ベストセラーで印税収入は、元少年に入るのか。もし、そうであれば、被害者家族に渡すべきであろうと考えるのは、私だけであろうか?

神戸連続児童殺傷事件、元少年の手記に広がる波紋

朝日新聞デジタル 2015年6月20日

神戸市の連続児童殺傷事件の加害男性(32)=事件当時14歳=が書いた手記「絶歌」が、ベストセラーになっている。遺族は出版中止と回収を求めたが、出版社は「社会的な意味がある」として増刷を決めた。表現の自由と遺族への配慮を巡り、書店や図書館は対応に頭を悩ませている。

出版社は増刷、遺族は回収求め反発
版元の太田出版は初版の10万部に加えて17日、5万部の増刷を決めた。増刷分は、早ければ26日にも書店に並ぶ予定。岡聡社長によると、同社には抗議の電話が続いているが、「出版する意義があった」と肯定的な意見も寄せられ始めたという。岡社長は「元少年の原稿を読んだ上で、出版社としては、非難を引き受ける覚悟で世に出した。その気持ちは変わらないが、一方で、結果的にご遺族を傷つけたことは重く受け止めている」と話す。
17日には、ホームページに「加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に踏み切りました」とするメッセージを掲載。回収を求める遺族の申入書に対しても同様に、出版の意義を説明する回答を送ったという。
殺害された土師(はせ)淳君(当時11)の父・守さん(59)は突然の手記出版に反発。今月12日には、太田出版に手記の回収を求める申入書を送った。土師さんは「最愛の子が殺害された際の状況について、18年を経過した後に改めて広く公表されることなど望んでいない」とし、「精神的苦痛は甚だしく、改めて重篤な二次被害を被る結果となっている」と訴えた。「(事件は)極めて特異で残虐性の高い事案」とし、経緯などを公開することが「少年事件を一般的に考察するうえで益するところがあるとは考えがたい」とも指摘。加害者による手記などの出版は「被害者側に配慮すべきであり、被害者の承諾を得るべきである」とした。

元少年A手記出版は「遺族傷つける行為」明石市長、地元書店に「配慮を」

スポーツ報知 2015年6月20日

兵庫県明石市の泉房穂市長(51)は19日、神戸市連続児童殺傷事件の加害男性(32)による手記「絶歌(ぜっか)」(太田出版)の出版は「ご遺族を傷つける許されない行為」として、明石市民と市内の書店に配慮するよう呼び掛けた。「強制はできない」としたが、市立図書館では手記を購入しないと明言した。
明石市は2011年に犯罪被害者支援条例を施行。13年には、事件で殺害された土師淳君(当時11)の父・守さん(59)も有識者として関わり、二次的被害の防止などを盛り込んで改正。泉市長はそれに基づいた対応だと説明した。守さんにも電話などで相談。守さんらは、明石市内にある淳君の菩提(ぼだい)寺に毎週通っているという。
「絶歌」の取り扱いは、事件のあった地元書店でも対応は様々。事件現場近くにも店舗がある「喜久屋書店」は、13日までに全国の店舗から手記を撤去。一方、取り扱っている別の書店では、最初に入荷した約70冊が完売した。同店店長は「読みたいという方もいる。最後、決めるのはお客様」。苦情は現在のところないという。
守さんの代理人弁護士は、太田出版に対して出版差し止めなどの法的措置をとる可能性を「未定」と態度を保留。「そっとしておいて欲しい」と遺族への配慮を求めた。

加害男性通学元中学校長は「見ていない」 加害男性が1997年の事件時、通っていた中学校の当時の校長が19日、取材に応じ「被害者の家族にも(同校の)卒業生がいて、私は(被害者と加害者)両方と関わっている。コメントはできない」と複雑な胸中を明かした。手記はニュースで知り「興味はあったが、中身は見ていない」という。出版元は「少年犯罪の背景の理解に役立つ」などと出版に踏み切った理由を説明しているが、元校長は「そういう部分もあるかもしれないが、遺族としては気持ちを割り切れないと思う」と語った。

