子どもの自殺

宮崎日日新聞 2015年8月28日

悩み打ち明けやすい環境を
18歳以下の子どもの自殺が夏休み明けに多いことを示すデータが公表され、登校を前に深く悩んだり、動揺したりしている子どもたちがいることが分かった。
特に9月1日が突出して多く、文部科学省は「行動や身なりの変化などに気を付けて見守ってほしい」と呼び掛けている。本県では既に新学期が始まっている学校もあるが、長期休暇が明けて生活が変わるこの時期、子どもたちの様子に気を配り、悩みを打ち明けやすい環境をつくっていきたい。

夏休み明け最も多く
データは、内閣府が厚生労働省の「人口動態調査」の情報を基に、1972~2013年に自殺した18歳以下の子ども1万8048人を日付別に分析したもの。
最も多かったのは9月1日の131人で、4月11日(99人)、4月8日(95人)、9月2日(94人)、8月31日(92人)と続いた。春休みや夏休みが明ける前後に多くなる傾向だ。夏休み期間の7月下旬~8月中旬は少なかった。
内閣府は、このような時期に着目して子どもたちの変化を把握することや、児童生徒向けの相談や講演等を行うことなどを提言している。過敏になってもいけないが、追い詰められている子どもが身近にいないか見渡したい。
今後は、長期休暇に入る前などに家庭や学校、地域がこういったデータを通じて課題を共有しておくことも大切になる。
06年に自殺対策基本法が施行され自殺者全体の数は減ってきているものの、中高年層より若年層の自殺率の減少幅が鈍いことを受け、内閣府が分析に乗りだした。予防対策が若年層に行き届いていない実態を踏まえ、何が必要か考えていかなければならない。

サインに気を配って
14年にあった自殺の動機としては、小学生では「家族からのしつけ、叱責(しっせき)」「親子関係の不和」など家庭生活によるものが多く、学友との不和、学校問題が続いた。中学生はこれに「学業不振」が加わる。高校生は学業不振や進路の悩みが増え、うつ病など精神疾患も原因になっている。
10代前半では、悩みがあっても予兆を周囲に悟らせずに自殺に至る傾向もみられる。体は大きくなってきても、まだまだ発達途上の幼い心が、我慢して、弱音も吐かず、死を選ぶ。そんな悲しい決断を子どもたちにさせたくない。
県内ではこの10年、10代の自殺者が1年間に2人から7人いた。県精神保健福祉センターの「宮崎こころの保健室」など相談窓口がさまざまあること、相談は気軽にできるものであることを子どもたちに伝えたい。
睡眠、食欲、体調の変化や「感情面の反応が少なくなった」「身だしなみにかまわなくなった」といった行動に気を配りつつ、おおらかに子どもを包み込むことが大切だ。あなたは私の大事な存在。率直な語り掛けが、悩みを口にするきっかけを生むかもしれない。

