<面前DVと児童虐待>死を連想 おびえる日々

河北新報 2017年2月13日

親が子どもの前で配偶者に暴力を振るう「面前ドメスティックバイオレンス(DV)」。心理的虐待として認知されるようになり、2016年上半期に警察が児童相談所へ通告した子どもの数は1万1627人と前年同期より6割増えた。愛され、守られるべき家庭の中でDVにさらされた子どもは心に深い傷を負い、加害者から逃れた後も苦しみ続ける。被害から回復し、新たな人生を歩み出すには、どんな支援が必要か。当事者の声を基に考える。(生活文化部・足立裕子)

◎回復の道を考える(1)日常の光景
<暴れだす父親>
家族で穏やかに食事をしていると、父が突然、暴れだした。きっかけは分からない。物を壁に投げつけ、母や自分を殴る。まるで何かが乗り移ったように。「今日もまた始まった…」。物心つくころから、それが聡子さん=仮名、20代=の日常の光景だった。
母はサンドバッグのように何度も殴られ、顔面が腫れ上がった。「自分のせいでお母さんが怒られないようにしよう」。聡子さんは幼い時から、父の帰宅時刻が近づくと家の片付けを始め、原因になりそうなものを取り除いた。
父の顔色をうかがい、おだてる。「今思うと、部下が怖い上司に接するみたいにいつもびくびくしていた」。それでもよその家のことは知らないから、たたかれたり怒鳴られたりしても「普通」だと思っていた。
ある時、母に「離婚したらどっちに付いて来る?」と尋ねられた。両親が別れてしまうのは自分が悪いからではないか-。そんな後ろめたさを感じ、答えられなかった。
小学校の高学年になると、父の暴力、暴言がエスカレートした。毎晩のように母を正座させ、日付が変わっても罵倒し続ける。寝床に就き、布団に耳を当てると「ドン! ドン!」と階下の物音が響いてくる。ドックン、ドックンと心臓が高鳴り、胸が苦しくなった。
「2階に上がってきてたたかれるかもしれない」「母も自分も、いつか殺されるんじゃないか」。死を連想し、恐怖におびえる日々。どうすれば安全な場所へ避難できるか。逃げ道に思いを巡らせるのが眠りに就く前の儀式だった。

<「価値がない」>
ある晩、聡子さんは不審な物音に気付いた。包丁を持った父が「掃除が行き届いていない」と怒って食器を次々砕いていた。「やめて!」。制止しても、仲の良い友達にもらったプレゼントまで壊された。「やっぱりお父さんはどこかおかしい」。子ども心に父の異様さが焼き付いた。
母は再三、「価値のない人間」となじられ、無力感に打ちひしがれていた。思春期に差し掛かった子どもへの暴力の影響を案じていたが、母子家庭になって子どもを育てる自信がない。
度々電話していた女性支援機関の相談員が、そのきっかけをくれた。「あなたには能力がある」。否定され続けてきた自分が他人に認められ、前に踏み出す力をもらった気がした。
「お母さんは、お父さんをリストラしようと思う」。聡子さんにそう切り出した。

<面前DVと児童虐待>姓変更 自分を生きる

河北新報 2017年2月13日

親が子どもの前で配偶者に暴力を振るう「面前ドメスティックバイオレンス(DV)」。心理的虐待として認知されるようになり、2016年上半期に警察が児童相談所へ通告した子どもの数は1万1627人と前年同期より6割増えた。愛され、守られるべき家庭の中でDVにさらされた子どもは心に深い傷を負い、加害者から逃れた後も苦しみ続ける。被害から回復し、新たな人生を歩み出すには、どんな支援が必要か。当事者の声を基に考える。(生活文化部・足立裕子)

◎回復の道を考える(2)決別
「お父さんはうそつきだ。二度と暴力を振るわないと約束しても、結局、お母さんや自分を殴る。家を出て暮らした方がいい」
知人の協力を得て、小学生だった聡子さん=仮名、20代=と母は暴力が支配する家から逃げ出した。手狭なアパートに布団を並べた晩、「これでゆっくり寝られるね」とうれしさをかみしめた。
だが、穏やかな生活を手にした後も聡子さんは心に受けた傷にさいなまれた。夜、近所に車が止まる音を聞いただけで「お父さんが連れ戻しに来たのではないか」とおびえ、悪夢にうなされた。

