子どもにうっとうしがられて傷ついた…そんな時どう関わる?[やる気を引き出すコーチング]

ベネッセ 教育情報サイト 2017年11月29日

 子どもにうっとうしがられて傷ついた…そんな時どう関わる?[やる気を引き出すコーチング]
 「最近は、話しかけると、子どもがだんだんうっとうしがるようになってきました」という保護者のかたの嘆きをよく耳にします。順調な成長の現れの一つだとは思いますが、子どもたちは、どうしてそんなふうになっていくのでしょうか。そのヒントを、ある保育士さんと話している時にもらいました。

ほめる時は名前を呼びかけてから
 「子どもをほめる時は、名前を呼びかけながら、プラスの言葉をどんどん伝えるようにしているんですよ。『○○ちゃん、スゴイね!』、『○○ちゃんが手伝ってくれて、とても助かったよ』と、とにかく、ひんぱんに名前を呼びかけるのが大事なんです。何かを注意する時は、ただ『それはダメだよ!』とだけ伝えます。そうすると、名前を呼ばれた時は、何か良いことを言ってもらえるのだと思って、すぐに寄ってきてくれるようになるんですよ」。
 この話を聴いて、確かに、私自身にも思い当たることがありました。
 高校生の就職セミナーなどで、生徒さんの名前を呼びかけて、話をしようとすると、最初は一瞬、警戒されるのです。「○○さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」と声をかけたいだけなのに、「○○さん」と言った瞬間に、「何を言われるんだろう?」と委縮しているのがすごく伝わってきます。
“大人から名前を呼ばれる時は何かを注意される時”という条件反射が身についているようにさえ見えます。あまり聴きたくないことを言われると思うと、話したくないなと思ってしまうのは当然かもしれません。
 日頃、お子さまの名前を呼びかける時は、どんな場面が多いですか。呼びかけた後、いつもどんな言葉をかけていますか。
 「○○ちゃん、もう起きた? 早くしなさい」
 「○○ちゃん、また洋服が出しっぱなしだよ」
 こんな言葉ばかりだと、声をかけられた瞬間に、うっとうしく思ってしまうのは仕方がないことですよね。

注意する言葉以上に認める言葉を
 高校生と接する時に、私が心がけていることは、注意したいことがたくさんあっても、まず、相手を肯定的に認める言葉のほうをたくさん投げかけておくということです。
 「おはよう! 早いね!」
 「今日は参加してくれてありがとう!」
 「素敵なお名前だね」
 「きれいな字だね」
 「かわいいペンを持っているね」など
 どんなささいなことでも、プラスの言葉をたくさんかけておきます。改善してほしいことを注意する時も、先にできていることや強みのほうを多く伝えます。
 「相手の目を見て話せているね。笑顔が素敵だったよ。おじぎをする姿勢がきれいだったよ。部活動で一生懸命取り組んだことがすごく伝わってきたよ。私が投げかけた質問に、自分の言葉で答えられていたね。打てば響く感じがとても好印象だったよ。友達を大切にする人なんだなって感じたよ。・・・」など、気づいたこの子の良さをどんどん伝えます。
 その後で、「だからこそ、もったいないなあって思うことがあるんだけど、伝えてもいい?」と前置きをしてから、「前髪が目にかかっていると、第一印象で『暗いな』っていう印象を与えてしまうんだよね。眉毛が見えるようにすると、素敵な笑顔がもっと引き立つよ!」などと伝えます。そんな伝え方をすると、どんな生徒でも、素直に聴いてくれますし、その場であらためようとしてくれます。
 そんなに大げさなことでなくても、お子さまが当たり前にやっていることなど、どんどん肯定的な言葉にして伝えてみることをおすすめします。例えば、「○○ちゃん、今日も部活、お疲れさま!」、「○○ちゃん、お弁当全部食べてくれて嬉しかった」など、名前を呼びかけながら伝えていくと、向こうからも話をしてくれるようになるのではないでしょうか。