酒鬼薔薇の手記 家族に関する記述だけは敢えて嘘を書いたか

女性セブン 2015年6月20日

小学生5人が襲われ、2人が死亡、3人が負傷した、神戸連続児童殺傷事件。中でも、土師淳(はせ・じゅん)くん(享年11)が殺害され、1997年5月27日市立中学校の正門前でその頭部の一部が発見された犯行のあまりの残虐性に日本中が震撼した。
さらに淳くんの口のなかからは、酒鬼薔薇聖斗を名乗る犯人からの挑戦的な犯行声明が見つかる。日本中を驚かせたのは、事件の概要だけではなかった。
逮捕されたのが14才の少年だったことで、犯人は、「少年A」と呼ばれ、マスコミでは連日少年法の妥当性が問われる事態となったのだ。
あれから18年。Aは、32才となり、手記『絶歌』(太田出版)を発売した。被害者遺族からの出版中止、回収の要求を無視。初版10万部は瞬く間に完売した。
毀誉褒貶相半ばの出版劇となったが、女性セブンはこの機に、Aに関する総力取材を開始。すると、手記には書かれなかったAの思惑、そして極秘にされていた彼の近況が見えてきた。
『文藝春秋』5 月号で、Aの起こした事件に対する神戸家裁の判決文の全文が公開された。そこでは、当時の彼の犯罪心理として、「母への愛憎」の可能性を指摘していた。
《母は生後10か月で離乳を強行した。(中略)1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがある》(判決文より)
精神医学用語でいう「愛着障害」の可能性に触れ、さらに母は排尿、排便、食事、着替え、玩具の片付けに至るまで、躾には極めて厳しく、スパルタ教育を施していたことが、後にAの心を歪ませた疑いがあるとしていた。
実際、Aは小3の時の作文で、「お母さんはえんまの大王でも手がだせない、まかいの大ま王です」と書いており、この“母との歪な関係”がAの凶行を生んだ発端だと、逮捕直後からメディアでも盛んに叫ばれていた。
しかし、Aは手記でこの定説を自ら否定する。
《母親を憎んだことなんて一度もなかった。母親は僕を本当に愛して、大事にしてくれた。僕の起こした事件と母親には何の因果関係もない》
《事件の最中、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともない》
こう綴りながら、母との関係から事件を読み解いた報道の全てを事実誤認だと断じた。
判決文を書いた、神戸家裁でこの事件の審判をした元判事・井垣康弘氏が語る。
「Aが長年母親に愛されていないと感じており、厳しい躾を虐待と捉え、それらが自己肯定感を欠落させる原因になったことは、裁判時の精神鑑定からも明らかです。鑑別所に初めて面会に行った母親に対して、“帰れ豚野郎!”と怒鳴り、心底の憎しみをもって睨み付けたこともありました。
Aは、手記の中で家族に関する部分だけは敢えて嘘をついたのでしょう。この手記が、将来的に現れるかもしれない友人、恋人への“家族紹介”の役割を担っているからです。同時に、彼が家族に対して徐々にオープンになってきている証でもあります。母の存在が事件の伏線になっていることを隠し、良い思い出だけを選び抜いて書いたのだと思います。実際、父や弟を含め、家族のことについては一切悪いことを書いていませんからね」

