社会福祉法人 児童福祉 児童養護施設

明日、ママがいない 批評:児童養護施設とは

  • HOME »
  • 明日、ママがいない 批評:児童養護施設とは

下記リンクは、このページの短縮版です。短縮版の方が読みやすくなっています。

「明日、ママがいない」で学ぶ児童養護施設

ページの目次

児童養護施設とは!

児童養護施設は、日本中の全ての子どもたちが、家庭の事情で入所するかも知れない場所です。「自分たちとは関係のない場所だ」と考えている方がいたら、認識を見直すべきでしょう。
あなたは、今の幸せが、いつまでも続くと未来を予測することが出来ますか。
もしかしたら、交通事故や災害で、命を落とすかも知れません。経済的に破綻するかも知れません。離婚の危機に見舞われるかも知れません。重い病気を患うかも知れません。虐待をするかも知れません。
未来は、何が起こるか分かりません。何かの事情で、どうしても子育てが出来なくなったとき、あなたの代わりに子育てを担ってくれるのが児童養護施設です。
児童養護施設は、あなたと全く関係のない福祉施設ではないのです。母子家庭や父子家庭の子どもたちもいます。経済的な理由、病気による入院、刑事事件等による収監、保護者の死亡や行方不明等の子どもたちもいます。DVや虐待が日常的に行われていた家庭の子どもたちもいます。あなたの未来に、このような事情が絶対起きることはないと確信できるでしょうか。
児童養護施設は、子育てを家庭だけではなく、社会として担っていこうとの「社会的養護」の働きを実践している場所なのです。つまり、児童養護施設だけに子育てを任せるのではなく、社会として、子どもたちを愛していくことが大切な事なのです。
児童養護施設は、税金により運営されています。つまり、経済的に他人事ではないのです。あなたが納めた税金が関わっています。同じ、児童福祉施設として保育所がありますが、多分、こちらは利用する人も多く、身近な存在でしょう。利用するためには、利用料も必要です。児童養護施設も、児童入所施設徴収金が所得税額に応じて保護者から徴収されています。つまり、児童養護施設も保育所も児童福祉施設であることに変わりありません。ただ、圧倒的に保育所の利用者が多いだけなのです。
究極の状況を思い浮かべてみましょう。それは、あなたが子育て中に何かの事故で夫婦とも亡くなってしまったと想像してください。あなたのお子さんは、どうなりますか?育ててくれる親がいなくなり餓死してしまいますか。あなたの身内や親戚で、自分亡き後、我が子を育ててくれる方はいますか。核家族化が進んでいる現在、更に自分の家族が生きていくのに精一杯の中で、それでも、我が子を育ててくれる身内や親戚が確実に存在すると確信が持てますか。反対のことを考えてみましょう。あなたの身内や親戚でご不幸があったとき、あなたは、そのご家庭のお子さんを我が子同然に子育てをすることが出来ますか。
現在の日本社会では、そのような状況のお子さんが、路頭に迷ったり、餓死したりすることはありません。義務教育なども確実に受けることが出来ます。それは、何故か、福祉施策があるからです。身内や親戚の方など、どうしても引き取り先が見つからなければ、児童養護施設等の福祉施設が、あなたに変わって、子育てを担ってくれる。それが福祉なのです。

明日、ママがいない イントロダクションの間違い

もし、「児童養護施設」と言う言葉に人格があれば、名誉毀損で訴えるところでしょう。

大辞林 第三版
めいよきそん【名誉毀損】
他人の名誉を傷つけ,損害をあたえること。 (1) 民事上は,人の品性・名声・信用などについての社会的評価を違法に侵害すること。不法行為となる。 (2) 刑事上は不特定または多数の人が知ることが可能な状態で,真偽にかかわらず,なんらかの具体的な事実を摘示して,その人の品性・能力などについての社会的評価を引き下げること。名誉毀損罪の対象となる。

確かにフィクションドラマであり、表現の自由は遵守されるべきです。しかし、それが、実在する公的名称を使い、全く異なる世界観を描いて良いとの根拠にはなりません。
存在しない架空の福祉施設を描くのであれば、存在しない架空の名称を創作すべきです。「児童養護施設」と言う名称を用いたのは、宣伝戦略として利用した以外に考えられません。名称の存在価値は、企業の利益に劣る存在価値と認識しているだろうテレビ局の姿勢に視聴者は気づくべきです。
テレビ局は、イントロダクションにおける表現の誤謬(ごびゅう)を正すべきです。

物語の舞台は、児童養護施設

明らかに、現実の児童養護施設とは、違う舞台設定であり、「児童養護施設」と断定的に表現していることが誤解を招いてしまいます。
参考までに、Wikipediaの「児童養護施設」のページに「略して養護施設(ようごしせつ)とも称する」とある通り、報道記事、著名人の記事等で、「養護施設」との記載が見られますが、1947年の児童福祉法改正で孤児院から養護施設に改称され、1997年の児童福祉法改正で、児童養護施設に改称されています。従いまして、「養護施設」と記載することは、時代遅れと言うことに他なりませんのでご注意下さい。

児童福祉施設最低基準 児童福祉施設の設備及び運営に関する基準
(職員)
第四十二条  児童養護施設には、児童指導員、嘱託医、保育士、個別対応職員、家庭支援専門相談員、栄養士及び調理員並びに乳児が入所している施設にあつては看護師を置かなければならない。ただし、児童四十人以下を入所させる施設にあつては栄養士を、調理業務の全部を委託する施設にあつては調理員を置かないことができる。

ドラマの職員人員配置では、児童養護施設の基準を満たして居らず、「児童養護施設」と表現しているのは不適切です。
では、地域小規模児童養護施設としては、どうでしょう。
まず、地域小規模児童養護施設は、児童福祉法にも児童福祉施設最低基準にも記載されていません。厚生省児童家庭局長の通知である「地域小規模児童養護施設の設置運営について」により設置認可されています。その中に「地域小規模児童養護施設(児童養護施設における本体施設の分園(グループホーム)」と言う記載がされていますので、地域小規模児童養護施設のことをグループホームと呼ぶこともありますが、括弧書きで示している通り俗称的な意味合いです。法的根拠はないものの正式には、地域小規模児童養護施設と表現するべきでしょう。

地域小規模児童養護施設の設置運営について
4.定員等
地域小規模児童養護施設の定員は、本体施設とは別に6人とし、常に現員5人を下回らないようにすること(ただし、指定の直後はこの限りでない。)。

ドラマの児童人数は、ポスト、ドンキ、ピア美、ボンビ、オツボネ、パチ、ハン、リュウの8名であり、この時点で、地域小規模児童養護施設に当てはまりません。

5.設備等
(1)日常生活に支障がないよう必要な設備を有し、職員が入所している子どもに対して適切な援助及び生活指導を行うことができる形態であること。
(2)個々の入所している子どもの居室の床面積は、一人当たり4.95㎡以上(幼児については3.3㎡以上)とすること。ただし、平成22年度において指定を受けているものにあっては、なお従前の例による。
なお、原則として、一居室当たり2人までとすること。
(3)居間、食堂等入所している子どもが相互交流することができる場所を有していること。

また、ドラマでは4人部屋となっているため、原則に反しています。

6.職 員
(1)地域小規模児童養護施設専任の職員として児童指導員又は保育士を2人置くこと。
(2)その他の職員(非常勤可)を置くこと。

職員数についても規定を満たしていません。

従って、ドラマの設定は、児童養護施設でも、地域小規模児童養護施設でもありません。
「物語の舞台は、児童養護施設」と言う断定的な表記は、撤回すべきです。どうしても使いたい場合は「物語の舞台は、認可外児童養護施設」となるでしょう。

認可外児童養護施設を表す条文は下記の通りです。

児童福祉法
第五十九条  都道府県知事は、児童の福祉のため必要があると認めるときは、第三十六条から第四十四条までの各条に規定する業務を目的とする施設であつて第三十五条第三項の届出をしていないもの又は同条第四項の認可を受けていないもの(前条の規定により児童福祉施設の認可を取り消されたものを含む。)については、その施設の設置者若しくは管理者に対し、必要と認める事項の報告を求め、又は当該職員をして、その事務所若しくは施設に立ち入り、その施設の設備若しくは運営について必要な調査若しくは質問をさせることができる。この場合においては、その身分を証明する証票を携帯させなければならない。

第四十一条  児童養護施設は、保護者のない児童(乳児を除く。ただし、安定した生活環境の確保その他の理由により特に必要のある場合には、乳児を含む。以下この条において同じ。)、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とする。

第三十五条  国は、政令の定めるところにより、児童福祉施設(助産施設、母子生活支援施設及び保育所を除く。)を設置するものとする。
2  都道府県は、政令の定めるところにより、児童福祉施設を設置しなければならない。
3  市町村は、厚生労働省令の定めるところにより、あらかじめ、厚生労働省令で定める事項を都道府県知事に届け出て、児童福祉施設を設置することができる。
4  国、都道府県及び市町村以外の者は、厚生労働省令の定めるところにより、都道府県知事の認可を得て、児童福祉施設を設置することができる。
5  児童福祉施設には、児童福祉施設の職員の養成施設を附置することができる。
6  市町村は、児童福祉施設を廃止し、又は休止しようとするときは、その廃止又は休止の日の一月前までに、厚生労働省令で定める事項を都道府県知事に届け出なければならない。
7  国、都道府県及び市町村以外の者は、児童福祉施設を廃止し、又は休止しようとするときは、厚生労働省令の定めるところにより、都道府県知事の承認を受けなければならない。

バナメイをシバエビ、ブラックタイガーがクルマエビと表示されていたり等の偽装表示のニュースは記憶に新しい。もちろん、日本テレビもニュース放映していました。偽装表示が消費者への裏切りであることはご承知の通りです。
ところが、「児童養護施設とは異なるドラマ設定」を「物語の舞台は児童養護施設」と公式ホームページ上で表示していることは、偽装表示に当たらないのでしょうか。
児童養護施設でもない設定を児童養護施設と誤認してドラマを視聴している視聴者が多いことは、各種掲示板やTwitter等の書き込みを見れば分かります。
「児童養護施設を舞台にしたドラマ」と言うことで、放映前から広報展開していました。そのため、視聴者は、興味を持ち「児童養護施設のドラマを観てみようか」と「明日、ママがいない」にチャンネルを合わせた視聴者もいることでしょう。
これらは、結果的に不適正な表示や広報により視聴者を惑わせた事実であり、誤認惹起行為(ごにんじゃきこうい)ではないのでしょうか。そうであれば、不正競争防止法に関係してきます。
偽装表示や不正競争防止法は、食品等物品やサービスに適用されることが多いため、今回の様な事例はないのかも知れませんが、ニュース報道も行っている日本テレビが、誤認惹起行為(ごにんじゃきこうい)と疑われそうな広報を、ここまで大々的に行っても良いのでしょうか。
ただ、偽装表示とは言えないかも知れない、それは、ドラマの設定が、あまりにも児童養護施設とは異なる設定だからです。それを「児童養護施設」と思い込ませた行為は、詐欺罪に匹敵するのではないかと思わざるを得ません。
このページをご覧のみなさんは、「明日、ママがいない」は、「児童養護施設」を舞台にしたドラマと思って視聴していますか。そして、それを信じていますか?
仕方ありません。日本テレビもその他のマスコミも報道も著名人も、全てが、「物語の舞台は児童養護施設」と報じているからです。
日本テレビの不適正な広報や表示に踊らされて報じているマスコミ等は、いつ、そのことに気づくのでしょうか。
児童福祉法や児童福祉施設最低基準で「児童養護施設」は定義づけられています。ドラマ「明日、ママがいない」の舞台は、その定義に全く当てはまりません。従いまして、児童養護施設でもない設定を児童養護施設と虚偽の説明をしていることに他なりません。繰り返しますが、「児童養護施設」は、法律上の用語です。
明日、ママがいない」公式ホームページの掲示板の中に、下記の書き込みがあります。

 「毎週、見ています。このドラマは、私に3万人以上の子供たちが児童養護施設で、心に暗い闇を持ちながら生活しているという事実を教えてくれました。もっと多くも人が、このドラマを見て、今現在の事実を知ってほしいです。今夜10時からのドラマ楽しみにしています!!」

この方は、「明日、ママがいない」の舞台が児童養護施設と誤解されています。この方の思いは純粋でとても素敵な書き込みですが、日本テレビが、間違った説明をしているために誤解が生じているのです。
法律上の用語を誤った形で使用している事実は、視聴者の誤解曲解を速やかに修復する意味でも訂正が必要であると思います。
現在、全マスコミ、著名人が、「ドラマの舞台は児童養護施設」と断定的な表現をして記事をまとめています。実に憂慮すべき事態です。気づいていないのか、それとも、これまでの記事全てが「ドラマの舞台は児童養護施設」を前提に執筆しているため、誤りを認めることは、これまでの全記事に影響するので、それが、プライドとして許せないのだろうか。しかし、そういう問題ではない。間違いは正す、それが、文化人たる日本のマスコミの取るべき態度だと思いますが、みなさんは、どう思いますか。
私たちは、子どもが間違った時、何が間違っているのかを教え、間違いを正すように支援すると思います。そこで、子どもは、間違いに気づき修正していくことによって成長していきます。このドラマは、そんな子どもたちにも観て欲しいと日本テレビは考えていると思いますが、行っていることは、教育的見地からも不誠実です。大人として、間違いは間違いと認め、修正していく姿勢を子どもたちに示すべきだと思います。マスコミの人々への影響力は大きく、だからこそ、成熟した大人としての姿勢が求められます。

