死んだ母に「ばかやろー、片耳返せ!」と叫んだ少女、壮絶な虐待からの生還(上)

弁護士ドットコム 2017年6月3日

「母親が死んだとき、『ばかやろー片耳返せ! 返せ!』って、亡くなった母親の耳を掴みながら、泣き叫びました」――。こう話すのは、母親からの虐待で左耳の聴覚を完全に失ってしまった美咲さん(仮名・23歳)。いわゆる「虐待サバイバー」だ。取材の際、美咲さんは虐待を受けた日々を思い出し、溢れ出す涙をぬぐった。しかし、いくら拭ってもその涙は止まることはなかった。
厚生労働省によると、2015年度中に全国の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は初の10万件を突破。これまでで過去最多の件数を記録した。
今、子供たちに何が起こっているのか。母親からの壮絶な虐待を生き抜き、現在は養子としての幸せを手に入れた少女に迫る。(ノンフィクション・ライター 菅野久美子)

虐待の後遺症、「重度難聴」に
都内の居酒屋でアルバイトをしている美咲さんは、肩下まで伸びたロングヘアーが印象的な、可愛らしい女の子だ。言葉遣いがとても丁寧で、礼儀正しい人柄が伝わってくる。
生まれは東京・六本木。母親は専業主婦だったが、美咲さんが5歳の時、父親の多額の借金をきっかけに、離婚。その後、父親とは現在まで音信不通となっている。残された美咲さん親子は生活保護を受けるようになった。しかし、その金の大半は、母親の酒代に消えていった。
美咲さんによると、母親の虐待は、2~3歳くらいのときから始まっていたという。いつもそれは何の前触れもなく起こった。いきなり灰皿を美咲さんの頭に投げ付けたり、食べ物をこぼしたりする。気に食わないことがあると、母親は美咲さんの髪の毛を掴んで、部屋中を引きずり回した。顔面を殴るのは日常茶飯事だった。布団たたきで、体中叩かれて、全身が網目模様になったこともある。
母親は美咲さんの体の傷を隠すため、プールや体育の授業は「心臓の病気」と嘘をついて休ませていた。
灰皿を投げられて大ケガした後頭部には、今もパックリと開いた傷が残っていて、そこだけデコボコになっているのだという。その時は病院に連れていかれたが、原因を聞こうとする医師に、「階段から転げ落ちた」と事もなげに嘘をついた母の姿を、今も忘れることができない。
「頭はコブだらけでした。それがまるで月面のクレーターみたいなんですよ。どこを触っても、ジャガイモのようにでこぼこ。小さい頃はよく『今日は、いち、に、さん、し、ご、ろく、七個増えた』って数えていましたね」
激痛のあまり、枕も使えず、ごろりと布団に横たわるようにして寝るのが日常だった。
左耳がダメージを受けたのは、殴打などによるものではなかった。幼稚園に入ったばかりの頃だった。コップの水をこぼした美咲さんを、母親は鬼のような形相で風呂場まで連れていき、シャワーヘッドから噴射する水を左耳に押し当てたのだ。
「耳いたいよー! お母さん、耳いたいよー!」
そのせいで鼓膜が破れ、左耳の聴覚を完全に失ったという。難聴の中でも最も悪い「重度難聴」だ。