<児童連続殺傷手記>明石市 書店や市民に「配慮」要請

毎日新聞 2015年6月19日

兵庫県明石市の泉房穂市長は19日、神戸市の児童連続殺傷事件の加害男性による手記「絶歌」について、明石市犯罪被害者支援条例で2次的被害の防止を定めた規定に基づき、市内の書店や市民に対して配慮を要請すると発表した。販売・購入の自粛などの具体的内容は含んでいないが、市立図書館では購入しない。
現行条例(2014年4月施行)に基づく配慮要請は初めて。22日以降、市内の書店約10店に文書で通知し、市民には広報紙やホームページを通じて周知する。
泉市長は記者会見で、事件で殺害された土師(はせ)淳君(当時11歳)の墓が市内の寺にあることを挙げ「遺族が書店で平積みされた本を目にする可能性がある。条例に基づく対応を取る必要があると判断した」と述べ、さらに「個人の思いとしては売らないでほしいし、買わないでほしい」という考えを示した。
淳君の父守さん(59)は市条例の改正の際に有識者として協力した。市は今回の対応について守さんに意見を求め、発表内容も事前に伝えたという。【駒崎秀樹】

「酒鬼薔薇聖斗」元少年A手記、5万部増刷へ

スポーツ報知 2015年6月18日

神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)による手記「絶歌」(1620円)の重版が決まったことが17日、分かった。5万部が増刷される。殺害された児童の遺族は、出版社に回収を申し入れていたが、出版元の太田出版(東京)の岡聡社長は、この日、自社のホームページ上に、「本書の内容が、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信している」と、今後も販売を継続することを表明した。
事件当時の犯行声明で「酒鬼薔薇聖斗」を名乗った加害男性が「元少年A」として記し、出版への賛否を含め大きな反響を呼んでいる手記の増刷が決まった。
この日、発表された出版取り次ぎ大手・日販のベストセラーランキングで同書は総合トップ。情報会社オリコンの週間ランキングでも総合部門1位となった。オリコンの集計では推定売り上げ部数は約6万7000部。品切れの書店やオンラインサイトも続出しており、初版10万部に続いて5万部が増刷され、25日から順次配本される。
最近の事件では、2007年の英会話講師殺人事件で、市橋達也受刑者が1審公判中の11年に発表した手記「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」が、初版3万部、最初の増刷が2万部だった。今回の手記はそれに比べても、大きな発行部数ということになる。一方で、事前了解がなかったとされる遺族の心情に配慮し、販売しない書店も増えている。注文した客だけに販売する方法に切り替えた書店もある。
太田出版には11日の発売以降、「本を回収すべき」「なぜ、出版したんだ」などの意見や苦情が連日、届いているという。そのため社内で「会社としての考え方を示すべきでは」との声が上がった。
同社は、ホームページの表明文で、「事件の根底には社会が抱える共通する問題点が潜んでいるはず」とし、「加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に踏み切りました」と説明した。
被害者の土師淳君(当時11歳)の父・守さんは、同社に対して「絶歌」の回収を求める申し立てを行った。同社は、それに対しての返答は、既に送っているという。その上で「出版の可否を自らの判断以外に委ねるということはむしろ出版者としての責任回避、責任転嫁につながります。私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信しております」と、回収する意向はないことを示した。

神戸児童連続殺傷:「加害者手記」書店、図書館が対応苦慮

毎日新聞 2015年06月17日

神戸市で1997年に児童連続殺傷事件を起こした当時14歳の加害男性(32)の手記「絶歌(ぜっか)」が出版されて18日で1週間になる。売り切れる書店がある一方、遺族の心情に配慮して販売を見合わせる動きも出てきた。地元の図書館も対応に苦慮しており、兵庫県立図書館(同県明石市)は17日、手記は購入するが館外への貸し出しはしない方針を決めた。

兵庫県立図書館は館外貸し出しせず
神戸市に本社があり、15道府県で38店舗を展開する「喜久屋書店」は、発売2日後の13日に販売を取りやめた。「遺族の許可を得ていなかったことが分かった。地元の関心は高いかもしれないが、遺族の気持ちをくみ取った」と話す。関東を中心に展開する「啓文堂書店」は、遺族の心情への配慮を理由に当初から販売していない。
一方、神戸が発祥のジュンク堂書店は店頭で販売したが、三宮店では入荷した約200冊全てが完売した。担当者は「店で自主規制はしない。出版の是非はお客様に判断していただくのがポリシー」と説明する一方、「決して売りたい本ではない」と明かす。「なぜ売るのか」との抗議の電話も連日あるという。
県立図書館は開架スペースに置かず、学術など利用目的を確認した上で、館内に限り閲覧を認める対応にした。同館は「県内で起きた社会的影響のある事件なので購入するが、遺族の人権や心情にも配慮し、図書館としての役割を果たしたいと考えた」と説明する。
一方、神戸市立中央図書館(同市中央区)は近く対応を決める。1998年には加害男性の供述調書を掲載した月刊誌の閲覧を中止にしている。【神足俊輔、久野洋、石川貴教】