子どもの虐待死事件の根本にあるもの(1)―DVと児童虐待併存の困難さ

沖縄タイムス+プラス 2015年8月27日

1990年代にアメリカ・サンフランシスコ市にある「CPMC」という病院の児童思春期クリニックに勤務したことがあるのですが、児童虐待介入を受けた子ども達の受診数の多さに驚いた記憶があります。
例えば、当時10歳のタイソン君(仮名)は、学校や家庭で「キレる」「自傷行為が著しい」ということで、里親に連れられて相談に来ました。学校の先生がその様子をビデオで記録したものがあったのですが、尋常な怒り方ではなく、確かに「キレる」という表現がふさわしいものでした。彼はお母さんと二人の母子家庭でしたが、お母さんはヘロイン依存症のため養育ができない状況が続いていました。
最終的に児童保護課によりお母さんから分離され、里親家族に措置されましたが、その後お母さんはアパートを失い、ホームレスになり、消息不明になってしまいました。タイソン君は薬物依存のために生活がうまくやれていないお母さんを補うような、しっかりした男の子でした。フードスタンプ(保護世帯が福祉局から給付される買い物クーポン)の管理をしたり、朝の支度をちゃんとしたりして、学校を休むことはまれでした。そんな彼が、キレたり自傷行為をしたりし始めたのは、里親家庭での生活がはじまって数カ月して、お母さんと音信不通になってしまってからのことでした。
当時注目された “run away kids”(家出少年)の多くも、虐待介入の産物であるケースが少なくありません。彼らの多くは思春期に達した子ども達で、虐待介入後に措置された里親家族から逃げ出して、ストリートキッズになってしまい、青年後期・成人に達するとそのままホームレスになってしまうことが問題として取り上げられていました。ホームレス生活のなかで、薬物や性の問題、犯罪などさまざまな生活問題をともなっていくわけです。「単に親から分離するだけで十分ではない」「家族の力による修復が必要ではないだろうか」という議論がされていた時代でした。
虐待介入の歴史は、「虐待する大人(多くは親)から離す」という方向ですすみながらも、ここに紹介したような「家族から離すことによる弊害」に遭遇することになります。その結果、アメリカでは“Family Reunion”、日本では「家族再統合」といわれる、「家族からなるべく分離することなく、家族の養育機能を改善していく・補填していく」という支援の方向性を模索するに至っています。
「子どもが成長する前に早期に虐待介入すれば、介入の影響も少ないでしょう?」という意見もあるかもしれません。しかし実際には、介入の影響が少ないのは子どもがせいぜい生後数カ月くらいのもので、1、2歳からはその影響を避けるというのは難しくなります。そして何よりも、早期にキャッチできる虐待もあれば、そうでないケースもたくさんあるわけです。
いずれにせよ、「家族を分離することなく(あるいは最小限にして)、家族の養育機能を高める」ための支援・介入というのは、家族(特に両親)のなかにキーパーソンになる人との関係の構築が必要になります。特に母親が「現状をどうにかしないといけない」という認識を持ち、キーパーソンとして機能してもらうことは、支援を組み立てる際の大きなポイントになるはずです。
ところが、子どもへの虐待だけでなく、DV(ドメスティックバイオレンス)というもう一つの問題を抱えた時、支援・介入の困難さは増していきます。
DVケースでの支援のひとつは、被害者(圧倒的に女性の場合が多い)を避難させることになります。まだまだ十分だとは言えませんが、被害者のためのシェルターや相談施設、相談員(ケースワーカー)、加害者に対する接近禁止の法制度が整備されて来ました。警察の協力もここ十数年で大きく変化してきたと思います。
しかし、DVケースの特徴は、暴力行為が被害者から報告されていたり、時には暴力痕(写真)が存在していたりしたとしても、被害者本人の承諾がなければ介入を始められないところにあります。DVケースの支援の経験がある方はご存じだと思うのですが、被害者はなかなか配偶者(および類する者)との関係に見切りをつることができず、介入に対する決心を渋り続けることが少なくありません。決心がつかない被害者に対して、焦りや憤りを経験したことのある相談支援担当者も少なくないはずです。
しかし被害者本人からすると、シェルター避難や接近禁止は、人生の大きな決断になるわけです。相談員の焦りで支援を急いだとしても、それに追い立てられるように感じてしまい、被害者が相談を止めてしまうこともあります。時には、いったんシェルターや施設に避難・保護となって後、再び加害者との(暴力の)関係に戻ってしまうことも少なくありません。暴力が取り返しのつかない結果にならないよう見守りつつ、被害者の自己決定を焦らず待つというアプローチが求められるのだと思うのです。
しかし、そこに子ども虐待が併存したとき、支援者はどういうスタンスでケースと向き合うのか、難しいさじ加減が求められるわけです。DV被害者は、暴力の被害者であると同時に、子どもを守る義務を持つ親(多くは母親)でもあるわけです。「焦らずに自己決定を待つ」というアプローチだけでいいのかという疑問が生じます。しかし、介入・支援への決心を強く促した時、唯一の支援の窓口(入り口)から遠のいてしまう可能性もあります。先述した「家族再構築」のために必要なキーパーソンである母親との信頼関係が損なわれてしまうリスクも生じるわけです。
今回、宮古島市での児童虐待死事件のようにDVと虐待が併存するケースは少なくないと思います。この事件については、児童相談所間での連携の不備を含めた様々な指摘がされています。
「子どもは社会が育てる」とよく言いますが、実際には、子を育てる親を社会が支えているわけです。難しいケースになるほど、親をすっ飛ばして社会が育てるということは、私達が考えるよりも多くの困難を伴うものだと思うのです。多くの里親の方々はそのことを日常の現実として、実感されていらっしゃると思うのです。
児童相談所や児童家庭課、そして里親の方々など、児童虐待の介入・支援に関わる人達は、社会が代行するには困難な「子どもの育ち」を、いかに社会が補填できるのかというミッション・インポッシブル(難しい職務)を背負っているのだろうと思うのです。彼らのミッション(職務)をよりポッシブル(possible、可能)にするような環境を作ってあげなければ、今回のような事件事故への反省は生かされないままになってしまうのではないかと思うのです。他府県に比べて様々な問題の多い沖縄に、児童相談所が2カ所しかないというのは、現状に見合ったものなのか、再検討が必要なのではないでしょうか。

