明日、ママがいない 批評まとめ

 

日本テレビは「倫理問題を含め、総合的な観点で放送前に社内で議論した。最後まで放送を見てほしい」とコメントしていますが、

1.ターゲットとしている年齢層は、どの年代なのか?
2.テレビの影響を受けやすい子どもたちへの配慮は考慮しているのか?

 この2点について、考察を試みました。
 昨今のテレビ番組は、報道関連系の番組やバラエティ系の番組が目立ち、ドラマ系の番組が目立ちにくくなっていると言えます。これは、若者のテレビ離れが顕著に表れ、テレビの影響力が低下している現状から、何とか、テレビの電源を入れてもらおうとの苦肉の策ではないかと推測できます。番組内容について、少しぐらい批判されようとも、まずは、テレビの電源を入れてもらうことが重要なのでしょう。若者にとっては、テレビより、スマートフォンや携帯電話、携帯ゲーム機等、魅力的なコンテンツを提供している端末が、身近にあり、テレビを視聴していても携帯端末を操作しているなど、明らかに、テレビより携帯端末の方が影響力が大きいことを顕著に表しています。
 ドラマ「明日、ママがいない」の視聴者ターゲットがどの年代なのか、「最後まで放送を見てほしい」のコメントでは全く掴めません。社会全般、子育て世代、子どもたち、親子、どの層に照準を合わせ、何を伝えようとしているのかが不鮮明なのです。つまり、単に娯楽性追求のドラマなのか、社会に一石投じようとしているドラマなのかすら不鮮明です。番組ホームページのイントロダクションでは、「すべての母親に、これから母親になる全ての女性に届ける」とありますので、母親たちに「愛すること」「愛されること」とは何かを問いかけていることは、察せます。放映時間帯も、ターゲット年齢層が、落ち着いてテレビの前に座れる時間となっています。しかし、第1話から第3話までの内容は、ターゲットとしている層に対して否定的、逆説的な表現が多発し、それを反面教師として受け入れられている視聴者は、どの程度いらっしゃるのでしょうか。インターネットを利用し、自分の意見を書き込まれる視聴者は、限られているとは思いますが、ターゲット層の書き込みは、それほど多くないような印象で、ターゲット層以外の書き込みが目立ちます。そして、そのターゲット層以外の人たちの主張で目立つのは「表現の自由への介入は止めるべきだ」と言うことです。テレビ局がドラマを通して訴えようとしていることと、視聴者の反応に隔たりがあるように感じます。つまり、テレビ視聴の効用感に対する現状認識が甘いと言うことに繋がります。視聴者の意見は、大別すると肯定的な評価と否定的な評価に分かれます。日本テレビの姿勢は、この内、否定的な評価を軽視している状況でした。「最後まで放送を見てほしい」は、もっともらしいコメントですが、1話完結のドラマであれば、その言葉も頷けます。しかし、連続テレビドラマです。第1話から第9話まで、連続して視聴する人が、どれほどいることでしょう。それは、視聴率の変化で察しがつきます。「最後まで放送を見てほしい」と言うコメントには、説得力がなく、視聴者の反応を楽観的に捉えている表れではないかと疑わざるを得ません。
 ドラマ「明日、ママがいない」は、少なくとも視聴率15%が表すとおり、多くの視聴者に影響を与えたと言えます。その中には、子どもたちもいます。子どもたちほどテレビの影響を受けやすいことは、周知の事実と思いますが、それは、興味を持ったことに対して模倣しようとする習性も考慮しなければいけません。「施設内虐待は実際に事件として発覚しているのだから、それをドラマ内容から排除するのはナンセンスだ」「ドラマで見た暴力的な言動などを子どもたちが模倣しても深刻な問題ではない」「暴力場面を見ることは、その(-)要因よりストレス発散の効果が大きい」「暴力的な言動のシーンなどは、一緒に見ている大人が、補足説明などすれば、家族の会話に繋がっていく」などの主張がありますが、子どもと大人が一緒の空間でテレビドラマを観ているという前提条件があるように感じます。ところが、現実は、どうでしょうか。子どもが、リビングでテレビを見ているとき、横に親が座っている確率は、どれほどでしょう。何よりも、放映時間帯の要因で、録画を翌日の日中に子どもが一人で見ている確率の方が高いと推察できます。親は共働きで日中、自宅に不在の状況が、現代社会では、よくある光景ではないでしょうか。
 従って、ドラマ「明日、ママがいない」を見た子どもたちの多くが、大人というフィルター無しで、その内容をストレートに受け止めた可能性があります。子どもたちの成長を見守るのが社会の役目と認識していますが、果たして、そのような観点から、ドラマ「明日、ママがいない」の番組内容は、推奨ドラマとして成立するのでしょうか。録画機器の普及、インターネット環境の充実が、現代社会の状況なので、「見なければ良い」「見せなければ良い」との主張が空論になることは周知の事実です。
 第1話は別として、第2話や第3話は、明らかに子ども向けの番組内容の様相を呈しています。放送業界でも、特に子ども向けの番組に関しては、性や暴力の表現については、細心の注意を払う必要性を認識しているでしょうし、影響があろうと無かろうと、視聴者が不快に感じる内容は放送を自粛するとの暗黙の了解があると信じていましたが、今回の、日本テレビの対応は、それらを見事に裏切り、話題性の取得に特化した対応になっていることは残念です。
 マスコミュニケーションの主流がテレビ・ラジオ・新聞から、インターネットコンテンツに取って代わりつつある現代において、テレビドラマで納得のいく視聴率を得るためには、相当のアイデアと話題性など企業努力が求められます。また、数十年を要して勝ち得た「表現の自由」の牙城を切り崩されることも避けなければいけません。
 しかし、それが、子どもも視聴するドラマにおける暴力描写や性表現を肯定する理由にはなり得ないと思います。「表現の自由」には、社会に対しての影響責任が伴うことを再認識することが求められます。

参考文書:いま、ドラマ・バラエティ制作者666人は

 

明日、ママがいない 掲示板より

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