児童虐待すばやく対応 県警と児相が合同研修/横浜

カナロコ by 神奈川新聞 10月24日(木)5時30分配信

増加する児童虐待に迅速・的確に対応しようと、県警と横浜市の四つの児童相談所は23日、県警察学校(同市栄区)で初の合同研修を行った。虐待が疑われる子どもの安否が確認できない場合に自宅などに立ち入る「臨検・捜索」の模擬訓練を行い、連携方法を確認した。
児相が家庭訪問などを繰り返しても親などが面会を拒否し、子どもの安否が確認できないケースがある。合同研修は、児相と県警が連携して自宅などに立ち入り、子どもの安全を確保しようと開催。双方の担当者計約40人が参加した。
臨検・捜索の流れの講義を受けた後、模擬の一軒家を子どもの自宅に見立てて訓練。母子家庭に同居する男性が5歳の女児を虐待しているという想定で行った。
児相職員が子どもとの面会を求めても、男性役の警察官が拒否。チェーンを壊して立ち入る際に男性役が抵抗したため、警察官が取り押さえる一方、児相職員が子ども役の児相職員を見つけて救出した。
横浜市が2012年度に把握した児童虐待は、前年度比109件増の929件。身体的虐待と心理的虐待が、それぞれ4割を占めた。臨検・捜索は11年度に1件あった。
市中央児相の中沢智課長(51)は「臨検・捜索に至るケースは必ずしも多くないが、相互の役割分担が確認できた。重傷を負うケースや虐待死をなくしたい」と話した。

女児に水風呂強要、一時心肺停止 三重、容疑の男逮捕

朝日新聞デジタル 10月23日(水)20時43分配信

女児を水風呂につからせ心肺停止状態にしたとして、三重県警津南署は23日、同県鈴鹿市南若松町、無職長坂秀人容疑者(41)=傷害罪で起訴=を保護責任者遺棄致傷の疑いで再逮捕し、発表した。容疑を否認しているという。
署によると、長坂容疑者は2011年3月19日、津市川方町の自宅で、当時の妻の連れ子で小学5年生の女児に「反省してこい」などと言って水風呂に入るように命じ、低体温症で心肺停止状態に陥らせた疑いがある。女児は市内の病院へ救急搬送され回復した。

2歳長男虐待死で父親逮捕 和歌山県警、傷害致死容疑

産経新聞 10月23日(水)18時4分配信

和歌山市内の自宅アパートで今年7月、長男=当時(2)=に暴行を加え死亡させたとして、和歌山県警和歌山東署は23日、傷害致死容疑で、父親で会社員、原和輝容疑者(26)=同市神前=を逮捕した。「暴力をふるっていない」と容疑を否認しているという。
逮捕容疑は、7月23日午後8時半ごろから同11時5分ごろまでの間、自宅で長男の星(せ)涼(り)ちゃんに複数回の暴行を加え、頭部打撲による外傷性くも膜下出血などにより死亡させたとしている。
同署によると、同日夜、原容疑者が「子供が浴室で転倒して頭を打った」と119番。星涼ちゃんは意識不明の状態で病院に搬送されたが、翌日未明に死亡が確認された。搬送時に目立った外傷はなかったが、司法解剖の結果、外傷性くも膜下出血だったことが判明した。
星涼ちゃんは平成23年、原容疑者から虐待を受けていた可能性があるとして、同年11月から県子ども・女性・障害者相談センター(児童相談所)に保護され、乳児院に入所。今年7月8日、家庭復帰が可能と判断され自宅に戻ったばかりだった。
星涼ちゃんはこの時、両親と長女、次男の5人で暮らしていたが、23日に病院に運ばれた際には母親と長女は不在だったという。

京都ラーメン店員殺害 「優しい子がなぜ…」関係者、悔しさあらわ

産経新聞10月15日(火)16時18分

ラーメン店店員、松竹順さんが遺体で見つかった自宅マンション=15日午前、京都市北区
京都市北区のラーメン店店員、松竹(まつたけ)順さん(25)殺人事件で、松竹さんが17歳まで通っていた京都市内の児童養護施設の副施設長(59)が取材に応じた。副施設長は、遺体の第一発見者となった施設の後輩から連絡を受け110番した。松竹さんについて「優しい子で、園によく出入りしていた。子供にドーナツなどのお菓子を持ってきてくれていた。優しいお兄ちゃん的な子で、面倒見がよく、小さい子からも慕われていた」と話し、悔しさをにじませた。
副施設長によると、松竹さんが最後に園を訪れたのは今年9月。その時は副施設長自身は会わなかったが、「元気にしていたと聞いた。生活していくのにいっぱいいっぱいで、夢とかはまだまだ。でも、あの子なりに一生懸命やっていた」と話す。
近況について、「今のマンションが解体されるので出なければならないという話は聞いたが、具体的にこれからどうしていくといった話は聞いていない」という。
捜査関係者によると、松竹さんは平成20年から、市内のラーメン店でアルバイトとして勤務。店では「優秀で調理、接客すべてを任せられる」と信頼を寄せられていたが、9月25日に出勤したのを最後に、連絡が取れなくなっていた。
副施設長は、「トラブルなどは聞いていない。人に恨まれるタイプの子ではない。悩みというか、仕事が忙しくて寝る時間もほとんどないというようなことは聞いた」という。
定期的に園に顔をみせるというわけではなかったが、「人恋しい、優しい子だったので、まめに出入りしていた。クリスマスにはプレゼントも持ってきてくれた。自分の食べる分を削ってでも、子供たちにプレゼントして喜んでもらいたい、そういうタイプだった」とその死を悼んだ。