虐待情報の連携組織4割設置せず

Domestic 2015年8月28日

行政や警察、学校などが虐待や少年非行の情報を共有し対応を話し合う児童福祉法上の連携組織「要保護児童対策地域協議会」を、都道府県レベルで4割近くの18府県が設置していないことが28日、共同通信のアンケートで分かった。設置は法改正で2008年4月から地方自治体の努力義務となり、現場対応を担う市区町村レベルで多く設置されているが、後方支援的な性格の強い県レベルでは必要性の判断に差があり、対応にばらつきが出た。
設置しない理由として6県が「市区町村が設置するもので、都道府県レベルでは必要性を感じない」、他の12府県は「独自に別の組織を設けている」と説明した。

発生予防や児相の体制強化 政府の児童虐待防止策

産経ニュース 2015年8月28日

政府は28日、児童虐待を防止するための強化策を公表した。妊娠期から妊婦を支援して虐待予防を強化することや、法的知識が必要な相談などに対応できるよう児童相談所や市町村の体制を強化することなどが柱。今後、強化策の具体化に向けた検討を進め、年末に政策パッケージを策定するとしている。
厚生労働省によると、全国の児相が対応した児童虐待の件数は23年連続で増加。平成25年度は過去最多の7万3802件となっており、政府は対策を一層強化させることが必要と判断した。
強化策によると、虐待による死亡事例のうち、4割強が0歳児であることを踏まえ、妊婦に対して妊娠期から切れ目のない支援をすることが必要とした上で、子育て家庭に対し、行政側から手を差し伸べるような支援を行うという。

