「明日、ママがいない」のブログ記事をまとめたものが「明日、ママがいない 批評まとめ」ですが、原稿用紙で110枚以上となりました。
そこで、児童養護施設を学ぶことをメインに、原稿用紙70枚程度に文章を絞り込みました。児童養護施設への理解に貢献できれば幸いです。
「明日、ママがいない」で学ぶ児童養護施設
児童養護施設とは!
児童養護施設は、日本中の全ての子どもたちが、家庭の事情で入所するかも知れない場所です。「自分たちとは関係のない場所だ」と考えている方がいたら、認識を見直すべきでしょう。
あなたは、今の幸せが、いつまでも続くと未来を予測することが出来ますか。
もしかしたら、交通事故や災害で、命を落とすかも知れません。経済的に破綻するかも知れません。離婚の危機に見舞われるかも知れません。重い病気を患うかも知れません。虐待をするかも知れません。
未来は、何が起こるか分かりません。何かの事情で、どうしても子育てが出来なくなったとき、あなたの代わりに子育てを担ってくれるのが児童養護施設です。
児童養護施設は、あなたと全く関係のない福祉施設ではないのです。母子家庭や父子家庭の子どもたちもいます。経済的な理由、病気による入院、刑事事件等による収監、保護者の死亡や行方不明等の子どもたちもいます。DVや虐待が日常的に行われていた家庭の子どもたちもいます。あなたの未来に、このような事情が絶対起きることはないと確信できるでしょうか。
児童養護施設は、子育てを家庭だけではなく、社会として担っていこうとの「社会的養護」の働きを実践している場所なのです。つまり、児童養護施設だけに子育てを任せるのではなく、社会として、子どもたちを愛していくことが大切な事なのです。
児童養護施設は、税金により運営されています。つまり、経済的に他人事ではないのです。あなたが納めた税金が関わっています。同じ、児童福祉施設として保育所がありますが、多分、こちらは利用する人も多く、身近な存在でしょう。利用するためには、利用料も必要です。児童養護施設も、児童入所施設徴収金が所得税額に応じて保護者から徴収されています。つまり、児童養護施設も保育所も児童福祉施設であることに変わりありません。ただ、圧倒的に保育所の利用者が多いだけなのです。
究極の状況を思い浮かべてみましょう。それは、あなたが子育て中に何かの事故で夫婦とも亡くなってしまったと想像してください。あなたのお子さんは、どうなりますか?育ててくれる親がいなくなり餓死してしまいますか。あなたの身内や親戚で、自分亡き後、我が子を育ててくれる方はいますか。核家族化が進んでいる現在、更に自分の家族が生きていくのに精一杯の中で、それでも、我が子を育ててくれる身内や親戚が確実に存在すると確信が持てますか。反対のことを考えてみましょう。あなたの身内や親戚でご不幸があったとき、あなたは、そのご家庭のお子さんを我が子同然に子育てをすることが出来ますか。
現在の日本社会では、そのような状況のお子さんが、路頭に迷ったり、餓死したりすることはありません。義務教育なども確実に受けることが出来ます。それは、何故か、福祉施策があるからです。身内や親戚の方など、どうしても引き取り先が見つからなければ、児童養護施設等の福祉施設が、あなたに変わって、子育てを担ってくれる。それが福祉なのです。
明日、ママがいない イントロダクションの間違い
ドラマ「明日、ママがいない」は、確かにフィクションドラマであり、表現の自由は遵守されるべきです。しかし、それが、実在する公的名称を使い、全く異なる世界観を描いて良いとの根拠にはなりません。
存在しない架空の福祉施設を描くのであれば、存在しない架空の名称を創作すべきでしょう。
イントロダクションの、どの部分が間違いなのか。
物語の舞台は、児童養護施設
明らかに、現実の児童養護施設とは、違う舞台設定であり、「児童養護施設」と断定的に表現していることが誤解を招いてしまいます。
参考までに、Wikipediaの「児童養護施設」のページに「略して養護施設(ようごしせつ)とも称する」とある通り、報道記事、著名人の記事等で、「養護施設」との記載が見られますが、1947年の児童福祉法改正で孤児院から養護施設に改称され、1997年の児童福祉法改正で、児童養護施設に改称されています。従いまして、「養護施設」と記載することは、時代遅れと言うことに他なりません。
児童福祉施設最低基準 児童福祉施設の設備及び運営に関する基準
(職員)
第四十二条 児童養護施設には、児童指導員、嘱託医、保育士、個別対応職員、家庭支援専門相談員、栄養士及び調理員並びに乳児が入所している施設にあつては看護師を置かなければならない。ただし、児童四十人以下を入所させる施設にあつては栄養士を、調理業務の全部を委託する施設にあつては調理員を置かないことができる。
ドラマの職員人員配置では、児童養護施設の基準を満たして居らず、「児童養護施設」と表現しているのは不適切です。
では、地域小規模児童養護施設としては、どうでしょう。
まず、地域小規模児童養護施設は、児童福祉法にも児童福祉施設最低基準にも記載されていません。厚生省児童家庭局長の通知である「地域小規模児童養護施設の設置運営について」により設置認可されています。その中に「地域小規模児童養護施設(児童養護施設における本体施設の分園(グループホーム)」と言う記載がされていますので、地域小規模児童養護施設のことをグループホームと呼ぶこともありますが、括弧書きで示している通り俗称的な意味合いです。法的根拠はないものの正式には、地域小規模児童養護施設と表現するべきでしょう。
地域小規模児童養護施設の設置運営について
4.定員等
地域小規模児童養護施設の定員は、本体施設とは別に6人とし、常に現員5人を下回らないようにすること(ただし、指定の直後はこの限りでない。)。
ドラマの児童人数は、ポスト、ドンキ、ピア美、ボンビ、オツボネ、パチ、ハン、リュウの8名であり、この時点で、地域小規模児童養護施設に当てはまりません。
5.設備等
(1)日常生活に支障がないよう必要な設備を有し、職員が入所している子どもに対して適切な援助及び生活指導を行うことができる形態であること。
(2)個々の入所している子どもの居室の床面積は、一人当たり4.95㎡以上(幼児については3.3㎡以上)とすること。ただし、平成22年度において指定を受けているものにあっては、なお従前の例による。
なお、原則として、一居室当たり2人までとすること。
(3)居間、食堂等入所している子どもが相互交流することができる場所を有していること。
また、ドラマでは4人部屋となっているため、原則に反しています。
6.職 員
(1)地域小規模児童養護施設専任の職員として児童指導員又は保育士を2人置くこと。
(2)その他の職員(非常勤可)を置くこと。
職員数についても規定を満たしていません。
従いまして、ドラマの設定は、児童養護施設でも、地域小規模児童養護施設でもありません。「物語の舞台は、児童養護施設」と言う断定的な表記は、間違いです。どうしても使いたい場合は「物語の舞台は、認可外児童養護施設」となります
認可外児童養護施設を表す条文は下記の通りです。
児童福祉法
第五十九条 都道府県知事は、児童の福祉のため必要があると認めるときは、第三十六条から第四十四条までの各条に規定する業務を目的とする施設であつて第三十五条第三項の届出をしていないもの又は同条第四項の認可を受けていないもの(前条の規定により児童福祉施設の認可を取り消されたものを含む。)については、その施設の設置者若しくは管理者に対し、必要と認める事項の報告を求め、又は当該職員をして、その事務所若しくは施設に立ち入り、その施設の設備若しくは運営について必要な調査若しくは質問をさせることができる。この場合においては、その身分を証明する証票を携帯させなければならない。第四十一条 児童養護施設は、保護者のない児童(乳児を除く。ただし、安定した生活環境の確保その他の理由により特に必要のある場合には、乳児を含む。以下この条において同じ。)、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とする。
第三十五条 国は、政令の定めるところにより、児童福祉施設(助産施設、母子生活支援施設及び保育所を除く。)を設置するものとする。
2 都道府県は、政令の定めるところにより、児童福祉施設を設置しなければならない。
3 市町村は、厚生労働省令の定めるところにより、あらかじめ、厚生労働省令で定める事項を都道府県知事に届け出て、児童福祉施設を設置することができる。
4 国、都道府県及び市町村以外の者は、厚生労働省令の定めるところにより、都道府県知事の認可を得て、児童福祉施設を設置することができる。
5 児童福祉施設には、児童福祉施設の職員の養成施設を附置することができる。
6 市町村は、児童福祉施設を廃止し、又は休止しようとするときは、その廃止又は休止の日の一月前までに、厚生労働省令で定める事項を都道府県知事に届け出なければならない。
7 国、都道府県及び市町村以外の者は、児童福祉施設を廃止し、又は休止しようとするときは、厚生労働省令の定めるところにより、都道府県知事の承認を受けなければならない。
児童養護施設でもない設定を児童養護施設と誤認してドラマを視聴している視聴者が多いことは、各種掲示板やTwitter等の書き込みに表れていました。
「児童養護施設を舞台にしたドラマ」と言うことで、放映前から広報展開していました。そのため、視聴者は、興味を持ち「児童養護施設のドラマを観てみようか」と「明日、ママがいない」にチャンネルを合わせた視聴者もいることでしょう。
みなさんは、「明日、ママがいない」は、「児童養護施設」を舞台にしたドラマと思って視聴しましたか。そして、それを信じていますか?