版元は出版継続方針
手記の版元・太田出版(東京)は17日、自社のホームページに「『絶歌』の出版について」とする見解を掲載した。「少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信している」と意義を強調し、今後も出版を続ける方針を明らかにした。
同社の岡聡社長名で掲載。当時14歳だった加害男性(32)を「事件が起きるまでどこにでもいる普通の少年。紙一重の選択をことごとく誤り、前例のない猟奇的殺人者となってしまった」「根底には社会が抱える共通する問題点が潜んでいるはず」などと分析。「弁解の書ではない。猟奇殺人を再現したり、事件への興味をかき立てたりすることを目的にしたものではない」と説明している。
被害者の土師(はせ)淳君(当時11歳)の父守さん(59)と代理人の弁護士は「遺族に重大な2次被害を与える」として回収を求める抗議文を太田出版に送っているが、同社は「出版の意義をご理解いただけるよう努力していくつもりです」と触れるにとどめた。【神足俊輔】

啓文堂書店、元少年の手記を販売中止 神戸児童連続殺傷

朝日新聞 2015年6月16日

東京・京王線沿線を中心に38店舗を展開する啓文堂書店が、神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が「元少年A」の名で書いた手記の販売を中止している。
書店を運営する京王書籍販売によると、いったん入荷はしたが、被害者遺族の心情に配慮し、発売前の時点で取り扱わないことを決めた。客からの注文も受け付けていないという。同社担当者は、これまでに自社の判断で販売中止を決めた本は「覚えている限りない」としている。
手記は今月10日に太田出版から刊行。遺族が手記の回収を求めて出版社に申入書を送っている。(竹内誠人)

神戸児童殺傷事件の遺族、出版社に元少年手記回収求める

朝日新聞 2015年6月13日

神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)=事件当時14歳=が「元少年A」の名で書いた手記が刊行されたことを受け、殺害された土師淳君(当時11)の父、土師守さん(59)が12日、出版社に手記の回収を求める申入書を送った。土師さんの代理人弁護士が明らかにした。「出版は遺族に重大な二次被害を与え、正当化する余地はない」としている。
申入書はA4用紙3枚。土師さんは「遺族は、最愛の子が殺害された際の状況について、18年を経過した後に改めて広く公表されることなど望んでいない」とし、「精神的苦痛は甚だしく、改めて重篤な二次被害を被る結果となっている」と批判。「加害者側がその事件について、手記等を出版する場合には、被害者側に配慮すべきであり、被害者の承諾を得るべきである」と指摘した。
代理人弁護士は取材に対し「出版差し止めに向けた法的手段をとるかについては未定」としている。手記を出した太田出版は「申入書が届いていないのでコメントは控えたい」とした。(佐藤啓介)

神戸連続殺傷事件「元少年A」はなぜ手記を出したのか? 太田出版・編集担当者に聞く

弁護士ドットコム 2015年6月13日

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人男性(32)が6月10日、事件を起こした経緯やその後の人生をつづった手記を出版したことが、大きな波紋を広げている。
事前に出版を知らされていなかったという事件の遺族が、あいついでマスコミにコメントを発表。殺害された土師淳くん(当時11歳)の父親守さん(59)は「少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」。山下彩花ちゃん(当時10歳)の母親、京子さん(59)は「何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と問いかけた。
Amazonのカスタマーレビューには「評価に値しない」とか「世に出してはならない本」といった酷評が並んでいる。また、遺族に無断で本を発行したことなどについて、版元の太田出版(東京)には抗議の電話が殺到しているという。男性は今年3月、仲介者を通じて原稿を同社に持ち込んだというが、いったいどのような意図で出版に至ったのか。編集を担当した太田出版取締役の落合美砂さんに話を聞いた。(取材・渡邉一樹)