「性被害、10代の多くは家庭内」 学校と連携強化し対処法研究へ

福井新聞 2015年8月27日

性暴力被害の総合的な相談窓口を置く福井県済生会病院(福井市)は、未成年被害者の早期発見を目指して学校側との連携を強化する。窓口の存在を小・中学校、高校に周知し、事例を基に対処法を研究する機会を設ける。10代少女は問題を1人で抱え込む傾向が強いとされ、医療・教育両機関が協力して埋もれがちな性被害に耳を傾け、解決に導いていく。
相談窓口は、同病院が昨年4月に開設した「性暴力救済センター・ふくい(通称ひなぎく)」。産婦人科医と臨床心理士らが緊急避妊治療や心のケアを行い、県警、行政担当者への橋渡し役も担う。
ひなぎくによると、3月末までの1年間で33人から延べ74件の相談を受理。10代の相談が最多の11人(34%)で、次いで20代が6人(18%)と若年層の被害が目立った。
ただ、センター長の細川久美子産婦人科部長は「数字は氷山の一角。被害を知られたくないとの不安から誰にも相談しない女性が相当いる」とみている。特に10代は、被害の多くが家庭内で起きているとし、口を閉ざす割合が高いと分析する。
他の病院や行政機関との連絡体制は既に整えており、「少女の身近にいる学校関係者との連携が開設以来の課題だった」という。
このため県済生会病院は養護教諭を招いた連絡会議を設けることにし、26日に院内で初の会議を開いた。教諭15人と行政担当者らが連携強化の方針を確認。ひなぎく側は、被害児童・生徒に接する際には傷つけないよう気を配り、プライバシーに最大限配慮するよう求めた。
意見交換も行われ、丹南地域の中学に勤める養護教諭は「相談先がよく分からず不安があった。被害が分かったらすぐに連絡し、専門家の判断を仰ぎたい」と述べた。
細川センター長は取材に対し「10代で受けた心の傷は一生残ることがあり、すぐに治療を始めることが重要」と指摘。「警察に通報する場合にも、暴行痕などの証拠保全は一刻を争うため、早めの申告が必要になる」と、学校関係者に理解と協力を求めていくとした。
ひなぎくの活動は内閣府の本年度「性犯罪被害者等のための総合支援モデル事業」に選ばれ、同会議の経費の一部は国の助成を受ける。事業期間の来年1月までに残り2回の会議を開き、事例研究も行う予定。ひなぎくへの相談は=電話0776(28)8505=へ。

あらゆる性知識を排除した健全できれいな世界、というディストピア

サイゾーウーマン 2015年8月28日

現在放送中の深夜アニメ『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』(『下セカ』)が大変面白いです。原作は2012年から続くライトノベル。マンガ化もされておりメディアミックス盛んな作品です。
舞台は少し未来の日本、16年前に制定された「公序良俗健全育成法」という法律によって、性的な言葉(下ネタ)が失われ、人々から性知識が著しく欠如し、「赤ちゃんは男女が真面目に心から愛し合っていれば何もしなくても自然と生まれてくる」と高校生がテストで回答することが正解になっています。
人々は首と手首に着用を義務付けられた超小型情報端末「PM」によって卑猥な単語を規制され、違反者は警察内の専門組織「善導課」によって即逮捕、執行猶予なしの実刑に処されるという状況のこの世界で、「健全できれいに生きる」ことを強いられています。
この作品の主人公は、国会議事堂の前でコンドームをばらまくという下ネタテロ行為によって逮捕された父と、警察の善導課で卑猥物取り締まりの現場指揮を行う母を持つ、男子高校生「奥間狸吉(おくま・たぬきち)」。彼は、「公序良俗健全育成法」によって両親を逮捕され天涯孤独になった「華城綾女(かじょう・あやめ)」などの仲間たちと共に、下ネタテロ組織「SOX」のペロリスト(テロリスト)として、下ネタという概念が存在しない健全できれいな(退屈な)世界に戦いを挑みます。

