児童虐待をしてしまう心理・予防のためにできること

All About 2017年05月21日

児童虐待とは

子どもを取り巻く事件が頻繁に報道されるなか、子どもの安全に不安を抱く人は少なくありません。誘拐や殺傷事件だけでなく、「児童虐待」もまた大きな社会問題のひとつです。
では児童虐待の具体的な内容とは、どんなものでしょう?「児童虐待防止法」では、保護者によって行われる以下の4つの行為を「児童虐待」と定義しています。

身体的虐待
殴る、蹴るなどの暴力 タバコの火などを押しつける 逆さづりにする 冬戸外に長時間しめだす など

性的虐待
性的行為の強要 性器や性交を見せる ポルノグラフィーの被写体などにする など

心理的虐待
無視、拒否的な態度 罵声を浴びせる 言葉によるおどかし、脅迫 きょうだい間での極端な差別扱い ドメスティック・バイオレンス(配偶者に対する暴力)を行う など

ネグレクト(養育の放棄又は怠慢)
適切な衣食住の世話をせず放置する 病気なのに医師にみせない 乳幼児を家に残したまま度々外出する 乳幼児を車の中に放置する 家に閉じ込める(学校等に登校させない) 保護者以外の同居人による虐待を保護者が放置する など
(参考:『みんなの力で防ごう児童虐待』(東京都リーフレット))

虐待が子どもの成長に及ぼす悪影響
こうした児童虐待を受け続けると、子どもにはどんな影響が現れるのでしょう。ひとつには、身体の発達が遅れる可能性があります。ネグレクトによって、十分な食事が与えられずに栄養不足になると、身体が十分に育ちにくくなります。また、「愛情遮断症候群」といって、愛情が不足することによって低身長になる場合もあります。
また、心に大きなダメージを受けて情緒不安定や抑うつ状態になったり、心の傷がトラウマとなって自己否定感を強く持ったり、何かに強く依存したりと、その後の人生にも色濃く影響を及ぼすことも少なくありません。

虐待してしまう心理……虐待が多い家庭状況とは
過去の傷や風評は気にするなかれ。いまの心の状態に目を向けよう
子育てをしている人には誰でも経験する可能性のある「虐待」の危機
では、いったいどんな人が児童虐待をしてしまうのでしょう。東京都保健福祉局の『児童虐待の実態2』(平成17年)によると、虐待が行われた家庭の状況は、以下のような順になっています。(1~5位のみ記載)
1位 ひとり親家庭
2位 経済的困難
3位 孤立
4位 夫婦間不和
5位 育児疲れ
この家庭状況からも、家族の支援を受けられず、また周囲から孤立して孤独のうちに育児をしているなか、そのストレスに押しつぶされ、子どもにストレスをぶつけて虐待に至ってしまうというケースが多いように思われれます。
とはいえ、こうした「追いつめられた末の虐待の危機」は、円満な家庭環境で育児をしている人の中にも、心当たりを持つ人は多いのではないでしょうか? たとえば、疲れがたまっていると子どもを叱るときの語気が強くなったり、いつもは気にならない子どもの行為にヒステリックに反応してしまう――こうしたことから、虐待の危機を予感し、我に帰った人は少なくないと思います。
虐待は、「ある特別な状況に置かれた人」が行う行為だと限定されるものではありません。幼い子どもの心は、自分本位な欲求のかたまりです。そうした幼い子どもの欲求に対応し、子どもと密着して生活しているうちに精神的に追いつめられ、湧いてくる不満や怒りをどう処理していいのかわからなくなる――こうしたことから、自分でも気がつかないうちに虐待的行為へと向かってしまうこともあります。
とはいえ、虐待はけっして放置してはいけないものです。虐待によって与えられる傷は、子どもに深いトラウマを残し、健全な心身の発達に影響を及ぼしてしまうからです。

悩んでいる人は「一人にならない、一人にしない」
悩んでる人に寄り添ってあげるのが、虐待から救う道
悩んでいる人の心に寄り添うことが大切なサポートになる
虐待をしてしまいそうな危機を感じたら、悩みをけっして一人で抱え込まないことです。まずは、自分の話を批評・批判しないで真剣に受け止めてくれる人に、心情を聴いてもらいましょう。
また、自治体の保健センターや子育て支援センターに相談すると、地域のさまざまなサポート資源を紹介してもらえます。地域の子育てサロンやおしゃべりの会などに参加することで、少し気持ちが楽になり、虐待の危機に気づくことができたという人はたくさんいます。

虐待予防に大切な「周りの気づき・児童相談所への通告」
もう一つ大切なのは、虐待が発生してしまう前に、周りにいる人が「虐待に近づきそうなサイン」に気づくことです。育児に悩み、思い詰めている様子が見られる、笑顔が見られなくなった、サポートをかたくなに拒む、子どもに元気がない……。こうしたサインが見られたら、ぜひその人に近づき声をかけてください。その際には、その人のことを否定的に捉えたり説教をしたりせず、やさしく受容的に語りかけ、そして最後まで話を聴くことです。そのうえで、一緒に解決していく道を考えたり、地域の相談窓口を調べて紹介するなどして、解決の糸口をさぐっていくといいでしょう。
また、周囲がサポートできない場合などには、児童相談所への通告が必要なケースもあります。まずは匿名でも相談に乗ってもらえますので、心配なケースに関してはためらわずに連絡をし、助言や援助を求めていきましょう。