「なんで救急車を呼ぶの?」
けれども、美咲さんにとって一番辛かった経験は、顔中を殴られることでも、左耳の聴覚を失うことでもなかった。
真夏のクローゼットーー。そこは灼熱の地獄だった。
母親は気が済むまで暴力を振うと、いつも決まって最後は部屋のクローゼットに美咲さんを閉じ込めた。6歳の子どもの力では開けることはできなかった。
「とにかく中が熱くて、熱くて、飲み物もないし、トイレも行けない。お腹も空く。そのうち気持ち悪くなって、吐いちゃうんですよ。暑さで脱水症状に見舞われてゲーゲー。おしっこも漏らしっぱなし。クローゼットの中は、ひどい状態になってましたね」
永遠とも思える時間が過ぎたころ、汚物と小便にまみれて、意識を失っている美咲さんを見た母親は、慌てて救急車を呼んだ。
意識が少しずつ回復すると、美咲さんには、ある疑問が浮かんだ。
「救急車を呼ぶってことは、助けたいから呼ぶんでしょ、なんで救急車を呼ぶの? って思ってました。殺したいのか、生かしたいのか、どっちだよって」
しかし、そのときも周囲から虐待だと気づかれることはなかったという。美咲さんは、当時を振り返って、第三者が虐待を疑っていても、見て見ぬふりをするケースがかなりあるのではないかと話す。昔と比べて児童虐待の認知度は高まってはいるものの、家族を「聖域」とみる考え方は未だに根強い。
「子どもは、虐待されていても、言葉が見つからないんです。子どものときって、悲しいとか、痛いとか、語彙が乏しいから言葉で伝えらないというのもあるんです。だから、大人の人の気付きが重要なんです。
私は周囲の大人の人たちに助けて欲しかった。体中あざだらけだったし、着替えは幼稚園の先生に手伝っていてもらっていたから、知っていたはず。でも、何もしてくれなかった」
母親は、美咲さんを虐待した後、毎回、必ず我に返ったかのように美咲さんを抱きしめ、そして泣き出した。
「毎回泣きながら『ごめんね、こんな親でごめん』と謝るんです。子ども心にはそれを信じたい。怖いけど、許しちゃう、どんなことされてもお母さんだから、信じたい。どんなにヒドイことされても、頑張ろうって」
自分にとって、たった1人の母親――。美咲さんは、どんなに酷い暴力を振るわれても母親を憎むことができなかった。

虐待は怖いが母親とは離れたくない
美咲さんは、母親の虐待に薄々気づいていた祖母から「何かあったら、これに電話するのよ」と、119番と110番を繰り返し教えられていた。「ここに電話したら助けてくれる人が来るから」と。美咲さんは小学2年生のある日、母親の虐待から逃げ回りながら、電話の子機を手に持ってボタンを押した。すると、母親は美咲さんの髪の毛を引っ張った。
「誰に電話すんの! てめえぇ!」
逆上した母親はそう叫んだが、幸いにも電話はかろうじて警察へ繋がり、最寄りの署員が慌ててやってきた。だが、これもいつものように母親は「これはただの躾(しつけ)です!」と強引に諭して署員も納得して帰ってしまう。美咲さんも「大丈夫です」と言うしかなかった。
美咲さんは虐待から逃げ出したかったが、署員にそれを言うと保護施設に送られることを知っていた。保護施設に入ることは、母親から引き離されるという、さらに辛い結末を意味していた。「虐待はイヤ」だが、「母親がイヤ」なわけではない。
そんな揺れる心理の狭間で、美咲さんは日々引き裂かれる思いだった。
それでも、警察に電話をすれば、一時的にしろ母親の暴力は収まる――。それは極限状況における最後のライフラインだったという。警察への通報と署員の訪問は、その後何度か繰り返された。
しかし、それを知った母親は、非情にも電話の子機を子どもの手に届かない冷蔵庫の上に置くようになった。
「あっ、もう届かない。誰にももう、助けてもらえないんだ」
美咲さんは、それ以降、二度と自ら外部に電話で助けを求めることはできなくなった。

「ばかやろー片耳返せ! 返せ!」
その後も、虐待を繰り返していた母親は、アルコール依存症を患い、肝臓の病気が元で美咲さんが中2のときに亡くなった。連日のように暴力を振るった母親だったが、目の前で冷たくなった姿を見ると、悲しくて涙が止まらなかったという。しかし、それでも冒頭のように叫んだのだ。
「『ばかやろー片耳返せ! 返せ!』って、亡くなった母親の耳を掴みながら、泣き叫びました」
美咲さんは、虐待の日々を振り返って、どう感じるのだろうか。
「あれだけの虐待を受けて、よく今まで生きてたなあって思いますね。改めて振り返ってみると、お母さんは弱い人だったと思うんです。
そして、それを受け入れられずに、私を虐待していた。でも、いくら自分が弱いからと言って、抵抗できない子どもに手を出すのは絶対にしてはいけないこと。私はそんな自分の弱さも受け入れられる人間になりたいと思っています」
美咲さんは力強くまっすぐに見つめてそう答えた。

