子の泣き声が“虐待”の証拠と勘違いされ、近所の人から「警察へ連絡する」と手紙が…どう行動すべき?

オトナンサー 2018年1月4日

子どもの泣き声が虐待によるものと勘違いされ…
 子どもの夜泣きと苦情について先日、SNS上で話題となりました。夫婦で生後4カ月の子どもを育てているというマンション住まいの男性が「本日、以下のような紙がポストに入っていました」というコメントとともに、「毎日、泣き声が上まであがってきます。もしかして…?!けいさつへ連絡しますよ」と書かれたメモ用紙の画像を投稿。「夜泣き等、大変ですが二人で必死にやりくりしています。(中略)とても悲しい思いをしました」と訴えかけました。これを受けて「近所の人は虐待かどうか判別つかないし、ある程度はしゃーない」「近所付き合いがないとこうなるよね」「いずれにせよ、こんな手紙ポストに入ってたら嫌だろ」など、さまざまな声が上がっています。
 こうしたケースで「虐待」を疑われた場合、どのように振る舞うのが最善でしょうか。オトナンサー編集部では、グラディアトル法律事務所の刈谷龍太弁護士に聞きました。

“無実”の通報や通告は増加している

Q.今回のケースで虐待を疑われた投稿者が取るべき最善の行動は何でしょうか。
 刈谷さん「このケースの投稿者のように、実際には虐待していないにもかかわらず虐待を疑われると、やるせない気持ちになってしまうでしょう。ただし、第三者からみると単なる夜泣きなのか、それとも虐待によるものなのか、はっきりしない場合が多いのも事実。そのため、このケースのように虐待の事実がないにもかかわらず、警察への通報や福祉事務所・児童相談所への通告がなされるケースが近年増加しています。今回の投稿者としては、虐待の疑いを晴らしたいと考えているかもしれませんが、残念ながら、虐待の疑いを晴らすための手続きは法律上存在しません。従って、このケースで虐待を疑われた投稿者がなすべき最善の行動は、近隣住民からの手紙のことは気にせず、毅然とした態度を取ることだと思います。しっかりと普段通りに行動していれば、子どもを愛する親の愛情も自然と周りに伝わり、嫌な思いをすることもなくなると思われます」

Q.仮に「虐待がある」と警察に通報された場合、その後どういう展開が想定され、投稿者としてはどう行動すべきでしょうか。
 刈谷さん「この場合、警察としては、お子さんの安全を確認するために自宅マンションを訪れたり、近隣住民に聞き込みを行ったりすることが考えられます。その結果、児童虐待があると疑われてしまうと、児童相談所の職員による自宅への立ち入り調査や出頭要求、場合によっては臨検や捜索など強力な処分が行われることも考えられます。こうした場合、虐待を疑われた投稿者としては、警察や児童相談所の職員らにありのままの事実を伝え、虐待していないことを訴えるべきでしょう」

<厚労省>保育士の犯歴照会、義務に 登録取り消しを徹底

 
毎日新聞 2018年1月1日

罪を犯した保育士の登録取り消しの流れ
 幼児へのわいせつ事件などを起こした保育士の登録取り消しを徹底するため、厚生労働省は、児童福祉法の関連省令を2月に改正する方針を決めた。保育士の逮捕情報を把握した時点で、取り消しに向け確認することを都道府県に義務付ける。併せて、逮捕を知った保育所などにも速やかに報告させるよう都道府県に促す。【宇多川はるか、国本愛】
 神奈川県内の保育所で、過去に実刑判決を受けた保育士が登録を取り消されないまま勤務し、園児への傷害致死罪などで起訴される事件があり、再発防止策が求められていた。
 児童福祉法は、禁錮以上の刑を受けた保育士は都道府県が登録を取り消し、執行から2年経過するまでは再び登録できないと定めている。ただし、現行法は、罪を犯した本人が届け出ることを前提としている。届け出がなかったため逮捕情報を把握できず、取り消されなかったケースは少なくないとみられる。
 厚労省は省令改正に伴い、都道府県に対し、市区町村が保有する犯罪歴情報の活用を促す通知を出す。罰金以上の刑(道路交通法違反の罰金などを除く)が確定すると、検察から本籍地の市区町村に通知され、犯罪人名簿に記載される。こうした情報を活用することで、都道府県に保育士の犯罪歴の把握を徹底させる考えだ。
 神奈川県平塚市の認可外保育所で2015年12月、生後4カ月の男児が死亡し、勤務していた保育士の男が傷害致死や強制わいせつなどの罪で起訴された。この男は10年に、東京都内の保育所で女児にわいせつな行為をした強制わいせつ罪で懲役3年の判決を受け、服役していた。だが、登録先の神奈川県はこの情報を把握していなかったため登録は取り消されず、男は出所後に再び保育士として勤務していた。
 学校現場でも、児童・生徒へのわいせつ問題を起こした教員の処分情報が共有されていなかったとして、文部科学省は「教員免許管理システム」を大幅に改善する方針を決めている。