親の愛から見離された少女たちが集まる

これは、ドラマの設定だから仕方ありませんが、現実の児童養護施設に住んでいる子どもたちが、みんな「親から見放された」子どもと誤解されたら心外です。保護者としても、「仕方なく預けるしか道がなかった」と言う方もいらっしゃる。例え、現実的に「見離された」状態であったとしても、その現実を受け入れられず、親を信じ続ける子どもたちも確かに存在しています。

そこは、親のいない子どもたちが暮らす場所

舞台の年代が分かりませんが、この表現は、昭和40年代以前でないと当てはまりません、映像を見る限り、現在を舞台にしています。現在の児童養護施設では、「親のいない子ども」の比率は、低いため、児童養護施設を説明する文章としては不適切です。
*児童養護施設児童総数を100%とした時、両親共にいないか不明は、総数の8%、血縁関係もいない天涯孤独の児童は、総数の3%程度とデータが表しています。

子どもたちがやってくる理由のほとんどは 虐待だ

すごく、断定的な言い回しです。この文言を信じた人は、児童養護施設の子どもたちは、みんな、虐待を受けているんだと捉えてしまいます。また、外部の人が面会に来ている保護者を見た時、「あの人が虐待していたんだ」と色眼鏡で見てしまう危険性を秘めています。確かに、措置理由として、「被虐待」もありますが、平成20年の調査では、児童養護施設の場合、53.4%が虐待を受けていたとの結果があるものの、それは、「ほとんど」と言う表現には当てはまりません。
*児童相談所が、福祉施設へ措置するときの措置理由を数値化した表があります。分析すると、家庭養育困難が44.7%、親の精神疾患8.2%、被虐待22.8%、養育放棄4.6%、経済的理由8.1%、児童に問題3.7%、その他7.9%となります。棄児や養育拒否も結果論としては虐待ですが、その時点では虐待の事実がないので、措置理由としては分類されます。従いまして、措置理由としては、被虐待22.8%です。福祉施設に入所後、生活を通して、子どもの身体の痣を発見したり、子どもがさりげなく過去の話をしたりする中で、虐待の事実が明白になってくることが多く、平成20年の調査結果では、53.4%でした。

イントロダクションとは、ドラマの導入部ですが、その導入部に誤りがあります。日本テレビ、そして、スポンサーのみなさんの誰一人として、この誤りに気づかず承認印を押印したのだろうか。それが事実ならば組織のチェック能力を疑わざるを得ないと言えます。

もし、「明日、ママがいない」公式ホームページのイントロダクションが、次のような文章だったら、どうでしょう。

“今、君の隣にママはいますか?”

物語の舞台は、無認可の児童養護施設
親の愛から見離された少女たちが集まる

児童養護施設
そこは、家庭に事情がある子どもたちが暮らす場所
その数は全国で約600件、生活する児童の数は3万人を超えている
その中には、’虐待’を受けた子どもたちもいる
子どもたちを愛するのは  誰?

子どもを愛せていますか?
子どもの声を聞いていますか?

このドラマは「愛すること」「愛されること」は何かを、
子どもたちの目線で問いかける。

「私たち、誰も知らなかった。
昨日も今日もいたママが、明日にはいなくなるなんて…」

すべての母親に、これから母親になる全ての女性に届ける

21世紀で一番泣けるドラマ

テーマを崩すことなく、それでいて真実をゆがめていません。視聴者も「家庭に事情がある子どもたち」と言う表現から、社会の問題として認識しやすいと思います。
また、「子どもたちを愛するのは  誰?」と問いかけることによって、テーマがよりくっきりと浮かび上がってきます。
ドラマの内容は賛否両論ありますが、第1話を除いて第2話以降は、教示を含んだ内容でありメッセージ性があります。だからこそ、第1話の退廃的内容が惜しまれるのです。
公式ホームページの掲示板を覗いてみると、ドラマのメッセージが伝わっている視聴者の存在があり、ドラマ放映は、社会に良い影響をもたらしている一面があることも確かです。
繰り返しますが、だからこそ、公式ホームページのイントロダクションは、視聴者が児童養護施設を正しく認識できるように修正する必要があるのです。

明日、ママがいない 第1話における触法表現

日本民間放送連盟放送基準
2、個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。
6、法令を尊重し、その執行を妨げる言動を是認するような取り扱いはしない。

警察署の前で、施設長が直接、親から、ドンキを引き受けるシーン

児童福祉法
第二十七条 都道府県は、前条第一項第一号の規定による報告又は少年法第十八条第二項の規定による送致のあつた児童につき、次の各号のいずれかの措置を採らなければならない。
三 児童を里親に委託し、又は乳児院、児童養護施設、知的障害児施設、知的障害児通園施設、盲ろうあ児施設、肢体不自由児施設、重症心身障害児施設、情緒障害児短期治療施設若しくは児童自立支援施設に入所させること。

つまり、児童の措置については、都道府県、実際は、児童相談所が担っています。児童相談所を通さず、直接、児童福祉施設と保護者がやりとりすることはありません。

児童相談所運営指針 厚生労働省

里親さんが、ラーメン店で子どもを働かせているシーン

労働基準法
第六章 年少者
(最低年齢)
第五十六条  使用者は、児童が満十五歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない。
2  前項の規定にかかわらず、別表第一第一号から第五号までに掲げる事業以外の事業に係る職業で、児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。
(年少者の証明書)
第五十七条  使用者は、満十八才に満たない者について、その年齢を証明する戸籍証明書を事業場に備え付けなければならない。
2  使用者は、前条第二項の規定によつて使用する児童については、修学に差し支えないことを証明する学校長の証明書及び親権者又は後見人の同意書を事業場に備え付けなければならない。
第百十八条  第六条、第五十六条、第六十三条又は第六十四条の二の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
児童福祉法
2 児童養護施設、知的障害児施設、知的障害児通園施設、盲ろうあ児施設、肢体不自由児施設又は児童自立支援施設においては、それぞれ第四十一条から第四十三条の三まで及び第四十四条に規定する目的に反して、入所した児童を酷使してはならない。

実子が親が営む個人営業のお店のお手伝いをしている状況とは、明らかに差異があります。学校教育の中で社会体験学習と言う形で、小学生等が、仕事を体験することもありますが、その状況とも違います。ドラマ内容から察するに、ラーメン店での手伝いを強いている状況であり、法令遵守しているとは考えられません。

ドラマ「明日、ママがいない」の中での児童処遇

児童福祉法
第一条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
(虐待等の禁止)
第九条の二  児童福祉施設の職員は、入所中の児童に対し、法第三十三条の十 各号に掲げる行為その他当該児童の心身に有害な影響を与える行為をしてはならない。
(懲戒に係る権限の濫用禁止)
第九条の三  児童福祉施設の長は、入所中の児童等(法第三十三条の七 に規定する児童等をいう。以下この条において同じ。)に対し法第四十七条第一項 本文の規定により親権を行う場合であつて懲戒するとき又は同条第三項 の規定により懲戒に関しその児童等の福祉のために必要な措置を採るときは、身体的苦痛を与え、人格を辱める等その権限を濫用してはならない。

ドラマの児童処遇場面は、完全に児童福祉法違反です。無法領域の世界観を表現することも「表現の自由」として認められるとは思いますが、日本には存在しない無認可の児童福祉施設等、その世界観を表す説明をテロップ等で視聴者に伝えることを怠っていることになります。

里親候補の個人情報を子どもたちに直接見せているシーン

(秘密保持等)
第十四条の二  児童福祉施設の職員は、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らしてはならない。
2  児童福祉施設は、職員であつた者が、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らすことがないよう、必要な措置を講じなければならない。

いわゆる守秘義務違反です。
第1話以降のドラマ中で児童相談所職員が、子どもに里親さんの情報や、他の子どもの家庭事情を話すシーンがありますが、この場合、罰則規定があります。

児童福祉法 第六十一条  児童相談所において、相談、調査及び判定に従事した者が、正当の理由なく、その職務上取り扱つたことについて知得した人の秘密を漏らしたときは、これを一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

日本テレビ個人情報保護基本方針

四.個人情報の取り扱いについて
1.個人情報の取得、利用、提供その他の個人情報の取り扱いは、あらかじめ明示した利用目的の範囲内で行うとともに、下記の場合を除いては、原則的にお客様の承諾無しに第三者へ開示・提供することはありません。
(1)法令に基づく場合
(2)本人又は第三者の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合
(3)公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合
(4)国、地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合

個人情報の取扱について、日本テレビは、明示していますが、ドラマの中とは言え、個人情報の取り扱いを軽視したシーンを認めていることになります。それは、児童福祉施設の中には、個人情報を不適切に取り扱っている所もあると推察し脚色したのだろうと邪推してしまいます。

ロッカーは、職員兼調理員と言う設定ですが

児童福祉施設の設備及び運営に関する基準
(児童福祉施設における職員の一般的要件)
第七条  児童福祉施設に入所している者の保護に従事する職員は、健全な心身を有し、豊かな人間性と倫理観を備え、児童福祉事業に熱意のある者であつて、できる限り児童福祉事業の理論及び実際について訓練を受けた者でなければならない。
(養護)
第四十四条  児童養護施設における養護は、児童に対して安定した生活環境を整えるとともに、生活指導、学習指導、職業指導及び家庭環境の調整を行いつつ児童を養育することにより、児童の心身の健やかな成長とその自立を支援することを目的として行わなければならない。

キャラクター設定が、法令要件を満たしているとは考えられません。

登場人物ロッカーの役柄は、職員となっていますが、ドラマではなく現実の職員さんたちは、どんな仕事をしているのでしょう。その業務内容については、当サイトのコンテンツを読んでもらえばわかりますが、ここでは、簡単に記しましょう。
コガモの家のような運営の仕方を、現代風に表現すると小規模グループケアと言うことになります。第二次世界大戦前には、コテージシステムとして実践を始めた児童養護施設もあります。日本では、小舎制と訳されました。児童自立支援施設(旧教護院)も、小舎夫婦制と小舎交代制を採用し実践しています。
さて、朝6時、まずは朝食とお弁当作りからスタートです。1軒の家に6名~8名の子どもたちが暮らしています。小学校は給食がありますが、幼稚園児・中学生・高校生にはお弁当が必要です。更に、通学距離の遠い高校生や部活で朝練がある場合は、早めに登校します。ですから、朝食もお弁当も大急ぎで準備しなければいけませんので大変です。6時半過ぎ頃から、子どもたちを起こします。声かけしたりカーテンを開けたり、その間に洗濯機を回しています。小学生以上が一通り起床したら、小さい子たちを起こして、お着替えしたりします。朝食を済ませ、歯磨きの声かけをしたり、登校準備を確認したり子どもたち全員に気を配ります。子どもたちの表情、顔色、仕草なども見て、具合が悪くないかのチェックも怠りません。小学生以上が登校したら、幼稚園への送りをします。一段落したら、食器洗い、洗濯物干し、掃除機掛けなどを済ませ、そうこうしているうちに、管理棟に行って朝の職員ミーティングに参加します。
夕方からは、幼稚園へ迎えに行ったり、通院する子がいたら連れて行ったり、子どもたちに宿題をやるように声かけしたり、夕食の準備を始めます。小さい子をお風呂に入れたり、ある程度洗濯物が溜まったら洗濯機を回します。夕食は、6時になる日もあれば7時になる日もあり、その日によって変わりますが、可能な限り、みんな揃って食べるように心掛けています。夕食後は、食器の片付けや、洗濯物を畳んだり、小さい子を寝かしたり、高校生が床につくまで、何となく大忙しです。家の中が、落ち着いてから、それから1日の記録と引き継ぎ記録をパソコンに入力し終えて、やっと一日が終わります。
これら、お母さんの役目を担うのは、女性の保育士さんだけではありません。勤務ローテーション上、男性職員が担うこともあります。職員は、お母さんの仕事だけではなく、他にもたくさんの業務がありますが、ここでは省略します。ちなみに、朝の時間働き、子どもたちが学校等に行っている時間を休憩時間として、夕方から働く、勤務形態を私たちは、断続勤務と表現しています。このような勤務形態は、子どもたちと共に過ごすと言う強い意志がなければ受け入れがたい勤務形態ですよね。
ドラマなので、日常生活シーンを省略していることは理解できますが、例えば、ロッカーが一人で入浴しているシーンがありましたが、コカモの家には小さい子もいます。発達段階の基本的信頼関係や基本的生活習慣の取得がとても大切な時期の子どもたちにとってお風呂でのスキンシップは、とても重要であり、職員の動きとしては、小さい子と入浴している方が自然な流れです。
また、小さい子の面倒をポストが見ているシーンがよく見かけられますが、日常生活の中では、もちろん、大きい子が小さい子の面倒を見てくれることもありますが、基本的には、職員の役目です。いくらフィクションと言えども、いくらロッカーのキャラクター設定と言えども、あまりに不自然すぎます。
ロッカーのキャラクター設定が、年長児童や、ボランティアさんであれば、まだ理解できますが、職員と言う設定は、登場人物設定としては、あまりにも稚拙すぎます。