虐待をした母の死…売春、違法薬物におぼれた少女を救った「母」との出会い(下)

弁護士ドットコム 2017年6月4日

「沙織ママ、そのワンピース、ちょっとダサくない?」美咲さん(仮名・23歳)は、岡田沙織さん(44歳)の着ていたワンピースに笑いながらダメだしをする。「ええっ? そうかなぁ、ドットが小さくてかわいいと思うけど、だめ?」
そんな2人はとても楽しそうで、お互いが信頼し合っていることが分る。けれども、2人に血のつながりはない。美咲さんの実母は中2の時に亡くなっているからだ。しかし、2人は法的には立派な親子関係である。
美咲さんは21歳の時、岡田さんと養子縁組をして養子となったからだ。NPO法人若者メンタルサポート協会理事長の岡田さんは、無償で24時間いつでも若者たちの相談に乗っているカウンセラーだ。

2人はいかにして出会い、そしてなぜ「親子」になったのか。虐待からの救済という視点からその軌跡を追った。(ノンフィクション・ライター 菅野久美子)
母親の虐待から、売春や違法薬物、暴力事件へ
岡田さんのもとには、毎日約200通のラインのメッセージが届く。それらはすべて、美咲さんのように親から虐待を受けている子どもや、リストカットや非行に苦しんでいる子どもからのSOSだ。岡田さん自身もアスペルガー症候群で、いじめやネグレクトなどの 元当事者でもある。
美咲さんが岡田さんに出会ったのは、18歳の夏だった。
幼少期から、母親による凄まじい虐待を受けた美咲さんは、14歳で母をなくす。その死後、不良仲間と非行に走るようになり、16歳の時には暴力事件を起こし、主犯格として少年院に入れられた。少年院を出るとほぼ同時に、大好きだった祖母はがんで亡くなってしまう。
親類縁者で頼れる人がいなかったため、自立支援施設(正式名称は自立準備ホーム。出所後行き場のない人たちを一時的に受け入れる施設)に入所した。しかし、ほぼ放任状態だったため、美咲さんはそこでも、売春や違法薬物の使用などの問題行動を繰り返すことになる。そして、たまたまその施設で、カウンセラーとして勤務していたのが岡田さんだった。
ひょんな会話の流れから、美咲さんは、少年院にいたことや薬物が今も止められないこと、母親から虐待を受けてきたことなどを岡田さんに喋るようになった。
「頑張ってきたんだね。今まで生きてくれて、ありがとう」
岡田さんは、美咲さんの話をただ黙って聞き、そして最後にこのような言葉をかけた。それを聞いた瞬間、美咲さんは、なぜだか涙が止まらなかった。そして、「まだ私、涙があったんだ……」と驚いたという。そう、もう自分には涙なんて枯れてなくなってしまったと思っていたのだ。
岡田さんは、養子にすることを決意した当時を振り返ってこう話す。
「この子は親がいなくてかわいそうとか、救わなきゃ、という感覚はまったくなかったんです。ただ、かわいいなと思った。ずっと笑顔でいて欲しいと。そのためにはこの子の傍で見守ってあげたいって。幸せになってくれたらいいなと思ったんです。何度か食事をするうちに、養女にしたいなと思うようになったんです」
その夜、岡田さんは、「娘になることを考えてくれる?」と美咲さんにメールを送った。すると、美咲さんは、「美咲も、喜んで。実は、ママが本当にママになる夢を見たんだ。だから起きてからそんなメールがきてびっくりした」と返事をした。
そこから、2人はまるで本当の親子のように一緒に暮らし始めた。岡田さんには息子が2人いるが、美咲さんとすぐに打ち解け、昔からの兄弟同然に接している。