児童福祉法や児童福祉施設最低基準で「児童養護施設」は定義づけられています。ドラマ「明日、ママがいない」の舞台は、その定義に全く当てはまりません。従いまして、児童養護施設ではありません。「児童養護施設」は、法律上の用語です。
「明日、ママがいない」公式ホームページの掲示板の中に、下記の書き込みがありました。
「毎週、見ています。このドラマは、私に3万人以上の子供たちが児童養護施設で、心に暗い闇を持ちながら生活しているという事実を教えてくれました。もっと多くも人が、このドラマを見て、今現在の事実を知ってほしいです。今夜10時からのドラマ楽しみにしています!!」
この方は、「明日、ママがいない」の舞台が児童養護施設と誤解されています。この方の思いは純粋でとても素敵な書き込みですが、イントロダクションで、間違った説明をしているために誤解が生じています。
法律上の用語を誤った形で使用している事実は、視聴者の誤解曲解を速やかに修復する意味でも訂正が必要です。
親の愛から見離された少女たちが集まる
これは、ドラマの設定だから仕方ありませんが、現実の児童養護施設に住んでいる子どもたちが、みんな「親から見放された」子どもと誤解されたら心外です。保護者としても、「仕方なく預けるしか道がなかった」と言う方もいらっしゃる。例え、現実的に「見離された」状態であったとしても、その現実を受け入れられず、親を信じ続ける子どもたちも確かに存在しています。
そこは、親のいない子どもたちが暮らす場所
舞台の年代が分かりませんが、この表現は、昭和40年代以前でないと当てはまりません、映像を見る限り、現在を舞台にしています。現在の児童養護施設では、「親のいない子ども」の比率は、低いため、児童養護施設を説明する文章としては不適切です。
*児童養護施設児童総数を100%とした時、両親共にいないか不明は、総数の8%、血縁関係もいない天涯孤独の児童は、総数の3%程度とデータが表しています。
子どもたちがやってくる理由のほとんどは 虐待だ
すごく、断定的な言い回しです。この文言を信じた人は、児童養護施設の子どもたちは、みんな、虐待を受けているんだと捉えてしまいます。また、外部の人が面会に来ている保護者を見た時、「あの人が虐待していたんだ」と色眼鏡で見てしまう危険性を秘めています。確かに、措置理由として、「被虐待」もありますが、平成20年の調査では、児童養護施設の場合、53.4%が虐待を受けていたとの結果があるものの、それは、「ほとんど」と言う表現には当てはまりません。
*児童相談所が、福祉施設へ措置するときの措置理由を数値化した表があります。分析すると、家庭養育困難が44.7%、親の精神疾患8.2%、被虐待22.8%、養育放棄4.6%、経済的理由8.1%、児童に問題3.7%、その他7.9%となります。棄児や養育拒否も結果論としては虐待ですが、その時点では虐待の事実がないので、措置理由としては分類されます。従いまして、措置理由としては、被虐待22.8%です。福祉施設に入所後、生活を通して、子どもの身体の痣を発見したり、子どもがさりげなく過去の話をしたりする中で、虐待の事実が明白になってくることが多く、平成20年の調査結果では、53.4%でした。
もし、「明日、ママがいない」公式ホームページのイントロダクションが、次のような文章だったら、どうでしょう。
“今、君の隣にママはいますか?”
物語の舞台は、無認可の児童養護施設
親の愛から見離された少女たちが集まる児童養護施設
そこは、家庭に事情がある子どもたちが暮らす場所
その数は全国で約600件、生活する児童の数は3万人を超えている
その中には、’虐待’を受けた子どもたちもいる
子どもたちを愛するのは 誰?子どもを愛せていますか?
子どもの声を聞いていますか?このドラマは「愛すること」「愛されること」は何かを、
子どもたちの目線で問いかける。「私たち、誰も知らなかった。
昨日も今日もいたママが、明日にはいなくなるなんて…」すべての母親に、これから母親になる全ての女性に届ける
21世紀で一番泣けるドラマ
テーマを崩すことなく、それでいて真実をゆがめていません。視聴者も「家庭に事情がある子どもたち」と言う表現から、社会の問題として認識しやすいと思います。
また、「子どもたちを愛するのは 誰?」と問いかけることによって、テーマがよりくっきりと浮かび上がってきます。
明日、ママがいない 第1話における触法表現
日本民間放送連盟放送基準
2、個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。
6、法令を尊重し、その執行を妨げる言動を是認するような取り扱いはしない。
警察署の前で、施設長が直接、親から、ドンキを引き受けるシーン
児童福祉法
第二十七条 都道府県は、前条第一項第一号の規定による報告又は少年法第十八条第二項の規定による送致のあつた児童につき、次の各号のいずれかの措置を採らなければならない。
三 児童を里親に委託し、又は乳児院、児童養護施設、知的障害児施設、知的障害児通園施設、盲ろうあ児施設、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設、情緒障害児短期治療施設若しくは児童自立支援施設に入所させること。
つまり、児童の措置については、都道府県、実際は、児童相談所が担っています。児童相談所を通さず、直接、児童福祉施設と保護者がやりとりすることはありません。
厚生労働省が「児童相談所運営指針」を開示していますので、興味のある方は、調べてみましょう。
里親さんが、ラーメン店で子どもを働かせているシーン
労働基準法
第六章 年少者
(最低年齢)
第五十六条 使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。
2 前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。
(年少者の証明書)
第五十七条 使用者は、満十八才に満たない者について、その年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならない。
2 使用者は、前条第二項の規定によつて使用する児童については、修学に差し支えないことを証明する学校長の証明書及び親権者又は後見人の同意書を事業場に備え付けなければならない。
第百十八条 第六条、第五十六条、第六十三条又は第六十四条の二の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
児童福祉法
2 児童養護施設、知的障害児施設、知的障害児通園施設、盲ろうあ児施設、肢体不自由児施設又は児童自立支援施設においては、それぞれ第四十一条から第四十三条の三まで及び第四十四条に規定する目的に反して、入所した児童を酷使してはならない。
実子が親が営む個人営業のお店のお手伝いをしている状況とは、明らかに差異があります。学校教育の中で社会体験学習と言う形で、小学生等が、仕事を体験することもありますが、その状況とも違います。ドラマ内容から察するに、ラーメン店での手伝いを強いている状況であり、法令遵守しているとは考えられません。
ドラマ「明日、ママがいない」の中での児童処遇
児童福祉法
第一条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
(虐待等の禁止)
第九条の二 児童福祉施設の職員は、入所中の児童に対し、法第三十三条の十 各号に掲げる行為その他当該児童の心身に有害な影響を与える行為をしてはならない。
(懲戒に係る権限の濫用禁止)
第九条の三 児童福祉施設の長は、入所中の児童等(法第三十三条の七 に規定する児童等をいう。以下この条において同じ。)に対し法第四十七条第一項 本文の規定により親権を行う場合であつて懲戒するとき又は同条第三項 の規定により懲戒に関しその児童等の福祉のために必要な措置を採るときは、身体的苦痛を与え、人格を辱める等その権限を濫用してはならない。
