自分で産んでいない子供の「親」になる。里親や特別養子縁組の要件とは

ハフポスト日本版 2017年11月24日

 自分で産んでいない赤ちゃん・子どもを、家族として迎え入れる里親や特別養子縁組。さまざまな事情で育てられなくなった産みの親に代わって、「親」「家庭」という役割を担っている。
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 ここ数年、施設で育てるのが中心だった児童福祉政策が転換し、里親や特別養子縁組を増やそうという動きが広がっている。
 赤ちゃん・子どもは、どういった経緯で新しい「親」に迎えられるのか。もし「親」になりたいと思ったらどうすればいいのか。「親」になるのに必要なことや、新しい「親子」が生まれるまでの流れをまとめた。

赤ちゃん、子どもはどこから来るの?
 赤ちゃんや子どもを家庭に迎え入れるには、児童相談所か民間団体を経由する2つのパターンがある。
 児相に預けられるのは、親の死亡や虐待を受けた子どもや、予想しない妊娠で家庭で育てられなくなった赤ちゃん。産みの親やその親族で受け入れ先が見つからない場合、児相側が里親や特別養子縁組に委託するか、乳児院や児童養護施設といった施設に預けるかを判断する。里親や特別養子縁組の対象となる子どもも、多くの場合、一旦施設で暮らした後に委託される。
 一方民間団体は、特別養子縁組だけを受け入れている。妊娠の相談を受けると、出産の段階からサポートし、産まれてきた赤ちゃんを育ての親と引きあわせる。
 日本には、産みの親が育てられなくなった子どもが約4万5000人いる。そのうち約85%が、特別養子縁組や里親といった家庭環境でなく、施設で暮らしている。

里親になるまでのステップ

「親」になるのに必要なこと:里親編
 住んでいる都道府県や政令市の児童相談所に相談し、里親になるための要件を満たしていれば申請できる。
 要件は地域によってさまざま。
 例えば東京都は、「心身ともに健全」「家庭生活が円満」「経済的に問題がない」「里親の年齢が原則として25歳以上65歳未満」といった項目を設けている。
 次に、里親になるための研修や家庭の調査、審議に移り、問題がなければ申請から3カ月から半年ほどで、里親への登録が認められる。
 その後、条件が合う赤ちゃん・子どもがいれば児相から紹介を受ける。一緒に出掛たり自宅に泊まったり、1~3カ月間にわたって交流。良好な関係を築いていけるかを児相側が判断し、委託するかどうかを決める。

「親」になるのに必要なこと:特別養子縁組編
 児相を利用する場合は、里親の申請する時に、「養子縁組里親」を選択する。
 東京都では、一般的な里親の要件に加えて、「年齢が原則として25歳以上50歳未満」「婚姻している」といった項目が加わる。登録が認められ、里親として赤ちゃんを預かった後、特別養子縁組を申請する。
 一方民間では、養子縁組の仲介に必要な届出を出している団体・個人が、全国に約20ほど存在する。
 親となる要件は、団体ごとにさまざま。
 例えば、一般社団法人「アクロスジャパン」の養子縁組委託・相談事業は、「清潔な家に住み、経済的に安定している」「自分の価値観や宗教を押し付けない」といった条件を設定。
 また、東京の認定NPO法人「フローレンス」の赤ちゃん縁組事業は、「配偶者がいる」「25歳以上である」といった民法の規定のほか、「夫婦一緒に積極的に家事・育児をする」ことなども求めている。
 赤ちゃん縁組事業では、書類審査や面談、家庭調査をクリアすると、育ての親として登録され、保育施設や助産師の下で育児研修を受ける。条件に合う赤ちゃんや子どもがいれば、団体側がマッチングし、委託する。
 児相と民間団体どちらのケースも、育ての親本人から申し立てを受けた家庭裁判所が、特別養子縁組を許可するかどうかを決める。
 成立に必要な要件は次の通り。
1. 産みの親の同意(死亡や子どもへの虐待などケースは同意が必要なし)
2. 親になる人の年齢(配偶者がいて、25歳以上。片方の親が25歳以上であれば、もう一人は20歳以上であればOK)
3. 子どもの年齢(6歳未満)
4. 6カ月以上、迎え入れる子どもと一緒に暮らしている
4.の状況などを基に、家裁が特別養子縁組がふさわしいかを判断し、許可すると、育ての親と子どもが「実の親子」になる。