「お母さんの愛を感じた」言葉とは
美咲さんは、岡田さんと生活するようになって、気付けば違法薬物に頼らなくなっていた。当時を振り返って美咲さんはこう話す。
「頭ごなしに否定されていたら、今も薬物を続けていたと思う。でも沙織ママは、『美咲が薬物をやったら私が悲しいよ』と言ってくれたんです。
その言葉を聞いたときに、『悲しい』って感情の中身って何なのかなって、一生懸命理解しようとした。そうか、愛があるから、悲しんでくれるんだ。この人、お母さんなんだ、ということにハッと気付いたんです。だからこの人を傷付けちゃいけないんだって思えた。沙織ママにお母さんの愛を感じて、今までの私が浄化されたような気がしたんです」
それまでは、睡眠薬や安定剤がないと寝付けなかったが、岡田さんの隣で寝ていると安心できるからか、何も飲まなくても眠れるようになった。常に手元にお金がないと不安で仕方なく売春を繰り返していたが、岡田さんと出会ってからはそんな不安もいつしか消えていった。

今もなお残る虐待の後遺症
そのため、美咲さんの仕事は、岡田さんと出会ったときに働いていた風俗(当時年齢を詐称していた)から、キャバクラ嬢になり、その後紆余曲折あって、現在の勤め先の居酒屋に落ち着くことになった。
「居酒屋のバイトは楽しいですね。風俗はたくさんやったけど、何も得られなかったなと思う。何年もずっと働いてきたのに、今の居酒屋で働いている1カ月半の方が充実してるんです。沙織ママに会ってから、人が好きになれるようになったのが大きいと思いますね。
こんなに人ってあったかいんだと気付きました。人は、自分から関わろうとしたらちゃんと応えてくれるんだな、と。少しずつではあるんですが、どうやったら人に伝わるかな、といったことを考えるようになりましたね」
虐待の後遺症で、美咲さんは未だに暗い場所が苦手だし、たまに自分が嫌いになって「死にたくなる」と岡田さんに告白することもある。それでも、岡田さんは美咲さんを信じ、「何があっても絶対に見捨てない」と断言する。2人は、絆という言葉では言い表せない、とても強い感情でつながっている。
養子縁組は、日本ではいまだ馴染みが薄い。しかし、美咲さんと岡田さんの奇跡のような関係性に触れ、私たちは「家族」と呼ばれているものについて、もう一度真摯に向き合ってみる必要があると思う。

「今を笑顔で生きることができたら、過去なんて跳ねのけられる」
美咲さんは、今の暮らしについてこう語る。
「今の私には、ママがいて、お父さんがいて、兄弟がいる。血はつながってないけど間違いなく自分の家族なんです。みんなでテーブルを囲んでごはんを食べる幸せ、それはなんとも言えない至福のときなんです」
私にそう言うと、美咲さんは目を細めた。虐待の話をしていた時とは、打って変わった笑顔をみせる。この笑顔を岡田さんはずっと見ていたいと思ったのだろう。
世の中には出口がどこにあるかも分からないまま、命を落としてしまったり、自分自身を傷付ける境遇に陥ってしまったりするケースがごまんとある。虐待は、子どもの心に深い傷を作って、その後の人生を破壊してしまう。
今も、この瞬間、親からの虐待にSOSを発している子どもたちがいる。そして、美咲さんのように、その後遺症に苦しみ、社会生活に支障をきたしたり、人間関係を上手に築けなかったりする人も大勢いる。
家族から受けた傷は、家族にしか癒せないという言い方は、月並みな言い方かもしれない。しかし、それはある意味で真実だ。母親の虐待からサバイブした美咲さんは、岡田さんという新しい母親に出会い、救済の手掛かりを掴むことができた。
最後に美咲さんが、岡田さんに宛てたラインのメッセージを引用したい。
〈誰でも消し去りたい過去がある。消したくても消えない深いトラウマがある。だけどその中で皆生きてる。それはそう簡単に消えるものではないけれど、今を笑顔で生きることができたら、過去なんて跳ねのけられる力になる。そう私は信じたい〉
美咲さんの人生は、今、始まったばかりだ。