ドラマの児童処遇場面は、完全に児童福祉法違反です。無法領域の世界観を表現することも「表現の自由」として認められるとは思いますが、日本には存在しない無認可の児童福祉施設等、その世界観を表す説明をテロップ等で視聴者に伝えることを怠っていたことになります。
里親候補の個人情報を子どもたちに直接見せているシーン
(秘密保持等)
第十四条の二 児童福祉施設の職員は、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らしてはならない。
2 児童福祉施設は、職員であつた者が、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らすことがないよう、必要な措置を講じなければならない。
いわゆる守秘義務違反です。第1話以降のドラマ中で児童相談所職員が、子どもに里親さんの情報や、他の子どもの家庭事情を話すシーンがありますが、この場合、罰則規定があります。
児童福祉法 第六十一条 児童相談所において、相談、調査及び判定に従事した者が、正当の理由なく、その職務上取り扱つたことについて知得した人の秘密を漏らしたときは、これを一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
日本テレビ個人情報保護基本方針
四.個人情報の取り扱いについて
1.個人情報の取得、利用、提供その他の個人情報の取り扱いは、あらかじめ明示した利用目的の範囲内で行うとともに、下記の場合を除いては、原則的にお客様の承諾無しに第三者へ開示・提供することはありません。
(1)法令に基づく場合
(2)本人又は第三者の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合
(3)公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合
(4)国、地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合
個人情報の取扱について、日本テレビは、明示していますが、ドラマの中とは言え、個人情報の取り扱いを軽視したシーンを認めていることになります。
ロッカーは、職員兼調理員と言う設定ですが
児童福祉施設の設備及び運営に関する基準
(児童福祉施設における職員の一般的要件)
第七条 児童福祉施設に入所している者の保護に従事する職員は、健全な心身を有し、豊かな人間性と倫理観を備え、児童福祉事業に熱意のある者であつて、できる限り児童福祉事業の理論及び実際について訓練を受けた者でなければならない。
(養護)
第四十四条 児童養護施設における養護は、児童に対して安定した生活環境を整えるとともに、生活指導、学習指導、職業指導及び家庭環境の調整を行いつつ児童を養育することにより、児童の心身の健やかな成長とその自立を支援することを目的として行わなければならない。
キャラクター設定が、法令要件を満たしているとは考えられません。
登場人物ロッカーの役柄は、職員となっていますが、ドラマではなく現実の職員さんたちは、どんな仕事をしているのでしょう。その業務内容については、当サイトのコンテンツを読んでもらえばわかりますが、ここでは、簡単に記しましょう。
コガモの家のような運営の仕方を、現代風に表現すると小規模グループケアと言うことになります。第二次世界大戦前には、コテージシステムとして実践を始めた児童養護施設もあります。日本では、小舎制と訳されました。児童自立支援施設(旧教護院)も、小舎夫婦制と小舎交代制を採用し実践しています。
さて、朝6時、まずは朝食とお弁当作りからスタートです。1軒の家に6名~8名の子どもたちが暮らしています。小学校は給食がありますが、幼稚園児・中学生・高校生にはお弁当が必要です。更に、通学距離の遠い高校生や部活で朝練がある場合は、早めに登校します。ですから、朝食もお弁当も大急ぎで準備しなければいけませんので大変です。6時半過ぎ頃から、子どもたちを起こします。声かけしたりカーテンを開けたり、その間に洗濯機を回しています。小学生以上が一通り起床したら、小さい子たちを起こして、お着替えしたりします。朝食を済ませ、歯磨きの声かけをしたり、登校準備を確認したり子どもたち全員に気を配ります。子どもたちの表情、顔色、仕草なども見て、具合が悪くないかのチェックも怠りません。小学生以上が登校したら、幼稚園への送りをします。一段落したら、食器洗い、洗濯物干し、掃除機掛けなどを済ませ、そうこうしているうちに、管理棟に行って朝の職員ミーティングに参加します。
夕方からは、幼稚園へ迎えに行ったり、通院する子がいたら連れて行ったり、子どもたちに宿題をやるように声かけしたり、夕食の準備を始めます。小さい子をお風呂に入れたり、ある程度洗濯物が溜まったら洗濯機を回します。夕食は、6時になる日もあれば7時になる日もあり、その日によって変わりますが、可能な限り、みんな揃って食べるように心掛けています。夕食後は、食器の片付けや、洗濯物を畳んだり、小さい子を寝かしたり、高校生が床につくまで、何となく大忙しです。家の中が、落ち着いてから、それから1日の記録と引き継ぎ記録をパソコンに入力し終えて、やっと一日が終わります。
これら、お母さんの役目を担うのは、女性の保育士さんだけではありません。勤務ローテーション上、男性職員が担うこともあります。職員は、お母さんの仕事だけではなく、他にもたくさんの業務がありますが、ここでは省略します。ちなみに、朝の時間働き、子どもたちが学校等に行っている時間を休憩時間として、夕方から働く、勤務形態を私たちは、断続勤務と表現しています。このような勤務形態は、子どもたちと共に過ごすと言う強い意志がなければ受け入れがたい勤務形態ですよね。
ドラマなので、日常生活シーンを省略していることは理解できますが、例えば、ロッカーが一人で入浴しているシーンがありましたが、コカモの家には小さい子もいます。発達段階の基本的信頼関係や基本的生活習慣の取得がとても大切な時期の子どもたちにとってお風呂でのスキンシップは、とても重要であり、職員の動きとしては、小さい子と入浴している方が自然な流れです。
また、小さい子の面倒をポストが見ているシーンがよく見かけられますが、日常生活の中では、もちろん、大きい子が小さい子の面倒を見てくれることもありますが、基本的には、職員の役目です。いくらフィクションと言えども、いくらロッカーのキャラクター設定と言えども、あまりに不自然すぎます。
ロッカーのキャラクター設定が、年長児童や、ボランティアさんであれば、まだ理解できますが、職員と言う設定は、登場人物設定としては、あまりにも稚拙すぎます。
以上、法律や規定と照らし合わせましたが、併せて、児童憲章を完全に無視したドラマ設定は、世界的に見ても異端でしょう。
児童憲章
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
一すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
明日、ママがいない 第1話批評
ドラマ自体は、表現の自由であり、フィクションであることは明らかです。ドラマの中では「児童養護施設」と言う表現はなく「グループホーム」と言う架空の場所を設定しています。
テレビ局の宣伝戦略が間違っているのです。「児童養護施設」と言うキーワードを巧に使うことによって、視聴者の興味を引き、有名子役を抜擢することにより反響を呼ぶ戦略。確かに、成功したようで高視聴率でした。
しかし、ドラマの場面設定は、虐待とは、なんぞやのオンパレードです。1時間20分の中に、これほど、虐待的表現を盛り込んだドラマがかつてあったでしょうか。
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト、全てが表現されています。短時間で、これほどの虐待表現を見せられた場合の、精神的な影響をテレビ局は、適切に想定しているのでしょうか。
例えば、学校を舞台に虚飾された設定で展開するドラマがありますが、学校は、全国民が、その通常の状況を認識しており、ドラマが虚構の世界であることを容易に判別できます。