以上、法律や規定と照らし合わせましたが、併せて、児童憲章を完全に無視したドラマ設定は、世界的に見ても異端であり許されざるべきではないでしょう。

児童憲章
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
一すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。

明日、ママがいない 第1話批評

ドラマ自体は、表現の自由であり、フィクションであることは明らかです。ドラマの中では「児童養護施設」と言う表現はなく「グループホーム」と言う架空の場所を設定しています。
テレビ局の宣伝戦略が間違っているのです。「児童養護施設」と言うキーワードを巧に使うことによって、視聴者の興味を引き、有名子役を抜擢することにより反響を呼ぶ戦略。
確かに、成功したようで14%と言う高視聴率でした。
しかし、ドラマの場面設定は、虐待とは、なんぞやのオンパレードです。1時間20分の中に、これほど、虐待的表現を盛り込んだドラマがかつてあったでしょうか。
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト、全てが表現されています。短時間で、これほどの虐待表現を見せられた場合の、精神的な影響をテレビ局は、適切に想定しているのでしょうか。
例えば、学校を舞台に虚飾された設定で展開するドラマがありますが、学校は、全国民が、その通常の状況を認識しており、ドラマが虚構の世界であることを容易に判別できます。
しかし、児童養護施設の場合、殆どの国民は、通常の状況を認識して居らず、ドラマが虚構の舞台であることを判別しづらいのです。特に、福祉施策という情報を殆ど持ち合わせていない子どもたちは、虚構の世界と現実の世界を判別できず、誤解曲解に陥ってしまう可能性が大いにあります。
経済的設定も曖昧すぎます。まず、このドラマの場面設定では、確実に国や自治体の認可を受けることはありません。職員配置、部屋割り等は最低基準を満たしておらず、建物も老朽化が激しく耐震強度が満たされているとは考えにくい状況です。つまり、措置費(補助金)を受けられない状況で、子どもたちの生活費や学費、職員の人件費、建物の維持管理費を、どこから調達しているのだろうか。いくら、フィクションのドラマであろうと、ある程度、根拠のある場面設定にしなければ、矛盾だらけのドラマ展開になっていくのではないかと危惧します。
子役たちの演技力は素晴らしく、特に芦田愛菜の演技は、最初は、大げさな演技表現に感じましたが、ドラマが進んでいく内に、その表現に一貫性を感じ、後半での川の堤防での鬼気迫る演技は、涙を誘いました。施設長役の三上博史は、個性派俳優で、その演技力には定評があり、ドラマ序盤の魔王的態度がドラマ後半に意味を成していく表現が出来る俳優さんでしょう。従いまして、フィクションドラマとしては、十分に社会に影響を与える構成になっていくことは容易に想像できます。
それほどの影響力を与えそうなドラマだからこそ、テレビ局は、その宣伝戦略に慎重になるべきであったと警鐘を鳴らしているのです。
子どもたちは、大人たちに見守られながら成長していきます。それが、人間社会でしょう。確かに多くの動物たちは、僅かの期間しか親のサポートはなく、自立していきます。このドラマでは、幼い子どもたちに、精神的自立を図り、強く生きて行きなさいとのメッセージ性が見受けられます。自分で生きていくためには、支援者である里親さんを利用しなさいと言わんばかりのシーンもあります。まるで、国や自治体が推進している社会的養護と言う考え方に反旗を翻しているかのような印象を受けてしまいます。
コンセプトとして「子どもたちの視点から“愛情とは何か”ということを描く」と日本テレビはコメントしているようです。第1話で不幸のどん底を描き、そこから、愛情とは何かに気づいていくドラマ展開は、確かに演出としては常道で、視聴率を稼ぐ手法であり、経営手腕としては評価できます。しかし、子どもたちのニックネームの付け方など、影響力のあるドラマであるからこそ、最大限に配慮すべきであったと考えます。
ドラマの内容自体は、賛否両論があり、私としては、否定でもなく肯定でもない立場ですが、テレビ局の宣伝戦略は改めるべきであると思っています。キーワード「児童養護施設」を撤回し、ニックネームにしても、「やっぱり、名前で呼び合おうよ」とに切り替える決断が求められます。確かに、「親からもらった名前は捨てる」と言う、登場人物の設定が崩れてしまいますが、戦略的撤退も必要ではないかと思います。

「明日、ママがいない」と施設内虐待

2000年代、新聞記事になった児童養護施設だけでも67施設あります。もちろん、潜在的な施設内虐待もあると推測できますので、もっと高い数字になると考えられます。
2006年に、新聞記事になった児童養護施設が16件と例年になく多く、これは、2005年(平成17年)の児童福祉法改正により、マスコミが児童養護施設を注目していたのだろうと推測できます。
施設内虐待が表面化した事実を受け、2008(平成20年)の児童福祉法改正で、被措置児童虐待の通報制度が設けられ、虐待を発見した者や、虐待を受けた児童は、児童相談所等に通報又は届出できるようになりました。
しかし、数字的には、2000年代だけで、全体の約11%の児童養護施設で、施設内虐待が行われていたことになります。(露呈した数字であり、実際は…?)
児童養護施設における施設内虐待の代表的事例としてあげられるのが、恩寵園事件ですが、これは、1990年代の事件です。
2000年に、新聞記事になった児童養護施設が11件と多いのは、恩寵園関係者が1999年-2000年にかけて逮捕された影響により、マスコミが児童養護施設を注目していたのだろうと推測できます。
恩寵園事件 Wikipedia

 施設内虐待には、3つの要素があります。
1.職員が子どもに対して行う場合
2.子ども同士の場合
3.子どもが職員に行う場合

ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者で、特に放映継続肯定の方の一部の意見として、1.職員が子どもに対して行う場合が、新聞でも取りざたされており、事実に基づいた脚色もあり、児童養護施設側が番組内容の改変を求めるのは、如何なものかとの指摘があります。確かに、平成25年度も新聞に取り上げられた事案が発生しており、児童養護施設側は、ご意見を真摯に受け止めるべきでしょう。
では、児童養護施設では、施設内虐待防止に向けて、なにも取り組んでいないのか。否です。様々な取り組みを行っています。

・子どもが児童相談所児童福祉司に直接、相談することができる。…児童福祉法に明記されています。

児童福祉法 第三十三条の十二3 被措置児童等は、被措置児童等虐待を受けたときは、その旨を児童相談所、都道府県の行政機関又は都道府県児童福祉審議会に届け出ることができる。

被措置児童等虐待対応ガイドライン~都道府県・児童相談所設置市向け~
平成21年度における被措置児童等虐待届出等制度の実施状況
平成22年度における被措置児童等虐待届出等制度の実施状況
平成23年度における被措置児童等虐待届出等制度の実施状況
・保育実習生やボランティア(家庭教師等)など外部の人を生活場面に受け入れる。
・要望解決第三者委員会と要望受付窓口の設置。…制度的に義務づけられています。
・外部機関による第三者評価の受審。(受審しない年度は、福祉サービス自己評価の実施)…制度的に義務づけられています。
・各種外部研修会への参加。(人材育成)
・施設内研修の実施。(人材育成と勉強会)
・主任配置。(リーダーによるチェック機能)
・業務内容打合せ。(職員相互間におけるチェック機能)
・施設長と主任クラスによる運営会議。(施設長によるチェック機能)
・その他、各児童養護施設による独自の取り組み

特に、児童福祉法に明記されている、あるいは、制度的に義務づけられている事柄については、全ての児童養護施設が取り組んでいることになります。
確かに、調査実施状況も公開されており、施設内虐待の件数が明記されています。つまり、施設内虐待は現実の出来事として存在します。だからといって、ドラマ「明日、ママがいない」で表現されている施設内虐待を容認すべきだとの暴論を受け入れることは出来ません。
施設内虐待は、起こってはいけないことです。目を背けたり、知らないふりをすることは、もっての外です。しかし、各自治体が現実を直視し、改善に向けて真摯に取り組んでいることも紛れもない事実です。

ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者で、そこまで掘り下げて児童養護施設を理解し、ドラマは虚構の世界であって、現実にはあり得ない世界だと考える人は、少数派でしょう。裏を返せば、それだけ児童養護施設の認知度は低く、それは、児童養護施設が生活施設であり、児童養護施設を啓発することは、そこで生活している児童のプライバシー環境を暴露することに繋がることを警戒しているためでもあります。
児童養護施設を世の中の人々に認知してもらうことに重きを置くか、児童のプライバシー保護に重きを置くか、選択すべきは後者であると考えますが、如何でしょうか。
ドラマ「明日、ママがいない」の第1話は、施設内虐待の巣窟の雰囲気を醸し出していましたが、現実の日本社会で行われている施設内虐待防止に対する取り組みが、脚本に組み込まれていき、施設内虐待が改善されていく展開になるのか疑問です。
ドラマの中では、施設長自身が施設内虐待の当事者で児童相談所の職員は、その状況を認知している設定ですが、フィクションと言えども、実在する「児童養護施設」での出来事であるかのような表現は、表現の自由を逸脱していると言えます。
表現の自由という後ろ盾で、他者を侵害する行為は、「ペンの暴力」に繋がるのではないでしょうか。

参考…STOP!児童養護施設内虐待:児童養護施設の新聞記事

児童福祉法
第七節 被措置児童等虐待の防止等
第三十三条の十  この法律で、被措置児童等虐待とは、小規模住居型児童養育事業に従事する者、里親若しくはその同居人、乳児院、児童養護施設、障害児入所施設、情緒障害児短期治療施設若しくは児童自立支援施設の長、その職員その他の従業者、指定医療機関の管理者その他の従業者、第十二条の四に規定する児童を一時保護する施設を設けている児童相談所の所長、当該施設の職員その他の従業者又は第三十三条第一項若しくは第二項の委託を受けて児童に一時保護を加える業務に従事する者(以下「施設職員等」と総称する。)が、委託された児童、入所する児童又は一時保護を加え、若しくは加えることを委託された児童(以下「被措置児童等」という。)について行う次に掲げる行為をいう。
一  被措置児童等の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
二  被措置児童等にわいせつな行為をすること又は被措置児童等をしてわいせつな行為をさせること。
三  被措置児童等の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、同居人若しくは生活を共にする他の児童による前二号又は次号に掲げる行為の放置その他の施設職員等としての養育又は業務を著しく怠ること。
四  被措置児童等に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の被措置児童等に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
第三十三条の十一  施設職員等は、被措置児童等虐待その他被措置児童等の心身に有害な影響を及ぼす行為をしてはならない。
第三十三条の十二  被措置児童等虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを都道府県の設置する福祉事務所、児童相談所、第三十三条の十四第一項若しくは第二項に規定する措置を講ずる権限を有する都道府県の行政機関(以下この節において「都道府県の行政機関」という。)、都道府県児童福祉審議会若しくは市町村又は児童委員を介して、都道府県の設置する福祉事務所、児童相談所、都道府県の行政機関、都道府県児童福祉審議会若しくは市町村に通告しなければならない。
2  被措置児童等虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、当該被措置児童等虐待を受けたと思われる児童が、児童虐待の防止等に関する法律第二条 に規定する児童虐待を受けたと思われる児童にも該当する場合において、前項の規定による通告をしたときは、同法第六条第一項 の規定による通告をすることを要しない。
3  被措置児童等は、被措置児童等虐待を受けたときは、その旨を児童相談所、都道府県の行政機関又は都道府県児童福祉審議会に届け出ることができる。
4  刑法 の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告(虚偽であるもの及び過失によるものを除く。次項において同じ。)をすることを妨げるものと解釈してはならない。
5  施設職員等は、第一項の規定による通告をしたことを理由として、解雇その他不利益な取扱いを受けない

児童福祉法では、施設内虐待に関して罰則規定が設けられていないため、実際に施設内虐待が発覚した場合は、刑法他の法律が適用されることになります。しかし、児童養護施設が組織的に施設内虐待の事実を隠蔽していたり、子どもたちを規則でがんじがらめにしていたり、子どもたちに恐怖感を植え付けるような指導をしていたり、児童権利ノートを配付していなかったり等があれば、事実の発覚が遅れる場合もあるでしょう。現実的に、昨今まで事件として報道されている事実がありますので、約600ヶ所の児童養護施設、全てで絶対施設内虐待は行われていないと断言できないことは悲しいことです。