遺族の批判を覚悟したうえで「出版」した理由とは?
男性が「元少年A」という名義で出版した手記は、ハードカバー294ページ。「絶歌」というタイトルが付けられている。
手記は2部構成で、第1部は当時14歳だった筆者が逮捕され「少年Aになった日」のエピソードから始まる。中心となっているのは事件を起こした1997年当時のことだが、殺人そのものについての描写は簡潔で、むしろそこに至ってしまった彼自身の心境が、松任谷由実さんの歌詞や、ドストエフスキー『罪と罰』などの引用も交えながら、独特の文体で語られている。
たとえば「ちぎれた錨(いかり)」という章では、「僕の人生が少しずつ脇道へと逸れていくことになった最初のきっかけは、最愛の祖母の死だった」と明かされる。
そして続く「原罪」という章で、男性は次のように告白している。
「僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した」。「僕の中で”性”と”死”が”罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった」。
一方、第2部では、21歳だった2004年、医療少年院を出て、再び社会に復帰してから、現在に至るまでの出来事が語られる。保護観察、更生保護施設、里親になってくれた家族とのエピソード、自立しネットカフェやカプセルホテルを泊まり歩く生活に、事件が色濃く影を落としている様子が語られる。被害者遺族への贖罪の気持ちや、家族への感謝の気持ちもふまえて、今回の手記を書いた経緯がつづられている。
そして、本の末尾には「被害者のご家族の皆様へ」「皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です」とする謝罪文が添えられている。
このように批判を覚悟していたということだが、遺族らの感情を逆なでしてまで「手記」を出そうとしたのは、なぜなのか。原稿の提案を受けた太田出版が、出版に踏み切ったのは、どうしてなのか。

「赤を入れて直したところはない」
太田出版には、抗議の電話が殺到しているということですが・・・
「特にワイドショーで取り上げられた後は、すごいですね。『こんな本をなんで出すんだ?』という論調で取り上げられ、それと同じ趣旨の抗議電話が数多くありました。
ただ当初の抗議は、本を読んでいない、見てもいないという人たちばかりでした。6月12日になると、実際に書店で買って読んだという方から、『感動した』『参考になった』といった声も数は少ないですがありました」

全294ページ。事件の経緯や、事件を起こした際の心の動き、反省の言葉などが、かなり独特な表現で書かれています。この本はいったいどこまで本人が書いたものなのですか。
「編集者として、ここは説明不足なので加筆してほしいとか、ここは削除してほしい、ここは言い換えてほしいみたいなことは言いました。しかし、基本的には、私が手を入れることはありませんでした。ちょっと手は入れられない原稿というか・・・。
独自の文体をもっていらっしゃったので、加筆するにしても、こういった趣旨のことを加筆してほしいと伝えて、全部、彼にやってもらいました。指示は出しましたが、具体的に私が赤を入れて、直したところはないですね」

原稿を受け取った立場として、どういう意図で出版に応じたのでしょうか。
「彼のような少年が起こした事件について、少年審判が始まってから後のことは、審判の過程も含めてあまり公表されていません。また、社会復帰をしたあと、どうなっているかということも、ほとんど語られていません。
少年事件の当事者が、きちんと自分の言葉で、そうしたことを語ったというのは、初めてだと思います。その手記はやはり貴重なのではないかと思いました。
手記を読んだとき、個人的にすごいなと感じたのは、彼が少年院を仮退院した後、保護司さんや里親、更生保護施設などから、ものすごいフォローを受けていたことです。罪を犯した少年が更生するために、これだけ様々な人が力を貸しているんだということを、ある種の驚きを持って読みました。
ここは、全然知られていないところです。少年を更生するために、いろいろな方々がほとんどボランティアみたいな形で力を尽くしている。もちろん、制度について大まかな話を聞いたことはありましたが、ここまで細やかなフォローをしながら、社会に慣れさせて、段階を踏んで更生する形になっているとは・・・。今回、手記を読んで、初めて知りました」