<友達には内緒>
転校先の学校でも、対人関係で生きづらさを抱えた。友達から意に添わないことを頼まれても「いや」と言えない。「怒られるんじゃないか」と恐怖心が働き、先生にも必要のない場面で謝ってばかりいた。
父に所在が知られるのを恐れ、家庭の事情は友達に内緒にした。家の話題になると、父がいるふりをせざるを得ない。うそをつくのがつらくて気持ちがふさいだ。「何でうちは普通の家じゃないんだろう…」。それでも母を困らせたくなくて、本音を口にしたことはなかった。
「こんな変な家はうちぐらいだ」。中学生になるとひがみや疎外感が募り「いなくなりたい」と思い詰める時もあった。そのころ、自分のような母子家庭の子と仲良くなった。家の悩みを打ち明けてくれたその子には、自分の境遇について自然体で話すことができた。心を許し、悩みを共有し合える友を得て「世界が広がった。つらかった体験も無駄じゃなかった」と思えるようになった。
同じころ、母から「父も自分の親に殴られて育った被害者だった」と聞かされた。暴力が当たり前という環境しか知らず、負の連鎖が生まれた。「父もかわいそうだった」。そう思う半面、自分勝手に家を引っかき回して家族を傷つけた自覚がないことが許せない。「自分は絶対、父のようにならない」と誓った。
就職を機に、聡子さんは姓を変えた。父の姓を捨てることが意思表示。「もう私のお父さんではない」。やっと決別できたと気が楽になった。

<「逃げ道ある」>
父の血を受け継いでいることが嫌でたまらない。自分も誰かを傷つけてしまうのではないか。そんな不安から「子どもは産みたくない」と思う気持ちがある。答えは出ないが、将来、結婚しても女性だから、母だからと性や役割にとらわれることなく「自分」を生きていきたい。父のことは気にせず、幸せになればいいと思っている。
DVの渦中にある子どもは、周りに味方が誰もいないと思っている。「必ず逃げ道はある。SOSを出していいんだよ」。かつての自分と同じ子どもたちに、聡子さんはこう呼び掛ける。

<面前DVと児童虐待>親が変化 子も落ち着く

河北新報 2017年2月13日

親が子どもの前で配偶者に暴力を振るう「面前ドメスティックバイオレンス(DV)」。心理的虐待として認知されるようになり、2016年上半期に警察が児童相談所へ通告した子どもの数は1万1627人と前年同期より6割増えた。愛され、守られるべき家庭の中でDVにさらされた子どもは心に深い傷を負い、加害者から逃れた後も苦しみ続ける。被害から回復し、新たな人生を歩み出すには、どんな支援が必要か。当事者の声を基に考える。(生活文化部・足立裕子)

◎回復の道を考える(3)母子関係
<怒りを暴力に>
暴力を振るう夫と離婚した知子さん=40代、仮名=は、2人の子どもを連れて新生活を始めた。程なくして思春期に差し掛かった長男=10代=が、自分を見下した態度を取るようになった。
「こんな卵焼きはまずくて食えない」。知子さんをけなしていた元夫の口調にそっくりだった。
長男は幼い頃から、夜中に父が母を殴る姿を見て育った。朝起きると、母が逃げ出していないこともあった。「あんなのは母親じゃない」「あいつの言うことは聞くな」と刷り込まれ、しつけと称して本人も容赦なくたたかれた。
そんな夫の前から、夜逃げ同然で行方をくらました。追跡を警戒し、長男が親友に別れを告げることも、転居後に連絡を取ることも制限せざるを得なかった。
「なんで転校しなきゃないんだ」「殴られたのはママが悪いからだろう」。長男は行き場のない怒りや悲しみを知子さんにぶつけてきた。「安全を確保するためだ」と何度説明しても「お前のせいでこうなった」と母を責め続けた。
長男の怒りは暴力になり、自分より弱い者に向けられた。生計を立てるために働きだした知子さんの留守に、弟の首を絞めたり、包丁を向けたりした。叱ると、今度は学校で友達をいじめだした。「このままではぐ犯少年になる」と学校から呼び出された。