すべての穴が卑猥認定される世界
下ネタテロ組織「SOX」は、2015年現在の日本であっても逮捕案件になりそうなテロ行為を繰り返し、世界を変えようと奮闘します。《雪原の青》を名乗る華城綾女は、女性もののパンツを目出し帽のように被って顔を隠し、バスタオルをマント状に被っただけの(タオルの下は着衣なし)露出狂スタイルで下ネタを叫びまくります。他のメンバーたちも、「公序良俗健全育成法」制定前に発行されたエロ本を探し出し人々に配布したり、発掘したエロ本の二次創作によってエロの知識を広めたり、ロストテクノロジーのごとく失われたオナ○ールやロー○ーを研究開発したり、ハエの交尾の映像を見せることで「世の中には『セックス』という行為が存在すること」を学生に気付かせたりetc.……悪く言えばエロテロ、よく言えば性知識の啓蒙活動です。
作品世界では、下ネタという概念も存在しなければ、セックスもオナニーもその存在を完全に秘されています。性的な知識を持たないことが善とされ、下ネタが全て失われてしまった世の中では、下ネタを取り締まる側も「何が卑猥なのか」を完全に見失っています。性知識を持たないゆえに情欲と恋愛感情の区別がつかない人物も描かれ、単純にお下劣な下ネタを楽しめるだけではない、非常に風刺的なディストピアSFとなっています。
狸吉の通う高校の生徒会長アンナ・錦ノ宮は、「健全できれいに生きる」ことを信条に下ネタを心から憎み、取り締まる女性です。「愛のために行う行為は全て正しく、正しい行為のためならば何をしても良い」という非常に偏った正義感・倫理観を持っていますが、性知識を持たないためか情欲と恋愛感情の区別がついておらず、「狸吉への愛情」の表現として、ストーカーや不法侵入、包丁などを使った脅し、強姦未遂etc.色々アウトなことを、「愛のために行うこの上なく正しい行為」と信じて行うのです。
風紀の取り締まり強化のために狸吉の高校に派遣されて来た長髪の男性「月見草朧(つきみぐさ・おぼろ)」は、卑猥なものを取り締まるために性知識を知っているとはいえ、形式的な知識としてだけなので、その取り締まりはかなり雑。「トイレットペーパーの芯(の空洞)」や「バスケットゴール」といった穴を卑猥という理由で違反認定したり、「バレーボールネット」は網タイツのようだから卑猥だとして取り締まったり、判断基準が明後日の方向へいっています。
下ネタを無邪気に言祝ぎながらも、主人公たち「SOX」メンバー(ペロリスト)は、若者に正しい性知識を与え、性欲を肯定的に楽しむことの啓蒙活動としての下ネタテロ行為をしていきます。彼らペロリストと、「健全できれい」であるために行き過ぎた規制やわいせつ行為と気付かずわいせつ行為をする生徒会長や風紀委員たちの鮮やかな対比。この作品は、表現規制の問題だけでなく、現行の性教育への批評性を兼ね備えているところが画期的で、一元的でなく多視点から物事を描いています(「よくせい(抑制)」の中には「せいよく(性欲)」が潜んでる。と歌うエンディングテーマも魅力的です)。

◎裸の少女が虐待される作品は「すべて」ポルノか?
一元的でなく多画的に物事を見ること、反射的に物事を決めつけるのではなく、冷静に複合的に判断を下すこと。これは、何かを判断する上でとても単純かつ基本的なことですが、個人の利害や特定のイデオロギーに傾倒することで見失いやすいことでもあります(自戒をこめて)。
ですが、作品のぱっと見の表層だけでなく、その表現に込められた本当の意図を読み解かなければ、その作品を評することなどできないのです。
『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』とは作風は異なりますが、もう一つ、誤解される側面もある素晴らしい作品に、岡本倫の『エルフェンリート』(集英社)があります。2002~05年に「ヤングジャンプ」(同)で連載され、04年にアニメも制作されました。
『エルフェンリート』は、一瞬見ただけでは、ネコ耳の美少女が裸だったり拘束されて虐げられたり、かと思えばものすごい残虐行為を行ったりするという、ビジュアル面が特徴的な作品です。このネコ耳美少女たちは、人類ととてもよく似た外見ですが、頭に生えたネコ耳に見えるモノは実は二本の角です。彼女らは、攻撃力の高い見えない何本かの腕(ベクター)を持つデュクロニウスという種族で、人間ではないがゆえに迫害され、施設に隔離され実験・研究対象にされているうえ、彼女らの持つ高い攻撃力は兵器として利用されます。
『エルフェンリート』は、マイノリティゆえに迫害される(が、強大な力を持つ)少女たちと、人間の主人公・コウタが織りなす、「差別と寛容」「特別になることへの憧れと特別な者への嫉妬、特別になることの孤独」を力強く描いた傑作ですが、「肌色面積の多い女の子(=裸の描写)」「ネコ耳をつけてヘテロ男性にとって都合の良い振る舞いをするような女の子」といったぱっと見の印象から、「公序良俗及び女性軽視的観点からの警告」がなされる危険を孕んでいます。
けれども、デュクロニウスの少女たちが持つ客体性は、ヘテロ男性へのサービスとして以上に、「差別される者」「搾取される者」として描写されているのです。そして、こうした「搾取とサービス」の構造を、ヤングジャンプというヘテロ男性読者を多く持つ雑誌の中で露呈させることは、より強力に差別の残酷さを描く機能を備えているのです。
「差別と寛容」「特別になることへの憧れと特別な者への嫉妬、特別になることの孤独」という深いテーマを持つ作品が、そのテーマをより深く掘り下げる為の機能(ネコ耳の美少女)のぱっと見の印象によって断罪されてしまうことは、表現を無効にするだけでなく、「クサいものに蓋」という意味にすらなりかねません。それは、ジェンダースタディーズ的観点から見ると、大変残念なことです。
原爆の恐ろしさを伝えるために描かれた『裸足のゲン』が残酷描写だと言われたり、多様な性のありようが描かれた『境界のないセカイ』の出版が自粛されたり(別の出版社から刊行されましたが)、インターネットの発達によりインスタントに抗議や署名が出来るようになった現代だからこそ、より慎重に、より多角的に物事を見つめなければならないように思います(再び、自戒をこめて)。