いろいろな意味で影響が大きい本だと思いますが、本を出すことに躊躇はなかったのですか。特に、神戸連続少年殺傷事件については、影響を受けたという少年少女が出てきていましたが・・・。
「本というのは、良きにつけ悪しきにつけ、多かれ少なかれ、他人に影響を与えるものだと思います。
彼は、この事件についてテレビで企画された討論会で、ある男の子が発した『なぜ人を殺してはいけないのか?』という質問に、大人たちが答えられなかったというエピソードを紹介したうえで、彼の体験を通じた、彼なりの答えを用意しています。そこを読んでもらえればと思います」
手記の中で、元少年Aは、今ならこの問いに次のように回答すると記している。

《「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
哲学的な捻りも何もない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうち回って生き、やっと見付けた唯一の、僕の「答え」だった。》

「異常な記憶力と感じた」
ところで、手記のエピソードは、どこまで本当なのでしょうか。彼がどこまで真実を語っているのかについては、どう感じられましたか。記憶が間違っているとか、あえて都合の良いように書いているということはないでしょうか。
「記憶が間違っていることはおそらくないと思います。なぜなら、あそこまで細かく描写できるのは、場面が脳にシーンとして刻まれているからだと思います。手記は、記憶の再現だと思います。本当に記憶力が良く、特に視覚における記憶力が並外れていますね。
たとえば、先ほど私が『削ってもらった』と言った場面の一つが、最初の取り調べのシーンで、最初の原稿ではとにかく人物がめちゃくちゃ克明に描かれていました。これは本人が特定できるなというぐらいの描写なんですよ。部屋の様子なども含めて、鮮明に覚えているのだと思います。そこで交わされた会話も含めて、異常な記憶力だと感じました」

第1部は文学的な表現も多く、創作的なところもあるのではないかと思いましたが・・・
「たとえば、(凶器を捨てた)池についての描写とかは、文学的な表現を使っていますけれども、私には、たぶん彼の目にはそういう風に見えていたんだろう、という感じがしました」

あえてあのような表現を用いることで、当時の感覚を再現しようとしたということですか?
「そうだと思います。だから少年時代の第1部と、第2部では文体が大きく違っていて、第1部は『あの当時』のことを鮮明に思い出して、当時自分が考えたこととかそういったことを懸命に思い出して、それを書いている。だから、第1部は14歳の少年っぽい心理描写にもなっています」

確かに、第1部を読んでいるときは、この人は14歳のまま止まっているのではないかと思いました。
「それに対して第2部は更生施設を出てきた後の、『その時の自分』として書いていると思います」

ほとんど手を入れていないということでしたが、ひとりの素人が、ここまで本を作りこんでくることは、よくあるのですか。
「全くの素人でも、細かく作ってくる人はいますが、ここまで完成度の高いものは初めてで、経験がないですね。タイトルも見出しも、全部自分で付けて、口絵の写真も入れたいという形で、持ち込みのときには、構成も全部このまんまでした。
大きな直しは個人が特定できる部分を削ったりとかぐらいで、あとは、ここは分かりづらいので言葉を変えてくれとか、それぐらいですね」

ドストエフスキーなどの引用が、数多くなされていますが、それもそのままですか。
「引用も全部入ってました。そのまま。しかも、引用が一字一句間違っていなかった。突き合わせをしたときにおどろきました」

