの貧困」とは、食べるものに困り、着るものも満足にない、外見から判断して「明らかに」貧困とわかるような子どもである。いわゆる「絶対的」な貧困である。

日本における貧困問題
しかしながら、日本でそうした貧困はあまり見ることはない。日本における貧困問題は、あくまで「相対的」な貧困である。とはいえ、生活費の高い都市部において、親1人子2人が17万円で生活するというのは決して簡単なことではなく、生活に余裕はない。2014年の総務省家計調査によれば、大都市部の2人以上の世帯の平均消費支出は約30万円である。月収17万円の場合、最低限の衣食住は満たされるかもしれないが、教育や将来への投資を行なうことは難しい。その結果、彼らの将来の選択肢が狭められ、貧困の連鎖に陥る可能性を高めている。
では、国際的に比較するとどうなのであろうか。国内総生産でみれば、世界第3位の経済規模を誇る日本である。多くの読者は、日本は他国より貧困率は低いとお考えかもしれない。しかし、日本は34カ国のうち上から10番目と高く、OECD平均を上回っている。お隣の韓国はOECD平均を下回っており、子どもの貧困率は下から11番目である。

ひとり親家庭の貧困率はワースト1位
子どもの貧困は子ども自身が貧困なのではなく、家庭の貧困によるものである。そこで、ひとり親家庭の貧困率をみると、日本は50.8%となっており、OECDでワースト1位だ。
一方で、日本のひとり親の就業率は母子世帯で81%、父子世帯で91%となっており、アメリカ74%、イギリス56%等と比較しても高水準にある。就業率が高いにもかかわらず、貧困率が高い背景としてひとり親、特に母子世帯の収入が一般世帯に比べて低いことが挙げられる。2011年度の全国母子世帯等調査によれば、母子世帯の平均年間就労収入は正規職員で270万円、父子世帯の場合は426万円という結果となっている。男女間の賃金格差、職場復帰を促す社会インフラの不足等という社会構造的な問題が母子世帯をめぐる経済状況を厳しくしている。日本では離婚等で母子世帯になった場合、高い確率で貧困状態に陥りやすいのが現実だ。
ここまでは日本において子どもの貧困問題が存在し、いかに深刻であるかをさまざまなデータを引用し、紹介してきた。経済大国というイメージの強いわが国で、子どもの貧困がこれほどまでに蔓延していることだけでも驚きかもしれない。しかし、わが国における子どもの貧困問題で最も重要なのは、貧困が世代を超えて「連鎖」していることである。お茶の水女子大学が2014年に世帯収入と子どもの学力の相関関係を分析した結果によると、世帯収入は子どもの学力と非常に高い相関関係にあるという。

収入の差によってもたらされる学力の差
当然ではあるが、世帯収入の差によってもたらされる学力の差は、学歴の差として現れる。生活保護世帯・児童養護施設・ひとり親家庭の進学率・就職率を全世帯平均と比較すると、高等学校等進学率はどのカテゴリーも90%以上であり、大きな差はみられないが、大学等進学率(専修学校・短大含む)では全世帯平均が73.3%であるのに対し、ひとり親家庭は41.6%、生活保護世帯に至っては32.9%と半分以下の数字となっている。

やはり大卒はまだまだ有利だ
学歴の差は収入の差となって現れる。2015年賃金構造基本統計調査によれば、男の場合、大学・大学院卒のピーク時の賃金月額が約54万円であるのに対し、高卒では約35万円と1.5倍以上の開きがある。また賃金カーブにも大きな差が現れており、生涯年収で考えると大学・大学院卒と高卒では大きな差が生まれる。
これらのデータから、「生まれた家庭の経済格差が教育格差をもたらし、将来の所得格差につながっている」ことが推測される。
では、貧困の連鎖は実際にどのくらいの規模で起きているのだろうか。全国の実態を把握できるようなデータはないものの、関西国際大学の道中隆教授による調査によれば、ある自治体では生活保護を受けている世帯主の4分の1が、生家でも生活保護受給歴があり、母子世帯ではこの割合が約4割にもなるという。ひとたび貧困層になると、世代が交代しても抜け出すことがいかに難しいかがわかっていただけると思う。
ちなみに、「生まれた家庭の経済格差が教育格差をもたらし、将来の所得格差につながっている」という傾向は貧困層にだけ当てはまるものではなく、当然ながら高所得層についても同様の傾向が確認されている。東京大学学生生活実態調査(2014)によれば、東京大学に通う学生の家計支持者のうち、54.8%が年収950万円を超えているという。衝撃的な数字である。

経済的な制約が長期間続くと……
実は筆者自身もひとり親家庭で育っている。私が12歳の時に両親が離婚し、相対的貧困ラインぎりぎり、もしくは下回るような生活水準であった。母、弟との一家3人の生活に経済的な余裕はまったくなく、衣食住に事欠くことはなかったものの、経済的な事情によってさまざまなものを我慢せざるをえなかった。周囲との比較で幾度もみじめな思いをしたのを記憶している。