いじめや性…。子どもが直面する問題を解決するには? 『どうなってるんだろう? 子どもの法律』【著者インタビュー 前編】

ダ・ヴィンチニュース 2017年6月2日

キャメロン・ディアス主演で映画化もされた『私の中のあなた』(早川書房)という物語がある。白血病の姉のドナーになるために遺伝子操作で生まれた妹が、臓器提供を拒んで親を提訴するストーリーだが、作中で11歳の妹・アナは敏腕弁護士を雇い戦っていた。
だが現実の世界では、子どもが弁護士に依頼するのは難しい(と思われる)。お金や人脈、知識が乏しく、弁護士と繋がる手段が見つからないことが多いからだ。それどころか学校でのいじめやバイト先のパワハラ、奨学金返済問題などに直面しても「自分が我慢すればおさまる」と一人で抱え込んでしまったり、自分を責めてしまったりする子どもも多い。
弁護士の山下敏雅さんは、そんな悩める子どもたちに向けて2013年より「どうなってるんだろう? 子どもの法律」(http://ymlaw.txt-nifty.com/)というブログを開設し、「ケータイを持ちたいが親が保証人になってくれない」「先生が体罰をやめない」など、子どもだからこそ直面する問題に向き合ってきた。しかしずっと、子どもたちに直接届いていないのではないかという疑問も抱えていた。そこで学生時代の友人に相談したところ、大東文化大学教職課程センター准教授でいじめ問題に取り組んできた渡辺雅之さんを紹介され、渡辺さんによる解説と内容を加筆した『どうなってるんだろう? 子どもの法律~一人で悩まないで!~』(山下敏雅、渡辺雅之:著、葛西映子:イラスト/高文研)を出版することが叶った。そこで2人に、お話を伺った。

ネットの法律情報には、根拠のないものが多い
同書は家庭や学校、労働など5章39項目にわたり、子どもが直面する問題に触れている。なかでも性をテーマにした第3章ではHIVや同性愛、性同一性障害なども取り上げているが、これは山下さんが2003年に弁護士登録をして以来、LGBT支援に関わってきたことが大きい。

山下:「LGBTや第2章の在日コリアンなど、マイノリティの話を意識的に取り上げたのは、いじめ問題とリンクするからです。人は違った属性を持つ他者を排除してしまいがちですが、実際は誰もがともに繋がりながら生きているということを、子どもたちに伝えたかった。LGBTに関してはネットで容易に情報が得られるようになっていますが、それでもまだ当事者の多くが周囲からの理解が得られず、苦しんでいる現実があります。またHIVや性感染症、妊娠などについての正しい知識を親や周りの大人から教えられている子どもは多くなく、逆にネットで拾える法律情報には根拠のないものが多い。だから子どもたちがセクシュアリティや自分自身を理解するために必要なことや、知っておくと一人で悩まずに済む法律的な知識を伝えたくてブログを始めました」

構成内容は2人で話し合いながら進めていったが、作っているうちに「この本は子どもだけではなく、大人にこそ読んでほしい」と思うようになったそうだ。

渡辺:「子どもが読んで“弁護士さんに相談して裁判を起こそう”と自分から動くのは、やはり難しいところがあるのではないか。だからたとえば公民館や図書館や児童養護施設の職員など、子どもの近くで働く大人に手に取ってもらえたらと思います。悩みを抱える子どもの、問題解決の糸口が見つかるのではないかと思うからです」

渡辺さんはすべての項目に力を注ぎながらも、第5章の「労働」に一番力を込めたと語る。

渡辺:「僕は教師なので“第1章の『学校』じゃないの?”と意外に思うかもしれませんが、労働問題には今の日本の状況が凝縮されています。バイト先でミスして給料を引かれる、生活保護受給家庭はアルバイトをしてはいけないのかなど、子どもにとっても労働は身近な問題です。
働くことには自分の生活を成り立たせるという側面と、社会と繋がるという側面があるにもかかわらず、その要素をことごとく奪い取られた環境下で働いている人たちがいます。彼らは『自分が悪い』わけではありません。しかし、現状は自己責任論が蔓延しています。子どもたちにその自己責任論が染みついてしまうと、路上生活者を蔑んだり、失敗した時に激しく自分を責めてしまったりするようになりかねません。そういったことからも、労働問題には今の日本社会の問題が詰まっている気がします。僕は働くことは苦しくて大変なこともあるけど、『希望』もあるはずだと信じているので、5章については強い思い入れがあります」