絶対君主が支配する虐待の家<きょうも傍聴席にいます>

幻冬舎plus 2017年11月29日

朝日新聞社会部
 殺人など事件が起きると、警察、被害者の遺族、容疑者の知人らへの取材に奔走する新聞記者。その記者がほとんど初めて、容疑者本人を目にするのは法廷です。
 傍聴席で本人の表情に目をこらし、肉声に耳を澄ましていると、事件は、当初の報道とは違う様相を帯びてきます。
 自分なら一線を越えずにいられたか?  何が善で何が悪なのか?  記者が紙面の短い記事では伝えきれない思いを託して綴る、朝日新聞デジタル版連載「きょうも傍聴席にいます。」。毎回大きな反響を呼ぶ人気連載が新書『きょうも傍聴席にいます』としてまとまりました。記者が見つめた法廷の人間ドラマをお届けします。

 「絶対君主」。自らそう名乗る祖母と、付き従う母。二人の10年以上続く壮絶な虐待に、女子高生は殺害を決意した。計画を打ち明けられた姉がとった行動は――。
 2016年2月23日、札幌地裁806号法廷。
 「二人を殺害してほしくないと思っていました。でも、彼女の願いをかなえることが自分のできることだと思いました」。黒のスーツに身を包み法廷に現れた長女(24)は証言台に立ち、裁判員の前で弁護人の被告人質問に答えた。母と祖母を殺した三女(18)を、睡眠導入剤や手袋を用意して手助けしたという殺人幇助(ほうじょ)の罪で起訴された。
 札幌市中心部から東に約25キロ。北海道南幌町の閑静な住宅街で事件は起きた。
 14年10月1日午前0時半。当時高校2年生だった三女は自宅で就寝中の母(当時47)と祖母(当時71)を台所にあった包丁で刺して殺害した。二人の遺体には多数の刺し傷があった。三女は殺害後、家を荒らし、強盗による犯行に見せかけていた。
 当時、姉妹は祖母と母との4人暮らしだった。両親は10年ほど前に離婚。次女は父と暮らしていた。祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた。長女は祖母に従順という理由で、虐待を受けることはほとんどなかった。
 弁護人「(三女は)祖母と母が嫌いだったのですか」
長女「はい。祖母に暴力を振るわれ、母はそれをただ見ているだけでした」
弁護人「どんなことをすると祖母は暴力を振るうのですか」
長女「家の中を歩いていたら、突然たたかれていました」
弁護人「祖母は三女を嫌いだったのですか」
長女「『子どもは一人でいい』と言われていました。『犬猫みたいで嫌だ』とも」
弁護人「暴力を振るわれて、(三女が)泣いたりすると祖母はどうしましたか」
長女「うるさいと言って、声が出ないようにガムテープを口に巻きました。涙でテープがぐちゃぐちゃになってとれそうになると、口から頭にも巻き付けていました。鼻が少し出るか出ないかくらいの状態でした」
 三女は小学校に上がる前の04年2月、児童相談所に一時保護された。祖母に足を引っかけられ、頭に重傷を負い、児童相談所が「虐待の疑いがある」と判断したためだった。
 弁護人「そのときのことを覚えていますか」
長女「(三女が)自宅で顔を真っ白にして倒れていました。すぐに救急車で運ばれました」
弁護人「その後、どうなると思いましたか」
長女「ようやく祖母らが警察に怒られ、助かるんだと思いました」
弁護人「児相の人には話を聞かれましたか」
長女「はい……でも、聞かれた部屋の扉のすぐ向こう側に祖母と母がいました」
 その後、母親が児相に三女を迎えに行き、三女は自宅に戻ることになる。
 弁護人「どう感じましたか」
長女「大人を頼ることはできないと思いました」
 児相の一時保護の後、三女への虐待はさらに深刻化していった。
弁護人「方法が変わったのですか」
長女「床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されたりして水をかけられていました」
 2月24日、裁判官からも虐待の内容を問われた。
 裁判官「今まで見た妹の虐待で一番ひどいのは」
長女「食事が一番印象に残っています」
裁判官「どのような」
長女「小麦粉を焼いて、マヨネーズをかけて、生ゴミを載せられていました。はき出しても、無理やり口に入れられて、食べさせられていました」
裁判官「生ゴミというのは、台所の三角コーナーにあるようなものですか」
長女「台所の排水のところにあるものです。柿やリンゴの皮やへた、お茶の葉が多かったです」
 虐待がエスカレートするなか、周りに助けを求めることはできなかったのか。
 弁護人「親戚に相談することは」
長女「祖母は親戚の悪口を言っており、連絡を取ることはできませんでした」
弁護人「近所の人には言えなかったのですか」