<専門家に相談>
「自分の気持ちを言葉にするのが下手で、もやもやしたものがたまると、弱い者に当たって解消している」。知子さんは長男に、自分が嫌だと感じたことや言いたいことを、「お前が」ではなく「私は」と、自分を主語にして伝えるよう諭した。
「どうせお前に言っても聞かないくせに」。そう言って2年近く知子さんを無視し続けたが、昨年あたりから変化が見え始めた。
心の悩みの専門家がいる相談機関に母子で通い、話をしっかり受け止めてもらっている。ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者支援グループを通じて同じ境遇の子どもたちと出会い、自分の特殊性を恨めしく思う気持ちが徐々に薄れてきた。
「隔離された小さな世界から外の世界を知り、人生をリセットしている」と知子さん。自身もカウンセリングを受け、援助者やDVから抜け出した仲間とつながり、傷ついた心の回復と人生を再構築する道の途上にある。
時折、過労やストレスでパニック症の発作に見舞われ、薬が手放せない。子どもを守り、仕事、家事を一手に担う。限界ぎりぎりのバランスで生きる母の姿を見て、長男も自分の気持ちを話してくるようになった。「行きつ戻りつでまだ安心はできないが、私が変われば子どもも変わる。不思議と子どもも落ち着くんです」。知子さんはそんな手応えを感じ始めている。

<面前DVと児童虐待>心安らぐ場で夢を育む

河北新報 2017年2月13日

親が子どもの前で配偶者に暴力を振るう「面前ドメスティックバイオレンス(DV)」。心理的虐待として認知されるようになり、2016年上半期に警察が児童相談所へ通告した子どもの数は1万1627人と前年同期より6割増えた。愛され、守られるべき家庭の中でDVにさらされた子どもは心に深い傷を負い、加害者から逃れた後も苦しみ続ける。被害から回復し、新たな人生を歩み出すには、どんな支援が必要か。当事者の声を基に考える。(生活文化部・足立裕子)

◎回復への道を考える(4)支援
「今日はピザを作りま~す」 スタッフの掛け声で料理教室が始まった。真剣な表情で小麦粉や水の分量を量り、ボウルの中で混ぜ合わせる。小さな手に粘り気のある生地がくっついて悪戦苦闘する子もいれば、手際よく生地をまとめ、年下の子の面倒を見る子もいる。
ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者を支援する特定NPO法人「ハーティ仙台」が、月1回開く「リラ・キッズクラブ」。2014年4月から、DVのある家庭環境で育った子どもたちに東北で唯一、料理や手工芸、ゲームなどを通じた支援プログラムを提供している。

<「合宿楽しい」>
「昨日はお母さんが仕事だったから、自分で焼きそばを作って食べたんだ」
「うまくできた?」
リラックスした雰囲気の中で共に活動しながら、子どもたちとスタッフが学校や家での出来事についておしゃべりする。命や人権について学ぶ時もある。対象は小学生以上で、学校も学年も異なる子どもたちが毎回7、8人参加している。
2016年の夏休みには大学生ボランティアの手を借りて、勉強会や合宿を行った。男性に対しトラウマ(心的外傷)がある子には女子学生が付くなど、子どもの状況に応じた関わり方を手探りする。10歳男児は「合宿でみんなで布団に入り、夜遅くまで話をしたのが楽しかった」と言う。
「家庭の事情を口にしなくても、互いに自分と同じような子だと分かっている。一緒に乗り切ろうと結束が強まってきた」と八幡悦子代表。安心できる環境で以前はできなかった楽しく豊かな体験を重ね、自分と人を大切にする関係を育む。
子どもの回復には、心のよりどころとなる母親が自信を取り戻し、希望を持って生きられるようになることが欠かせない。ハーティ仙台はキッズクラブと並行して、DVから逃れた母親たちの集い「グループリラ」も開いている。

<次につなげる>
キッズクラブとは別の場所で、手芸や絵手紙、ヨガなどを楽しみ、トラウマや日々の生活で張り詰めた心と体を解きほぐしている。さまざまなテーマで思いを語り、心の整理をする時間もある。
八幡代表は「人は夢を持つ。できるだけ早く母子を保護して、子どもも母親も適切な支援につなげることが大事だ」と強調する。
2004年の児童虐待防止法改正でDVを目撃することが心理的虐待だと定められたが、子どものケアは緒に就いたばかりだ。グループリラの活動には公的支援があるが、キッズクラブは民間団体の助成が途切れ、ハーティ仙台はやりくりに苦労している。
八幡代表は「子どもにこそ支援がいる。NPOが先鞭(せんべん)を付け、効果が確信できれば次につながる。運営は厳しいが継続していかなければならない」と前を向く。