将来に期待することが難しくなる
経済的な制約が長期間続くことにより、現実的な思考しかできなくなり、将来に期待するのは難しくなる。生まれた環境によって将来が決まってしまうのだ。そんな子どもが、日本には数多くいる現実を直視してほしい。とはいえ、こんな感想を持たれた方も少ないと思う。「貧困状態にある子どもは意外に多いらしい。ただ、自分の周りにはそんな状態の子どもは6人に1人もいない。だから、やっぱり実感が湧かない」と。当然である。自分自身に関係してこないかぎり、どんなに深刻な問題でも実感が湧かないものである。「ジブンゴト」として捉えられないのである。
そこで、子どもの貧困問題をより「ジブンゴト」にしていくために、日本財団子どもの貧困対策チームが考えたアイデアが、子どもの貧困が与える経済的影響の推計である。
経済の問題は誰にとっても重要な問題であることは議論をまたない。経済にマイナスの影響があれば、あなたの給料が減るかもしれないし、給料が減れば支払う税金・保険料も減少するため、政府財政にもマイナスの影響を与える。子どもの貧困問題を放置することによって、貧困の連鎖がこのまま拡大すれば、貧困層が増えることで国内市場が縮小し、政府財政にも影響を与えることが予想される。
0~15歳の子ども全員を対象として推計を行うと、所得の減少額は42兆9000億円、財政収入の減少額は15兆9000億円に達することがわかった。2016年度の日本の国家予算(一般会計)は約97兆円である。また、2014年度の日本のGDPは約490兆円である。
つまり貧困状態に置かれた子ども全員が現状のまま放置されてしまうと、国家予算の約半分、GDPの約1割に匹敵する巨額の社会的な損失が将来発生してしまうのである。こうした推計を目にすれば、とてもではないが「ジブンゴトではない」とはいえないだろう。

アレルギーはなぜ起こる?毎日同じものを食べるのは危険

ダイヤモンド・オンライン 2017年2月25日

アレルギーの日は知っている? 急増中の「食物アレルギー」
さる2月20日は「アレルギーの日」だった。日本人の研究者・石坂公成がアレルギーに関わる抗体「IgE抗体」を発見し、1966年米国の学会で発表した日である。アレルギーの日の前後1週間を「アレルギー週間」として、全国の日本アレルギー協会支部では患者や医療従事者向けに様々な啓発活動を行っているという。
アレルギーといえば花粉症を思い浮かべる人が多いだろう。人をとりまく空気にアレルギーの源が含まれ身体が攻撃されるというのは、考えてみれば恐ろしいことだ。同様に怖いのは、常日頃に口にする食品がアレルギーの源になってしまうことだ。
厚生労働省によれば日本国民の3人に1人が何らかのアレルギーを持っているが、「食物アレルギー」が急増したのはここ15年ほどのことだという。1才未満の乳児で最も多く発症しているが、その年代に限ったことではなく小児から成人まで幅広く患者が見られる。これまではほとんど存在しなかった「果物」「野菜」「芋類」などによるアレルギーの例も報告もされているという。

免疫が誤作動し 食物を異物とみなす
食物アレルギーとは、言葉のとおり本来無害なはずの食べ物に対して、免疫機能が過敏に反応してしまう状態を指す。免疫は有害な細菌やウイルスなどの病原体から身体を守るためのものである。正常な状態だと、食物を異物として認識しない仕組みが働き、免疫反応を起こさずに栄養として吸収する事ができる。しかし、免疫反応を調整する仕組みに問題があったり、消化・吸収機能が未熟だと、食物を異物として認識してしまうことがあるという。
アレルギー反応はこのように異物として認識された食物の成分(食物アレルゲン)を排除するために起きるものだ。腸から吸収されたアレルゲンは血管を通して全身に運ばれるため、眼・鼻・のど・肺・皮膚・腸などでさまざまな症状が現われることになる。もちろん食物を摂った時だけでなく、触ったり、吸い込んだり何らかのかたちでアレルゲンが体内に入った場合には同様にアレルギー反応が起きる。反応は、くしゃみ、鼻水、じんましんといった直接生死には関わらないが生活の質を著しく下げるものから、呼吸困難、血圧低下といった命を落としかねないものまでさまざまだ。

変化に富んだメニューが 食物アレルギーを予防する?
以上はアレルギーのメカニズムに関する説明である。なぜメカニズムが起動するのか、「本来無害なはずの食べ物に対して、免疫機能が過敏に反応してしまうのか」については分かっていない部分が多い。対処法は多く、自然に治ってしまうことすらあるが、決定的な治療法はないのだ。
子どものアレルギーの説明には向かないが、大人がアレルギーを発症する理由として考えられるのが「一線を超えてしまった」説だ。例えば40歳にして花粉症を発症した人は、それまで40年間にわたって花粉を浴びてきたことで、ついにその人の許容量を越えてしまったということになる。科学的根拠は乏しいが納得できるセンではある。
この理屈で考えると、食物アレルギーの場合には「毎日続けて食べているもの」が原因物質になりやすいので、せいぜい一日おきにすべきという説がある。つまりさまざまな食材、さまざまな料理を食べるほどアレルギーに関しての「一線を超える」リスクが低くなるのだ。
一週間、3食をなるべく違った食材で組み立てるのは難度が高いが、栄養バランスの観点と、食生活を充実させるためにも意義のあることではあるだろう。米のような、それこそ毎日食するものの場合、銘柄を変えるといった対処法もある。ただしほとんどの病気と同様にストレスもよくないので、まだ発症していないのに神経質になるのも考えもので、悩ましいところである。

ちょっと敷居が高いが 有望な「経口免疫療法」
アレルギーに決定的な治療法はないと述べたが、期待できそうな治療法は既にある。経口免疫療法と呼ばれるものだ。簡単に言ってしまうと、原因の食物をあえて少しずつ摂っていくことにより、結果的にその食物を食べても大丈夫になるというもので、花粉症などでも同様の理屈による治療が行われている。
「あえて少しずつ食べれば治るんじゃないの?」という発想自体は怪しげな民間療法でも行われていることだが、経口免疫療法の場合「ほんの微量から始め」あくまで「医師の管理下で」続けるという点が異なる。実際に成果が出ているため注目されている療法だが、長期の通院が必要なうえ、必ず良くなるとは限らない。二の足を踏む人も多いというが、症状が辛いなら試す価値はあるだろう。