上半期出生数、前年比1万2千人増…厚労省速報

読売新聞 2015年8月27日

今年6月までの半年間に生まれた子どもの数が、昨年上半期よりも約1万2000人多い、50万8802人だったことが26日、厚生労働省の人口動態統計速報でわかった。
年間の出生数は1949年の約270万人をピークに減少しており、昨年は戦後最低の100万3532人だった。下半期も同様のペースならば、2010年以来5年ぶりに出生数が前年を上回る。
速報によると、日本に住む外国人、海外に住む日本人を含んだ6月の出生数は8万5788人で、半年間の合計では、昨年の49万6400人を2・5%上回った。上半期の出生数が前年を超えたのは10年以来のことだ。また、昨年12月から連続7か月間、多い月で4000人以上、前年同月を上回る状態が続いている。
地域別にみると、前年を下回る都道府県がほとんどだが、都市部の東京23区、川崎市、堺市などで、出生数が5%以上増えた。人口の多い都市部が出生数を押し上げる構図だ。

<活躍法成立>働く女性冷ややか「そこじゃない」の声

毎日新聞 2015年8月29日

女性管理職割合の数値目標設定などを義務づける「女性活躍推進法」が可決、成立しました。しかし、長時間労働や待機児童問題、男女の役割分担意識など、女性活躍を妨げる壁はたくさん残っています。この国で働きながら子供を育てることの難しさを、藤田結子・明治大准教授(社会学)が解説します。

誰のために「女性活躍」を推進?
明治大学で社会学を教えている藤田結子です。研究者であり、教員であるとともに3歳の男の子の母親です。子育て真っ最中の共働き世代をめぐるミクロな状況とマクロな仕組みを、当事者の立場からこのコラムで伝えていきたいと思います。
近年、「女性の活躍」「マタハラ」「保活」「待機児童」など、仕事と育児に関する用語がメディアに頻繁に登場しています。記事や書籍、講演などの形で商品化される旬のテーマでもあります。
政府は女性の活躍を推進し、企業は表面上はワーク・ライフ・バランスを掲げ、企業は共働きの増加をビジネスチャンスと捉えます。しかし、働く母親たちと話していると現状に疲れている人、怒っている人が少なくありません。彼女たちが直面する問題のほとんどが解決されていないからです。では、いったい何が問題とされているのでしょうか。