<面前DVと児童虐待>親子の心理教育 広げて

河北新報 2017年2月13日

ドメスティックバイオレンス(DV)にさらされた子どもに必要な支援は何か。女性や子どものトラウマ(心的外傷)治療に力を注ぐ、精神科医の白川美也子さんに聞いた。(聞き手は生活文化部・足立裕子)

◎回復の道を考える(5完)精神科医 白川美也子さんに聞く

DVは子どもにどんな影響を与えるのか。
<人生に影響大>
「家でいつ父親が怒るか分からないなど、生活の中で慢性的に不安定な状況にあること自体が子どもにとってはトラウマになる。(1)対人暴力を直接経験しているか、見ている(2)養育者の交代や分離(3)深刻で持続する情緒的虐待-などの阻害要因により、極度のかんしゃくを調節できないなど発達に影響するトラウマ障害が起こる」
「子ども時代のトラウマは人生に広範な影響を与え、女の子がDVの再被害を受けたり、男の子が母親を見下して加害的になったりする。『トラウマ学習』といって、日々繰り返される考え方や行動パターンを学習し、記憶に刷り込みが起こるためだ。加害性に関しては行動パターンに焦点を当てなければならない」

周囲の大人はDVに気付いたら何をすべきか。
「母親が助けを求められるようにすることが大事だ。支援者につながり、子どもの状況を理解して接することができるようにしなければならない」
「子どもが安心して話せる場所がない。母子家庭の母親のグループミーティング中に行政が子どもの料理教室を開いたら、生活力が付いて自己有能感を持てるだろう。そこでDVとは何か、心理教育もできるといい。ボランティアが担うなら経済的支援が必要だ。官民協働のモデルができれば津々浦々に広がると思う」
「性犯罪被害者らさまざまな当事者グループを作って支援してきた中で、一番早く良くなったのがDVを目撃した子どもたちだった。子どもは柔軟性があり、回復する力を持っている」

東日本大震災後、岩手県内で子どものトラウマケアに尽力した。
<ケアが予防に>
「被災地ではDVと子ども虐待が増え、以前から問題のあった家庭の状況が悪化している。だが、支援者への助成が打ち切られている。行政の財政の厳しさは分かるが、トラウマによる被害は繰り返されるので軽視してはいけない。すぐに効果が見えなくても、子どもに適切なケアをすることは、将来起こるDVや虐待の予防につながる」

全国に広めようとしている「トラウマフォーカスト認知行動療法」とは?
「子どもが自分で問題を解決する力と、それを可能にする親子(もしくは支援する大人と子ども)の関係性を、段階的につくっていく治療法だ。親子が一緒に心理教育を受け、リラクセーションや感情の表現と調整ができるよう歩む。世界中で科学的証拠が得られている」
「2012年から全国で240人が研修を受け、病院や児童相談所で取り入れられ始めている。トラウマをなくすことは誰にでもできる。各地域に世話人がいて、ノウハウを連携しながら共有するネットワークを築きたい」

「月60時間」は看護師の過労死ライン?! 残業規制は何時間が適切か

産経新聞 2017年2月12日

電通の新入社員の過労自殺を発端に、残業時間の規制の動きが急速に強まっている。政府は、過労死ラインとされる「月80時間」を念頭に、月平均で60時間を残業の上限とする意向。しかし、この政府案に待ったをかけたのが、看護師たちだ。24時間体制の過酷な業務は、警察官や消防隊員も変わらない。医療や治安などを守るためにも彼らの言い分に耳を傾ける必要があるが、果たして過労死を防ぐ適切なラインはどこにあるのか。(社会部 天野健作)

違法な残業が蔓延
電通に入社した高橋まつりさん=当時(24)=は半年間の試用期間を経て本採用になった途端、急に増えた残業に苦しめられた。残業時間が130時間を超える月もあった。
「もう(午前)4時だ。体が震えるよ」
「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」
高橋さんのツイッターなどにはこのような嘆きが並んでいた。
もともと労働基準法では、1日8時間、週40時間を労働時間の上限としている。ただ労使協定を結べば、上限を超える残業も可能で、決め方次第で残業は“青天井”なのが実情だ。政府はここに法律の網をかぶせようとしている。
では、残業上限はどこが適切なのか。厚生労働省によると、健康障害のリスクが高まるとする残業は「月80時間超」だという。これは、働く日数を月20日間だと仮定すると、1日の労働時間が12時間になる。
厚労省は昨年4月から、労働基準監督署の立ち入り調査の対象となる残業時間を「月100時間」から「月80時間」に引き下げた。同年9月までの半年間の調査では、前年比の倍となる約1万の事業所を調査。その結果、4割で労使協定を超える違法な残業が確認された。過重労働は蔓延(まんえん)しているのだ。
若き命を失ったことも教訓に、政府の働き方実現会議は、残業の上限時間を月平均60時間、年間720時間にする。繁忙期には一時的に月100時間まで認めるという案をとりまとめようとしている。