明日、ママがいない」と「守るべき存在」

もし、このドラマが、それほど話題になっていなかったら、新聞の番組表を見て「明日、ママがいない」を番組欄から見つけて、チャンネルを合わせる視聴者が、どれほどいたのだろうか。テレビ朝日の報道ステーション、TBSの水曜プレミアなど、同時間帯の対抗番組を押しのける魅力があるドラマなのでしょうか。
それでも、どんなドラマなんだろうと、様子見的にチャンネルを回す視聴者もいるでしょう。ところが、内容はともかく、登場人物が子どもたち中心になっているため、「子ども向けのドラマか」と迷わず、報道ステーションに戻る。仕事から帰宅したビジネスマンが、ビールでも飲みながら、ちょっと、テレビをつけるパターンの光景です。
ところが、今回は、インターネット上や新聞、テレビニュース等で取り上げられ、「明日、ママがいない」と言う題名が、クローズアップされ、普段は、それほど、テレビドラマに興味を示さない人でも、「観てみようか」とチャンネルを回した人も数多くいることでしょう。
このドラマは、子役を中心に展開していますが、その子役たちは、みんな魅力的なキャラクターです。ところが、芦田愛菜さんに対して、一般視聴者、芸能人がその演技を絶賛しています。確かに、素晴らしい演技力と感心しますが、その演技は、舞台や映画向きの演技で、連続テレビドラマ向けの演技としては違和感があります。そのため、しばらく観ていると、疲れてきます。 鈴木梨央さんをはじめ、その他の子役の演技は、とても自然で、観ていて疲れないし、じわじわと、そのキャラクターに惹かれていきます。つまり、そのようなキャラクターがいるからこそ、芦田愛菜さんの演技が際立っていると見えるのでしょう。 完成された天才的演技の芦田愛菜さんか、自然な演技で感情面を表出させる演技の鈴木梨央さんか、どちらが、魅力的な絶賛に値する演技なのかは、評価が分かれるところだと思いますが、マスコミやインターネット上は、芦田愛菜さん寄りの偏った評価になっているように感じるのは、私だけでしょうか。
インターネット上では、様々な主張が飛び交っています。実に素晴らしいことです。しかし、その主張に反する側を非難したり完全否定する行為は、成熟した大人の所作ではないでしょう。相手の主張にも耳を傾け、理解を示す努力も必要ではないかと考えますし、子どもたちに、そのような教訓を示している大人も多いことでしょう。
Twitterや掲示板上で、一方的に相手を否定する書き込みを見かけます。時には、それが誹謗中傷的な文言になっている場合もあります。それらの行為は、時には「荒し」と表現されることもあります。私たちは、紛争を求めているのか、より良い解決策を求めているのか、願わくば、後者であり、インターネット上の人々も、理性的に主張を討論していただきたいと願います。
慈恵病院全国児童養護施設協議会も、主張に一貫性はあるものの、大人の対応として、相手の立場も考慮した主張へと変化しています。大切な事は、「誰(何)を守りたいのか」の一点に尽きます。テレビ局や視聴者は、「表現の自由を制限される危機感」、慈恵病院や全国児童養護施設協議会は、「子どもたち」、守りたい対象が明らかに違うため、その主張は平行線をたどります。そのような場合、双方が納得できる妥協点を探しだし、解決策を導きだしていく作業が必要です。
明日、ママがいない」のドラマでは、まず、「児童養護施設」と言うキーワードを前面に出し、また、有名子役の配役で話題性を作り、第1話の視聴率を得、第1話のショッキングな内容で、更に視聴者の興味をドラマに向けて、第2話の視聴率を得て、第3話は、多分、脚本を一部修正し非難をかわし、慈恵病院や全国児童養護施設協議会の要望について作品内容を検討すると柔軟な姿勢に転化することで、視聴者は、「ドラマ内容の変化に興味を持ち」第4話の視聴率へと繋げていきます。そして、隠し球であろう、双子の兄弟、ハンとリュウのエピソードで、もう一度波乱を起こし、最終話である第9話まで視聴率を繋げていく戦略が見え隠れしています。
守るべき対象は何なのか、「社会として見守るべき子どもたち」なのか「視聴率や視聴者の欲求」なのか。もう一度、再考しても良い時期なのではないでしょうか。
2010年末頃から始まったタイガーマスク現象により、一般市民が興味を示し「児童養護施設」と言う名称は、その認知度を高めました。しかし、残念なことに、児童養護施設の存在意義については、一般市民の認知が拡がりませんでした。テレビドラマでは、相変わらず、「児童養護施設で育った」=「不幸な生い立ちでトラウマを抱えている」の路線であり、ニュース報道では、「ご招待、ご寄付、ご寄贈」の話題が殆どです。この様な情報のみを目にする一般市民の方に「社会的養護の取り組みを理解して欲しい」と訴えても空回りするだけでしょう。
また、私たちの知識に最も影響を与えたのは学校教育と思いますが、その学校教育で、児童養護施設の知識を得ることは殆どありませんでした。つまり、「児童養護施設とはなんぞや」の問いに答えることができない状況は当然なのです。
そして、「明日、ママがいない」の反響です。インターネット上で話題が飛び交っているのは周知の事実ですが、酒の肴に酒場で話題が飛び交ったり、きっと、ご家庭内でも話題の一つとして取り上げられていることでしょう。
しかし、それは、ドラマに対する話題であり、児童養護施設を理解するためのものではないかも知れません。もちろん、これを機会に、児童養護施設について学ぼうとしている一般市民の方も数多くいます。それは、児童養護施設のホームページへのアクセス数が、ここ最近増えていることが物語っています。児童養護施設へのボランティア活動、ご寄付、ご寄贈等の問い合わせが増えていることも現象として挙げられます。
これらは、児童福祉啓発にとって、良い効果をもたらしていると言えますが、この期を逃さず、厚生労働省が推進している社会的養護の取り組みについて、各行政機関も、一般市民への啓発を推進していく努力が必要でしょう。
児童養護施設は、日本全国の子どもたち全員が、対象児童となり得る場所です。現在、児童養護施設にいる子どもたち全員が、ここに来る前は、まさか、自分が、児童養護施設に行くとは誰一人思っていませんでした。「ある日、急に大人の都合で、ここに来た。」と言うのが子どもたちの視線から見た現実です。
私たちは、そのような子どもたちを社会全体として見守っていくことが大切です。
明日、ママがいない」の一連の騒動を通して見えてきたのは、「守るべき存在は誰(何)なのか」と言うことではないでしょうか。

明日、ママがいない」ドラマ制作者に向けて

日本テレビは「倫理問題を含め、総合的な観点で放送前に社内で議論した。最後まで放送を見てほしい」とコメントしていますが、

1.ターゲットとしている年齢層は、どの年代なのか?
2.テレビの影響を受けやすい子どもたちへの配慮は考慮しているのか?

この2点について、考察を試みました。
昨今のテレビ番組は、報道関連系の番組やバラエティ系の番組が目立ち、ドラマ系の番組が目立ちにくくなっていると言えます。これは、若者のテレビ離れが顕著に表れ、テレビの影響力が低下している現状から、何とか、テレビの電源を入れてもらおうとの苦肉の策ではないかと推測できます。番組内容について、少しぐらい批判されようとも、まずは、テレビの電源を入れてもらうことが重要なのでしょう。若者にとっては、テレビより、スマートフォンや携帯電話、携帯ゲーム機等、魅力的なコンテンツを提供している端末が、身近にあり、テレビを視聴していても携帯端末を操作しているなど、明らかに、テレビより携帯端末の方が影響力が大きいことを顕著に表しています。
ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者ターゲットがどの年代なのか、「最後まで放送を見てほしい」のコメントでは全く掴めません。社会全般、子育て世代、子どもたち、親子、どの層に照準を合わせ、何を伝えようとしているのかが不鮮明なのです。つまり、単に娯楽性追求のドラマなのか、社会に一石投じようとしているドラマなのかすら不鮮明です。番組ホームページのイントロダクションでは、「すべての母親に、これから母親になる全ての女性に届ける」とありますので、母親たちに「愛すること」「愛されること」とは何かを問いかけていることは、察せます。放映時間帯も、ターゲット年齢層が、落ち着いてテレビの前に座れる時間となっています。しかし、第1話から第3話までの内容は、ターゲットとしている層に対して否定的、逆説的な表現が多発し、それを反面教師として受け入れられている視聴者は、どの程度いらっしゃるのでしょうか。インターネットを利用し、自分の意見を書き込まれる視聴者は、限られているとは思いますが、ターゲット層の書き込みは、それほど多くないような印象で、ターゲット層以外の書き込みが目立ちます。そして、そのターゲット層以外の人たちの主張で目立つのは「表現の自由への介入は止めるべきだ」と言うことです。テレビ局がドラマを通して訴えようとしていることと、視聴者の反応に隔たりがあるように感じます。つまり、テレビ視聴の効用感に対する現状認識が甘いと言うことに繋がります。視聴者の意見は、大別すると肯定的な評価と否定的な評価に分かれます。日本テレビの姿勢は、この内、否定的な評価を軽視している状況でした。「最後まで放送を見てほしい」は、もっともらしいコメントですが、1話完結のドラマであれば、その言葉も頷けます。しかし、連続テレビドラマです。第1話から第9話まで、連続して視聴する人が、どれほどいることでしょう。それは、視聴率の変化で察しがつきます。「最後まで放送を見てほしい」と言うコメントには、説得力がなく、視聴者の反応を楽観的に捉えている表れではないかと疑わざるを得ません。
ドラマ「明日、ママがいない」は、少なくとも視聴率15%が表すとおり、多くの視聴者に影響を与えたと言えます。その中には、子どもたちもいます。子どもたちほどテレビの影響を受けやすいことは、周知の事実と思いますが、それは、興味を持ったことに対して模倣しようとする習性も考慮しなければいけません。「施設内虐待は実際に事件として発覚しているのだから、それをドラマ内容から排除するのはナンセンスだ」「ドラマで見た暴力的な言動などを子どもたちが模倣しても深刻な問題ではない」「暴力場面を見ることは、その(-)要因よりストレス発散の効果が大きい」「暴力的な言動のシーンなどは、一緒に見ている大人が、補足説明などすれば、家族の会話に繋がっていく」などの主張がありますが、子どもと大人が一緒の空間でテレビドラマを観ているという前提条件があるように感じます。ところが、現実は、どうでしょうか。子どもが、リビングでテレビを見ているとき、横に親が座っている確率は、どれほどでしょう。何よりも、放映時間帯の要因で、録画を翌日の日中に子どもが一人で見ている確率の方が高いと推察できます。親は共働きで日中、自宅に不在の状況が、現代社会では、よくある光景ではないでしょうか。
従って、ドラマ「明日、ママがいない」を見た子どもたちの多くが、大人というフィルター無しで、その内容をストレートに受け止めた可能性があります。子どもたちの成長を見守るのが社会の役目と認識していますが、果たして、そのような観点から、ドラマ「明日、ママがいない」の番組内容は、推奨ドラマとして成立するのでしょうか。録画機器の普及、インターネット環境の充実が、現代社会の状況なので、「見なければ良い」「見せなければ良い」との主張が空論になることは周知の事実です。
第1話は別として、第2話や第3話は、明らかに子ども向けの番組内容の様相を呈しています。放送業界でも、特に子ども向けの番組に関しては、性や暴力の表現については、細心の注意を払う必要性を認識しているでしょうし、影響があろうと無かろうと、視聴者が不快に感じる内容は放送を自粛するとの暗黙の了解があると信じていましたが、今回の、日本テレビの対応は、それらを見事に裏切り、話題性の取得に特化した対応になっていることは残念です。
マスコミュニケーションの主流がテレビ・ラジオ・新聞から、インターネットコンテンツに取って代わりつつある現代において、テレビドラマで納得のいく視聴率を得るためには、相当のアイデアと話題性など企業努力が求められます。また、数十年を要して勝ち得た「表現の自由」の牙城を切り崩されることも避けなければいけません。
しかし、それが、子どもも視聴するドラマにおける暴力描写や性表現を肯定する理由にはなり得ないと思います。「表現の自由」には、社会に対しての影響責任が伴うことを再認識することが求められます。

参考文書:いま、ドラマ・バラエティ制作者666人は

明日、ママがいない 心理的虐待の正当化

下記の記事は、日本テレビと同系列の読売新聞の記事ですが、この記事を、ぜひ、「明日、ママがいない」脚本家の松田沙也さんに読んでいただきたい。

増える児童虐待、目立つ「面前DV」…心の傷に 読売新聞 2014年3月6日
増え続ける児童虐待の中でも、「心理的虐待」が深刻さを増している。警察が児童相談所に通告した子供のうち、この分類の統計を取り始めた2006年は168人だったが、昨年はその70倍以上になった。
心理的虐待は、「生まれてこなければ良かった」などと子供に心ない言葉をぶつけたり、怖がらせたりする行為。児童虐待防止法で虐待の一形態として明確に規定されている。その急増の背景には、「面前DV」が目立ってきたことも大きい。子供に対する直接的な言動でなくても、配偶者への暴力を見せただけで、子供の心を傷つけるという考え方だ。
心理的虐待の急増について、厚生労働省の担当者は、「子供に暴言を吐く行為が虐待にあたることを認識していない親もいる」と分析する。親が過大な要求を子供にして、子供が思った通りに行動しないことに不満を募らせ、「ストレスのはけ口として、心ない言葉で子供に心理的なダメージを与えているケースもある」と指摘する。

「心理的虐待は、…子供に心ない言葉をぶつけたり、怖がらせたりする行為。」

ドラマ「明日、ママがいない」の第1話を彷彿とさせる記事です。ドラマの施設長さんは、実は、とても深い愛情があり、あれらの行為は、ドラマを最後まで観れば理解できると言う理屈ですが、児童虐待の中には、親の愛情表現がエスカレートし、躾から虐待へと暴走したケースがあることも事実です。
第1話で表現された心理的虐待をドラマの中で、正当化することは、社会に悪影響を及ぼすことになります。「愛情があれば、子どもに暴言を吐いても良いんだ。子どもが大きくなったら、きっと分かってくれる。」的なドラマです。