長女「以前、妹たちが相談しましたが、結局は祖母らに話が行って、ひどいことをされていました」
弁護人「どんなことを」
長女「『お前、よくもありもしないことをペラペラ言いやがって』と言って、風呂場で冷水をかけられたり、床下に閉じ込められたりしていました」
 三女が高校に通い始めると、祖母らからの暴力は少しずつ減っていったという。三女の高校生活について、長女は「楽しそうで、友人にも恵まれていた」と話した。
 検察官「三女が高校生になって、祖母とはうまくいくようになったのですか」
長女「三女は、(家の)仕事さえやれば何も言われないというのがわかってきていました。ただ、暴力や嫌がらせが全くなくなったわけではありません」
 では、三女の殺害動機は、どこにあったのか。
 検察側は論告で、三女の殺意の直接のきっかけについて「親しい友人との関係から家を出たいという思いだった」と指摘した。
 ちょうどそのころ、長女も自宅を出るという話が持ち上がった。
 長女は高校を卒業後、医療福祉の専門学校を経て、近所の薬局に勤めていた。事件前、長女は男性との交際について祖母に相談。男性の職場の事情などから冬場は二人で札幌市中心部の近くに住みたいと伝えた。
 弁護人「祖母に何と言われたのですか」
長女「何回も『出てけ』と言われました。月3万出せば、縁を切ってやると言われ、悲しくなりました。私はお金目的なんだと」
弁護人「どう思いましたか」
長女「もう何を言っても無駄だ。縁を切って、家を出て行こうと思いました」
弁護人「三女のことは」
長女「出て行ったら、三女は一人になります。家事や金銭面、二人の重圧がすべて行くと思いました」
 検察官は三女の供述調書を読み上げ、その胸中を明らかにした。
 長女に家を出たいと伝えられた三女は「『出て行ってほしくない』と思い、どうすれば一緒に住めるかを考えたが、思いつかず、沈黙が続いた」。そして、長女は三女に愚痴をこぼした。
 「おばあちゃん、いなくなればいいのに」
 二人は、祖母と母がこの世からいなくなるという妄想に会話を弾ませた。車のタイヤをいじれば事故死に見せかけられる。強盗に入られて、二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇ってみようか――。
 長女はストレスを発散するように冗談半分で話していた。だが、三女は違った。「これまでも殺すことを考えたことはあったが、一人で全部やるのは無理だと思っていた。でも、姉も同じ気持ちだと知った」
 三女は事件前、友人との電話の中で、身内を殺害することを伝えた。友人から理由を問われると、「自分とお姉ちゃんの自由のため」と答えた。
 そして、三女は殺害の準備を始める。二人を眠らせるための薬、強盗に見せかけるために使う手袋を手に入れるよう長女に頼んだ。
 長女は「いざとなったら殺害することなんてできない。高校生ができるわけない」と思っていたが、三女は心を決めていた。「姉は『本気なの? 』と聞いてきたが、計画は完全にできていた。殺すとき、殺した後のことを何度も想像した」
 あの日。勤務先から帰ると、三女が裸のような姿で家にいた。風呂場には血のついた包丁が落ちていた。「聞かない方がいい」。三女は静かに言った。
 逮捕前、長女は三女にひたすら謝罪の言葉を述べたという。「私が止められなかったこと、解決策が見つからず三女の生活を壊してしまったことを謝りました」
 2月24日の被告人質問。
 検察官「人を殺す以外の選択肢は本当になかったんですか」
長女「(三女が)一度、札幌に逃げたことがあったけれど、二人に見つかりました。どこに行っても追いかけてくるのが恐ろしかったです」
検察官「殺害前、三女に『やめよう』とは言えなかったのですか」
長女「この家族にいい思い出、家族らしい思い出がなくて、(三女がやろうとしていることが)正しいと思ってしまいました」
 三女は逮捕され、今は医療少年院にいる。月に1度、二人は手紙をやりとりしている。長女は事件後、交際相手との間に子どもができた。「妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい」
 裁判長は2月26日、長女に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。
 裁判長は姉妹の置かれた状況に同情を示し、「犯情が低い事案」としながらも、「これからやり直していくにあたって、事件を絶対に忘れないようにしてください」と説諭した。長女は涙声で「はい」と小さくうなずいた。
  2016年3月5日 (光墨祥吾)
*追記 検察側、被告側とも控訴せず、判決は確定した。