出産・育休・復帰に立ちはだかる高いハードル
本来はうれしいライフイベントのはずの妊娠・出産の前には、高いハードルが立ちはだかっています。そもそも晩婚化、晩産化が進み、若いうちに子供を持つこと自体が難しくなっています。
厚生労働省の人口動態統計によると、2014年時点の平均初婚年齢は男性31.1歳、女性29.4歳。国立社会保障・人口問題研究所が実施した「結婚と出産に関する全国調査」(2010年)は「男女の出会い年齢が上昇し、交際期間が長くなり、晩婚化がさらに進んでいる」と指摘しています。婚外出産が非常に少ない日本では、晩婚化はすなわち晩産化を意味します。
結婚や出産が遅くなったのは若年男性の雇用の不安定化や女性の高学歴化・経済力上昇、価値観の変化など複数の要因が影響した結果ですが、すると今度は、メディアや不妊治療医からこんなふうにあおられます。「35歳を過ぎたら卵子老化で産めなくなる!」。都市部の不妊治療クリニックはどこも大行列。初診に2カ月待ち、当日数時間待ちもざらです。
妊娠しても不安は消えません。職場にいつ伝えるのか、育休を取れるのか、仕事の割り振りや引き継ぎはどうするか、上司や同僚に嫌がられないか、産むことでキャリアが途切れないか--職場の上司の大多数は男性なので、相談する相手が見つからないケースも少なくありません。
大きな企業の正社員なら、利用しやすいかどうかは別にして、育休などの諸制度が整っていることでしょう。では非正規雇用の場合は? 「辞めてほしい」と言われたら? 休めたとしても、復帰する前に保育園は見つかるのでしょうか。

ベビーカー論争に見る働く母親への圧力
「婚活」「妊活」のあとの保育園探しも大変です。待機児童が多い都市部では、認可保育園への入所は、どれだけ保育に困っているのかを競う点数制で決まるからです。妊娠中に保育園探しを始める女性も珍しくありません。
一人親家庭の方が点数が高いので、点数稼ぎのために一時的にペーパー離婚をして、入所後に折を見て再婚する人までいます。選考に落ちれば、家から遠い第3、第4希望以下の保育園に電車や車で送り迎えすることになります。
では、通勤ラッシュ時に幼児を抱いて、もしくはベビーカーで電車に乗れるでしょうか。2012年に話題になった「ベビーカー論争」--朝の通勤電車にベビーカーを乗せる母親に対するバッシングと擁護の論争--は記憶に新しいところ。
批判する側の「危ないから」という理由の裏には、公共の場所、つまり社会においては、仕事・男性が育児・女性よりも優先されるべきだ、という価値観が潜んでいると思われます。働きながら子供を育てる女性への有形無形の「圧力」はいまだに強力です。
社会経済構造はこの20年で大きく変わりました。長く続いた不況の結果、十分な収入がある男性と専業主婦、そして子供2人という家族モデルは標準ではなくなり、共働きを志向する男女が増えました。
この変化に比べて、制度や男女の役割分担意識は大きく変わっていません。育児の責任が女性に偏ったままでは「女性の活躍」は難しいと、識者から再三指摘されてきたのですから、日本社会も政府もこれらの問題に本気で取り組む気がないように見えます。
何を変えればいいのでしょうか。

「心理学の研究成果」は6割以上が再現不能 海外研究

ITmedia ニュース 2015年8月28日

「これは心理学の研究成果だ」と言われると、人はつい信用してしまう。だが実のところ、心理学や社会科学の「研究成果」の6割以上は再現できない――そんなショッキングな研究結果が米科学誌「Science」(8月28日付)に掲載された。
米バージニア大学のブライアン・ノセック氏ら科学者270人による研究チームは、2008年に米国の主要科学誌3誌に掲載された100件の心理学/社会科学論文について実験結果の再現を試みた。すると、元の論文と同じ結果が再現できたのは39%にすぎなかったという。再現を試みた研究成果には、人々の知覚、意識、記憶にまつわるものや、社会生活や他者との交流に関するものなどが含まれていた。
AFP通信によれば、Scienceの編集主任を務める心理学者のギルバート・チン氏は「この結果は各学説の妥当性や虚偽性に直接言及するものではない」と話したという。一方で「今回の結果が示しているのは、原著論文にある実験結果の多くに関し、それほど信頼を置かないようにすべきということだ」とも指摘している。