「心理的虐待の急増について、厚生労働省の担当者は、「子供に暴言を吐く行為が虐待にあたることを認識していない親もいる」と分析する。」

脚本家は、自分の執筆内容が、心理的虐待の表現になることを、実は認識していなかったのではないか。もし、認識していたら、第1話のように徹底的に心理的虐待を表現することは、人として出来ないでしょう。更に、ドラマを最後まで観て貰ったら分かります的なTwitterでの回答は出来なかったでしょう。

「親が過大な要求を子供にして、子供が思った通りに行動しないことに不満を募らせ」

施設長役の舌打ちに表されています。「なぜ、俺の言うことが分からない。なぜ、俺の想いが伝わらない。」、それらの表現に杖を強く突いたり、舌打ちする行為が強調されていますが、児童虐待に至る初期段階を表しています。このドラマの脚本は、それすらも愛情に裏打ちされた行為と正当化しています。
もちろん、児童虐待の背景は、とても、複雑で厚生労働省を始め様々な団体が調査をしたり、多くの専門家が、本を執筆しています。一言では表現できない事案ですが、少なくとも、児童虐待を正当化する理論は存在しないと信じています。

奇しくも、ドラマ「明日、ママがいない」のドラマ上の表現について、系列会社の読売新聞の記事が、指摘している形になっています。ドラマを観る限り、脚本家の松田沙也さんは、「虐待を認識していない親」の側の立場なのでしょう。そして、その立場を貫き通しながら、ドラマは、最終回まで放映されます。

明日、ママがいない 肯定派と否定派

公式ホームページ掲示板や各種掲示板、ブログ、Twitter、Facebook等のSNSへの書き込みを肯定派・中立派・否定派と3つに分類して検証してみます。
そこで、見えてくるのは、見解の方向性の相違です。肯定派は、ドラマ内容に対して、肯定的に捉えていますが、否定派は、ドラマ放映に対する放送局の姿勢に対して否定的に捉えています。
つまり、書き込みの主題が異なるため、見解が交わることがありません。ネット上で討論しても空回りするだけです。そんな中、時には訴えるような文言で、相手側を否定するような書き込みも見られ、それは、互いの精神衛生上、(-)の効果しか生まれないのではないかと憂慮しています。
例えば、公式ホームページの掲示板ですが、放送局が投稿内容を検閲し、放送局に都合の良い投稿だけに絞り込んで公開しているとは言え、ドラマの内容について、実に感受性豊かな書き込みが目立ちますが、これは、別に、「明日、ママがいない」の掲示板だけに表出する現象ではありません。つまり、それほど特別な状況ではないでしょう。
従いまして、これらの書き込みを肯定派に分類するのではなく、これらの書き込み内容を肯定的に捉えている書き込み者を肯定派と捉えました。何故ならば、そのような方が、どちらかと言えば、放送局の姿勢に対して否定的なブログやSNS等へ、感情論的な書き込みをされているのが目立つからです。
書き込み内容の傾向については、否定派のブログやSNSは、何故、否定的なのかの根拠を示しているパターンが多いのですが、そのような場所へのコメント書き込みする肯定派の書き込みには、相手の主張を否定する根拠が示されていない書き込みが残念なことに目立ちます。「良いドラマなのに何故、否定するの」と言うのが大筋の書き込みです。大概の場合、それらの書き込みに対して、否定派のみなさんは、返答に困っている状況が見て取れます。それは、そうでしょうね。文書の一部分だけ抜き取られると、ドラマ内容を否定的に捉えているように見えても、文書の全体像は、放送局の姿勢に対する否定なので、文書の一部分だけを取り上げられても困るわけでしょう。
中立派はどうでしょう。肯定派、否定派の主張に耳を傾け中立の立場にいる人、興味本位で事態の様子を窺っている人、ドラマを娯楽として楽しんでいるだけなので騒動に興味がない人などなど、様々でしょう。
日本は、憲法、

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

で表現の自由が許されています。しかし、ネット上の書き込みに対しては、マナーを守りましょうとのお約束で表現の自由を無制限ではなく、ある程度の制限を課しています。
様々な場所に書き込みする場合、出来れば、感情的にではなく、論理的な書き込みをされるほうが、相手に対して、伝わりやすいと推測できます。また、捨て台詞のような書き込みも良い印象ではありませんので、可能な限り根拠を示しながら書き込みされた方が良いかと思います。

児童養護施設が、他人事ではなく、自分たちにも関係するかも知れないことは、「明日、ママがいない は他人事?」で説明していますが、現実に起こった具体例をご紹介しますので、自分が、その立場だったらと捉えて、読んでみて下さい。共感できますか、それとも、この事例は、当サイト運営者の作文だろうと一蹴しますか。

ご家庭の事情で、児童養護施設にお子さんを預けざるを得なかった保護者のかた、毎月1回確実にお子さんに面会に来られています。この保護者の方が、ドラマ「明日、ママがいない」を観て不安で落ち込んでいますとのご相談があり、対応として、保護者、児童養護施設担当者、児童相談所担当ケースワーカーの三者で話し合いをしたとのことでした。

 「私たちが生きてる内は、今の児童養護施設で子どもたちを育てて貰えると思いますが、もし、私たちが死んだ後、もしかしたら、子どもたちが里親さんに預けられたり、他の児童養護施設に移動したりしないか、心配です。」
「ドラマに出てくるような里親さんに我が子が預けられたらと思うと心配です。」
「ドラマのような児童養護施設に我が子が移動させられることもあるのですか。」
「ドラマのような扱いを子どもたちが受ける児童養護施設もあるのですか。」
「色々思い巡らされ、自分たち亡き後、我が子が不幸になるかも知れないと思うと不安です。」

児童相談所や児童養護施設から十分な説明を受け、ある程度納得した上で、お子さんを児童養護施設に預けている保護者の方でさえ、ドラマ「明日、ママがいない」の舞台設定で、不安に陥ることもあります。
三者面談により、児童相談所や児童養護施設の担当者が、具体例を交えながら、懇切丁寧に説明をして、保護者の不安を払拭することが出来ましたが、この事例は、保護者が相談してくれたので、解決したと言えます。
相談する勇気が持てない保護者の方は、今でも不安がっているかも知れません。
多分、殆どの保護者の方は、ドラマを視聴していないか、視聴していても、ドラマはドラマとして、特に意識することなく視聴しているパターンだとは推測します。

明日、ママがいない 運営費は?

人が生きていくためには経費が掛かります。では、ドラマの状況から、どの程度の経費が掛かるのか模擬的に算出してみます。
このドラマ中のグループホームは、その運営内容から、まず、社会福祉法人の法人格を取得することは不可能です。法人格がなければ、福祉施設として自治体から認可を受けることは出来ません。(NPO法人や一般社団法人等で法人格を取得している可能性はありますね。)
従いまして、国や自治体からの補助金を受けることはありません。運営者の財産取崩や寄附金収入によって、運営していくことになります。
では、実際、1ヶ月どの程度の経費が必要なのか。施設長は、無給で建物は資産、自動車は施設長の自家用車として、最低限の経費を算出してみます。

ロッカーに掛かる人件費(短大卒レベル)
基本給 189,000円
諸手当 40,000円
社会保険 28,000円(事業所負担分)
人件費計 257,000円

生活費・教育費他の子どもに掛かる経費
高校生1名 84,000円(公立高校)
小学生6名 342,000円(公立小学校)
幼児 1名 62,000円(私立幼稚園)
生活費計 488,000円

運営を維持するために掛かる経費
家賃 0円(土地建物に固定資産税が掛かる)
水光熱費 64,000円
通信費 10,000円
事務費 10,000円
事務費計 334,000円

1ヶ月計 829,000円

1ヶ月に必要な最低限の経費額は、829,000円程度と算出されました。
*ロッカーは住み込みのようなので宿直手当あるいは住み込み手当が必要、超過勤務手当も時間数が多いと予測出来ますが、算定には入れていません。
運営者の施設長は、元警察官(公務員)で退職金も含めて、ある程度の蓄えがあるとしても、年間10,000,000円以上掛かる経費負担が可能とは考えられません。
施設長は、実は、大金持ちの家の御曹司で、財産がある。あるいは、資産家が寄附金として必要な金額を支援しているなどのドラマ上の設定が必要ですね。
このドラマは、フィクションなので、もちろん、運営経費などの細かいことを考慮に入れる必要性はないかも知れませんが、「物語の舞台は児童養護施設」と断言しているのであれば、常識的な整合性は考慮に入れるべきでしょう。

明日、ママがいない 小規模グループケアの地域分散化

ドラマに出てくるような小規模グループケアを運営するためには、幾つかの条件をクリアしなければいけません。
しかし、国が、制度的に推進しているのは事実です。
国の方針は、下記の通りです。

「児童養護施設等の小規模化及び家庭的養護の推進のために」より抜粋

「社会的養護の課題と将来像」(平成23年7月とりまとめ)より、
小規模化と施設機能の地域分散化による家庭的養護の推進
・児童養護施設の7割が大舎制で、定員100人を超えるような大規模施設もあることから、家庭的養護の強力な推進が必要である。
・今後は、施設の小規模化と施設機能の地域分散化を進め、
(a)「本体施設のケア単位の小規模化」を進め、本体施設は、全施設を小規模グループケア化(オールユニット化)をしていく。
(b)「本体施設の小規模化」を進め、当面、本体施設は、全施設を定員45人以下にしていく。(45人以下は現在の小規模施設加算の基準)
(c)「施設によるファミリーホームの開設や支援、里親の支援」を推進し、施設機能を地域に分散させ、施設を地域の社会的養護の拠点にしていく。
・将来の児童養護施設の姿は、一施設につき、小規模グループケア6か所までと小規模児童養護施設1か所を持ち、小規模グループケアは本体施設のユニットケア型のほか、できるだけグループホーム型を推進する。また、1施設につき概ね2か所以上のファミリーホームを開設又は支援するとともに、里親支援を行う。

社会的養護の整備量の将来像
・日本の社会的養護は、現在、9割が乳児院や児童養護施設で、1割が里親やファミリーホームであるが、これを、今後、十数年をかけて、
(a)概ね3分の1が、里親及びファミリーホーム
(b)概ね3分の1が、グループホーム
(c)概ね3分の1が、本体施設(児童養護施設は全て小規模ケア)
という姿に変えていく。

と、なっています。

現在本園内にある小規模グループケアを地域に出していくには、多くのハードルが課せられています。
国は、小規模グループケアの地域出しを推進していますが、現状では「絵に描いた餅」の状態です。
その意味を具体的に書き出していきます。

小規模グループケアに関する要綱抜粋

[人数]
小規模なグループによるケア単位の定員は、原則として6人以上8人以下とする。
[設備等]
(1)小規模なグループによるケアは、各ユニットにおいて居室、居間及び食堂等入所している子どもが相互に交流できる場所その他生活に必要な台所、浴室、便所等を有し、かつ、保健衛生及び安全について配慮し、家庭的な雰囲気の中で、担当職員が入所している子どもに対して適切な援助及び生活指導ができること。
(2)入所している子どもの居室の床面積は、1人当たり4.95㎡上(幼児については3.3㎡上)であること。

次の場合には認められないこと。
① 居室がないもの
② 居間・食堂などの交流スペースがないもの
③ 居室・居間(食堂)はあるが、その他生活に必要な台所・浴室・便所が欠けているもの

児童養護施設からの条件

可能な限り、児童養護施設本園小学校校区内が望ましい。(目安として学校から徒歩20分程度圏内)
*本園との連携を容易にするための措置でもあります。
原則として、一居室当たり2人までとすること。
子どもの生活環境として適当である地域性であること。
子どもの安全を考え、耐震基準をクリアしていること。
家主さんと地域住民のご理解が必要。

具体的な設備条件(4LDK+S)

児童居室
6畳( 9.93㎡)2名
6畳( 9.93㎡)2名
9畳(14.90㎡)3名

職員宿直室兼執務室
4畳(6.62㎡)以上

リビングダイニング
9名程度が食卓を囲み+テレビの前にソファーが置ける程度のスペース 23㎡程度?