相次ぐ幼児被害、教訓に
 保育所に預けられた幼児らへの保育士によるわいせつ事件は全国で相次いでいる。だが、刑の確定情報の把握は容易でなく、苦慮した宮崎や広島県なども、国に対策を要望してきた。神奈川県平塚市の事件後、問題は国会質疑で取り上げられるなど注目され、厚生労働省の今回の方針につながった。
 被害に遭った幼児や親は深い心の傷を負う。平塚市の事件で起訴された男は、他の女児らへの強制わいせつなどの罪で2017年12月に実刑判決を受けたが、被害児童の親たちはこの公判の意見陳述で「(出所後に)また簡単に保育士になったことで(子どもが被害を受け)、一生苦しみます」などと訴えていた。
 ただ、関連省令を改正しても、保育所や都道府県が逮捕や刑の確定情報を得る手段は、本人や家族ら関係者の申告以外にはマスコミ報道などに限られるのが実情だ。情報の把握には依然として課題が残り、実効性を疑問視する声も上がる。
 神奈川県の担当者は「保育所などが犯罪歴を適切に把握できるかどうかは疑問。グレーの場合でも、人手不足で辞めてもらっては困るから、報告しない保育所もあり得る。現実的な対策にならないのではないか」と懸念する。
 保育制度に詳しい櫻井慶一・文教大教授(児童福祉論、子育て支援論)は「適切な保育を受ける権利は保障されるべきで、不適格者が排除されるのは当然。ただ、都道府県域を越えた問題なので、保育士登録情報を国が一元化して直接管理し、市町村の犯罪歴の把握と結びつける工夫が必要ではないか」と提案した。

里親として、新たな家族の形 車いすの男性、父親に

福井新聞ONLINE 2018年1月5日

 愛犬「カノン」が大好きな剛士ちゃん。桑原さん夫妻は「一生かけて愛情を伝えていきたい」と話す=2017年12月、福井県鯖江市
 19歳のときにバイク事故に遭い、車いす生活を送っている自営業の桑原彰三さん(44)と、妻の喜久代さん(47)=福井県鯖江市=は2017年9月、大阪市の乳児院の男児(3)と特別養子縁組を結び親子になった。「自分に育てることができるだろうか」という不安もあった彰三さんだが、車いすによじ登って抱っこをせがむ息子を見ていると「お前もパパも、みんな人生にはいろいろある。一緒に頑張っていこうな」と思えた。夫婦は「深いご縁で授かった命。息子には一生をかけて愛情を伝えていきたい」と心に決めている。

大阪に通い詰め
 2人は1999年に結婚。10年以上、不妊治療をしたが妊娠には至らなかった。ある日、テレビで特別養子縁組の特集を見た。喜久代さんは「私は何をしていたの?と思った。産んでも育てられない人がいる。自分は産むことはできなかったが、愛情を持って育てることはできる」。夫婦の思いは一致した。
 子どもが大好きで、保育士や小学校の非常勤講師として20年以上子どもとかかわってきた喜久代さん。出会った子どもたちは、みんなかわいかった。里親になることの迷いはなかった。2人は、福井県の研修を受け里親登録した。
 一方、大阪市の児童相談所は、広域で里親を探す事業に乗り出しており、2人は県を通じて15年秋、同市の乳児院に入っていた剛士ちゃん=当時(1)=を紹介された。16年4月から1カ月間、喜久代さんは乳児院に電車やバスでほぼ毎日通い、剛士ちゃんと一緒に遊んだり、散歩したりして関係を築いた。

縁組オープンに
 同年5月、剛士ちゃんは桑原夫妻の自宅で住むようになった。喜久代さんの姿が見えないと泣き叫ぶなど、慣れるまでしばらく大変だったが、今では元気に育っている。
 そんな息子を見ながら、彰三さんは「いろんな家族の形があっていい。自分の事故や不妊治療を通し、命の大切さを実感したからこそ伝えられることがある」と思うようになった。
 17年になって福井地裁に特別養子縁組を申し立て、9月、正式に親子になった。縁組のことはオープンにしている。彰三さんは「縁組は消せない事実。しかしそれは剛士の特徴のほんの一つ。全部引っくるめて、名前の通り強く育ってほしい」。自身の車いす生活とだぶらせる。

全員は救えない
 彰三さんは乳児院での剛士ちゃんの第一印象を「透き通るほど白い肌の子だなと思った」と振り返る。大勢の子どもを、ぎりぎりの人数でみていた施設では、外で十分に遊ばすことは簡単ではなかっただろうということは、後になって気が付いた。
 乳児院で剛士ちゃんと遊んでいても、母親代わりである保育士を求めて泣いている多くの子どもたちが気になった。さまざまな事情で親と一緒に住めない子どもがこれだけ多いという現実を目の当たりにし「自分は親として抱きしめてあげることができない」というつらさも味わった。
 全国的には、家庭で複数の子どもを受け入れる「ファミリーホーム」というシステムが普及し始めている。彰三さんも将来的には何人かの子どもを受け入れ、一緒に暮らす家族の形を思い描いている。「だって家族は多い方が楽しいですからね」