しかし、児童養護施設の場合、殆どの国民は、通常の状況を認識して居らず、ドラマが虚構の舞台であることを判別しづらいのです。特に、福祉施策という情報を殆ど持ち合わせていない子どもたちは、虚構の世界と現実の世界を判別できず、誤解曲解に陥ってしまう可能性が大いにあります。
経済的設定も曖昧すぎます。まず、このドラマの場面設定では、確実に国や自治体の認可を受けることはありません。職員配置、部屋割り等は最低基準を満たしておらず、建物も老朽化が激しく耐震強度が満たされているとは考えにくい状況です。つまり、措置費(補助金)を受けられない状況で、子どもたちの生活費や学費、職員の人件費、建物の維持管理費を、どこから調達しているのだろうか。いくら、フィクションのドラマであろうと、ある程度、根拠のある場面設定にしなければ、矛盾だらけのドラマ展開になります。
子どもたちは、大人たちに見守られながら成長していきます。それが、人間社会でしょう。確かに多くの動物たちは、僅かの期間しか親のサポートはなく、自立していきます。このドラマでは、幼い子どもたちに、精神的自立を図り、強く生きて行きなさいとのメッセージ性が見受けられます。自分で生きていくためには、支援者である里親さんを利用しなさいと言わんばかりのシーンもあります。まるで、国や自治体が推進している社会的養護と言う考え方に反旗を翻しているかのような印象を受けてしまいます。
コンセプトとして「子どもたちの視点から“愛情とは何か”ということを描く」と日本テレビはコメントしているようです。第1話で不幸のどん底を描き、そこから、愛情とは何かに気づいていくドラマ展開は、確かに演出としては常道で、視聴率を稼ぐ手法であり、経営手腕としては評価できます。しかし、子どもたちのニックネームの付け方など、影響力のあるドラマであるからこそ、最大限に配慮すべきであったと考えます。
現実に起こった具体例をご紹介しますので、自分が、その立場だったらと捉えて、読んでみて下さい。共感できますか、それとも、この事例は、作文だろうと一蹴しますか。
ご家庭の事情で、児童養護施設にお子さんを預けざるを得なかった保護者のかた、毎月1回確実にお子さんに面会に来られています。この保護者の方が、ドラマ「明日、ママがいない」を観て不安で落ち込んでいますとのご相談があり、対応として、保護者、児童養護施設担当者、児童相談所担当ケースワーカーの三者で話し合いをしたとのことでした。
「私たちが生きてる内は、今の児童養護施設で子どもたちを育てて貰えると思いますが、もし、私たちが死んだ後、もしかしたら、子どもたちが里親さんに預けられたり、他の児童養護施設に移動したりしないか、心配です。」
「ドラマに出てくるような里親さんに我が子が預けられたらと思うと心配です。」
「ドラマのような児童養護施設に我が子が移動させられることもあるのですか。」
「ドラマのような扱いを子どもたちが受ける児童養護施設もあるのですか。」
「色々思い巡らされ、自分たち亡き後、我が子が不幸になるかも知れないと思うと不安です。」
児童相談所や児童養護施設から十分な説明を受け、ある程度納得した上で、お子さんを児童養護施設に預けている保護者の方でさえ、ドラマ「明日、ママがいない」の舞台設定で、不安に陥ることもあります。
三者面談により、児童相談所や児童養護施設の担当者が、具体例を交えながら、懇切丁寧に説明をして、保護者の不安を払拭することが出来ましたが、この事例は、保護者が相談してくれたので、解決したと言えます。
相談する勇気が持てない保護者の方は、今でも不安がっているかも知れません。
多分、殆どの保護者の方は、ドラマを視聴していないか、視聴していても、ドラマはドラマとして、特に意識することなく視聴しているパターンだとは推測します。
「明日、ママがいない」と施設内虐待
2000年代、新聞記事になった児童養護施設だけでも67施設あります。もちろん、潜在的な施設内虐待もあると推測できますので、もっと高い数字になると考えられます。
2006年に、新聞記事になった児童養護施設が16件と例年になく多く、これは、2005年(平成17年)の児童福祉法改正により、マスコミが児童養護施設を注目していたのだろうと推測できます。
施設内虐待が表面化した事実を受け、2008(平成20年)の児童福祉法改正で、被措置児童虐待の通報制度が設けられ、虐待を発見した者や、虐待を受けた児童は、児童相談所等に通報又は届出できるようになりました。
しかし、数字的には、2000年代だけで、全体の約11%の児童養護施設で、施設内虐待が行われていたことになります。(露呈した数字であり、実際は…?)
児童養護施設における施設内虐待の代表的事例としてあげられるのが、恩寵園事件ですが、これは、1990年代の事件です。
2000年に、新聞記事になった児童養護施設が11件と多いのは、恩寵園関係者が1999年-2000年にかけて逮捕された影響により、マスコミが児童養護施設を注目していたのだろうと推測できます。
施設内虐待には、3つの要素があります。
1.職員が子どもに対して行う場合
2.子ども同士の場合
3.子どもが職員に行う場合
ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者で、特に放映継続肯定の方の一部の意見として、1.職員が子どもに対して行う場合が、新聞でも取りざたされており、事実に基づいた脚色もあり、児童養護施設側が番組内容の改変を求めるのは、如何なものかとの指摘があります。確かに、平成25年度も新聞に取り上げられた事案が発生しており、児童養護施設側は、ご意見を真摯に受け止めるべきでしょう。
では、児童養護施設では、施設内虐待防止に向けて、なにも取り組んでいないのか。否です。様々な取り組みを行っています。
・子どもが児童相談所児童福祉司に直接、相談することができる。…児童福祉法に明記されています。
児童福祉法 第三十三条の十二3 被措置児童等は、被措置児童等虐待を受けたときは、その旨を児童相談所、都道府県の行政機関又は都道府県児童福祉審議会に届け出ることができる。
・保育実習生やボランティア(家庭教師等)など外部の人を生活場面に受け入れる。
・要望解決第三者委員会と要望受付窓口の設置。…制度的に義務づけられています。
・外部機関による第三者評価の受審。(受審しない年度は、福祉サービス自己評価の実施)…制度的に義務づけられています。
・各種外部研修会への参加。(人材育成)
・施設内研修の実施。(人材育成と勉強会)
・主任配置。(リーダーによるチェック機能)
・業務内容打合せ。(職員相互間におけるチェック機能)
・施設長と主任クラスによる運営会議。(施設長によるチェック機能)
・その他、各児童養護施設による独自の取り組み
特に、児童福祉法に明記されている、あるいは、制度的に義務づけられている事柄については、全ての児童養護施設が取り組んでいることになります。
確かに、調査実施状況も公開されており、施設内虐待の件数が明記されています。つまり、施設内虐待は現実の出来事として存在します。だからといって、ドラマ「明日、ママがいない」で表現されている施設内虐待を容認すべきだとの暴論を受け入れることは出来ません。
施設内虐待は、起こってはいけないことです。目を背けたり、知らないふりをすることは、もっての外です。しかし、各自治体が現実を直視し、改善に向けて真摯に取り組んでいることも紛れもない事実です。
ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者で、そこまで掘り下げて児童養護施設を理解し、ドラマは虚構の世界であって、現実にはあり得ない世界だと考える人は、少数派でしょう。裏を返せば、それだけ児童養護施設の認知度は低く、それは、児童養護施設が生活施設であり、児童養護施設を啓発することは、そこで生活している児童のプライバシー環境を暴露することに繋がることを警戒しているためでもあります。
児童養護施設を世の中の人々に認知してもらうことに重きを置くか、児童のプライバシー保護に重きを置くか、選択すべきは後者であると考えます。