学校、家族、職場のこと…。子どもが弁護士に相談する方法とは? 『どうなってるんだろう? 子どもの法律』【著者インタビュー 後編】

ダ・ヴィンチニュース 2017年6月2日

児童虐待や少年非行など、子どもの事件に向き合ってきた弁護士の山下敏雅さんと、いじめ問題に取り組んできた大東文化大学教職課程センター准教授の渡辺雅之さんが、悩める子どもたちに向けまとめた『どうなってるんだろう? 子どもの法律~一人で悩まないで!~』(山下敏雅、渡辺雅之:著、葛西映子:イラスト/高文研)の著者インタビュー後編をお送りします。

生きることのすべてが、人権と繋がっている

前書きで山下さんは、
「私はみなさんに単に、「法律がどうなっているか」だけを伝えたいのではありません。弁護士は「人権」を守るのが仕事です。人権は「人が生まれながらにして持っている権利」です。学校ではそう教えています。
人は、どんな人でも、一人ひとりが大切な人間として扱われる、尊重されるんですよ、ということ。
誰かの「物」として扱われるのではない。
誰かの「人形」として扱われるのではない。
誰かの「奴隷」として扱われるのではない。
一人ひとりが、大切な存在・大切な人間として扱われる、尊重されるんですよ、ということ」
と、人権についてこう書いている。しかし昨今、「人権」というキーワードは空虚なもののように扱われている。そんななかで「人権」を語ると、抵抗を感じる読者もいるのではないだろうか。

山下:「『人権』という言葉は『はじめに………』でしか使っていなくて、本文にはほぼ登場しないんです(笑)。でも全体を通して読むと、生きることのすべてが人権と繋がっていることが理解してもらえるように書いています。この本でもそうですし、講演をするときもそう工夫しています。人権は決して空虚なものではない。人権の重みや大切さを、一つひとつの具体的な場面で考えることが大事だと思っています」
渡辺:「人権の大切さを正々堂々と伝えたいのに、今の日本ではリアリティがこもらなくなってしまっています。なぜかというと“人権を守らなくてはいけない”という共通認識がある一方で、生活保護受給者など弱者に対して行政が率先して厳しく当たっている現実があるから。だから人々は、その矛盾に直面して混乱しているのではないかと思います」

法律は人を縛りつけるためのルールではなく、生きるために必要な知識のひとつ。そしてお金がなくても親が反対しても弁護士に助けを求めることができるのだから、「難しそう」「お金がない」としり込みせず、困ったら相談してほしいと山下さんは言う。

山下:「お金がなくて弁護士に相談や依頼ができないという場合に備えて、弁護士全員でお金を出し合ってサポートする仕組みを整えています。だからたとえ逮捕された時でも、お金がなくても親が反対しても弁護士は呼べます。刑事事件だけでなく、学校、家族、職場のことなどでも弁護士に相談できます。
弁護士の仕事は法的に問題を解決することですが、まずは話を聞くことから始まります。子どもが相談に来た時は、8割が雑談ということもよくあります。でもその雑談から相手を知り、解決方法を模索しています。だから『困っていたら、まずは声を聞かせてほしい』という気持ちで、巻末に自分の事務所と各地の弁護士会の連絡先を載せました」
「路上ライブを警察に止められた」「お金がなくて住む場所がなくなりそう」など、世代に関係なく直面しそうな質問ばかりが掲載されているので、大人も抵抗なく読める。むしろ不安を和らげてくれ「困ったら相談すればいいんだ」と安心できる、お守りのような一冊だ。