「独りぼっちで孤独だ」 児童養護施設退所者、厳しい生活

京都新聞 20180204

 京都市は、2018年度から児童養護施設などの退所者向けに自立支援の取り組みを強化する。背景には、退所者の生活環境や経済事情の厳しさがある。施設側も職員不足などから「組織的、体系的な支援ができていない」との声が出ているため、行政が積極的に関与して支援態勢を整える必要があると判断した。
 「進学や就職で施設を退所した子から、『独りぼっちで孤独だ』と夜によく電話がかかってくる」
 市内のある児童養護施設の施設長はこう打ち明ける。部屋に駆けつけると、電球の替え方が分からずに途方に暮れていたり、精神的なしんどさを訴えたりするという。
 施設の子どもは原則18歳で退所するが、「社会で自立するための支援は続ける必要がある。家庭で親が子どもに18歳を超えてもいろいろなサポートをするのと同じだ」と強調する。
 だが、退所後のケアは各施設に任されているのが実情で、職員が多忙な仕事の合間を縫って自主的に行うことが多い。市が今回設ける「自立支援コーディネーター」は、退所後のケアを中心的に担う職員を制度として位置づけるのが特徴という。
 退所者が直面する進学や就職の状況は厳しい。市が本年度に初めて行った退所者の生活状況調査結果によると、大学進学率は13%と低く、市内平均の70%を大きく下回った。就業状況も正規雇用は35%にとどまり、非正規が50%に達した。学費が足りないことなどから進学を諦めた退所者も14%に上った。
 市によると、施設入所期間を18歳から20歳まで延長した子どもは、自立に向けた経済状況や生活の基盤が弱いケースが多い。16年度には、退所年齢にあたる入所者のうち、3分の1程度が延長したという。
 新たな自立支援の取り組みでは、20~22歳の居住・生活費を補助する。大学を卒業するまで施設に居場所を確保することで、安心できる生活環境の維持につなげる。
 京都府も同様の取り組みを本年度から順次進めている。

養護施設、大学卒まで支援 京都市、入所可や退所後も

京都新聞 20180203

 京都市は2018年度、児童養護施設などの退所者が着実に自立するための支援態勢を新たに整える。退所後のケアを中心的に担う職員「自立支援コーディネーター」を各施設に配置し、仕事や家事など生活全般にわたる相談や助言を行う。現在の入所期限は高校を卒業する18歳までで、延長しても20歳までとなっているが、20~22歳の居住・生活費を補助し、大学卒業までの入所を可能にする。公的な支えが弱いとされてきた退所者への総合支援が一歩動きだしそうだ。
 児童養護施設の入所者は親がいなかったり、虐待された経験を持っていたりさまざまな事情を抱えており、退所後の生活でも困難な状況に直面する場合が多い。市が本年度初めて行った退所者の生活状況調査でも、「困り事」として経済面の不安をはじめ、仕事や親との関係、孤独、家事など多様な問題が挙がった。
 自立支援コーディネーターは、市内に計8カ所ある児童養護施設と児童心理治療施設に1人ずつ配置する。市が各施設に非常勤事務職の給与分を支給することで、職員らの中から退所後のケアに専念できる職員を確保してもらう。
 子どもが入所中の段階から進学や就職の相談、生活面の助言を行いつつ、退所後の支援計画を作成する。退所後も22歳まで継続的に電話や訪問を通じて支援する。市は同コーディネーターを定期的に集め、退所者の抱える課題に応じて専門家による研修も行う。
 また入所中は国と共同で居住費や食費、光熱費などにあたる費用を施設に支払う。入所者が大学などに在学中の場合は、20歳を過ぎても月10万円程度の支払いを22歳まで続けることで、大学卒業まで施設で暮らせる態勢にする。
 市は18年度当初予算案に、国の補助金を含めて関連事業費を盛り込む。市子ども家庭支援課は「退所してもさまざまな課題を抱える人が少しずつでも自立に向かうように支援したい」としている。

死の床にまで襲うフラッシュバック~18才以降のPTSD

田中俊英  | 一般社団法人officeドーナツトーク代表 20180203
 
「その後」の問題
 児童虐待当事者は、18才になると「元当事者」として社会に投げ出される(児童相談所対象外)。虐待がマイナーな問題だった10年前はそれはそれで仕方なかったが、虐待がこれほど増えてくると(10万件平成27年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数)、行政サービスから離れる膨大な人々の「その後」の問題を視野に入れる必要がある。
 性暴力や身体的暴力を中心とする魔の記憶は、いくつになっても被害者を襲う。そのフラッシュバックそのものは人間の脳の構造上どうしようもないのかもしれない。
 だから、フラッシュバックに襲われた時、そのフラッシュを流せるような技術が必要になる。
 それは、J.L.ハーマンのいうような(『心的外傷と回復』心的外傷と回復)「再統合」的ロジカルなものではなく、「なんとなくその記憶を軽く流せる」といったいくぶんファジーなものではないかと思う。

記憶はいくつになっても当事者を襲う
 いずれにしろ児童虐待被害者は、18才になると社会に放り出される。僕が彼女ら彼らを支援していて痛感するのは、18才になろうが30才になろうがトラウマのフラッシュバックは襲ってくるということだ。
 その忌まわしい記憶とシーンは、いくつになっても当事者を襲う。行政的には「18才」という線引きをする必要はあるだろう。が、記憶はいくつになっても当事者を襲う。
 95才になり、死の床のその瞬間まで、当事者を襲う映像、それがフラッシュバックだと僕は捉えている。
 みなさんの多くは虐待被害者ではないと思うが、みなさんが抱える「最低の記憶」はいくつになっても襲ってくるでしょう? 最低に上下はなく一般基準もない。個人にとって「最低」と思えばそれは最低の記憶になる。
 こういう僕にも最低の記憶はいくつかある。それは、数カ月に一度程度、いきなり襲ってくる。それは結構やっかいではある。
 やっかいだが、いつのまにかその記憶を心のどこかに置いておく技術を、僕は身につけたようだ。

PTSDのフラッシュバックは死の床に至るまで襲う
 児童養護施設の対象年齢は18才であり、その年齢以降の若者たちが日常を過ごすひとつの機関が、東京の国分寺市にある「ゆずりは」である。
 だいぶ先ではあるが、僕はゆずりは所長の高橋さんと、以上のような観点から語り合ってみようと思っている。
 行政サービスとして上限年齢を設定することは仕方がない。が、現実としてPTSDのフラッシュバックは死の床に至るまで襲う。
 その現実は、我々にとってだいぶ「きつい」ことなのだろうが、それと反比例するように、大人になってからのフラッシュバックはあまり議論にならない。
 ということは、フラッシュバック被害者たちは、それぞれの独自技術の中で(いきなりフラッシュバックに襲われたら、たとえばその場でしゃがみこみ、20分くらいしてからコーヒーでも飲んでみる等)生きている。
 こうした現実を、言語化しないままでいいのだろうか。
 虐待加害者の側はおそらく淡々と生きており、それとは別に、被害者は死ぬまでフラッシュバックに襲われる。
 何を差し置いても、こうした「被害者がマイナー化していく」現象をどこかで食い止める必要はあると思う。加害者の人々が想像するよりはるかに深く長く、被害者は死ぬまでその映像に悩まされている。