ドラマ「明日、ママがいない」の第1話は、施設内虐待の巣窟の雰囲気を醸し出していましたが、現実の日本社会で行われている施設内虐待防止に対する取り組みが、脚本に組み込まれていき、施設内虐待が改善されていく展開にはならなかったことは残念です。
ドラマの中では、施設長自身が施設内虐待の当事者で児童相談所の職員は、その状況を認知している設定ですが、フィクションと言えども、実在する「児童養護施設」での出来事であるかのような表現は、表現の自由を逸脱していたと言えます。
児童福祉法
第七節 被措置児童等虐待の防止等
第三十三条の十 この法律で、被措置児童等虐待とは、小規模住居型児童養育事業に従事する者、里親若しくはその同居人、乳児院、児童養護施設、障害児入所施設、情緒障害児短期治療施設若しくは児童自立支援施設の長、その職員その他の従業者、指定医療機関の管理者その他の従業者、第十二条の四に規定する児童を一時保護する施設を設けている児童相談所の所長、当該施設の職員その他の従業者又は第三十三条第一項若しくは第二項の委託を受けて児童に一時保護を加える業務に従事する者(以下「施設職員等」と総称する。)が、委託された児童、入所する児童又は一時保護を加え、若しくは加えることを委託された児童(以下「被措置児童等」という。)について行う次に掲げる行為をいう。
一 被措置児童等の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
二 被措置児童等にわいせつな行為をすること又は被措置児童等をしてわいせつな行為をさせること。
三 被措置児童等の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、同居人若しくは生活を共にする他の児童による前二号又は次号に掲げる行為の放置その他の施設職員等としての養育又は業務を著しく怠ること。
四 被措置児童等に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の被措置児童等に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
第三十三条の十一 施設職員等は、被措置児童等虐待その他被措置児童等の心身に有害な影響を及ぼす行為をしてはならない。
第三十三条の十二 被措置児童等虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを都道府県の設置する福祉事務所、児童相談所、第三十三条の十四第一項若しくは第二項に規定する措置を講ずる権限を有する都道府県の行政機関(以下この節において「都道府県の行政機関」という。)、都道府県児童福祉審議会若しくは市町村又は児童委員を介して、都道府県の設置する福祉事務所、児童相談所、都道府県の行政機関、都道府県児童福祉審議会若しくは市町村に通告しなければならない。
2 被措置児童等虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、当該被措置児童等虐待を受けたと思われる児童が、児童虐待の防止等に関する法律第二条 に規定する児童虐待を受けたと思われる児童にも該当する場合において、前項の規定による通告をしたときは、同法第六条第一項 の規定による通告をすることを要しない。
3 被措置児童等は、被措置児童等虐待を受けたときは、その旨を児童相談所、都道府県の行政機関又は都道府県児童福祉審議会に届け出ることができる。
4 刑法 の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告(虚偽であるもの及び過失によるものを除く。次項において同じ。)をすることを妨げるものと解釈してはならない。
5 施設職員等は、第一項の規定による通告をしたことを理由として、解雇その他不利益な取扱いを受けない
児童福祉法では、施設内虐待に関して罰則規定が設けられていないため、実際に施設内虐待が発覚した場合は、刑法他の法律が適用されることになります。しかし、児童養護施設が組織的に施設内虐待の事実を隠蔽していたり、子どもたちを規則でがんじがらめにしていたり、子どもたちに恐怖感を植え付けるような指導をしていたり、児童権利ノートを配付していなかったり等があれば、事実の発覚が遅れる場合もあるでしょう。現実的に、昨今まで事件として報道されている事実がありますので、約600ヶ所の児童養護施設、全てで絶対施設内虐待は行われていないと断言できないことは悲しいことです。
施設内虐待を受けた出身者です。
施設関係者は「虐待がなくなるよう対策している」と言いますが、何もしていない点があります。
今まで虐待をしていた被害元児童への謝罪や支援です。
施設関係者は、明日ママに対し「こどものトラウマが」と言いますが、自分らが虐待した被害者のトラウマに関しては何も言いません。
全養は日テレに「文書だけではすまない。公開謝罪しろ」と言っていますが、私達被害者には謝罪はありません。
そしてそんな全養を批判できないのが施設職員など関係者です。
施設内虐待が、未だに行われているのは事実でしょう。実際、昨年5月頃事件として報道されています。また、今年2月には岡山県で性的虐待が発覚していました。
だからと言って、全ての児童養護施設で行われているとは限りません。施設内虐待などあり得ないと思っている児童養護施設の職員はたくさんいます。
そう言う職員からすれば、施設内虐待を行った職員は罰せられるべきだと本気で思っているのです。
あなたは、当サイトのコンテンツをお読みになっていると思いますが、当サイトでは、「子どもたちを愛することが出来ないのであれば児童福祉で働くべきではない」と断言しています。
全養協についても、施設内虐待はあり得ないとの前提で、全国の児童養護施設を取りまとめています。施設内虐待が発覚した場合は、強い態度で、猛省を求めています。それは、措置権者である自治体も同様です。
施設内虐待の被害者が居られることも現実です。「被害元児童への謝罪や支援」をするべきなのは、施設内虐待を行った職員であり、それを見過ごしていた施設長であるのではないでしょうか。
全養協や自治体、他の児童養護施設など、全く知らない人から謝罪を受けても、心の傷は癒されないと察します。
施設内虐待を行っている職員と施設内虐待はあり得ないと思っている職員では、圧倒的に後者が多いのも現実です。そして、後者は、日々の子育てを愛情深く行っているのです。
「施設関係者=自分らが虐待した」と一括りにされてしまうのは、自分の人生をかけて子どもたちと接している職員たちに対しての表現の暴力と捉えられてしまいます。
あなたは、児童養護施設の全ての職員に対して謝罪を求めているのではなく、施設内虐待を行った職員や児童養護施設に対して謝罪を求めていると察します。
従いまして、多分、あなたは、もう成人になられていると思いますが、虐待を受けた事実について、その児童養護施設の施設長やあるいは当時の職員がいれば、その職員と、きちんと話し合いをされることをお勧めします。それが、難しそうであれば、児童相談所に告発してください。それは、あなた自身の心の傷を癒す、一つの手段であり、あなたの後輩たちを守ることにも繋がります。
施設内虐待を行った職員は、決して許されるべきではないと思います。何らかの制裁を受けるべきであり、そのために心の傷を負った者にきちんと謝罪すべきであると思います。
補足ですが、全養協を意識している児童養護施設の職員は多分、殆どいないと思います。従いまして、「全養を批判できないのが施設職員など関係者」と言うのは思い過ごしです。施設長は意識しているかも知れませんが。
「施設内虐待は存在するが、真摯に受け止めて改善する努力をしいるのでそういう表現をしないで欲しい」というのは私には身勝手な言い分に思える。
改善する努力をした結果、施設内虐待が一切無くなり施設内の子供たちが現実として平穏に暮らしている状態が保たれ続けて始めて「このドラマは表現の暴力」といえるのではないだうろか