「絶歌」というタイトルは、どういう意味なのですか。
「それは、本人が『どうしても』と、決めていらしてですね、本文にも説明がないので、造語だと思うんですけど、正直言ってどういう意味かというのはですね、聞いても説明がなかったですね。最初から『このタイトルで行きたい』ということだったので、『じゃあ』という感じで・・・」

本を出版したことに対する反応、批判は、本人にも伝わっているのでしょうか?
「本が出て以降、出版社側からは、事務的な連絡以外はしていません。あんまりいろいろ連絡をしたりすると、それによって彼の居場所が分かったりするのはよくないので、基本的に刊行後はできるだけ接触は避けています」

いま、こういう状態になっていることは、本人もおわかりにはなっているのでしょうか。
「それは、テレビやメディアは見ているでしょうから、分かっていると思います」

コメントを出す予定は?
「それはないですね。取材を受ける予定は一切ありません。この本そのものが、彼自身の考えなので。これ以上コメントを出すということはないと思います」

遺族には、すでに本を送られたのでしょうか。
「本人は、出版について事前には連絡しないと決めたときに、事後報告になってしまったことと、本をどうしても出さなくちゃいけなかったというお詫びの手紙を付けて献本すると言っていました。
ただ、彼自身にも遺族の方々の連絡先は分からず、仲介の方を通じてということだったので、実際に届いたかどうかの確認はできていないと思います」

初版10万部ということですが、著者が受け取ることになる「印税」について、彼は何か遺族のために使う予定はあるのでしょうか。
「著者本人は、被害者への賠償金の支払いにも充てると話しています。これまで著者自身としては微々たる額しか、支払えていなかったということですので」

どうしても書かずにはいられなかった」
彩花ちゃんのお母さんは「何のために手記を出版したのか本当の動機が知りたいです」とコメントを発表されました。彼は本当は、どういう気持ちで本を書いたのでしょうか。そして、それを発表しなければならなかった理由は、どこにあるのでしょうか?
「私はこの手記全体が、遺族の方々、いろいろな彼を支えてきた人、あるいは自分の家族への長い手紙というか、支えてくれた人にはお礼の手紙であり、遺族の方々にはお詫びの手紙として書かれたものだなという気がしました。
彼は2004年を最後に自分自身の家族にも会っていません。彼が出てきてから、いろいろな方に世話になった。手記の最後には、ご遺族への謝罪文も付けられています。
手記では、いま自分自身がどうしているのか、自分がいる場所を確かめたいということも書いています。手記を書いたのは、そういった気持ちに加えて、自分がここまで来られた感謝とお詫びの気持ちがあるという風に、私は読みました。
2年以上かけて、自分の過去と向き合って書いていったので、一つは表現欲もあったと思うんですけれど、本の形にして残したいという思いがあったのでしょう。二度と会えない人たちに届ける意味もあると思います」

ご遺族に事前に説明がなかったのは、なぜですか?
「彼としては、許可を求めても、却下されるだろうということもあったのだと思います。土師さんの気持ちを裏切ることになるというのが分かっていても、出したかったということだと思うんですよ。
本を出すことによって、自分の家族も、遺族の方々も、彼自身も、再び注目を浴びます。それこそ彼自身にとっても、今どこにいるかを探されたりとか、いろんな危険性もあるし、人を傷つけるということも可能性としてはあるという話をしたのですが、やはり『どうしても出したい』ということで、こういう形になりました」

最後に謝罪文がありますが、それを入れようということになった経緯はどういったものですか?
「最後に謝罪文を付けるという構成も、彼が書いてきたそのままです。私が(原稿を)読んときには、もうあの形で入っていました。こちらで『書いてください』とか、そういった要望は一切出していません」
この「謝罪文」は次のような言葉で結ばれている。

《本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません。
せめて、この本の中に、皆様の「なぜ」にお答えできている部分が、たとえほんの一行でもあってくれればと願ってやみません。
土師淳君、山下彩花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
本当に申し訳ありませんでした。》