写真で見る、北朝鮮のこだわりがつまった建造物の数々

BUSINESS INSIDER JAPAN 2017年11月29日

 北朝鮮に対する国際社会の態度は揺れている。
 11月20日、トランプ大統領は北朝鮮をテロ支援国家に再指定した。
 ナチスドイツやソ連といった過去の独裁制同様、北朝鮮ではそうした思想が建造物にも表れている。
 その一方で、1950年代のアメリカを彷彿とさせるパステルカラーが好みのようだ。北朝鮮では、コンクリートの高層ビルも林立している。

謎多き国の建造物が語ることとは?
 首都、平壌(ピョンヤン)に入るとき、最初に通るのが祖国統一三大憲章記念塔だ。2人の女性が統一された朝鮮半島を掲げている。
 次に見えてくるのが、党創立記念塔。
 平壌の中心街で目を引くのは、柳京ホテルだ。105階建てのこの建物は、世界最大の廃墟と呼ばれることも。
 街の反対側には、高さ約170メートルの主体思想塔がある。
 北朝鮮の最も印象的な(かつ威圧的な)建造物は、平壌の中心部に集中している。その1つである万景台学生少年宮殿には、母親の抱擁をイメージした2つの「腕」が。
 金正恩氏が朝鮮人民軍を前に演説するこの会場も、平壌の中心部にある。
 この国の多くの建造物は、その指導者である金日成氏と、その後継者である金正日氏を称えるために建設されている。
 この2人の肖像画は、平壌のあらゆる場所に掲げられている。こちらは中心街を走る電車の駅。
 もちろん、万寿台議事堂にも。
 しかし、北朝鮮では十分な電力が確保できないため、夜間は真っ暗になる。残りわずかな電力は、建国の父の肖像画を照らすために使われる。
 こうした建物の建設は、多くの労働者の長時間労働によって支えられている。
 その労働環境は劣悪、もしくは過酷だ。
 祖国解放戦争勝利記念館は、朝鮮戦争での米軍への勝利を称えている。
 平壌の中心部にある、ある建物には「偉大なる同士、金日成氏と金正日氏は、永遠にわたしたちとともにある」と書かれている。
 あからさまなプロパガンダを抜きにすれば、北朝鮮には多くの素晴らしい建造物がある。この地下鉄の駅は、世界で最も凝った装飾が施された建物の1つだ。
 世界最大のスポーツ・アリーナ「綾羅島メーデースタジアム」もある。
 最大15万人を収容できるこの施設は、北朝鮮の歴史に敬意を示す大規模なマスゲームの会場として、毎年使用されている。
 日々の生活は厳しいが、人々は紋繍(ムンス)遊泳場で楽しむことも。
 北朝鮮では科学も重要な役割を果たしている。例えば、原子の構造を模して作られた、科学技術殿堂は2015年にオープンした。
 金正恩氏は、この施設が「科学技術を推進し、より豊かで力のある国づくりを前進させる」ことを望むと述べた。
 科学技術殿堂は、北朝鮮がグローバルなイノベーションのハブを目指す、未来科学者通りの一部だ。
 一部のマンションには、ソーラーパネルも設置されている。
 多くの建物が、大胆な色使いと工業的な雰囲気で目を引く。
 しかし、元山(ウォンサン)の児童養護施設のような他の建物では、明るいパステルカラーがしばしば用いられている。
 2015年6月に完成したこの施設には青や黄といった明るい色が使われていて、コンクリートそのままの色が多い北朝鮮の風景の中では目立つ存在だ。
 だが、どんなに明るい建物があろうと、北朝鮮の街並みから分かるのは、この国の権力と武力に対するこだわりだ。