施設内虐待について改善努力云々については、改善努力をしなければいけないのは、施設内虐待を行っていた児童養護施設です。もともと、施設内虐待などあり得ない児童養護施設は、予防策を講じることになります。また、施設内虐待が発覚し、猛省し改善努力をしている児童養護施設もあるでしょう。つまり、各児童養護施設の状況によって、表現が変わります。施設内虐待が、一切ない児童養護施設も現実に存在することも事実です。
「明日、ママがいない」と「守るべき存在」
もし、このドラマが、それほど話題になっていなかったら、新聞の番組表を見て「明日、ママがいない」を番組欄から見つけて、チャンネルを合わせる視聴者が、どれほどいたのだろうか。
それでも、どんなドラマなんだろうと、様子見的にチャンネルを回す視聴者もいるでしょう。ところが、内容はともかく、登場人物が子どもたち中心になっているため、「子ども向けのドラマか」と迷わず、報道番組に戻る。仕事から帰宅したビジネスマンが、ビールでも飲みながら、ちょっと、テレビをつけるパターンの光景です。
ところが、今回は、インターネット上や新聞、テレビニュース等で取り上げられ、「明日、ママがいない」と言う題名が、クローズアップされ、普段は、それほど、テレビドラマに興味を示さない人でも、「観てみようか」とチャンネルを回した人も数多くいることでしょう。
インターネット上では、様々な主張が飛び交っています。実に素晴らしいことです。しかし、その主張に反する側を非難したり完全否定する行為は、成熟した大人の所作ではないでしょう。相手の主張にも耳を傾け、理解を示す努力も必要ではないかと考えますし、子どもたちに、そのような教訓を示している大人も多いことでしょう。
Twitterや掲示板上で、一方的に相手を否定する書き込みを見かけます。時には、それが誹謗中傷的な文言になっている場合もあります。それらの行為は、時には「荒し」と表現されることもあります。私たちは、紛争を求めているのか、より良い解決策を求めているのか、願わくば、後者であり、インターネット上の人々も、理性的に主張を討論していただきたいと願います。
慈恵病院や全国児童養護施設協議会も、主張に一貫性はあるものの、大人の対応として、相手の立場も考慮した主張へと変化しています。大切な事は、「誰(何)を守りたいのか」の一点に尽きます。テレビ局や視聴者は、「表現の自由を制限される危機感」、慈恵病院や全国児童養護施設協議会は、「子どもたち」、守りたい対象が明らかに違うため、その主張は平行線をたどります。そのような場合、双方が納得できる妥協点を探しだし、解決策を導きだしていく作業が必要です。
守るべき対象は何なのか、「社会として見守るべき子どもたち」なのか「視聴率や視聴者の欲求」なのか。
2010年末頃から始まったタイガーマスク現象により、一般市民が興味を示し「児童養護施設」と言う名称は、その認知度を高めました。しかし、残念なことに、児童養護施設の存在意義については、一般市民の認知が拡がりませんでした。テレビドラマでは、相変わらず、「児童養護施設で育った」=「不幸な生い立ちでトラウマを抱えている」の路線であり、ニュース報道では、「ご招待、ご寄付、ご寄贈」の話題が殆どです。この様な情報のみを目にする一般市民の方に「社会的養護の取り組みを理解して欲しい」と訴えても空回りするだけでしょう。
また、私たちの知識に最も影響を与えたのは学校教育と思いますが、その学校教育で、児童養護施設の知識を得ることは殆どありませんでした。つまり、「児童養護施設とはなんぞや」の問いに答えることができない状況は当然なのです。
そして、「明日、ママがいない」の反響です。インターネット上で話題が飛び交っているのは周知の事実ですが、それは、ドラマに対する話題であり、児童養護施設を理解するためのものではないかも知れません。もちろん、これを機会に、児童養護施設について学ぼうとしている一般市民の方も数多くいます。それは、児童養護施設のホームページへのアクセス数が、放映中に増えていることが物語っています。児童養護施設へのボランティア活動、ご寄付、ご寄贈等の問い合わせが増えていることも現象として挙げられます。
これらは、児童福祉啓発にとって、良い効果をもたらしていると言えますが、この期を逃さず、厚生労働省が推進している社会的養護の取り組みについて、各行政機関も、一般市民への啓発を推進していく努力が必要でしょう。
児童養護施設は、日本全国の子どもたち全員が、対象児童となり得る場所です。現在、児童養護施設にいる子どもたち全員が、ここに来る前は、まさか、自分が、児童養護施設に行くとは誰一人思っていませんでした。「ある日、急に大人の都合で、ここに来た。」と言うのが子どもたちの視線から見た現実です。
私たちは、そのような子どもたちを社会全体として見守っていくことが大切です。
「明日、ママがいない」の一連の騒動を通して見えてきたのは、「守るべき存在は誰(何)なのか」と言うことではないでしょうか。
明日、ママがいない 心理的虐待の正当化
下記の記事は、日本テレビと同系列の読売新聞の記事です。
増える児童虐待、目立つ「面前DV」…心の傷に 読売新聞 2014年3月6日
増え続ける児童虐待の中でも、「心理的虐待」が深刻さを増している。警察が児童相談所に通告した子供のうち、この分類の統計を取り始めた2006年は168人だったが、昨年はその70倍以上になった。
心理的虐待は、「生まれてこなければ良かった」などと子供に心ない言葉をぶつけたり、怖がらせたりする行為。児童虐待防止法で虐待の一形態として明確に規定されている。その急増の背景には、「面前DV」が目立ってきたことも大きい。子供に対する直接的な言動でなくても、配偶者への暴力を見せただけで、子供の心を傷つけるという考え方だ。
心理的虐待の急増について、厚生労働省の担当者は、「子供に暴言を吐く行為が虐待にあたることを認識していない親もいる」と分析する。親が過大な要求を子供にして、子供が思った通りに行動しないことに不満を募らせ、「ストレスのはけ口として、心ない言葉で子供に心理的なダメージを与えているケースもある」と指摘する。
「心理的虐待は、…子供に心ない言葉をぶつけたり、怖がらせたりする行為。」
ドラマ「明日、ママがいない」の第1話を彷彿とさせる記事です。ドラマの施設長さんは、実は、とても深い愛情があり、あれらの行為は、ドラマを最後まで観れば理解できると言う理屈ですが、児童虐待の中には、親の愛情表現がエスカレートし、躾から虐待へと暴走したケースがあることも事実です。
第1話で表現された心理的虐待をドラマの中で、正当化することは、社会に悪影響を及ぼすことになります。「愛情があれば、子どもに暴言を吐いても良いんだ。子どもが大きくなったら、きっと分かってくれる。」的なドラマです。
「心理的虐待の急増について、厚生労働省の担当者は、「子供に暴言を吐く行為が虐待にあたることを認識していない親もいる」と分析する。」
脚本家は、自分の執筆内容が、心理的虐待の表現になることを、実は認識していなかったのではないか。もし、認識していたら、第1話のように徹底的に心理的虐待を表現することは、人として出来ないでしょう。更に、ドラマを最後まで観て貰ったら分かります的なTwitterでの回答は出来なかったでしょう。
「親が過大な要求を子供にして、子供が思った通りに行動しないことに不満を募らせ」
施設長役の舌打ちに表されています。「なぜ、俺の言うことが分からない。なぜ、俺の想いが伝わらない。」、それらの表現に杖を強く突いたり、舌打ちする行為が強調されていますが、児童虐待に至る初期段階を表しています。このドラマの脚本は、それすらも愛情に裏打ちされた行為と正当化しています。
もちろん、児童虐待の背景は、とても、複雑で厚生労働省を始め様々な団体が調査をしたり、多くの専門家が、本を執筆しています。一言では表現できない事案ですが、少なくとも、児童虐待を正当化する理論は存在しないと信じています。
奇しくも、ドラマ「明日、ママがいない」のドラマ上の表現について、系列会社の読売新聞の記事が、指摘している形になっています。ドラマを観る限り、脚本家は、「虐待を認識していない親」の側の立場なのでしょう。
明日、ママがいない 運営費は?