その他
キッチン、浴室、脱衣所(洗濯機設置)、トイレ、洗濯物干し場(児童7名の洗濯物)、物置(サービスルーム)、駐車スペース

経済面

児童が7名未満の場合、小規模グループケア推進加算等の補助金が出ません。
家賃に対する補助金は、国100,000円、自治体 ?円、計 ?円が限度です。
敷金・礼金・仲介手数料等については、補助金がありません。
*もちろん、生活家電品等の購入も補助金はありません。

自治体との調整

「来月から、本園の2軒が、地域で生活します。」と言うような交渉は不可能です。それは、自治体としても予算編成が絡んでくるからです。
次年度スタートするためには、今年度秋頃の自治体予算編成に間に合わせなければいけません。
しかし、単純に考えて、秋頃に、次年度4月からの借家を確保できるわけがありません。つまり、実質的に実現不可能ですね。
実現する為には、法人が土地と家を財産として入手するしかありません。つまり法人に経済的な余力がないと不可能です。

所感

国の条件、児童養護施設の条件、設備の条件、自治体の予算編成などなど、ハードルが幾重にも重なり、とても面倒です。
そのために、児童養護施設側は、躊躇し、先へ進めないのが現実です。それが、冒頭に記載した「絵に描いた餅」の正体です。

みなさんの、お宅の隣に、グループホームが引っ越してきたら、少なくとも、ドラマ「明日、ママがいない」肯定派のみなさんは、快く受け入れて下さることでしょう。そう、信じています。
ドラマ否定派のみなさんは、児童福祉への理解が根底にあり、日本テレビの放送姿勢に対して否定されているので、多分、理解し協力的に受け入れて下さることでしょう。
国が、推進しているのです。近い将来、あなたの隣人が、グループホームになるかも知れません。これは、現実的な話しです。
しかし、児童養護施設の建設に対して反対運動が起こる地域があることも、現実です。
ぜひ、児童福祉へのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
それでも、あなたは、ドラマ「明日、ママがいない」で表現されている児童養護施設を他人事として観ますか。

明日、ママがいない 1話から7話を終えて

ドラマ「明日、ママがいない」の第1話から第7話を観て、このドラマが社会に提起したい内容は、第6話と第7話に表現されているのだろうと感じました。
第6話は、マスコミや著名人のブログ等で、番組クレーマーへの反論ではないかとの憶測が飛び交っていますが、公共の電波を使って放映しているドラマの中で、殆ど、私的流用とも言える暴挙に日本テレビが出るわけないと推測します。
それよりも、児童養護施設や子どもたちについて無知な社会、人の一部分だけ見て判断してしまいがちな社会、仲間を信じ切ることの出来ない社会への警鐘的な意味合いがあったように感じ取れますし、それらのことを通して、愛すること、愛されることの意味を問いかけていると感じ取れます。施設長さんが子どもたちを前にして話すシーンも、児童養護施設の職員は勿論のこと、学校の教職員など、子どもたちと関わる職業の人たちにとっては、経験のあるシーンでしょう。そのような意味では、至極真面目なドラマに仕上がっていました。
第7話では、児童福祉の専門性が垣間見えるドラマ展開になり、児童心理的な見解も表現され、奥が深い内容になりました。子どもの心の深淵をドンキの演技力が見事に表現し、この子が、どの様に立ち直っていくのか、心の闇を克服していくのか、その動静に視聴者は、引き込まれていることでしょう。
ドラマの構成としては、この第6話以後、つまりドラマ後半に社会への問題提起を浮き彫りにしていくために前半が形作られていったとは推測できますが、それ故に、第1話の不適切な表現が惜しまれます。
多分、ドラマ制作者側としては、施設内虐待や里親さんの登場人物設定がクローズアップされることは、想定外だったと推測されますが、それらも含めて、争点の的になっているのは、結局第1話であると考えられます。
営業的な宣伝戦略としては、視聴率も10%以上をキープしており成功を収めたと言えますが、道義的信用に対しては、CM自粛の影響等を考えると(-)評価が目立ってしまったと言うことになります。
後半のドラマ展開が、秀逸であればあるほど、第1話は、取り返しのつかない失策と映ってしまいます。残念なことです。
「ポスト」等のニックネーム表現や、児童処遇の表現については、慈恵病院や全国児童養護施設協議会が、問題提起していますので、そちらの意見に耳を傾ける必要があると思いますが、今回の争点の根本は、「物語の舞台は児童養護施設」と言う設定であると考えられます。しかし、その部分は、誰もが見て見ぬふりを決め込んでいます。
ドラマの内容は、特に児童養護施設でなければ成立しない訳ではなく、フィクションであれば、完全にフィクションの舞台設定にすれば良かっただけのような気がします。
公式ホームページの掲示板の書き込みを見ても、ドラマ内容に対する感動や、役者さんたちへの想いなどの書き込みが目立ち、児童養護施設への理解や想いへの書き込みは、少数派です。つまり、児童養護施設という舞台にこだわらなくても、視聴者は、感動を得ることが出来ます。何故、「物語の舞台は児童養護施設」と視聴者が誤認するだろう広報活動を展開したのか、その失策も惜しまれます。それほど、第6話以降のドラマ展開は、教示を含んだ良いドラマに仕上がっているからです。
ドラマを通して「児童養護施設」と言う単語が啓発されたことは、紛れもない事実ですが、残念なことに、児童養護施設の中身が啓発されたとは言いがたいのも事実です。当サイトのアクセス状況を分析してみても、「明日、ママがいない」に関するブログ記事について当サイトを訪れた人の多くは、その後、他のサイトへと移動していきます。当サイトのメインコンテンツである、児童養護施設関連記事へ移動する人は残念なことに少数派です。そこから見えるのは、ドラマ「明日、ママがいない」の動向に興味関心があり、児童養護施設に興味関心を示しているわけではないだろうという現実です。
しかし、当サイトのアクセス数は、ドラマ開始前は、200名程度でしたが、現在は、「明日、ママがいない」記事以外への検索による訪問者が約300名となっていますので、児童養護施設に興味関心を持った人々が増加したことも事実です。
ただし、ドラマ視聴によって、児童養護施設について、誤認理解をしている視聴者が増加したことも推測できます。
総合的にみると、ドラマ「明日、ママがいない」が児童福祉にとっては、(+)の要因として作用したのか、(-)の要因として作用したのかは、今後の社会状況を観察しないと判明しないでしょう。

明日、ママがいない 命に関わる影響

ドラマ「明日、ママがいない」が取り上げているテーマは、現実社会では「命」に関わるのです。特に、第8話では「こうのとり」と強調した台詞回しで感動を呼び起こしていますが、言葉の取り扱い方が安易すぎます。
すでに、「こうのとりのゆりかご」を通った人生を送っている子どもたちがいると言う現実を、脚本家は想像できなかったのか。想像できていたら、軽はずみに「こうのとり」を強調できなかったはずです。
もちろん、第8話での「こうのとり」は、童話に出てくる「こうのとり」を取り上げたと推測できますが、慈恵病院への当てつけ的な表現と邪推せざるを得ません。公共の電波を使って、こんなことが許されて良いのだろうか。
ドラマによって、感動を得た視聴者は、感受性が強く、実に素晴らしい人々でしょう。そんな、人々に「実は、ドラマ制作の裏側では視聴率優先のどろどろした大人の事情があるのですよ。」と公表した方が放送局としての真摯な態度ではないだろうか。
標題で「命に関わる影響」と表記したのは、以下の電話を受けたからです。

 2014年3月某日、相談の電話が入る。
「子どもを、そちらに預けることは出来ますか。」
「児童養護施設は、自治体から委託されてお子さんをお預かりしていますので、直接、お引き受けすることは出来ません。児童相談所にご相談ください。」
「昨日、生まれたが、障害があるので、子育てする自信がない。長男がいるが、長男にとっても良い影響を与えるとは思えない。児童相談所に相談すれば、子どもをすぐ引き取って貰えるのか」
「児童相談所では、相談を受けて、家庭の事情等を十分に考慮し解決策を提示してくれます。」
「うちは、夫婦共にいて、経済的にも貧しくないので、多分、自分たちで育てるよう言われると思う。」
「…」
「自分たちで育てられない、育てたくない。そういうときのために、こうのとりのゆりかごが九州にあるのですか」
「…」
「こうのとりのゆりかごを利用しても良いか。利用したいと思っている。」
「私から言えるのは、子どもは、親の愛情の元に育てられるのが理想であると言うことです。」
「…」
「とにかく、悩まれているのであれば、一刻も早く、児童相談所に相談されてください。」
「ありがとう。考えます。」
電話が切れる。
*「こうのとりのゆりかご」と表記していますが、実際の電話では「赤ちゃんポスト」と表現されていました。また、障害名についても聞いていますが記載を控えました。

このような相談が、各種相談機関や児童福祉施設に来ているかも知れません。今回の電話は、時間にして10分間程度あり、もっと込み入った話もありましたが、概略を紹介しています。
重要なことは、「命」に関わる見解の相違を調整することの困難さです。各種相談機関、慈恵病院や児童福祉施設では、このような相談に遭遇したとき、「命」を大切に考えることを誠意を持って説明する努力を怠りません。
それでも、見解の相違が平行線を保ったままで、未解決に終わることも多々あることでしょう。今回の電話も最悪の場合、保護者がお子さんを棄児するに至るかも知れません。もちろん、最善は、お子さんを育てていくことですが、「もともと育てる気はなかった」との想いで子育てされたら、場合によっては良くない結果を招くかも知れません。
ドラマ「明日、ママがいない」は、放送が終了したら、それで終わりと言うことではありません。これから現実社会にジワジワと影響していくことになります。相談業務の現場や福祉の現場が、表現は悪いのですが「尻ぬぐい」していくことになるでしょう。
地域に小規模グループケアを展開していこうとする時、「ドラマみたいな、児童養護施設だったら、何かトラブルを引き起こすかも知れない、うちの地域に来るのは絶対反対です。」と引越や建設に対して反対運動が起こるかも知れません。
「児童養護施設の子どもは、親がいなくて、親がいても虐待されていた、可哀想な境遇なのね。だから、恵んであげなければ」と同情されるかも知れません。つまり、自分たちより不幸な存在と言う一種の選別意識を誘発するかも知れません。
様々な影響が予測出来ます。もちろん、これらの事案は、ドラマが放映される前から起きていることですが、ドラマを通して、一部の人々の負の意識を呼び起こすきっかけになったかも知れない危惧があります。
テレビドラマ制作に当たって、視聴者ひとり一人の人生観について責任を持つことは、不可能であり、その部分を訴追することはナンセンスです。
しかし、慈恵病院や児童養護施設について、一部の視聴者が誤解曲解していることは、「明日、ママがいない」公式掲示板の書き込みで明らかです。これらの誤解曲解を真実の方向へ導いていくことは、日本テレビの責務ではないだろうか。

ドラマ「明日、ママがいない」指摘概略

明日、ママがいない」第1話

「物語の舞台は児童養護施設」と番組説明にもあり、マスコミもそのような表現で紹介しています。
これが、不適切である。ドラマの舞台は、日本には存在しない架空の設定であり、児童養護施設と表現するに値しません。
では、何が不適切なのか、指摘しましょう。

・児童養護施設の職員が、直接、親から子どもを引き取ることはありえない。
・児童養護施設でグループホームと呼ばれている制度はない。(地域小規模児童養護施設の通称として使用されている。)しかし、人員配置から察するに地域小規模児童養護施設でも、分園型自活訓練事業でもない舞台設定である。
・4人部屋の居室、最低基準を満たしているのか疑問である。
・保育士が一人も存在していない設定があり得ない。
・職員が2名で運営していることもあり得ない。その時点で、労働基準法違反である。
・ここまでで、自治体からの認可を受けられないため、措置費(補助金)は出ない。
・子どもを里親宅のラーメン屋さんで働かせているシーンがあるが、労働基準法違反であり、児童相談所が措置を進めることはあり得ない。
・児童相談所職員が、里親さんに脅迫的発言をしているがあり得ない。
・一日の生活を通して、放任状態である。いわゆるネグレクトである。
・日本の児童福祉行政の中で、この様な児童処遇はあり得ない。
・このドラマの職員は、個人事業主的に見えるが、その設定では措置費(補助金)がないので生活費をどの様に工面しているのか疑問。
・里親候補の個人情報を子どもたちに直接見せることはあり得ない。
・子どもたちが自分たちの家庭事情を言い合うことは殆どない。
・職員が、子どもを鼻血がでるほどの強度の平手打ち、施設内虐待である。
・バケツを持って立たせる仕打ちも虐待。
・男子が入っている風呂場で立たされているため性的虐待である。
・里親さんの所から戻ってきた子どもに、「おまえとは関係ない。迷惑だ」と言う職員は絶対いない。
・子どもに出前をさせている里親さん、考えられない。労働基準法違反で逮捕されるぞ。
・児童相談所職員のキャラクター設定が、失礼すぎる。児童相談所の殆どの職員は善良な人たちです。
・子どもを犬呼ばわりしている職員はあり得ない。暴言も虐待の一種である。
・児童相談所の職員が、外で個人情報の書類を渡すなどあり得ない。
・児童相談所も施設職員も通さず、親が直接、子どもに会いに来たシーンはあり得ない。
・小学生の女の子が洗濯しているシーンがあるが、職員の職務怠慢に他ならない。
・最後のシーンもバケツ持ちの罰、虐待シーンで第1話が終わった。

冒頭に書いている通り、児童養護施設と言う単語を宣伝文句として使用していることが許せません。
素直にドラマを見ている視聴者が、児童養護施設は、こんな所なのかと、誤解を招いてしまいます。
児童養護施設で働く職員は、日々、子育てを担っています。ドラマで表現されているような子どもたちへの対応はあり得ません。
子どもたちの人権は何よりも重要であると認識しています。
現在の児童養護施設は、小規模グループケアを推進しており、より家庭的な子育て環境を構築しようと努力しています。
脚本家は、児童養護施設を取材しないで、執筆したとしか考えられません。過度な虚飾ではなく、無知な虚飾です。
児童養護施設の子どもたちと保護者、そこで働く職員、児童相談所等の行政職員、里親のみなさんへの配慮が一切感じられません。