子どもの貧困「連鎖」、支援職員の9割認識 神奈川県内調査
 
カナロコ by 神奈川新聞 2017年11月24日

 社会問題化する子どもの貧困を巡り、県内で支援に携わる職員の9割以上が「貧困は世代を超えて連鎖する」と認識していることが、県の意識調査で明らかになった。複雑な問題の解決には他機関との連携が必要としつつ、児童相談所と学校などの情報共有が図られていないことも判明。深刻な現状に直面しながらも、総合的な対策が不十分である実態が浮かび上がった。
 県が22日に公表した調査結果によると、子どもの貧困は連鎖することが多いかとの問いに対し、「多い」(58%)と「ある程度多い」(36%)が合わせて94%を占めた。家庭が抱える困難も「親が経済的困窮や複雑な家庭環境で育った」が57%で最も多かった。
 貧困世帯の子どもの気になる点に関しては「住居の環境が適切でない」「十分な教育を受けられていない」「体や髪が清潔に保たれていない」「食事が十分とれていない」が50%を超え、「医療機関の受診を控えている」も32%あった。
 子どもが抱えている困難は「心身の発達に必要な生活習慣や食事の提供がない」が最多の55%で、「学習についていけない」「自己肯定感・自尊感情が低い」「将来の目標が持てない」「心の状態が不安定」が続いた。成育過程の問題点は「学校の授業についていけない」「ひきこもりや不登校など学校になじめない」と学校生活でのつまずきを指摘する回答がそれぞれ60%以上を占めた。
 また、支援する上で困難と感じる点は「複雑な問題が絡み合って1機関では対応できない」が67%で最も多い一方、他機関との連携に関してはスクールソーシャルワーカーは児相と、市町村や県は学校との連携がそれぞれしにくいとの答えが目立った。連携する上での課題は「情報共有」や「ネットワークの未確立」を挙げる回答が多く、「親の理解を得るのが困難」とする答えもあった。
 県によると、全国で7人に1人の子どもが平均的な生活水準の半分以下という厳しい環境に置かれている。県内の実態は現時点で把握できていないものの似たような傾向にあるとみられ、担当者は「調査結果を踏まえ、教育、生活、保護者の就労、経済支援など総合的な対策を早急に進めていく」としている。
 子どもの貧困に関する意識調査 県は6~7月、県内で子どもの支援や相談に携わるスクールソーシャルワーカーや児童相談所の相談員、市町村の生活福祉担当者、児童養護施設職員、母子生活支援施設職員ら約2千人を対象にアンケートを実施。インターネットを通じて質問に対する回答を選ぶ方法で、303件の回答が寄せられた。子どもの貧困をテーマにした意識調査は初めて。

「仕事に幸せ奪われた」妊娠7カ月、過労で夫は寝たきりに… 経験生かし“家族の会”発足に尽力 福岡の女性
 
西日本新聞 2017年11月24日

 大手広告会社やNHKの過労死問題が注目を集める中、家族に対する支援の輪が九州で広がっている。福岡でも、弁護士らを交えた「過労死を考える家族の会福岡」(福岡市)が発足した。立ち上げに関わった北九州市小倉北区の主婦、安部佳世子さん(48)は15年前に夫が倒れ、重度の四肢まひとなった。自らの経験を踏まえ、同じ境遇の人々の支えになりたいと願っている。
 安部さんの夫、貢二さん(48)は北九州市内の橋の設計会社に勤務していた。業務進行を指揮する立場で発注元の急な要請に応じることも多く、平日は深夜に帰宅、休日出勤も続いた。
 原因不明の微熱が1カ月続いた2002年6月、貢二さんは自宅で就寝中に急に呼吸を乱し、心停止状態に。救急搬送されて一命を取り留めたものの、以後寝たきりの生活になった。
 労働基準監督署の資料によると、発症1~5カ月前の時間外労働は厚生労働省が定める「過労死ライン」の月80時間を超え、月102~118時間に上った。「元気だったら、今ごろ家族と楽しく過ごしていたはず。夫は仕事が好きだったけれど、仕事に幸せな日々を奪われた」
 貢二さんが倒れた当時、安部さんは妊娠7カ月。新婚生活は暗転した。看病に加え、生まれた長男の育児に追われた。支援の手もなく、一人で労災申請や会社との交渉に当たり、ストレスで血尿が出ることも。「不安が強くなり、いつしか何の感情もわかなくなった。この苦しみは同じ立場の人にしか分からない」
 04年12月、貢二さんは労災と認められた。安部さんが今回、家族の会の発足に加わったのは、一人で苦しんだ当時の体験がある。

16年度に労災認定の過労死、107件
 過労死を巡る家族会は1989年、愛知県で初めて発足。その後、全国各地に広がり、16団体に増えた。九州では、宮崎、大分両市を拠点にする「東九州過労死を考える家族の会」が昨年11月に発足した。いずれも家族同士の情報交換や労災認定に向けた支援、啓発活動に取り組む。家族の会福岡は今年10月に結成総会を開き、約30人が参加した。12月10日には福岡市・天神でシンポジウムを開く。
 23日は勤労感謝の日。過労死等防止対策推進法が14年に施行され、働き方改革が叫ばれているが、16年度に労災認定された過労死は107件(うち九州11件)、過労自殺(未遂含む)は84件(同12件)に上る。
 安部さんは「会社のために無理して働くのを美徳と考える企業体質が変わらない限り、過労死はなくならない。今後、過労死に悩む遺族が出たとき、私たちの経験を伝えて支えになりたい」と呼び掛けている。