人が生きていくためには経費が掛かります。では、ドラマの状況から、どの程度の経費が掛かるのか模擬的に算出してみます。
このドラマ中のグループホームは、その運営内容から、まず、社会福祉法人の法人格を取得することは不可能です。法人格がなければ、福祉施設として自治体から認可を受けることは出来ません。(NPO法人や一般社団法人等で法人格を取得している可能性はありますね。)
従いまして、国や自治体からの補助金を受けることはありません。運営者の財産取崩や寄附金収入によって、運営していくことになります。
では、実際、1ヶ月どの程度の経費が必要なのか。施設長は、無給で建物は資産、自動車は施設長の自家用車として、最低限の経費を算出してみます。
ロッカーに掛かる人件費(短大卒レベル)
基本給 189,000円
諸手当 40,000円
社会保険 28,000円(事業所負担分)
人件費計 257,000円生活費・教育費他の子どもに掛かる経費
高校生1名 84,000円(公立高校)
小学生6名 342,000円(公立小学校)
幼児 1名 62,000円(私立幼稚園)
生活費計 488,000円運営を維持するために掛かる経費
家賃 0円(土地建物に固定資産税が掛かる)
水光熱費 64,000円
通信費 10,000円
事務費 10,000円
事務費計 334,000円1ヶ月計 829,000円
1ヶ月に必要な最低限の経費額は、829,000円程度と算出されました。
*ロッカーは住み込みのようなので宿直手当あるいは住み込み手当が必要、超過勤務手当も時間数が多いと予測出来ますが、算定には入れていません。
運営者の施設長は、元警察官(公務員)で退職金も含めて、ある程度の蓄えがあるとしても、年間10,000,000円以上掛かる経費負担が可能とは考えられません。
施設長は、実は、大金持ちの家の御曹司で、財産がある。あるいは、資産家が寄附金として必要な金額を支援しているなどのドラマ上の設定が必要です。
このドラマは、フィクションなので、もちろん、運営経費などの細かいことを考慮に入れる必要性はないかも知れませんが、「物語の舞台は児童養護施設」と断言しているのであれば、常識的な整合性は考慮に入れるべきでしょう。
明日、ママがいない 小規模グループケアの地域分散化
ドラマに出てくるような小規模グループケアを運営するためには、幾つかの条件をクリアしなければいけません。
しかし、国が、制度的に推進しているのは事実です。
国の方針は、下記の通りです。
「児童養護施設等の小規模化及び家庭的養護の推進のために」より抜粋
「社会的養護の課題と将来像」(平成23年7月とりまとめ)より、
小規模化と施設機能の地域分散化による家庭的養護の推進
・児童養護施設の7割が大舎制で、定員100人を超えるような大規模施設もあることから、家庭的養護の強力な推進が必要である。
・今後は、施設の小規模化と施設機能の地域分散化を進め、
(a)「本体施設のケア単位の小規模化」を進め、本体施設は、全施設を小規模グループケア化(オールユニット化)をしていく。
(b)「本体施設の小規模化」を進め、当面、本体施設は、全施設を定員45人以下にしていく。(45人以下は現在の小規模施設加算の基準)
(c)「施設によるファミリーホームの開設や支援、里親の支援」を推進し、施設機能を地域に分散させ、施設を地域の社会的養護の拠点にしていく。
・将来の児童養護施設の姿は、一施設につき、小規模グループケア6か所までと小規模児童養護施設1か所を持ち、小規模グループケアは本体施設のユニットケア型のほか、できるだけグループホーム型を推進する。また、1施設につき概ね2か所以上のファミリーホームを開設又は支援するとともに、里親支援を行う。
社会的養護の整備量の将来像
・日本の社会的養護は、現在、9割が乳児院や児童養護施設で、1割が里親やファミリーホームであるが、これを、今後、十数年をかけて、
(a)概ね3分の1が、里親及びファミリーホーム
(b)概ね3分の1が、グループホーム
(c)概ね3分の1が、本体施設(児童養護施設は全て小規模ケア)
という姿に変えていく。
と、なっています。
現在本園内にある小規模グループケアを地域に出していくには、多くのハードルが課せられています。
国は、小規模グループケアの地域出しを推進していますが、現状では「絵に描いた餅」の状態です。
その意味を具体的に書き出していきます。
小規模グループケアに関する要綱抜粋
[人数]
小規模なグループによるケア単位の定員は、原則として6人以上8人以下とする。
[設備等]
(1)小規模なグループによるケアは、各ユニットにおいて居室、居間及び食堂等入所している子どもが相互に交流できる場所その他生活に必要な台所、浴室、便所等を有し、かつ、保健衛生及び安全について配慮し、家庭的な雰囲気の中で、担当職員が入所している子どもに対して適切な援助及び生活指導ができること。
(2)入所している子どもの居室の床面積は、1人当たり4.95㎡上(幼児については3.3㎡上)であること。次の場合には認められないこと。
① 居室がないもの
② 居間・食堂などの交流スペースがないもの
③ 居室・居間(食堂)はあるが、その他生活に必要な台所・浴室・便所が欠けているもの児童養護施設からの条件
可能な限り、児童養護施設本園小学校校区内が望ましい。(目安として学校から徒歩20分程度圏内)
*本園との連携を容易にするための措置でもあります。
原則として、一居室当たり2人までとすること。
子どもの生活環境として適当である地域性であること。
子どもの安全を考え、耐震基準をクリアしていること。
家主さんと地域住民のご理解が必要。具体的な設備条件(4LDK+S)
児童居室
6畳( 9.93㎡)2名
6畳( 9.93㎡)2名
9畳(14.90㎡)3名
職員宿直室兼執務室
4畳(6.62㎡)以上
リビングダイニング
9名程度が食卓を囲み+テレビの前にソファーが置ける程度のスペース 23㎡程度?
その他
キッチン、浴室、脱衣所(洗濯機設置)、トイレ、洗濯物干し場(児童7名の洗濯物)、物置(サービスルーム)、駐車スペース経済面
児童が7名未満の場合、小規模グループケア推進加算等の補助金が出ません。
家賃に対する補助金は、国100,000円、自治体 ?円、計 ?円が限度です。
敷金・礼金・仲介手数料等については、補助金がありません。
*もちろん、生活家電品等の購入も補助金はありません。自治体との調整
「来月から、本園の2軒が、地域で生活します。」と言うような交渉は不可能です。それは、自治体としても予算編成が絡んでくるからです。
次年度スタートするためには、今年度秋頃の自治体予算編成に間に合わせなければいけません。
しかし、単純に考えて、秋頃に、次年度4月からの借家を確保できるわけがありません。つまり、実質的に実現不可能ですね。
実現する為には、法人が土地と家を財産として入手するしかありません。つまり法人に経済的な余力がないと不可能です。
国の条件、児童養護施設の条件、設備の条件、自治体の予算編成などなど、ハードルが幾重にも重なり、とても面倒です。
そのために、児童養護施設側は、躊躇し、先へ進めないのが現実です。それが、「絵に描いた餅」の正体です。
みなさんの、お宅の隣に、グループホームが引っ越してきたら、少なくとも、ドラマ「明日、ママがいない」肯定派のみなさんは、快く受け入れて下さることでしょう。そう、信じています。
ドラマ否定派のみなさんは、児童福祉への理解が根底にあり、日本テレビの放送姿勢に対して否定されているので、多分、理解し協力的に受け入れて下さることでしょう。
国が、推進しているのです。近い将来、あなたの隣人が、グループホームになるかも知れません。これは、現実的な話しです。
しかし、児童養護施設の建設に対して反対運動が起こる地域があることも、現実です。
ぜひ、児童福祉へのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
明日、ママがいない 命に関わる影響
ドラマ「明日、ママがいない」が取り上げているテーマは、現実社会では「命」に関わるのです。特に、第8話では「こうのとり」と強調した台詞回しで感動を呼び起こしていますが、言葉の取り扱い方が安易すぎます。
すでに、「こうのとりのゆりかご」を通った人生を送っている子どもたちがいると言う現実を、脚本家は想像できなかったのか。想像できていたら、軽はずみに「こうのとり」を強調できなかったはずです。
もちろん、第8話での「こうのとり」は、童話に出てくる「こうのとり」を取り上げたと推測できますが、慈恵病院への当てつけ的な表現と邪推せざるを得ません。
標題で「命に関わる影響」と表記したのは、以下の電話を受けたからです。
2014年3月某日、相談の電話が入る。
「子どもを、そちらに預けることは出来ますか。」
「児童養護施設は、自治体から委託されてお子さんをお預かりしていますので、直接、お引き受けすることは出来ません。児童相談所にご相談ください。」
「昨日、生まれたが、障害があるので、子育てする自信がない。長男がいるが、長男にとっても良い影響を与えるとは思えない。児童相談所に相談すれば、子どもをすぐ引き取って貰えるのか」
「児童相談所では、相談を受けて、家庭の事情等を十分に考慮し解決策を提示してくれます。」
「うちは、夫婦共にいて、経済的にも貧しくないので、多分、自分たちで育てるよう言われると思う。」
「…」
「自分たちで育てられない、育てたくない。そういうときのために、こうのとりのゆりかごが九州にあるのですか」
「…」