明日、ママがいない」第2話

・第2話は、とりあえず明るい場面で始まった。第1話は、ホラー映画のような演出だった。
・批判を受けているニックネーム使用は継続中。
・BGMにコミカル風味の音源を使用。番組の雰囲気が変化した。
・里親のファイルを子どもたちに公開している。
・子どもを犬に例えて表現するシーンは継続。
・第1話は、ドンキをメーンにドラマが進行したが、第2話は、ポストメインになっている。
・弁当屋の女性を見つめる施設長さんを表現し、施設長さんにも人間らしい部分があることを演出している。
・ポストが、幼い男の子(バチ)の添え寝をしているシーンで「私が守ってあげる」と優しさを見せるなど、バチへの関わりを通して、ポストの優しさを表している。
・児童相談所の児童福祉司に台詞が増えて、第1話のクールさが少し、和らいでいる。
・ロッカーは、児童指導員の役と考えられるが、業務としての児童処遇をしていない。
・里親さんを良心的に描いている。
・ドンキの演技や表情には、キャラクターの心情がにじみ出てくる演技が上手で、ポストの演技を凌駕している印象であり、主役はドンキであるかのようである。
・第2話は、第1話と比較すると全体的に画面構成が明るくなっている。
・児童相談所の児童福祉司が、子どもがいる場所で、里親さんにケース内容を話しているが、いくら、バチが幼いからと言って、あり得ない。
・第2話の雰囲気で、第1話が構成されていたら、こんなに世間を騒がしていなかったかも知れない。そういう意味では、宣伝力の勝利であろう。
・ペット扱いの台詞回しは、継続している。
・第2話は、バチや児童相談所の児童福祉司などのキャラクター設定の説明的要素もあった。
・第1話と第2話で施設長のキャラクター設定にギャップがあり、ポストを通して、施設長も変わっていく様子を垣間見せている。

所感

第2話は、明らかに第1話とは違う雰囲気のドラマ構成であり、ニックネームに関して以外は、デフォルメ的要素もそれ程過度ではなく、子どもたちに見てもらいたいと思えるようなドラマに仕上がっています。
第2話を見せられたら、少なくとも児童養護施設関係者側は、沈静化していくことでしょう。
しかし、第1話は、放映されたのです。放映後も1週間無料配信されています。その影響は、計り知れません。番組ホームページのイントロダクションも間違いを正していません。
話題作りに長けていた日本テレビの思うつぼに視聴者や関係者ははめられたままの状態であることに変わりはありません。
第2話を批評するとすれば、普通のドラマです。

明日、ママがいない」第3話

まず、第2話は、ドラマの質が、午後10時台放映の内容と言うより、午後7時台、午後8時台放映の内容になっているため、午後10時台にドラマを観る人にとっては違和感を感じるのではないだろうか。
従って、予約録画する人はいるとしても、リアルタイムにドラマを観る人は、減少していくことでしょう。実際、関東方面は、視聴率が下がっています。
さて、第3話の視聴率は、どうなるのでしょうね。話題性は、あったとしても、午後10時台のドラマを観ている視聴者の年代には対応していない気がします。つまり、自然の流れで視聴率は下がるのではないかと推測します。
いよいよ、放送が始まります。

・里親さんの情報を、まだ、子どもたちの前で公開している。
・施設長さんのキャラクターを柔らかくしている。杖のつきかたがソフトになっているなど。
・学校のお友達の台詞を通して、コガモの家の子どもたちを肯定的に伝えようとしている。
・家政婦のミタムラなど、ドラマにコミカル風味を出している。施設長さんまでコミカル風味になっている。
・双子のハンとリュウは、カメラアングルに殆ど入らない。何か、思惑があるのか気になるところ。
・子どもの年代には通じない施設長の暴言は、継続している。
・子どもを酒席の場で手伝わせている設定は、児童福祉法違反。番組構成上、本当に必要なのか。
・里親さん本人が不在の里親宅に子どもが泊まることはありえない。
・施設長が、他の子どもの個人情報を話す場面があるが、守秘義務違反である。
・児童相談所の児童福祉司が、第3話では、正しいことを言っている。
・夕食のカレーライス、食べっぱなしで、下膳していない状況。職員さんが、全て片付けるの。

結局、ニュースステーションを見ないで、このドラマを観ているが、話題性がなかったら、迷わずニュースステーションを観ているでしょうね。
ドラマ内容の視聴者層は、明らかに午後10時台ではないでしょう。これで、第9話まで徐々に視聴率は下降していくのではないかと推測します。
ドラマ内容としては、つっこみどころが減少しており、デフォルメ的要素も派手さが軽減し、第2話批評と同様、普通の若い世代向けのドラマです。
繰り返し、述べますが、ホームページのイントロダクションの文言と、第1話については、誤りを認め、訂正及び謝罪すべきだとの見解は変わりません。
「番組を最後まで観てください」の意味は、私の批評が、回を追う毎につまらなくなってきていることでも表れていますが、第1話の宣伝効果的演出を薄めていく効果が見込まれるからでしょうね。

明日、ママがいない」第4話

ここでは、あくまでもドラマ中の不適切な部分を中心にピックアップしていきます。

ドラマ内容チェック ・児童を「あいつ」呼ばわりしている。
・子どもが、大切に掲示しているものを乱暴にはがすなどの横暴な態度を現在の児童養護施設で行ったら、児童相談所(権利ノートに添付されている葉書を使用して)に通報されたりします。
・職員が自分の都合のために子どもたちを連れ出すことは殆どありません。
・ロッカー(児童指導員)は相変わらず調理業務のみの仕事。
・ポスト、ボンビ等のニックネームは使用中。
・施設長が、子どもたちを「おまえ」呼ばわりしている。その場に児童相談所職員がいる。
・他の子どもの生育情報を施設長が子どもに話している。「あいつの親は死んだ」
・児童相談所の職員が、子どもの個人情報を他の子どもに話している。
・施設長が子どもを恫喝するシーンは如何なものか。
・おばさんが投影されるシーンは、すごく感動的なシーンだが、施設長の台詞の中に「がき」と表現されているのが惜しい。
・エンドロールに、児童養護施設監修がいまだに表示されている。ここに名前を挙げられている方は、指摘が改善されずにドラマが放映されたと苦言を呈していた筈だか。

幾つか、気になる点は、あるものの、ドラマとしては、子ども向け、あるいは親子向けのドラマであるように感じます。

明日、ママがいない」第5話

最初の頃は、私の記憶では全10話となっていましたが、いつの頃からか全9話となったドラマ「明日、ママがいない」も、いよいよ第5話となりました。第4話で指摘事項が激減していますが、第5話は、指摘事項が殆どなくなるのではと予測しています。
公式ホームページのイントロダクション文言の間違いについて、日本テレビに既に2回、指摘メールを送信していますが、現時点で回答を得ていません。視聴者の意見に真摯に耳を傾け対応しない日本テレビの姿勢を露呈しています。世論が動いていない1視聴者の意見は、無視するに限るのでしょう。
しかし、公式ホームページの文言の誤りは、きっと、ドラマ終了後も、他のドラマのホームページ同様、しばらくは公開し続けられると思いますが、間違いを正すことなく、長い間、間違いが晒されることになります。
この間違いの影響は、公式掲示板をはじめ、視聴者が、「児童養護施設云々」と言うことで書き込みを行っていると言う実害を生んでいます。児童養護施設が舞台ではないドラマを「物語の舞台は、児童養護施設」と断言していることが、今回の騒動の元凶であることを、なぜ、マスコミや世論は気づかないのでしょうか。不思議です。
さて、そろそろ始まります。

特に指摘に値する内容だけ、ピックアップしていきます。

・子どもを「おまえ」呼ばわりと、里親さんの情報書類を子どもに見せるシーン。
・「ポスト」のニックネーム 11回
・施設長の舌打ち 2回
・子どもの家庭事情を他の子どもに漏らしている。
・パチとのお別れのシーンでパチが何度も「ポスト」と連呼する。(5回)
・児童養護施設監修は、未だにエンドロールで表示してある。

今回は、完全にアニメチックな演出になっていました。高い年齢層の視聴者は、他局へとチャンネルを替えたと推測します。内容的には、予測通り、指摘事項が殆どなくなっていました。「ポスト」と呼ぶ回数、施設長の舌打ちの回数は、確実に減っていました。
謎の双子の兄弟が、初めて前面に映し出され「じゃぁな」と初めて台詞がありました。

明日、ママがいない 第6話

明日、ママがいない 批評まとめ」は、文章が追記されたりしていますので、随分前にチェックされた方は、再チェックしてくださいね。また、ドラマ内容チェックもブログを第1話からコピペでまとめていますので、振り返りの参考に利用してください。
イントロダクションについては、様々なマスコミのメールフォームに投稿したり、Yahoo!ニュース等へのコメント書き込みをしていますが、どこからも反応はありません。公式ホームページは、ネット上に公開されているため、ご承知の通り、世界中の人々が閲覧することができます。その公式ホームページのコンテンツであるイントロダクションに誤認を誘発する文章が掲載されている事実は、日本テレビと言う日本企業の恥をさらしていることに他なりません。なぜ、そのことを誰も指摘しないのか、それも不思議です。これが、無知によるものであればまだしも、宣伝戦略のために、敢えて、誤認を誘発する文章にしているのであれば許しがたいことですね。
公式ホームページの掲示板に試しに肯定でも否定でもない、真面目な文章を投稿しましたが、見事に表示されませんでした。もしかしたら、私は、ブラックリスト入りしたのかも知れませんね。
余談は、これぐらいにします。
さて、第5話は、更に視聴率が低下したようですが、それでも10%以上の高視聴率を保っています。果たして、第6話は、どうなるのでしょう。
そろそろ放送が始まります。今回も、指摘事項をチェックしていきます。殆ど、指摘事項がないような予感はしていますが…。

・ポストと呼ばれる回数 5回
・施設長の舌打ち回数 3回 ただし、舌打ちの理由は理解できる範囲
・すごく、良い感じの始まり方です。児童向けドラマとして。
・施設長が、子どものことを「チビ」と呼んでいる。
・ロッカーの件で警察署へ施設長より早く、第三者の児童相談所職員が行っているのが不自然。
・双子の兄弟「行ってきます」の台詞あったが、殆ど顔が写っていない。
・施設長が、職員の過去を子どもに話している。プライバシー保護違反。
・病室の母親が久しぶりに会った息子の名前を呼ばない。不自然。
・児童養護施設監修は、まだ、エンドロールに流れている。

第6話、殆ど、指摘事項はなかったと言えます。ポストと呼ばれる回数も激減しています。このドラマは、名前を使わずにニックネームで呼び合う設定なので、「ポスト」を使わないようにすることは、ドラマ進行上、難しいでしょうね。
今回の施設長は、とても良い大人で、これまでの役柄から一変しました。子どもたちへの話し方も、実際に現場で、職員が子どもたちに話す雰囲気に似ています。この様なシーンは、児童養護施設の現場では、起こりうるシーンです。
多分、この連続ドラマのクライマックスシーンの一つが今回なのでしょう。

明日、ママがいない 第7話

施設長役の舌打ちについては、ドラマ当初は、あからさまに舌打ちをしていて、印象が悪かったのですが、第6話は、子どもに気づかれないように舌打ちしており、その理由も理解できます。
このドラマは、氏名を使用せず、ニックネームで呼び合う設定になっているので、ドラマ進行上、変更は難しいでしょう。
と言うことで、舌打ちとポストについてのカウントは、なしにしました。
第7話は、安達祐実の登場で視聴率回復を狙っていると予想できますが、果たして、日本テレビの思惑通りになるでしょうか。
そろそろ放送が始まります。今回も、指摘事項や不自然さをチェックしていきます。殆ど、指摘事項がないとは思いますが…。

・ドラマ設定で名前を出さないは継続中。
・全話より双子の兄弟が、はっきりと映るようになっている。
・先生が生徒の名前を呼ばないのは不自然な感じ。
・今回は、コミカル風な作風です。
・施設長と児相職員との会話が専門的な内容になった。
・児相職員の役柄が、適正な感じになった。
・シリアスなシーンもあり、バランスの取れた構成で観やすい。
・子ども不在の状況で、ケースミーティングを行っている。good!
・小学生の子どもに本人の弱点を追求するのは、ちょっと極端すぎる対応。
・児童養護施設監修は、まだ、エンドロールに残っているが、本当に一瞬だけ流れた。

第7話は、親子向けドラマとしては、とても良く出来た作品です。
子どもたちによって、大人たちが変わっていくシナリオが描かれていて好感が持てる内容でした。
今回の一番大きな変化は、一度も誰も「ポスト」と呼ばなかったことでしょう。

明日、ママがいない 第8話

仮に、第6話のような雰囲気で第1話が始まり、過去を回想するシーンの中で、あの第1話のシーンを盛り込んでいくストーリー展開にしていたら、きっと、これほどまでの騒動には発展しなかったでしょうね。
このドラマには、施設内虐待、里親制度、身体障害、いじめ、音楽教育資金、子どもの死別、離婚、差別意識、トラウマなどなど、社会問題が次から次へと詰め込まれています。そして、前回までの流れから察すると、教師妻の精神疾患あるいは人格障害、ドンキの多重人格が予測出来ます。
一つ一つが軽く扱うことの出来ない重いテーマですが、益々、このドラマのジャンルが分からなくなってきました。第1話とのギャップが色濃くなってきています。なぜ、第1話の雰囲気が必要だったのか不明です。
また、これだけ社会問題がてんこ盛りだとイントロダクションで提示されている主張のメインテーマ性が弱くなってしまうのではないかと危惧します。
そろそろ放送が始まります。今回も、指摘事項や不自然さをチェックしていきます。当サイトは、一貫性を貫きたいので、最終話まで、この形式で生かせていただきます。

・アットホーム的な雰囲気で始まった。
・まだ、子どもを「お前」呼ばわりしている施設長。
・施設長をフォローする子どもたち。
・「愛する人の顔を思い出せれば思いとどまれる」との施設長の台詞があるが、第1話との整合性が感じられない。
・「ポスト」と呼ぶのは、継続中。
・スポンサーCMなし。
・母親が直接幼稚園に会いに来た。連れて帰ったようだが、手続き上ありえない。
・寄付者を明確にして経済的根拠を表したらしい。
・児童養護施設の高校生の進路については、難しい課題点があるため軽く取り扱われてはいけない。
・父がピア美を「なおみ」と本名で呼んだ。
・子どもが親元に戻ることを家庭復帰と言うが、児童養護施設に措置されている場合、手続きが必要です。
・子どもの引き取りに児童相談所が関わっていないことは不自然。措置権者は、自治体の長であり、その窓口である児童相談所が、措置会議にて決定する事項です。
・ドンキが実母ではなく里親候補を選択するシーン、現実の世界では手続き上、様々な手続きを要するが、これが、ドラマの醍醐味であるでしょう。

結局、7話のドンキの症状を受け流してしまった。現代社会が抱えている様々な事案をてんこ盛りにしているドラマ脚本、制作手法の一つとは理解できますが、それぞれが中途半端な取り扱い方であるが、第8話後半のこのドラマのメインテーマのシーンへと持って行くために、どうしても必要な事だったのか?