「過労死を容認するものだ」と反論
しかし、この「月平均60時間」にも異論がある。
日本医療労働組合連合会(医労連)は2月、「夜勤交代制労働など業務は過重である。政府案はまさに過労死を容認するもので、断じて容認できない」として、「月60時間」が過労死ラインと主張する談話を公表した。
医療や介護の分野は特殊である。警察や消防も同様だが、24時間365日の稼働が必要だ。夜勤交代制は体に有毒で、睡眠障害や循環器疾患、長期的には発がん性も指摘されている。医労連の平成25年のアンケートでは、看護師の「慢性疲労」が7割を超え、「仕事を辞めたい」も75・2%に達している。

後を絶たない過労死
看護師側が「月60時間」を過労死ラインと断ずる理由は、20年10月の大阪高裁判決にある。くも膜下出血を起こして看護師の女性=同(25)=が死亡したことに対し、遺族側が国を訴えたケースだ。
女性の残業は、国の過労死ラインを下回る月50~60時間程度だった。しかし、判決では、不規則な夜間交代制勤務など「質的な重要性」を併せて過労死と認定したのだ。判決は被告側が上告せず、確定している。
21年には日本看護協会が残業に関する緊急の調査結果を発表。全国の病院で働く看護師のうち、「約2万人が過労死の危険がある月60時間以上の長時間残業をしていると推計される」とした。
しかしこの後も看護師の過労死は後を絶たない。
東京都済生会中央病院に勤務していた看護師の女性=同(24)=が死亡し、労基署が労災を認定した。
24年12月にも、就職して1年目の看護師=同(23)=が月65時間を超える残業で過労自殺。昨年末、国に労災認定を求め、遺族が札幌地裁に提訴している。

今年1月からの新制度「セルフメディケーション税制」 注意点を簡単に解説

マネーの達人 2017年2月13日

セルフメディケーション税制
2017年1月から多くの新制度が始まっています。
その中でも、多くの方にメリットがあると思われるセルフメディケーション税制という医療費控除の特例が始まりました。

制度について(以下厚生労働省ホームページより引用)
適切な健康管理の下で医療用医薬品からの代替えを進める観点から、健康の維持増進及び疾病の予防への取組として一定の取組(特定健康診査、予防接種、定期健康診断、健康診査、がん検診)を行う個人が平成29年1月1日から平成33年12月31日までの間に、自己又は自己と生計を一にする配偶者その他の親族に係る一定のスイッチOTC医薬品(要指導医薬品及び一般医薬品のうち、医療用から転用された医薬品)の購入の対価を支払った場合において、その年中に支払った対価の額の合計額が1万2千円を超えるときは、その超える部分の金額(その金額が8万8千円を超える場合には8万8千円)について、その年分の総所得金額等から控除する。
このリストを持ち歩いたり覚えておくのは大変ですね。
消費者の方が苦労することはなく、レシートに対象商品の印を設けたりするという工夫もされています。

時限制度ですが有効に活用しましょう
この制度は、5年間という時限制度ではありますが、有効に活用しましょう。
国としては、病院へ使う医療費を軽減する事で支出を減らそうという目論見もあるようですが、皆さんにとっても疾病予防の意識が芽生える事で余分な負担を増やす事が無くなるのかも分かりませんね。

これまであった医療費控除との併用が出来ません
従来の医療費控除は、10万円以上の実際に払った医療費から10万円を引いた額を所得から控除するという制度で最高200万円まで控除されます。
総所得金額等が200万円未満の場合は、総所得金額等の5%実際に支払った額から差し引いた額が控除されます。
生命保険や健康保険から支給された給付金も実際に払った金額から控除して考えます。
医療費の実費が10万円以上の場合には、従来の医療費控除を選択された方が良い場合があるので注意をしましょう。(執筆者:吉野 裕一)