「親にジョッキで殴られた」あなたの隣にも、被虐待児はいる――。

サイゾー 2017年6月4日

虐待を受けた「わたしたち」に残ったものとは? よじれてしまった家族への想いを胸に、果たして、そこに再生の道はあるのだろうか。元・被虐待児=サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のリアル」を内側からレポートする。

自分はまともに育つことができたのだろうか?
「親にビールジョッキで殴られて2回流血」
「親父と面と向かって話そうとすると、身体が震える」
「ある程度の年齢になるまで、自分の家がおかしいということに気づかなかった」
数年前から、こんな書き込みの絶えないサイトがある。『あるある祭り』という掲示板に設置されたスレッド『ガチで親に虐待されてた奴にしかわからないこと』だ。投稿者は文字通り、家族から身体的・精神的な暴力やネグレクト(育児放棄)を受けてきた被虐待者たち。2013年の開設以降、2700件を超える「切ない実体験」で埋めつくされている。
未成年向けの掲示板かと思いきや、オトナたちの参加も目立つ。20代半ばの男性や子持ちの主婦、中年と思しきユーザーまでもが投稿し、共感を示す「あるあるボタン」のクリック数に「この悲しみは自分だけではなかった」と安堵しているのだ。
彼らは、虐待を生き延びた人。カウンセリングの世界などでは「サバイバー」とも呼ばれることもある。わたしもその中の一人だ。「サバイバー」というと、無人島で昆虫でもかじっていそうな響きだが、ある意味、危険な生物(親や家族)と同じ空間でどうにかこうにか生き延びてきたのだから、やはりこれ以上ぴったりの言葉はないだろう。
さて、わたしは今まで「同志」に会いたい一心で、他のサバイバーたちにも取材を重ねてきた。そこでわかったのは、彼ら彼女らは成人した今もなお、虐待の後遺症と闘っているということだ。
「大声を出されると体がすくんでしまう」「真夜中になると、ふとした瞬間に“あの時”の恐怖が蘇り、涙が止まらない」「自分はまともに育ったのか不安」「いくつになっても親の存在がしんどい」など挙げればキリがない。
東京の大学に通っていたフクちゃん(仮名・当時21歳)は「小学生のときに母親からよく包丁を向けられていたので、今も怖くて包丁に触れないんです。肉や野菜を切るのはもっぱらハサミですね」と、日常生活の悩みを打ち明けた。中にはうつ病やパニック障害、解離性障害などで心を病んでしまい、精神科の薬が手離せないケースも珍しくない。
もしかしたら、あなたのそばにもいるかもしれない。人知れずひっそりと闘っている「サイレント・サバイバー」が。
「え、身近では聞いたことないけど!?」
そうおっしゃるのもごもっとも。サバイバーたちは、親しい友人や恋人にさえ、虐待の過去をカミングアウトすることがほとんどないからだ。暴力のない「普通の家の子」には理解されないと諦めているし、同情されるのもいたたまれない。だからこそ同じ境遇の「仲間」が集い、なおかつ匿名で本音を吐き出せるインターネットに、彼らは引き寄せられていくのだろう。

決して統計にカウントされない被虐待児たち
では実際、虐待を受けたことのある人は、日本にどのぐらいいるのだろうか?
平成27年度の間に、全国208カ所の児童相談所が「児童虐待相談」として対応した件数は、過去最多の10万3286件。これは同年の18歳未満の人口で計算すると、200人に1人の割合となる。
しかし、これはあくまで児童相談所が把握している案件。つまり氷山の一角だ。
都内にある「子ども家庭支援センター」施設長の女性が、現場の肌感覚について話す。支援センター(自治体によって名称は異なる)は全国にあり、児童相談所の「前段階」として虐待予防や相談窓口の役割を担っている。
「センターでは、普段から親御さんたちと気軽に話せるような態勢をとっています。日々の業務中に、お母さんから『今、子どもをぶっちゃったんです!』と泣きながら電話がかかってくることはしょっちゅうですね。その場合は、すぐに虐待として対応するのですが、精神的虐待やネグレクトを含めると、児童相談所と連携されないケースは全体の3分の2ほどあります」
さらに、親が自らの行為を隠蔽し、周囲の大人にも発見されなかった子どもたちを含めると、膨大な数に上るだろう。
わたしを含め、出会ってきたサバイバーたちがそうだった。我が家の場合、ある時期から「顔は目立つから」と服で隠れる部分への殴打が増え、母親の機嫌を逆なでしないよう、声を出さずに泣く術を習得した。一方で、親の監視がない「家の外」はまさにパラダイスだったから、幼稚園や学校では常に「明るく元気な子」。先生や友人の親御さんたちは、まさかそんな子が家でボコボコにされているなんて夢にも思わなかったであろう。

“見つけてもらえなかった”子どもたちは、やがてオトナになり、今もどこかで孤独に闘っている。
この連載では、取材に協力してくれたサバイバーやわたし自身の体験をもとに、「内側から見た虐待」をレポートしてみたい。と同時に、虐待を克服するための道も探っていきたいと思う。サバイバーの中には、辛かった過去や親との関係に、自分なりの「落とし前」をつけて幸せをつかみ取った人も存在するからだ。