明日、ママがいない 第9話 最終回

ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者が、日本テレビが提示している「児童養護施設 そこは、親のいない子どもたちが暮らす場所 子どもたちがやってくる理由の殆どは 虐待だ」と言う言葉を信じてドラマを視聴していたら、それは、日本テレビが社会に悪影響を与えたことに他なりません。
その理由は、「明日、ママがいない 批評まとめ」に論理的にまとめていますので、ここでは省略しますが、いよいよ、最終回です。このドラマを通して「児童養護施設」と言うキーワードを、視聴者のみなさんは得ることが出来ました。是非、これを機会に児童養護施設への理解を深めていただけるよう節に願います。
きっと、感動的なエンディングが用意されていると思いますので、自分の感受性に任せて涙して下さい。そして、その涙を、現実社会に生かしてくださいね。
そろそろ放送が始まります。今回も、指摘事項や不自然さをチェックしていきます。前回までと同様にリアルタイムに、書き込みを更新していきます。

・夜遅く帰宅する子どもの行動を把握していない職員は不自然。
・職員のプライバシーに子どもが関わることは極めて稀であり、ドラマの設定が不自然。
・双子の男の子が消えた。
・子どもに対して「お前」呼ばわりは継続している。
・愛し方をテーマにしながら愛することの虚しさも施設長を通して表現している。これは、敢えて対比させているのだろうか。
・ボンビを里親役が名前で呼んだ。「ゆいこ」
・CM復活せず。
・このドラマで初めて「施設長」と呼ばれたのでないだろうか。
・エンドロールで、脚本監修 野島伸司が復活していた。

ドラマ「明日、ママがいない」とは無関係な現実的なお話しで締めくくります。あなた、もしくはあなたの周囲で起こりうる現実です。

「捨てられたんじゃない、わたしたちが捨てたんだ。」この境地に至れる子どもたちは、ほんの一握りの子どもたちでしょうね。現状にあらがう子どもたちの方が現実的です。
「こうのとりのゆりかご」に関係した子どもたちは現実に存在します。脚本家は、その子たちに向かって、この言葉を告げられるのか。

北風の吹く寒い日の朝、男の子の兄弟二人が門の付近で遊んでいます。お昼もそこにいます。夕方もそこにいました。
母が、電話で「○月○日、面会に行くからね。」と約束していたからです。
私は、母に「確実でない約束はしないように」と何度も注意を促していました。
それでも、母は、子どもから「今度いつ会いにくるの」と問いかけられると、ついつい、約束をしてしまいます。
子どもたちは、裏切られることを信じていません。いや、信じたくないのでしょう。
約束の日、朝から夕方まで門の所にいます。母は、その日も来ませんでした。
この兄弟は、何度も何度も母に裏切られましたが、それでも、母を信じ続けました。
それから、3年後、母に引き取られていきました。

親の転勤に悩む中学生のケース

あなたと同じように親の転勤でなんども転校をしている子どもたちは、たくさんいます。そのほとんどの人が悩んでいると思います。
でも、その理由で児童養護施設に入ってくる子どもたちは、いません。
児童養護施設に入るには、児童相談所という所に相談に行く必要があります。あなたのように、親が子どもを育てられる状況であればたぶん、児童相談所の人は、児童養護施設への入所をすすめないでしょう。
14歳は、中学3年生ですか。高校進学を決める年ですね。自分の人生にとって、大切な1年です。
ぜひ、親ともう一度話し合ってください。
児童養護施設で生活している子どもたちの、ほとんどは、家族と離れて生活している自分を嫌がっています。家族が自分を育てることが難しいので仕方なく児童養護施設で生活しています。
そんな、子どもたちから見ると、あなたの悩みは、どのように映るでしょう。
親をあなたから見ると、なぜ、どうして、ということがたくさんあると思います。でも、親は、あなたを悩ませるために引っ越しているのではないと思います。
大人には、大人の事情があり転勤したくなくても、転勤の命令があればしなければいけないのです。それを無視したら、もちろん、仕事をやめなければいけません。そうなると、生活ができなくなってしまい
ます。
あなたが大変なように、悩んでいるあなたを見守る親も同時に悩んでいるのです。だから、話し合ってください。
このメールを親に見せてもかまいません。私が心配するのは、高校には、ぜひ、進学してほしいと言うことです。中学卒のために就職で苦労している子どもたちを何人も見てきました。あなたが、そのような道を選ぶ必要はないと思います。
あなたの人生は、たった一度だけです。悔いのないように生きてほしいと思います。自分の人生を決めるのは、あなたです。
もし、どうしても他人のアドバイスが必要な時は、児童相談所を電話帳でさがして相談の電話をしてくださいね。

母子家庭のケース

子どもは、家庭円満で、親の愛情を受けて育つのが一番良いに決まっているのですが、それは、簡単な事ではありません。
しかし、子育ては、全面的に、親の責任です。子どもたちが非社会的行動や反社会的行動を起こしたとき、「悪い子」と言うレッテルを貼りますが、それは、間違いです。親権者や監護権者の責任と言えるでしょう。
あなたは、児童養護施設に子どもたちを預けたいのでしょうか。もし、そうであれば、児童相談所にご相談下さい。
でも、精一杯の愛情を注いでくれる親と一緒に生活することを、可能な限り模索して下さい。子どもたちが、もし、道を外れていたら、親として、精一杯、気持ちを伝えることが大切です。素直に、「自分も子どもたちの手助けが必要なんだ。」と子どもたちにヘルプを求めることも必要でしょう。親と子は、互いに支え合って生きていくものです。親が子どもを注意します。子どもが親を注意することもあるでしょう。支え合っていくとは、お互い様の気持ちを持ち続けることでもあるでしょう。
元夫も子どもたちを愛する気持ちは、きっと一緒です。離婚をしていても、子育てのまっただ中、役割分担をして、それを子どもたちに明確に示してあげることも重要です。不仲になったから離婚をしたのだと思いますが、そんな中で相手を中傷する言葉を子どもたちに聞かせていないでしょうか。子どもたちにとっては、どちらも親なのです。そんな言葉を聞いたら、とても、複雑な心境になることは、容易に想像できます。
子どもたちに笑顔で接すること。一日の中で少しの時間でも良いです。笑いあえる楽しい時間を作りましょう。明るい場所は、家庭の中にあるはずです。一日一回、必ず握手する、これだけでもスキンシップになります。
可能な限り、楽しい家庭を作っていくこと、これが基本と思います。
子どもたちが落ち着いて生活できる家庭作りについては、児童相談所のケースワーカーに、ご相談して下さいね。

高校生からの質問

「高校生でもこの施設に入ることはできるのでしょうか?」
高校生で、入所してくる場合もありますが、児童養護施設は、学生寮とかとは違い、社会福祉施設です。
児童相談所が家庭環境の調査や本人や保護者との面談等を通して、社会福祉施設での措置が適正かどうかを判断した上で、入所が決定されます。
「入るのには保護者の同意が必要なのでしょうか?」
原則として、保護者は親権者ですので同意が必要です。
ただし、家庭内暴力や虐待等の特例の場合は、児童相談所が、強制的に親子分離する場合もあります。
「施設に入るのにいくらくらいかかるのでしょうか?」
子ども本人が請求されることはありませんが、保護者には、所得に応じて徴収金額が設定され、徴収されることになります。
家庭の事情を察することは出来ませんが、出来れば、家庭から社会に旅立つのがベストと思います。

信じ続ける大人

子どもたちと一緒に生きている大人は、子どもたちに裏切られ続けることが役目です。
子どもが悪いことをしたとき、「もう同じ過ちは繰り返すなよ」と時には、叱り、時には、情けなくて共に泣き、時には、時間を掛けて話をし、時には、無言で一緒に座っている、それでも、また、次の過ちを犯してしまいます。
大人は、信じ続けるしか方法がありません。「もう、同じ過ちは繰り返さないね。信じているよ。」大人が子どもを信じなくなったら、それで終わりです。だから信じ続けるしかありません。
ある子どもが、児童養護施設を旅立っていくとき、言いました。
「○○さんは、あの時、俺を本気で叱りつけてくれた。その時は、腹が立ったが、俺の事で本気になってくれたことを今では、感謝している。」
大人の一途な気持ち、いつかは報われることもあります。

明日、ママがいない 公式掲示板抜粋

これらの中には、美辞麗句もあるのではないかと、ついつい疑ってしまいます。
日本テレビの番組掲示板担当者も徹底していますね。よくも、まぁ、番組肯定派の書き込みだけを公開する姿勢。すごすぎる。
ピックアップしているのは、ほんの一部ですが、これだけでも洗脳作用があるのではと危惧します。
大切な事は、ドラマに感動しているみなさんが、児童養護施設や里親制度に興味を抱き、ドラマは、フィクションによる虚飾であることを認識し、正しい知識を得ようとされているかです。
児童養護施設は、自分も関わるかも知れない福祉制度で、もしかしたら、自分宅の隣にグルーホームが引っ越してきたり、児童養護施設の建設計画が持ち上がってくることもあると認識することです。
そのとき、あなたは、きっと、協力的に受け入れてくださることでしょうね。そう、信じています。

明日、ママがいない 公式掲示板より抜粋

毎週泣いてしまいます。
胸に響きました。
毎週勇気をもらっています。
心打たれました。
終わってしまうのは悲しい。
真実の愛情をもらっているような気もしてきました。
素晴らしいドラマに出逢えて良かったです。
1番感動したドラマになるはずです。
回を増すごとに引き込まれます。
頭で考える前に心が揺さぶられる。
8話は一番泣けました。
目を背けてはいけない現実を教えてくれてとても刺激になりました。
すべての人に見てもらいたい作品だと思いました。
素敵な物語を、ありがとう。
毎週泣きながら見ています。
感動して涙がでてしまいました。
毎週…心をうたれ号泣しながら観ています。
素晴らしいドラマをありがとう!
本当に、ありがとう。と心から言えるドラマです。
涙無しでは見れませんでした)
昨日の回も泣きました。
素晴らしいドラマに間違いない本当に感動しました
毎週泣かされますが、8話は号泣でした。
良い作品だと思いますので、多くの人に観て欲しいです。
今回の第8話はすごく泣けるお話だったと思います。
大きな愛だなあと感じ 泪泪です。
今回もうるうる
私はこのドラマで人間としての考え方とか、すごくいろんなことを学ばさせて頂いてます。
このドラマに出会えて良かったです。
感動しました。メツチャ泣きました、、、
おじさんのくせに…大号泣して繰え返し視ました…
感動致しました毎回とっても勉強に成る事が在り素晴しいドラマだと思って居ます
イントロダクションの「21世紀でいちばん泣けるドラマ」に偽りなし。
すごい!感動しっぱなしです。
心打たれます。涙が止まらなかったです。
今回は泣きっぱなしでした コウノトリ。本当にそうですね こんないい言葉 感動です
涙が抑えられない。
心の奥底から涙が溢れてくる感じです。
ドラマを見て こんなに良い涙を流したのも久しぶりです。
泣きました。まだ目が痛いです。
胸が詰まります。
どんどんはまります。涙が止まりません。
いつも必ず泣いてしまいます。
今日も心に深く突き刺さる話でした。
感動して水曜日の夜は、なかなか寝られません?
今日も泣きました!!魔王の優しさに何度も胸がつまる想いです。
ドラマを見て泣く事はたまにありましたが、子供の前で声を上げて泣いてしまったのは、このドラマが初めてです。
色んなことが詰まってて涙なしでは見れませんでした…
泣きました 心にじ~んときました。
今回も感動で涙が止まりませんでした。
初回から泣けて…泣けて…
第八話、涙なしではいられませんでした。
今回も期待を裏切らない素晴らしいドラマでした。
熱中してついつい何度も観返して一週間が遅く感じる位で、毎週楽しみにしてました。

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+

児童福祉 考察

スポンサーリンク

PAGETOP
Copyright © 児童福祉 考察 児童養護施設 で働く All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.