「こうのとりのゆりかごを利用しても良いか。利用したいと思っている。」
「私から言えるのは、子どもは、親の愛情の元に育てられるのが理想であると言うことです。」
「…」
「とにかく、悩まれているのであれば、一刻も早く、児童相談所に相談されてください。」
「ありがとう。考えます。」
電話が切れる。
*「こうのとりのゆりかご」と表記していますが、実際の電話では「赤ちゃんポスト」と表現されていました。また、障害名についても聞いていますが記載を控えました。
このような相談が、各種相談機関や児童福祉施設に来ているかも知れません。今回の電話は、時間にして10分間程度あり、もっと込み入った話もありましたが、概略を紹介しています。
重要なことは、「命」に関わる見解の相違を調整することの困難さです。各種相談機関、慈恵病院や児童福祉施設では、このような相談に遭遇したとき、「命」を大切に考えることを誠意を持って説明する努力を怠りません。
それでも、見解の相違が平行線を保ったままで、未解決に終わることも多々あることでしょう。今回の電話も最悪の場合、保護者がお子さんを棄児するに至るかも知れません。もちろん、最善は、お子さんを育てていくことですが、「もともと育てる気はなかった」との想いで子育てされたら、場合によっては良くない結果を招くかも知れません。
ドラマ「明日、ママがいない」は、放送が終了したら、それで終わりと言うことではありません。これから現実社会にジワジワと影響していくことになります。相談業務の現場や福祉の現場が、表現は悪いのですが「尻ぬぐい」していくことになるでしょう。
地域に小規模グループケアを展開していこうとする時、「ドラマみたいな、児童養護施設だったら、何かトラブルを引き起こすかも知れない、うちの地域に来るのは絶対反対です。」と引越や建設に対して反対運動が起こるかも知れません。
「児童養護施設の子どもは、親がいなくて、親がいても虐待されていた、可哀想な境遇なのね。だから、恵んであげなければ」と同情されるかも知れません。つまり、自分たちより不幸な存在と言う一種の選別意識を誘発するかも知れません。
様々な影響が予測出来ます。もちろん、これらの事案は、ドラマが放映される前から起きていることですが、ドラマを通して、一部の人々の負の意識を呼び起こすきっかけになったかも知れない危惧があります。
テレビドラマ制作に当たって、視聴者ひとり一人の人生観について責任を持つことは、不可能であり、その部分を訴追することはナンセンスです。
しかし、慈恵病院や児童養護施設について、一部の視聴者が誤解曲解していることは、「明日、ママがいない」公式掲示板の書き込みで明らかです。これらの誤解曲解を真実の方向へ導いていくことは、日本テレビの責務ではないでしょうか。
ドラマ「明日、ママがいない」とは無関係な現実的なお話しで締めくくります。あなた、もしくはあなたの周囲で起こりうる現実です。
「捨てられたんじゃない、わたしたちが捨てたんだ。」この境地に至れる子どもたちは、ほんの一握りの子どもたちでしょうね。現状にあらがう子どもたちの方が現実的です。
北風の吹く寒い日の朝、男の子の兄弟二人が門の付近で遊んでいます。お昼もそこにいます。夕方もそこにいました。
母が、電話で「○月○日、面会に行くからね。」と約束していたからです。
私は、母に「確実でない約束はしないように」と何度も注意を促していました。
それでも、母は、子どもから「今度いつ会いにくるの」と問いかけられると、ついつい、約束をしてしまいます。
子どもたちは、裏切られることを信じていません。いや、信じたくないのでしょう。
約束の日、朝から夕方まで門の所にいます。母は、その日も来ませんでした。
この兄弟は、何度も何度も母に裏切られましたが、それでも、母を信じ続けました。
それから、3年後、母に引き取られていきました。
親の転勤に悩む中学生のケース
あなたと同じように親の転勤でなんども転校をしている子どもたちは、たくさんいます。そのほとんどの人が悩んでいると思います。
でも、その理由で児童養護施設に入ってくる子どもたちは、いません。
児童養護施設に入るには、児童相談所という所に相談に行く必要があります。あなたのように、親が子どもを育てられる状況であればたぶん、児童相談所の人は、児童養護施設への入所をすすめないでしょう。
14歳は、中学3年生ですか。高校進学を決める年ですね。自分の人生にとって、大切な1年です。
ぜひ、親ともう一度話し合ってください。
児童養護施設で生活している子どもたちの、ほとんどは、家族と離れて生活している自分を嫌がっています。家族が自分を育てることが難しいので仕方なく児童養護施設で生活しています。
そんな、子どもたちから見ると、あなたの悩みは、どのように映るでしょう。
親をあなたから見ると、なぜ、どうして、ということがたくさんあると思います。でも、親は、あなたを悩ませるために引っ越しているのではないと思います。
大人には、大人の事情があり転勤したくなくても、転勤の命令があればしなければいけないのです。それを無視したら、もちろん、仕事をやめなければいけません。そうなると、生活ができなくなってしまいます。
あなたが大変なように、悩んでいるあなたを見守る親も同時に悩んでいるのです。だから、話し合ってください。
このメールを親に見せてもかまいません。私が心配するのは、高校には、ぜひ、進学してほしいと言うことです。中学卒のために就職で苦労している子どもたちを何人も見てきました。あなたが、そのような道を選ぶ必要はないと思います。
あなたの人生は、たった一度だけです。悔いのないように生きてほしいと思います。自分の人生を決めるのは、あなたです。
もし、どうしても他人のアドバイスが必要な時は、児童相談所を電話帳でさがして相談の電話をしてくださいね。
母子家庭のケース
子どもは、家庭円満で、親の愛情を受けて育つのが一番良いに決まっているのですが、それは、簡単な事ではありません。
しかし、子育ては、全面的に、親の責任です。子どもたちが非社会的行動や反社会的行動を起こしたとき、「悪い子」と言うレッテルを貼りますが、それは、間違いです。親権者や監護権者の責任と言えるでしょう。
あなたは、児童養護施設に子どもたちを預けたいのでしょうか。もし、そうであれば、児童相談所にご相談下さい。
でも、精一杯の愛情を注いでくれる親と一緒に生活することを、可能な限り模索して下さい。子どもたちが、もし、道を外れていたら、親として、精一杯、気持ちを伝えることが大切です。素直に、「自分も子どもたちの手助けが必要なんだ。」と子どもたちにヘルプを求めることも必要でしょう。親と子は、互いに支え合って生きていくものです。親が子どもを注意します。子どもが親を注意することもあるでしょう。支え合っていくとは、お互い様の気持ちを持ち続けることでもあるでしょう。
元夫も子どもたちを愛する気持ちは、きっと一緒です。離婚をしていても、子育てのまっただ中、役割分担をして、それを子どもたちに明確に示してあげることも重要です。不仲になったから離婚をしたのだと思いますが、そんな中で相手を中傷する言葉を子どもたちに聞かせていないでしょうか。子どもたちにとっては、どちらも親なのです。そんな言葉を聞いたら、とても、複雑な心境になることは、容易に想像できます。
子どもたちに笑顔で接すること。一日の中で少しの時間でも良いです。笑いあえる楽しい時間を作りましょう。明るい場所は、家庭の中にあるはずです。一日一回、必ず握手する、これだけでもスキンシップになります。
可能な限り、楽しい家庭を作っていくこと、これが基本と思います。
子どもたちが落ち着いて生活できる家庭作りについては、児童相談所のケースワーカーに、ご相談して下さいね。
高校生からの質問
「高校生でもこの施設に入ることはできるのでしょうか?」
高校生で、入所してくる場合もありますが、児童養護施設は、学生寮とかとは違い、社会福祉施設です。
児童相談所が家庭環境の調査や本人や保護者との面談等を通して、社会福祉施設での措置が適正かどうかを判断した上で、入所が決定されます。
「入るのには保護者の同意が必要なのでしょうか?」
原則として、保護者は親権者ですので同意が必要です。
ただし、家庭内暴力や虐待等の特例の場合は、児童相談所が、強制的に親子分離する場合もあります。
「施設に入るのにいくらくらいかかるのでしょうか?」
子ども本人が請求されることはありませんが、保護者には、所得に応じて徴収金額が設定され、徴収されることになります。
家庭の事情を察することは出来ませんが、出来れば、家庭から社会に旅立つのがベストと思います。
信じ続ける大人
子どもたちと一緒に生きている大人は、子どもたちに裏切られ続けることが役目です。
子どもが悪いことをしたとき、「もう同じ過ちは繰り返すなよ」と時には、叱り、時には、情けなくて共に泣き、時には、時間を掛けて話をし、時には、無言で一緒に座っている、それでも、また、次の過ちを犯してしまいます。
大人は、信じ続けるしか方法がありません。「もう、同じ過ちは繰り返さないね。信じているよ。」大人が子どもを信じなくなったら、それで終わりです。だから信じ続けるしかありません。
ある子どもが、児童養護施設を旅立っていくとき、言いました。
「○○さんは、あの時、俺を本気で叱りつけてくれた。その時は、腹が立ったが、俺の事で本気になってくれたことを今では、感謝している。」
大人の一途な気持ち、いつかは報われることもあります。
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